【ログ】Pixiv短編ログ(全年齢)

「ん、んぅ……」
 ヒロくんに抱きしめられると、おれとヒロくんの力の差を思い知る。ヒロくんの方が背が高いし、力も強い。鍛えてるから見た目より筋肉もあるし。服を着ていると結構細く見えるのにね。年も一個しか違わないからと油断していると、ふとした時にこうやって捕まってしまう。
「ヒロくん、ダメだよ……」
 ヒロくんの唇がおれの唇から離れて、首筋のほうへと移動する。塞がれていた口が自由になったので、おれはやっと抗議できた。けれど、シャツの上からおれの腰や背を弄るヒロくんの手が止まらない。背筋をなぞられて、おれの身体がびくっと反応した。
「あっ……ぁん……」
 力が抜ける。脳がとろけそうになる。意識を完全にヒロくんにゆだねてしまいそうになった時、おれははっと我に返ってヒロくんの肩を掴んだ。あぶない、流されるところだった。
「だっ、ダメだってばァ!」
「あ、藍良……」
 おれが声を上げたことで、さっきまでおれの脳みそを溶かしそうになっていた甘ったるい空気が吹っ飛んだ。ヒロくんに追い打ちをかけられないよう、おれは一歩下がってヒロくんから離れた。
「もう……今更キスしないでとは言わないけどさァ、学校でえっちなことしないでよねェ」
 ヒロくんがしょんぼりと眉を下げる。そんな顔してもダメなんだからね。
「ご、ごめん……藍良を見ていると、つい……」
 おれはヒロくんのせいで少しシワの寄ったシャツをのばす。
「誰かに見られたらまずいんだよ?」
「うん。……でも、人が近くに来たら気配で分かるし」
「そういう事を言ってるんじゃなくてェ……まあいいか」
 ヒロくんが物足りなさそうにしているとこっちまでうずうずしてくる。ヒロくんを見上げると、甘えるような視線に捕まった。
「……もう一回だけ、してもいいかい?」
「懲りないなァ」
 ふふ、と思わず笑った。おれはもう一回、もう一瞬だけ、ヒロくんにキスを許した。それから、少しの間、ぎゅっと抱きしめることも。部屋が分かれてから、二人きりになれる瞬間って意外とないもんね。昼休みの空き教室が一番可能性があるのだから危うい。
「じゃあまた、レッスンの時にね」
「うん」
 おれたちは昼休みが終わる時間ギリギリまで一緒にいて、それからお互いの教室へと戻った。

 放課後、おれはヒロくんを待たずに教室を出た。クラスメイトに「今日は先輩来ねーの?」なんて聞かれたりするけれど、別にいつもヒロくんが迎えに来るわけじゃない。今日はヒロくんは空手部の練習がある。だからおれは一人でESビルに向かった。バスケ部に顔を出してもいいんだけど、うっかり明星先輩に見つかると帰り時を逃しそうだからやめた。
 夜は、ALKALOIDの四人でレッスンをする。体力は温存しておきたい。
 おやつを食べながら情報収集でもしてヒロくんを待とうと思って、おれは社員食堂に入った。夕食にはまだ早い時間だから空いている。おれは、ソファの四人掛けの席に一人で座った。スマホを使ってドリンクバーを注文し、早速ミルクティーを淹れてきた。片手にミルクティー、片手にスマホをもってホールハンズを閲覧する。
 興味のあるニュースやSNSを一通りチェックして、次に自分やALKALOIDに向いている良い仕事はないかと情報収集をした。スマホの画面を次々と手繰っているとき、脳がフル回転している感じがするのが気持ちいい。
「あ、ラブはんやないの。こんにちは」
 ふと声をかけられておれは顔をあげた。目が合う前に誰が声をかけてきたのかはすぐに分かった。おれのことを『ラブはん』なんて呼ぶ人は一人しかいない。
「こんにちは、こはくっち」
 おれは、桜河こはくくんのそれとは違うイントネーションで同じ挨拶を返した。『ラブはん』呼びは恥ずかしいし慣れないけれど、こはくっちが、他の人が知らないおれのことをよく知ってくれている特別感があって、ちょっと嬉しい。ネットでやりとりしていたころの話は今はほとんどしないけれど、不思議な縁がおれたちの間にはある気がする。
「相席してもええ?」
「もちろん! 早く来てよかったァ」
 ソファの四人掛けの席を独り占めしているのもそろそろ気まずくなってくるところだったし、こうして同い年の人とお茶するのって友だちって感じがして良い。こはくっちはおれの向かいに座ると、早速ホールハンズで食事を注文した。日替わり定食のお魚のセットだ。まだ夕方なのに結構がっつり食べるんだ。
「一人でいるの珍しいな」
「こはくっちこそ」
 Crazy:Bは仕事以外では単独行動が多いイメージだけど、最近は一緒にいるのをよく見かけていたから、こはくっちが一人で居るのもなんだか新鮮だ。
「ああ、わしらはこのあと合流するんよ。ラジオの打合せと収録やねん」
「ラジオ!? こはくっちラジオやるの?」
 おれが驚くのとは反対にこはくっちは落ち着いていて、おれを窘めるように眉を下げて笑った。今すごくアイドルっぽい会話をするチャンスだった気がするのに、おれはテンションを上げすぎている。
「コズプロの先輩アイドルがよう出とる番組に、わしらCrayzy:Bもゲストに呼ばれたっちいうだけの話やで」
