【ログ】Pixiv短編ログ(全年齢)
藍良は学校の授業が終わってから、一彩が部活に行くのを見送り一足先にESビルへと到着した。今日はここのレッスン室を借りて、ALKALOID全員でのレッスンがある。
その準備にかかる前に、藍良には寄りたいところがあった。ESビルのロビーに併設されているカフェ『シナモン』だ。普段は食堂の一角やレスティングルームで時間をつぶしている藍良だが、今日はここに用がある。真っ先にエレベーターへ向かう人の流れから外れて、藍良はシナモンの入口をくぐる。
「だからぁ、今の時間はお酒は提供できないって言ってるっすよ燐音くん」
「いいだろォ、俺っちオトナなんだからさー」
「大人なら分別をつけるべきですよ、天城」
「他の客に迷惑やから静かにせぇよ」
店内のコーヒーや軽食の香りに乗って、聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。Crazy:Bの四人が、カフェ『シナモン』を溜まり場にしているという話は本当だったようだ。ロビーに併設されていることや、メンバーの一人がそのカフェでアルバイトをしているからという理由で、入り浸りやすいのだろう。
「あれ、燐音くんの弟さんのカノジョくんじゃないっすか~」
カウンター内で食器を拭いていた椎名ニキが真っ先に藍良に気が付き、カウンターでニキに絡んでいた客三名が一斉に振り返る。うちHiMERUだけは藍良を一瞥してコーヒーに目線を戻したが、真ん中に座っていた桜河こはくがぱっと顔を輝かせて手を振ってくれた。
「ラブはん、ここで会うのは珍しいなぁ」
「よー、藍ちゃん! 俺っちの隣座れよ」
誰一人『藍良』という名前を呼ばない者たちに一斉に歓迎され、藍良はツッコミを入れるタイミングを逃してしまった。
燐音とこはくが自分の隣に藍良を座らせようと譲らないので、藍良は燐音に一席分ずれてもらい、二人の真ん中へと座った。
「桜河に会いに来たのでしたら天城は邪魔でしょう。後ろの席に移動しては?」
一つ離れた席で、HiMERUがそう言った。クールな物言いなので真意を計りかねるが、おそらくは横並びに座るカウンター席ではなく、テーブル席でゆっくり話してはどうかという、HiMERUなりの気遣いなのだろう。『邪魔』と言われた燐音がHiMERUに絡み返しているが、藍良は気にせず皆に聞こえるよう答える。
「ああ、えっと……こはくっちにも会いたかったんだけど、今日は実はニキ先輩に用があって」
「僕にっすか?」
ニキが藍良にお冷を提供しながら首を傾げる。エプロンの肩紐にかかるしっぽ髪が揺れた。
「ええー、藍ちゃん俺っちはァ?」
HiMERUに絡んでいたはずの燐音がすかさず反応した。藍良の肩に腕を絡めてわざとらしく拗ねたような声を出す。
「燐音先輩、重いよォ」
一彩よりも一回り体格のいい燐音に絡まれ、藍良はほとんど俯いてしまう。
「やめたれや燐音はん。話ができひんやろ。どないしたん?」
燐音を窘めてくれたこはくに礼を言って、藍良は背筋を伸ばした。そして改めて、目の前にいるニキの目を見て、言った。
「ニキ先輩……その、おれに料理を教えて欲しいんです!」
ニキがぽかんと口を開けて自分の鼻を指差し、藍良が首をぶんぶんと縦に振った。
*
白鳥藍良と天城一彩は付き合っている。それは藍良を良く知る人間にはもはや周知の事実となっている。食堂で二人一緒に食事をするのは日常のことだ。
そんないつもの食事の席で藍良はいつも、美味しそうにハンバーグやオムライスを食べる一彩の姿を見ている。一彩が嬉しそうにしているのを見るのは好きなのだが、一彩が喜ぶそのメニューを作っているのは、主に食堂で働いている椎名ニキであることは少し複雑だった。
彼がシフトに入っていない日もある。けれど一彩自身が『椎名さんのハンバーグはやっぱり美味しいね』と大絶賛するのは決まってニキが食堂に入っている日のような気がする。
ニキの料理の腕には藍良もお世話になっているのだが、一彩が付き合っている相手、つまりは自分の目の前で他の人が作った料理を褒めるのを聞いているのを、悔しいと感じているのだ。そして、自身が作った料理をこんな風に美味しそうに食べてくれたら嬉しいだろうなと想像もした。そう考えたら料理というものに興味が沸いてきたのだ。
実家に住んでいたころは親の手伝いしかしていなかった。あとはせいぜい家庭科の調理実習程度でしか料理の経験がない。それでも藍良は、自分が作った料理を一彩に食べてもらいたいと憧れを持つようになった。
そうなれば椎名ニキ本人に教えを乞うのが手っ取り早い。ニキに頼めばもれなく燐音もついてくるだろうから、一彩の味の好みなども聞きやすいだろうと思った。
という訳で藍良は、とあるオフの日にニキと待ち合わせたのだ。一彩に見つかると話がややこしくなるので、セゾンアベニューの喫茶店でジュースを飲みながら、藍良はニキのアルバイトやCrazy:Bのレッスンが終わる時間を待っていた。
予定通りニキが喫茶店前の通りに現れ、藍良は会計を済ませて外に出る。やはり燐音も付いて来ていた。燐音とニキが歩き出す方向へ、藍良も一緒についていく。
「つまり燐音くんの弟さんのカノジョくんは、燐音くんの弟さんのためにゴハンを作ってあげたいってことっすよね」
「白鳥藍良です」
燐音がニキに、一彩や藍良のことをどのように話しているのか、容易に想像ができる長い呼称だ。藍良は肩を竦めて、自身のフルネームを名乗る。
「なはは、冗談っすよ藍良くん。でも弟さんがそんなに美味しそうに食べてくれてるなら料理人冥利に尽きるっす」
「ニキくんはアイドル屋さんだろォ? まあでもニキの飯はうめぇからな。藍ちゃんが妬いちゃうのも分かるぜェ」
燐音がニキにツッコミを入れつつ、藍良の頭をがしがしと撫でた。藍良は猫が嫌がるような声を上げてそれを振り払う。
「教えるのが上手いかは分からないっすけど、藍良くんが美味しく作れるように僕も頑張るっすよ」
前を歩くニキのしっぽ髪が揺れる。藍良は燐音のせいで乱れた髪を手櫛で整えながら、ニキの背中に頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
「じゃーまずは買い物して帰りますかねー」
ニキが向かう先に見えるスーパーを指差した。食材を買って友人の家に上がり、一緒に料理をするというシチュエーションに、藍良はわくわくした。一彩に内緒で計画を進めているちょっとした後ろめたさも、サプライズの下準備と思えば良いスリルになる。
「ニキ~、俺っちシチューがいい」
「だからハンバーグだって言ってるじゃないっすか」
慣れた会話をしながら先を歩く燐音とニキの後ろ姿を眺め、藍良は思わず口角を上げた。一彩に喜んでもらうための第一歩だ。今はこの二人に、甘えさせてもらおう。
*
『ごめんヒロくん、今日は先に寮に帰ってて。レッスンで会お』
かわいらしい絵文字とともに送られてきたメールだが、一彩はその文面を読んで肩を落とした。最近、ごくたまにだが藍良が一彩の誘いを断る。藍良とは部活が違うし、ソロでの仕事がそれぞれ入ることもあるから毎日一緒にいるわけではない。しかし、断られる理由に心当たりが無いと心がもやもやとした。
今日は夜にレッスンがあるから放課後は少し時間があるはずだった。だから、レッスンの時間まで藍良とゆっくり過ごせると思っていた。放課後を待てずに藍良にメールをしたところ、先ほどの文面が返ってきてしまったのだ。
今日は空手部は自主練習だから、行かないつもりでいたのだが、藍良が一緒に帰れないのなら部活に顔を出そうと思った。
ALKALOIDのレッスンは夕食後だ。藍良にはその時、今日はどこで何をしていたのか、それとなく聞いてみようと思う。
空手部の部長である南雲鉄虎は、彼がリーダーを務める流星隊の活動が無いときは、部活の有無に関わらず道場にいることが多い。一彩は鉄虎に練習に付き合ってもらいながら、余計な考えごとをしないよう身体を動かした。
そうしていると時間が過ぎるのがあっという間で、すぐに夕食の時間となる。しかし食堂に藍良の姿は無かった上、一彩から「食堂にいるよ」と連絡したメッセージにはしばらく既読マークがつかなかった。
「藍良さんなら、遅れて来ると言っていましたよ」
そしてレッスンの時間、いつもは誰よりも早く到着しているはずの藍良の姿がなかった。巽が、一彩が問う前に事情を説明してくれた。
「そうか……」
藍良の顔が見られると思って楽しみにしていた一彩は、その姿がないことに肩を落とす。どうにも今日は、思うように藍良が目の前に現れてくれない。