 確かに、同じ事務所の先輩のツテで、ラジオのゲストに呼ばれるのはよくある話。CDの宣伝もできるし名前も覚えてもらいやすい、新人の登竜門のような仕事だ。事務所に推されれば宣伝の強化対象に選ばれ、一か月ずっとラジオで曲を流してもらえたりもする。
 けれど、まだラジオは経験したことがないおれは分かりやすく興奮してしまう。同い年で、それも仲良くしているアイドルがラジオに出るなんてどんな感じなんだろうと思う。楽しみすぎる。
「それでもすごいよォ! 絶対聴くから放送日教えてねェ!」
「ええよ、ほんなら今番組のページ送るわ」
 こはくっちがスマホを取り出し何かを操作する。するとすぐにおれのスマホが震えて、こはくっちからラジオ番組のサイトのリンクが送られてきた。おれは「ありがとう」のスタンプを送り返す。目の前におるのに、とこはくっちが笑ってくれた。こはくっちとこうしてSNSでやりとりをしていると、ネット上で顔も知らずに話していた頃を思い出す。あの頃はこうやって、お互いにアイドルとして向かい合って話すなんて思ってもいなかったよ。
「ぬしはんはどうなん? この後は仕事なんか?」
「ううん、レッスン室を夜に予約しててねェ、皆が集まるまで暇なんだァ」
 本当は放課後すぐにレッスンが始められるといいんだけど、その時間のレッスン室は学生アイドルに人気でなかなか予約がとれない。大物になれば専用のレッスン室が使えるようになるし、マネージャーがついて効率よくレッスンができるよう考えてスケジュールを組んでくれたりする。おれたちALKALOIDはまだまだ駆け出しでその域には達していない。MDMで活躍できたことが、良い起爆剤になってはいるけれど。
「さよけ。……ああ、わしの料理が来たみたいやわ」
 スマホの画面を手繰りながらおれの話を聞いていたこはくっちが顔を上げる。振り返ってこはくっちの視線の先を見ると、長い髪をひとつにくくったCrazy:Bの椎名ニキ先輩がエプロン姿で料理を運んできた。
「はいこはくちゃん、お待ちどーさまっす」
 アイドルと料理人の掛け持ちだって言ってたし、おれも初めて会ったのはこの食堂で、アイドルだってことは後から知った。そのせいか、ステージに立っているよりもこうして飲食にかかわっているほうがしっくりくるし、本人も楽しそうに見える。
 アイドルが好きなおれとしては、もっとステージに立っているところを観たいんだけど。
「ゆっくりしてってください~って言いたいところっすけど、そろそろ燐音くん来ますよね」
 椎名先輩はこはくっちの前に焼き魚の定食を置いて、すぐには立ち去らずにこはくっちと雑談を始めた。燐音先輩の名前が出た。Crazy:Bもここで待ち合わせをしているってことなんだろうか。
「せや。だからさっさと食べとこ思ってな」
 こはくっちが紙に包まれている箸を取り出す。
「はー、ぼくももうすぐ上がりなんで、燐音くんには大人しく待ってるように言っといてくださいっす」
「あれがわしの言うこと聞くと思うんか」
「……努力はしてみて欲しいっす」
 テンポのいい会話のあと、椎名先輩はひらひらと手を振って厨房へと戻っていった。
「仲いいよねェ」
 燐音先輩をあれ呼ばわりか。年上にも物おじせずに話しているこはくっちを見ると感心する。ユニットの仲間だからかも知れないけど、気を許しているのが分かる。
「そう見えるんなら良かったわ。夜にレッスンあるなら、ぬしはんもご飯食べたらええんちゃう?」
 こはくっちは早速箸を持って、焼き魚を上手にほぐし始める。箸の使い方がすごくきれいだ。人が食べているのを見ると、おなかが空いていなくても欲しくなってしまう。おれはスマホで時計を確認した。もうすぐ約束の時間だ。
「うん。でも今からヒロくんが来るから一緒に食べようと思って待ってるんだァ」
「あー、ごめんな目の前でがっつり食べることになってもうて」
 定食を食べているこはくっちの前でグラスひとつだけっていうのもさすがに寂しいけれど、おれが先に食べているとヒロくんが来た時にしょんぼりしそうだから、待ってあげることにした。ヒロくんはおれに甘えるときはすぐ顔に出るから。分かりやすいのは助かるんだけど。
「いいよォ気にしないで。おれいつも皆がご飯食べてるときにお菓子だけ食べてたりするし」
「そ、それは身体によくないんちゃうか」
「よく言われるけどォ」
 こはくっちは笑って、先にいただきますと言ってごはんを食べ始めた。
「そうだぜぇ藍ちゃん、もっと食べねえと大きくなれねェぞ!」
「ひえぇっ!」
 突然真横から声がして、おれは驚いて思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。いつの間にか燐音先輩が現れ、おれの隣に座って肩を組んできた。それらが同時に起こって困惑するおれと燐音先輩を見て、こはくっちがあからさまなため息とともに肩をすくめる。
「うっさいのが来よったで」
 なるほど。こはくっちはこうなる前にごはんを食べちゃいたかったんだね。
「奇遇だなあ藍ちゃん、どうだァ? うちの弟とよろしくしてっかァ?」
 肩を抱き寄せながらもたれられると動けない。何でこんなグイグイくるんだこの人。