「ど、どうかしたんですか?」
普段と違う一彩の様子に、マヨイがはらはらとした声で問う。一彩と藍良に何かあると、すぐに察してくれるのがこの二人の先輩なのだ。一彩はそれに甘え、事情を説明する。
「最近、藍良がどこに居るのか分からない時があるんだよ。……今日も、放課後はどこかへ出かけたみたいなんだ」
話しながら、一彩は自分がいかに我儘なことを言っているのかを自覚した。分かっているはずなのに、どうにも自分は藍良の時間を支配しようとしてしまう。そんな一彩の自責を汲み取るように、巽が優しい声色で諭してくれた。
「一彩さんがそうであるように、藍良さんには藍良さんの予定や人付き合いがあります。そう気にすることは無いと思いますよ」
巽がそう窘めるのはもっともで、一彩自身もそれは分かっているつもりなのだ。藍良には藍良の予定や事情がある。それらを、たとえ恋人であったとしても一彩がすべて把握するのは難しい。
それでも、藍良のことをすべて知っていたい、全部自分に打ち明けて欲しいと思ってしまうのも事実。そのちょうどいい距離感を見つけて落ち着くのは、一彩にとってはなかなか難しいことだった。
三人が着替えやストレッチ等を終えるころ、レッスン室に藍良が現れた。急いで来たようで息を切らせている。学校が終わった後帰っていないのか、学校の指定鞄を持ったままだった。
「藍良!」
一彩は藍良の姿を見るなり、思わず駆け寄って抱きしめた。一彩は、ALKALOIDの四人しかいない場では藍良へのスキンシップをあまり遠慮しなくなっていた。それでも突然抱き着いてしまったからか、藍良を困惑させてしまったようだ。
「ちょ、ちょっとヒロくん!? 何なのォ!」
一彩は細く小さな藍良の身体を抱きしめ、その匂いを吸い込む。藍良の匂い、いつも藍良がつけているフレグランスの香り、走ってきたからか汗の匂いもする。そして、どこかで誰かと食事をしてきたのだろうか。知らない匂いも沢山した。
「……どこに行っていたの、藍良」
「ちょっと買い物したいものがあったのォ。夕飯も外食にしちゃった。遅くなってごめんねェ」
抱きしめるというよりは、甘えるように抱き着いている一彩の背中を、藍良が撫でてくれる。思っていたよりも不安だったんだなと、一彩は自分で自分の行動と言動に驚いてしまった。
「遅れて来ておいてなんだけど、ちょっと相談があってさァ」
「……何かな?」
一彩は藍良の『相談』を聞くために、藍良を抱きしめる腕の力を緩めて顔を見た。腕は緩めても、両手はしっかり藍良の肩に触れている。藍良が何か知らないことを言うんじゃないかと、心がざわついた。
「次の日曜日のレッスン、時間変えられないかなァ? 午前中か次の日に……夜でもいいの。昼すぎはどうしても空けたくてェ」
一彩が、ぴくっと表情を震わせて反応した。
一彩が今敏感になっている、一彩の知らない藍良のスケジュールの話題。藍良がどこで何をしているのか、分からない時間が増えるのが怖い。
「誰かと、約束があるの?」
「え? ……うん、まぁ、午後じゃないと都合が悪いというか」
一彩は目を伏せ、もう一度藍良を抱きしめた。藍良が「もー」と言いながらもぞもぞと軽い抵抗をする。
「レッスンより大切なことなのかい?」
「ヒロくん……?」
そこで藍良は初めて、一彩の様子がいつもと違うことに気づいたようだ。藍良が抵抗をやめ、身体の力を抜いて大人しくなる。
「藍良がALKALOIDのレッスンよりも優先することは何?」
藍良から一彩の表情は見えていないはずだが、思ったよりも声が低くなってしまったのか、藍良が怯んだのが分かった。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「怒ってはいないよ。……ただ、気になって」
「あ、あのねェ!」
ぐぐっと藍良が力を込めて、一彩の抱擁を解こうともがく。
「お、おれはねェ、その日ヒロくんと行きたいところがあるのォ!」
一彩が腕を緩めてできた空間を使って、藍良が一彩の胸や肩をぽこぽこと叩いた。
「え……?」
「……どうしても日曜の午後じゃないとダメなのォ」
一彩が思わず腕を解くと、藍良が逃げるように一彩から一歩離れた。でも、その瞳はちゃんと一彩のことを見ている。それから、巽とマヨイのことも。