「んもォ~! 放して燐音先輩!」
 とりあえず体重をかけるのをやめてほしい。そう思って押し返したら、燐音先輩は身体をこっちに傾けるのを止めてくれた。燐音先輩の腕は肩に乗ったままだけど、あんまり押し返すと逆になにをされるか分からないので、ある程度は妥協する。こういう人は、拒否すると余計に面白がるから。
 こはくっちはおれたちのことを眺めながら、食事の箸を進めていた。
「なんだ? ALKALOIDのやつらもこれから仕事かよ?」
「仕事じゃない。レッスン。ここで待ち合わせてるのォ」
「ああ、それでこはくちゃんに会ってご一緒してンのか。イイねぇ藍ちゃん、俺っちの弟だけじゃなくて、こはくちゃんとも仲良くしてくれてありがとよ」
「はァ? べ、別にどういたしましてだけど、あんたがそういうこと言うと調子狂うなァ?」
 初めて会った時からそうだったけど、MDM以来、なんか妙に燐音先輩に懐かれている気がする。少しは、おれやALKALOIDのみんながした事に感謝してくれてるって解釈していいのかな。
「それくらいにしとき、燐音はん」
 こはくっちが嗜めてくれて、燐音先輩はおれをからかうのをやめてくれた。すると、次のターゲットはどうやらこはくっちに移ったようだ。
「つーか、こはくちゃん前もそのカッコじゃなかったかァ?」
 燐音先輩がそう言うので、おれも思わずこはくっちの服装を見た。カーキの襟付きシャツに黒のインナーという、いつものこはくっちの格好だ。
「これがわしの一張羅や。なんかあかんの?」
「オイオイ、アイドルなんだからよそいきの一着や二着や十着持ってなきゃダメっしょ。打合せ前に適当に買いに行くぞ」
 話してるとこ悪いけど、おれの肩をゆするの、やめてくれないかなあ。
「はぁ? 別にラジオなんやから」
「よくねーよ、ラジオ収録しました! ってネットに写真アップされる度に同じ服着てンのかお前は?」
「ぬぅ……」
 こはくっちの味方をしてあげたいところだけど、燐音先輩の言うことは一理ある。一理どころかアイドルとしては必要で当たり前のことだ。衣装を用意してくれる仕事でも、その仕事場に到着するまでは自分の服を着ていくわけだから、普段の服装をいつどこで関係者に見られているか分からない。おれは今日は学校から直接来たから制服だけど、私服のバリエーションに自信があるかと言われれば、無い。
「ソレ食ったら行くぞ。待っててやっからゆっくり食え~」
「……じっと見られとると食べにくいわ」
 さすがにこはくっちも大人しくなった。こはくっちにとって痛いところを突かれたんだろうか。こういうやりとりを見ると、燐音先輩はユニットのリーダーで、おれやこはくっちよりも年上なんだなあと実感する。
「燐音先輩、そういうとこしっかりしてるよねェ」
「お? 惚れなおしたかァ藍ちゃん」
「惚れたことありませーん」
 ……本当に、こういうところがなきゃ、頼れる先輩なのにね。
 それからしばらく、おれたちは三人でお互いのユニットの近況を伝え合う。個人の経験の差はあれど、ユニットとしてはどちらも駆け出しなので状況は似たり寄ったりだった。
「藍良」
「あ、ヒロくん」
 時間になって、ヒロくんが食堂に現れた。空手部の練習のあとだろうに、さっぱりと私服を着ている。学校でシャワー浴びてきたのかな。
「よォ弟、元気してっかァ?」
 ヒロくんは、おれと燐音先輩の状態をみて、分かりやすく唇をとがらせる。ほら、こうなると面倒なんだよあんたの弟さんは。
「……兄さん、藍良から離れて欲しいよ」
 そう言って、ヒロくんまでおれの隣に座って来た。肩は燐音先輩に取られてるからだろうけど、ヒロくんはおれの腰を抱き寄せて来た。あっという間に、おれはヒロくんと燐音先輩に挟まれた。何、この図。
「ねェなんでおれをサンドイッチにするのこの兄弟! どっちかあっちに座ってよォ!」
 兄弟アイドルに挟まれるなんてファン垂涎の構図を体験しておいて申し訳ないけれど、この光景は明らかにおかしいし目立つので今すぐ二人とも離れて欲しい。
「なら兄さんが向こうに行くべきだよ」
 ヒロくんの、意外とやきもち妬きなところ、ちょっとかわいいなと思うから正直役得だなとも思うんだけど。ESビル内とはいえ、どこで誰が見ているか分からないから勘弁して欲しい。この兄弟のスキンシップの多さは、そろそろファンのみんなにも浸透してきてるみたいだけど、勘違いで炎上するのはやだな。……いや、ヒロくんに関しては勘違いではないんだけどさ。
「へーへー、また今度お兄さんと遊ぼうなァ、藍ちゃん」
 燐音先輩はおれの頭を乱暴に撫でてから、こはくっちの隣に座った。燐音先輩が座る瞬間、こはくっちが大袈裟に座る位置をずらして先輩から離れたのをおれは見逃さなかった。
 年上相手にそういう態度とれるのって、ちょっと羨ましいかも。Crazy:B、MDM以来ネットの意見は賛否両論で、見て見ぬ振りをしなければならないことも、真摯に受け止めなければならないことも沢山あるだろうけど、本人たちがこんなふうに強かなら心配はなさそうだ。……おれも人の心配をしてる場合じゃないんだけど。
 こはくっちとヒロくんが、お互いに挨拶をし合って、四人掛けの席に珍しい組み合わせが揃った。
「なんかわしだけ食べてて申し訳ないから、皆もなんか注文してほしいわ」
 四人のなかで食事をしているのはこはくっちだけ、という状況になってしまった。たしかにこれでは食べにくいよね。おれはドリンクバーを注文してるけど、なにも頼まずに座ってるだけのこの兄弟はなんとかしなければ。
「……でも、もうすぐ先輩たちが来るから、どうしよう藍良?」
「別に先に食べてても二人とも何も言わないよォ。今なら椎名先輩が厨房にいるみたいだけど?」
 確かにそろそろ先輩たちも合流してくれる時間だけど。さすがにそろそろおれもお腹空いたから、今のうちに食事を済ませちゃいたい。先に食べ終わっていれば、あとから食べる先輩たちの代わりに率先して話ができるしいいかも。
「今なら椎名さんのハンバーグが食べられるということかな? じゃあ注文しよう藍良!」
 初めてこの食堂でハンバーグを食べてからすっかり大好物になったヒロくんは、ハンバーグを注文する頻度が高い。椎名先輩が厨房にいるときはなおさらだ。最近はなぜかたまに、椎名先輩がヒロくんにハンバーグを差し入れてくれることもあるらしい。
 おれはオムライスを注文して、ヒロくんはハンバーグのライスセットを注文した。ちょうどその時、燐音先輩のスマホが通知を鳴らして、先輩がそれを確認する。
「お、メルメル着いたってよ。行けるかー? こはくちゃん」
 メルメルって、HiMERUさんのことか。食堂の中には入らないでスマホの連絡で呼びつけるあたり、らしいというか何というか。
「ん、もう食べ終わるわ」
 こはくっちが、小鉢に残った漬物もきれいに食べた。
「おーいニキ! 仕事の時間だぞ~!」
「分かってるから大声出さないで欲しいっす!」
 厨房から現在も仕事をしている椎名先輩の声が聞こえて、こはくっちが食べ終わった食器を持って立ち上がった。
「ほんならなラブはん、一彩はん、今度一緒にご飯行こうなぁ」
「うん! またねェ」
 こはくっちと入れ替わりで、今度は椎名先輩が両手にトレイをもって来る。それぞれに、ヒロくんが注文したハンバーグセットと、おれが注文したオムライスがのっている。目の前に料理が並べられ、席を移動するタイミングを逃してしまった。向かい側、もう誰も座っていないのに。
 燐音先輩とこはくっちは、食堂の外にいるっぽいHiMERUさんと合流するのか、さっさと出て行ってしまった。
「はい、お待ちどうさまっすお二人さん。じゃ、ぼくはこれで上がりなんで」
「お疲れ様です」
 ゆっくり話したことはないけど、椎名先輩は気さくに声をかけてくれる。最初に面識ができたこはくっちを除けば、Crazy:Bのなかでは一番話しやすいかも。
「ウム、お疲れ様! 兄をよろしくお願いするよ、椎名さん!」
 椎名先輩のハンバーグの大ファンであるヒロくんは、その大好物を作ってくれる相手に、満面の笑みで挨拶をした。まるで後光が差すようなその笑顔にあてられたのか、椎名先輩がちょっとだけ怯む。気持ちは分かるかもしれない。
「うう、弟さんは素直でかわいいっすね……ありがとうございます」
 じゃあまた、と言って椎名先輩はしっぽ髪を揺らしながら、厨房に戻っていった。今までずっと働いていたのに、これからラジオって結構大変だな。

 二人だけになって、おれとヒロくんは一緒に「いただきます」をした。このあとレッスンがあるから腹八分目にしようと思ってライスの量を少なめにしてもらった。これなら全部食べられそうだ。
「兄さんたちと何を話していたのかな」
「別にただの雑談だよォ。これから仕事なんだって、Crazy:Bのみんな」
 ふーん、という顔をしてヒロくんがみんなが出て行った方を見るので、おれは足下でヒロくんの足を軽く蹴った。
「もー、そうやってすぐ妬かないでよォ」
「ち、違うよ藍良……」
 何も違わないくせに、ヒロくんは顔を赤くして言い訳をした。
「おや、仲良く隣同士に座っていると目立ちますな」
 その時、タッツン先輩とマヨさんが一緒に食堂に入ってきた。四人掛けの席に隣同士で座っているのって、ああ、やっぱり変だよね。たまに先輩二人がおれとヒロくんのためにそうして座っていてくれるけど、今度からは遠慮しようと思う。おれたちのせいで、先輩たちにまで変な噂が立つのもアレだしね。
「さっきまでこはくっちと燐音先輩がいたんだよォ」
 言い訳みたいだけれど事実だ。こはくっちと燐音先輩が席を立ったときに移動すればよかった。恥ずかしい。
「ああ、それでHiMERUさんが外にいたんですな。話しかけるな、というオーラが出ていたんですけど何かあったのでしょうか」
 言いながら、タッツン先輩はおれの向かいに座って、マヨさんがその隣に座る。
「ハンバーグ、美味しそうですねぇ、今日はわたしもそれにしましょう」
 マヨさんがそう言ってスマホの画面を見る。
「ウム! マヨイ先輩はたくさん食べたほうがいいよ! 追加でチキンも頼むといいよ」
「い、いえ、そんなには食べられませんから。サイドメニューはサラダにします」