「ねえ、タッツン先輩、マヨさんごめん。……おれの我儘なんだけど、日曜の午後はおれにリーダー貸して」
藍良はぽかんとしている一彩の鼻先をびしっと指差した。
一彩と藍良のやりとりを見守っていた先輩二人は、藍良の視線を受けて笑ってくれた。
「ええ、俺は問題ありませんよ」
「しばらくライブの予定はありませんし、たまにはゆっくりしましょう」
二人の快い返事を聞いて、藍良はほっとした表情を見せる。しかし次の瞬間にはくるりと一彩を振り返り、その顔を覗き込む。
「いいよね、ヒロくん? 予約の変更、おれがやっとくから」
念を押すような強い視線。しかし、その瞳にはちゃんと一彩のことが映っている。まだ日曜の午後に何をしたいのかは教えてもらえそうにないが、藍良が自分のために時間を使ってくれているのだと分かると、一彩はいくらか安心した。
「分かった。……ごめんよ、藍良」
一彩がしゅんと肩を落とすと、藍良は苦笑して一彩のくせっ毛を混ぜるように撫でる。
「んーん、おれも心配かけてごめん。ちゃんと日曜日に説明するから。今はレッスンしよ?」
それから藍良は一彩の手を握って、先輩二人の側へと一彩を連れて行った。それから藍良も皆と同じ練習着に着替え、四人そろったレッスンが始まった。
*
そして日曜日。午前中に変更したレッスンのあと、一彩と藍良は寮に一度もどって身支度を済ませた。もうすぐ昼食の時間になるが、昼食は一緒に食べようと藍良に言われているので、一彩はいつものズボンにベルトを締めながら、その腹が鳴るのを聞く。
寮のロビーで待ち合わせ、藍良に連れていかれた先はセゾンアベニューでもタイムストリートでもなく、一軒家やアパートが立ち並ぶ静かな住宅街だった。あるアパートの前で、藍良が立ち止まる。
「藍良、ここは?」
「ニキ先輩の部屋」
藍良の口から出た以外な名前に、一彩は首をかしげる。
「……僕に言わずに、椎名さんと会っていたの?」
一彩の含みのある物言いに、藍良は苦笑する。
「言わなかったのは悪かったけどォ、ヒロくんのためなんだからそれくらい許してよね」
少し長い髪を翻しながらそっぽを向いて、藍良はアパートの階段を上がり始めた。一彩も慌ててそれについていく。
藍良がある一室の前で立ち止まり、インターホンを押した。
中からニキの「どーぞー」という声が聞こえてきたので、藍良は遠慮なく扉を開け、一彩に中に入るように促した。
一彩が藍良と一緒にニキの部屋へと入る。玄関のドアが閉まると同時に明かりがついて、目の前で破裂音と共に色とりどりの紙吹雪が舞った。
「な、何だ!?」
驚いて藍良をとっさに抱き寄せる体勢になった一彩が状況を確認するように目を見張る。すると目の前で自分の兄、燐音が紙吹雪の向こうで円錐型の筒を構えていた。
一彩がぽかんと口を開け、はらはらと落ちていく紙吹雪を視界の端にとらえながら兄の顔を見つめる。そして、その紙吹雪のすべてが床に落ちるころ、やっと口を動かした。
「今日は何かのお祝いだったかな……?」
「ぎゃはは、ある意味そうかもなァ! いらっしゃい弟くんとカノジョくん」
奥から出てきたニキが騒ぐ。
「ほらー燐音くん、絶対スベるって言ったじゃないすかー」
それに僕の家っすよぉ、と言いながらニキはエプロンの紐を結んでいる。
「うるせーなニキ、かわいい弟とそのカノジョくんは派手に迎えてぇっしょ」
ぎゃーぎゃー騒ぐ二人を見ながら、一彩はパーティーなどで使う『クラッカー』というおもちゃを鳴らされたのだと理解した。そして、ほっとして藍良を抱き寄せていた腕を放した。藍良がやれやれといった表情で靴を脱いで部屋に上がる。一彩も同じようにお邪魔すると、1Kのアパートに四人がおさまった。
「こ、これはいったいどういう事……?」
困惑しっぱなしの一彩はそれを聞くのがやっとだった。藍良のニキの隣に並んで立って、一彩の顔を見上げる。
「いきなりごめんね、ヒロくん」
その頬は少し赤くなっていた。胸の前で指同士をもじもじと絡めながら、恥ずかしそうに事情を話す。
「じ、実はね、おれ……自分で作ったご飯をヒロくんに食べてほしくて、料理練習したんだァ」
「そ、そうなのか」