 マヨさんは、ヒロくんと同じハンバーグセットを注文して、タッツン先輩はさっきこはくっちが食べていたお魚の定食を注文した。スマホで注文できるのって本当に便利だよね。店員さん呼ばなくてもいいし。このシステム、ほかの店でも導入されればいいのにと思う。
 半分ほど食べ終えているおれたちの食事と一緒に、四人分が食卓にそろう。
「そういえば、さっきキラキラメールでプロデューサーから連絡があってね」
 一足先に食事を終えたヒロくんがポケットからスマホを取り出す。 
「どうやら僕に単独で写真の仕事がきたみたいだよ」
「写真? モデルってこと?」
 アイドルの仕事で写真って言うとまずモデルの仕事を思い浮かべる。ファッション雑誌、ではないよね。
「ウム。事務所の宣伝に使う写真だと言っていたよ」
 ヒロくんがスマホの画面をおれに見せてくれた。見てみると、プロデューサーからのメールに「スターメイカープロダクションの広報誌に一彩くんを推薦したら通りました」と記載されていた。
「あー、スタプロの広報誌か」
 おれたちが所属している事務所が定期的に発行している通信のようなものだ。それの表紙をヒロくんが飾ることになったらしい。広報はほかの事務所も出しているし、店頭には各事務所の広報誌が一カ所に並ぶから、ヒロくんがスタプロ代表みたいになる。すごい。ヒロくんプロデューサーに推薦してもらったんだ。確か事務所のホームページのトップにも写真が載るんだよね。
「いよいよ一彩さんも、本格的にアイドルらしくなってきましたな」
 タッツン先輩が言う。
「いいなァ、おれも個人の仕事してみたい」
「ふふ、ではそのときのために、今日はモデルのレッスンでもしてみましょうか」
 マヨさんがそう言って、サラダを一口食べながら何かを考え始めた。モデルのレッスンまでできるのかこの人。
 それにしても、ヒロくんに一歩先を行かれた感じがする。事務所所属のアイドルなら表紙の担当は順番に回ってくるだろうから、広報誌のハードルはそこまで高くないのかもしれないけれど、発行物の表紙を飾るのって憧れだよね。おれにもいつか、順番が回ってくるだろうか。リーダーに表紙の仕事がきたのはうれしいけど、やっぱりちょっとだけ悔しいな。

 おれ達は食事を終えたら、軽く腹ごなしにES内を散歩して、レッスン室へと向かった。
 今日のレッスンはライブ用の通し練習。最近は少ない持ち曲を入れ替えたり、アレンジを加えたりして、ファンを飽きさせない工夫に時間を使っている。ヒロくんにモデルの仕事が入ったのをきっかけに、レッスンの終盤にはマヨさんがポージングのレッスンをしてくれた。
 教えてもらった通りに指先まで意識してポーズを決め、マヨさんにおれのスマホで写真を撮ってもらった。レッスン室の壁を背景に撮っただけの写真だけど、結構ラブい感じに撮れた気がする。自撮りには限界があるから、たまには人に撮ってもらうのもいいなあ。そんな風にいろいろ試していたら、あっという間にレッスンが終了した。あとでこの写真、SNSにアップしよっと。

 星奏館に戻り、先輩二人を見送ってから、おれとヒロくんは談話室で少しの間一緒に過ごすことにした。時間を有効活用するために、二人ともなんとなく学校の宿題を広げている。
「ねえ、ヒロくん」
「ん? 何かな、藍良」
「明日の放課後、オフだよね」
「ウム、週に一度はオフの日を作って身体を休めようという話だったよね。明日はレッスンも部活も休むつもりだよ」
 週に一度は身体を休める、と提案したのはマヨさんだ。さすがに土日は休んでいる場合ではないから、平日に一日休みを作っている。放課後は、買い物や休養に使うんだ。
「じゃ、じゃあさ、おれと買い物に行かない?」
「買い物? 特に必要なものはなかったような」
「ヒロくん、今度撮影の仕事があるんでしょォ。その日のためにかっこいい服、買いにいこ?」
 燐音先輩とこはくっちの会話を思い出す。ヒロくんだって、そんなに私服は持っていないはず。事務所内での仕事だから意識しなくていいのかもしれないけど、これを機に服をある程度買っておいてもいいと思う。それに、それを口実にヒロくんと出かけたいし。
「でも、撮影はユニット衣装でやるみたいだから……」
 そんなおれの思惑はヒロくんには伝わらなかった。おれは観念して正直に言う。
「あ、あのねェ! おれはデートに誘ってんの! 付き合ってるんだよォおれたち!」
 できる限り小声で、でも強めに言うとヒロくんが面食らったような顔をした。その後すぐ、ぱっと笑顔になる。
「藍良が誘ってくれたのが嬉しくて、驚いてしまったんだよ。そうだね、明日買い物に行こう」
「たっ……楽しみにしてるからねェ」
 しまった、つい勢いでデートって言っちゃった。仕事用の服を買うことを口実にして浮かれてるの、バレバレだなあ。おれは照れ隠しに、目の前の数学の宿題に集中した。


 おれとヒロくんは次の日、放課後に一度寮に帰ってから着替え、星奏館ロビーに集合した。
「ヒロくん」
「藍良! 今日はよろしくお願いするよ」
 仕事兼デート、と開き直ることにしたから、ヒロくんの仕事先のスタッフのような挨拶も妙にしっくりきた。服を買う店におれが選んだのは、近くにあるファッションビルだ。このビルはESのアイドルとそのファンをターゲットにした、いろいろなブランドの店が揃っている。ビルの二階の奥にはES所属のアイドル専用のセレクトショップもあるので、おれは主にそこにお世話になっている。おれはまだまだ、ファッションビルでファンの子に見つかって囲まれるくらいの知名度は無いかもしれないけど、やっぱり専用って言われるとわくわくする。特権は使わないとね。まあ、ひとつの店舗の中にいろんなブランドが揃っているから、専門店をハシゴしなくていいから楽ってのが本音なんだけど。
 そんなことをヒロくんに説明しながら歩いていたら、あっという間に店に着いた。
「ここならリッドルが使えるからここにしよ。タッツン先輩とマヨさんにも、少しなら共用のリッドルを使ってもいいって許可もらってるからねェ」
 おれが今回のお店に選んだのは、いくつかある店の中でも、十代向けの服を揃えたショップだ。
「僕の服を買うのに、みんなのお金を使っていいのかな」
「お仕事に行くとき用の服だからいいの。それに、ヒロくんはおれたちのリーダーなんだから、常にかっこよくいてよね」
 燐音先輩がこはくっちに言っていたことはごもっとも。おれたちは見られるのが仕事なんだから、服はあるに超したことはないよね。
「かっこいい服というのは、よくわからないから……藍良に任せるよ。藍良が一番かっこいいと思う僕にしてほしい」
「うん、任せてねェ」
 ヒロくんはそのままでも充分かっこいいけどね、とおれはヒロくんをここに連れてきた目的とは矛盾するようなことを思った。
 おれは店員さんに、ES所属のアイドルであることを伝えて身分証を見せ、リッドルを使用することをあらかじめ伝えておいた。それから、試着室を使わせてもらうことと、色々と持ち込んで選びたいという旨も伝えた。
 店員さんたちも慣れていて、快く了承してくれた。ESの周りにあるお店は、ES所属のアイドルに親切なお店が多い。業界関係者は一番のお客さんだし、アイドルが着るだけでいい宣伝になるからだろうけど、助かるし便利なので親切には甘えさせてもらう。
「ヒロくんのお金もちょっと出して、多めに買っておこうか? お小遣い余裕ある?」
 さすがにALKALOIDの活動資金で何着も買うわけにはいかない。もしまとめて買うならヒロくん本人にも出してもらう必要がある。
「ウム、先日の仕事の報酬にはまだ手を付けていないからね。藍良の自由にしてくれていいよ」
「いやいや、ヒロくんのお金だからねェ? でも、そんなに余裕があるなら選び甲斐があるかも」
 すぐアイドルグッズや甘いものにお金を使っちゃうおれに比べて、ヒロくんはしっかりしてるなァと思う。しっかりしているというより、必要なもの以外は持たない主義って感じかな。
「本当におれの好みで選んでいいのォ?」
「うん。藍良が選んでくれた服で仕事に行きたいよ」
「そ、そォ……? じゃあねえ……」
 おれは店内を見渡す。新作商品の棚には秋冬ものが置いてあるけれど、まだまだ暑いから今の時期も着られるものを探す。十代向けというだけあって値段はこのビルのショップのなかでも比較的安めに設定されている。しかし、高校生のお小遣いで気軽に買えるような値段ではない。おれたちはリッドルが使えるから円に換算すれば安いお金で良い服を手に入れられる。けれど、だからといって考えなしに使うわけにもいかない。
「ヒロくん、これだったらどっちの色が好き?」
 おれはヒロくんに、黒と白の薄手のパーカーを見せた。脇腹のところにロゴが入っているだけのシンプルなデザインだ。これなら夏でも着られるし、少し肌寒くなってからも活躍するしいいよね。
「その二つなら黒がいいよ。なんとなくだけど」
「うん、おれもヒロくんは黒が似合うと思うから、黒にしよっか」
 ヒロくんは黒を着たほうが、白い肌と赤い髪が映えていい気がする。前からそう思ってはいるんだけど、本人に言うのは照れるので伝えたことはない。
パーカー、Tシャツ、プルオーバーなどいくつかトップスを選んでカゴに入れ、ボトムスも何本か選んだ。サルエルパンツみたいなのも似合うと思ったんだけど、だぼっとしているやつは「動きにくそうだから」という理由でヒロくんが珍しく渋った。常に身体を動かしているヒロくんは、動きやすさと丈夫さを重視して服を選んでいた。
 店員さんにカゴの中身を確認してもらってから、おれたちは試着室の前に行く。カーテンで仕切られた部屋が並ぶ場所の一室を使わせてもらうことになった。
 ESのアイドルご用達のお店というだけあって、試着室は広い。衣装係が一緒に入れるようになっているのだ。けど、おれはヒロくんにカゴだけを渡して、靴は脱がなかった。
「て、手伝ってくれないのかい?」
 ヒロくんはカゴを持ったまま、おれを振り返る。一緒に入るものだと思っていたらしい。
「最初から手伝ってもらおうとしないのォ。これくらい自分で着られるでしょ」
「で、でもお会計もすませていないものを、壊してしまったらと思うと」
「うぬぅ……それもそうか……」
 Tシャツやパーカーくらい、着方は間違えようがないと思うんだけど、ヒロくんにそのあたりの常識は通用しない。それに、馬鹿力だし。万が一間違った着方で無理に着ようとしてボタンを吹っ飛ばしたらたまらない。実際やりそうだし。
「しょうがないなァもう……」
 おれは観念して、一緒に試着室に入ることにした。おれは試着室の中にあるスツールに座って、ヒロくんの試着に付き合うことにした。さすがに着替えをじろじろ見るのもなーと思うから、スマホを触りながら待つ。そして、時々ちらっと、ヒロくんの着替えの様子を盗み見た。やっぱりヒロくん、カッコいいよね。鍛えてるから意外と体格もいいし。ふとした瞬間に、綺麗だなって思うこともある。
 ヒロくんが広報誌に載ったらもっと人気出ちゃうかも。たくさんの人に見てもらいたいのに、独り占めしたいとも思う。前者は仲間としての感情で、後者は白鳥藍良としての感情だ。
 ヒロくんの着替えがなかなか進まないのでどうしたのかとよく見ると、ヒロくんはシャツのボタンを留めるのに手こずっていた。
「藍良、これはどうするのかな」
「はいはい、一回で覚えてねェ」
 ヒロくんに甘えるような視線を向けられると、自然と笑ってしまう。そして、どこか安心する。
 こうして誰かに頼られることって今まであんまり無かったから結構嬉しい。文句を言ってはみるものの、ヒロくんを手伝うのは実はそんなにイヤじゃない。
 早く覚えて欲しいのは本当だし、いつまでもおれに頼ってばかりではいけないというのも本音だ。けれど、心のどこかで、こうしてヒロくんの世話を焼かせて欲しいとも思っている。
 ヒロくんが色々なことを次々に覚えていくのが嬉しい反面、もう手伝わせてくれないことも増えていくのが少し寂しい。けれど、ALKALOIDのリーダーとして、成長してくれないと困るわけで。
「……複雑」
 思わずつぶやいたら、ヒロくんが掛け違えているボタンを摘まんだまま、きょとんとした顔でおれを見た。
「藍良にもわからないのかい?」
「あはは、これボタンいっぱいついてるねェ」
 おれはヒロくんに代わって、正しくボタンをつけてあげた。
 一通り試着して、ヒロくんは結局、最初におれが手に取ったパーカーと、ボタンが多めについたデザインのシャツを選んだ。どっちも黒になっちゃったけどいいよね。ボトムスは無難にカーゴパンツとジーンズ。色はいつものヒロくんって感じだけど、襟つきのしっかりめのシャツは雰囲気が変わっていいと思う。
「ありがとう藍良! 次の仕事にはこれを着ていくよ」
 お会計を済ませて、おれたちは店を出る。ヒロくんがショップバッグを眺めながら嬉しそうにしている。
「ALKALOIDに仕事がきたら、おそろいの衣装買おうねェ」
 ヒロくんって、おれにとっては当たり前のことも、大げさに喜ぶから一緒にいて楽しい。何にも知らないんだなってびっくりしたり、イライラさせられたりすることもあるけど、だからっておれ以外を頼られるのもつまんないんだよね。
 服屋さんを出た後、おれたちはビル内をなんとなく歩いてまわった。
 このまま帰るのがちょっと惜しいだけで、他に目的は無い。話しながらぶらぶら歩いていたら、ヒロくんがある店を見つけて立ち止まった。
「藍良、あの店を見てもいいかな」
「うん、いいよォ」
 ヒロくんが見つけたのはアクセサリーショップだった。その中でも、シルバーが並べられているコーナーを見つけたようだ。
 綺麗なものから厳ついものまで、いろんなデザインのものがある。ヒロくんはその中でも、シンプルなものを手に取って眺めていた。
「ヒロくんって、シルバー集めるの好きなんだよねェ。田舎からでてきた、っていうイメージからだとちょっと意外じゃない?」
 見た目だけなら、都会のおしゃれなモデルと比べても見劣りしないと思う。あんまり褒めると調子に乗るから言わないけど、アクセひとつ付けるだけで垢ぬけるよねヒロくん。
「意外かい? 故郷では真鍮や青銅で作られた装飾品はよく身に着けていたし、祭事には銀や宝石をあしらったものも付けていたんだよ」
「うわァ急に知らない世界の話きた! シルバー見ると故郷を思い出すとかそんな感じ?」
 アクセサリーショップで商品を眺める横顔、ちょっとイイなって思っていたところだったのに、ヒロくんが突然故郷トークをさく裂するから、おれは思わずいつものツッコミ体勢になってしまった。
「それもあるけど、兄さんがね、よく僕に銀の首飾りや宝石のついた耳飾りとかをくれたんだよ」
 ヒロくんが話を続ける。ヒロくんが「兄さん」という言葉を発したとき、おれのなかで、切ないような、寂しいような感情が顔を出した。でも、気づかないふりをして話の続きを聞く。
「でも僕は子どもだったから、宝石を貰うよりも兄さんに一緒に遊んで欲しかったし、色々な話をして欲しかったんだ。物をもらうよりその方が嬉しかったし」
 おれが知らないヒロくんの話。聞きたいし知りたいからイヤじゃないのに、なんだか心がモヤモヤする。
「でも今思うと、物を贈られておいて、それに興味を示さないのは失礼だよね。僕は、兄さんをがっかりさせていたと思う」
「ふぅん」
「だからなのかは分からないけれど、こういう装飾品を見ると気になってしまうんだよ」
 ヒロくん、自分はやきもち妬きで、おれが他の人と一緒にいたり、ヒロくんを放っておくとすぐ拗ねて甘えてくるくせに。自分は兄さん、兄さんって。そりゃあ、血がつながった兄弟には敵わないかもしれないし、比べるものでもないことは分かっているけどさ。
 ああ、今度はおれがやきもち妬いてる。
「どうしたんだい?」
 反応が鈍いのがバレちゃったかな。でも、ヒロくんが故郷の話やお兄ちゃんの話をするとき、上手に言葉が返せないんだよ。分かってよ。
「ううん、何でもない。……買うの?」
 ヒロくんは首を横に振って、眺めていたネックレスを置いた。
「いいや、今日は沢山服を買ったから今度にするよ。その時は藍良も一緒に選んで欲しいよ」
「分かった」
 行こう藍良、と言ってヒロくんが振り返ったとき、ヒロくんの左耳のピアスが見えた。燐音先輩がしているのと同じデザインのピアス。
 お兄さんと同じピアスをしているのは何でなの? ずっと気になっているけど、聞けないでいる。
 いつか、おれもヒロくんとおそろいのピアスとか、指輪とか、したいなあ。なんて、言えるわけがなかった。

 帰ろう、とかどっちかが言い出したわけじゃないけれど、足は自然と出口のほうへと向かっていた。時間ももう遅いしこのまま寮に帰るのがいい。そう思って足取りをしっかりと出口の方へ向かうよう意識する。
 なんとなくぶらぶらと店内を見ていた時よりも少し早歩きになってしまっているけど、急にスピードを落とすのもおかしい。おれは通路に並ぶ色々なショップの店頭には目もくれず、ヒロくんがついてきているかも確かめずに歩いた。
「藍良!」
「え?」
 ヒロくんはちゃんとおれについて来ていたみたいだけど、突然呼び止められた。何事かと振り返ると、ヒロくんがぎゅっとおれの手を握る。驚いてヒロくんの顔を見る。
「藍良、さっきのお店に戻りたいんだけどいいかい?」
「え?」
 そう言って、ヒロくんはおれの手を握ったまま来た道を引き返した。ちょっと、手繋がないでよ。そう言おうとしたのにヒロくんが早足で戻るもんだからついて行くのに必死になってしまった。
 やっぱりアクセ、欲しくなったのかな。そう思ってついて行ったけれど、戻ったのはアクセサリーショップではなく、服を買ったお店のほうだった。
「え、何で?」
 何か買い忘れたんだろうか。それとも、選ばなかった服のなかにやっぱり気になるものがあった? そう思いながら、おれはヒロくんが何かを探しているのを眺めた。ヒロくんが沢山かかっている服をかき分けて手にとったのは、おれが最初にヒロくんに見せて黒とどっちがいいか選ばせた、白いパーカーだった。ヒロくんはおれの目の前でそのパーカーを広げて、目を輝かせる。
「こっちも買おう、藍良。僕のお金で支払うから」
「え、う、うん……欲しいならそうすればァ? ヒロくんのお金だし」
「そうするよ!」
 嬉しそうに頷いて、ヒロくんは白いパーカーをレジに持って行った。白も似合いそうだしいいかもね。肌白いから、ますます眩しくなっちゃいそうだけど。
「お待たせ、藍良」
「アクセは我慢したのに、そっちは欲しかったんだね」
「うん。……はい、藍良」
 そして、ヒロくんはたった今購入したそれを、おれの目の前に差し出した。
「え?」
「これ、僕とおそろいで着て欲しいよ。藍良は白が似合うと思うから」
「え、え?」
 何で? てっきり色違いで二着持つつもりで買ったんだと思っていたのに。おれに選んでくれるなら、おれが自分で買ったのに。
「ヒロくんのお金じゃん!」
「僕が藍良に着て欲しかったから、いいんだよ」
 ヒロくんは、持っている袋をおれにさらに近づけて、困ったように首をかしげた。
「もらってくれないかな?」
 だから、そんな顔されると弱いんだってば。
「あ、ありがとォ……」
 おれはヒロくんから白いパーカーの入った袋を受け取った。おれ、ヒロくんにもらってばっかりだ。
 もしかして、さっきちょっとやきもち妬いたこと、バレたのかな。
 それともたまたまだろうか。……どっちにしたって、ヒロくんはずるい。そうやって、何もわかってないふりをして、本当は全部分かってるんじゃないの?

 帰り道、おれたちは人通りのない道を通る時は、こっそり手を繋いだ。
「藍良、これからも一緒に、いろんなものを買いに行こう」
 そう言って、ヒロくんはおれの手をぎゅっと握る。ほら、そうやっておれが喜んじゃうことをさらっと言うんだから。
「……ヒロくんのバカ」
「い、いま馬鹿と言われるような流れだったかい?」
「あはは、また買い物行こうね」
 星奏館に着いて、ヒロくんはおれの部屋の前まで送ってくれた。廊下には誰もいない。それを確かめて、おれはヒロくんの胸に頬を押しつけて抱きついた。
「……藍良、人目につくところではダメなんじゃなかったのかい」
 そう言いながらも、ヒロくんはおれの背に腕を回して優しく抱きしめてくれた。
「人が来たらわかるんでしょ」
「うん」
「……信用してるからねェ」

 別々の部屋に分かれるのが名残惜しくて、おれたちはしばらくそうしていた。
 ヒロくんばっかりやきもち妬きだと思っていたけど、どうやらおれも、相当らしい。




おわり
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