一彩までつられて顔が熱くなる。藍良がこくっと頷いて、自分の荷物の中から若葉色のエプロンを出して身に着けた。
「……今から成果見せるから、座って見ててくれる?」
藍良はニキと一緒にキッチンに立ち、何やら用意を始めた。一彩は燐音に促され、テレビの前のローテーブルの側に座る。勝手知ったる兄の横で、一彩は戸惑った。テーブルに置いてあるポットから、二つのカップに麦茶を注いで一彩に片方を差し出す。
「藍ちゃん、ここ最近お前のためにこっそり料理の練習してたんだぜぇ」
「うん……驚いているよ。兄さんは知っていたの?」
「ん? まーなァ。俺っちだいたいここにいるし」
燐音は小さなカップに入った麦茶を二口ほどで一気に飲み干す。一彩もそれを一口いただいてから、ふと気づいたことを口にした。
「ってことは、兄さんはもう藍良の作った料理を食べたことがあるのかい?」
「……そりゃノーコメントだな」
一瞬の沈黙を、一彩は肯定ととらえたようだ。がたんと音を立て、自分の兄に詰め寄る。
「兄さん!」
「もォヒロくんうるさァい! 先輩たちには味見してもらってたのォ! 今日一番おいしく作るから大人しくしててよねェ!」
「わ、わかったよ……」
藍良に叱られてしまい、一彩は耳をたたんだ犬のようにしゅんとなって座りなおした。燐音はその横で肩を震わせて笑っており、一彩が悔しそうに顔を真っ赤にしていた。
それからしばらく、一彩が兄と雑談をしながら、藍良が料理をする様子を眺める時間が続いた。ニキは藍良の手元を見て何かアドバイスをしているようだったが、直接手を貸すことはしていない。すべて藍良が自分で作業をしていた。
ラグの上に座っている一彩からは、藍良が何を作っているのかはよく見えない。しかし、藍良が温めたフライパンに何かを乗せた瞬間、ジュウッという食欲をそそる音とともに、一彩の好きな匂いが漂ってきた。それはすぐにハンバーグの匂いだと分かる。ひき肉が焼ける匂いと、それに練りこまれた調味料の匂い。
藍良が自分の好物を作ってくれていると思うと、もう既に嬉しくなった。
ハンバーグが出来上がったらしいタイミングで炊飯器が音を立て、炊きあがりを告げる。藍良が一度フライパンを洗ったのち、今度は玉子を数個割って溶き、それを焼くのが分かった。
「できたよォ」
そう言って藍良が運んできた大皿には、藍良の手のひらで作った小さなハンバーグと、同じ大きさのオムライスが仲良く並んでいた。ソースを好まない一彩のためか、ケチャップ等で飾り付けをしない代わりに、ゆで野菜を型抜きして作られたスペードやハートが彩られていた。
「すごい、僕の好きなものばっかりだよ」
レッスン後から何も食べておらず、空腹の一彩にとっては輪をかけて美味しそうに見える。燐音は藍良がローテーブルの上に二人分のプレートを並べるのを見届け、ラグの上から立ち上がる。
「よーし俺らは邪魔だから外行くぞニキ」
「ここ僕の部屋っすよ!? でもまあそうっすね、二人ともごゆっくり~。僕らは外で食べるっす」
そう言ってニキもエプロンを外して、二人に部屋を貸してくれた。
「ありがとう椎名さん」
「ご、ごめんねェ」
なぜか部屋の主のほうが出ていくという奇妙な状況。そして部屋には一彩と藍良だけが残された。
ニキの部屋で二人きりになるという状況のなか、一彩は藍良の作ったハンバーグプレートを眺める。
「早速だけど、た、食べてもいいかい?」
「うん。……先輩が見ててくれたけど、おれ一人で作ったから。味わってねェ」
一彩は早速、スプーンを手に取ってハンバーグの端を崩した。柔らかなそれは肉汁をじわっと溢れさせながら一口大に切られる。それを少しの間眺めてから、一彩は口の中へと入れた。
まだ内部の熱いそれを舌の上で転がして冷ましながら味わう。塩と胡椒等のシンプルな調味料のみで味付けをされた、一彩好みの味だった。呑み込むと、一彩はその素朴なおいしさに思わず笑った。
「すっごく美味しいよ」
「良かったァ」
ローテーブルに身を乗り出していた藍良は、安心したように力を抜いた。
「ね、オムライスの中も見て」
ちょんちょんと指でオムライスを示す藍良。一彩が早速、とろとろとした玉子の中身をスプーンで覗いてみた。
「あ、これ……」
そこには、チキンライスではなく、鶏肉等を使った炊き込みご飯が入っていた。一彩が前に藍良にご馳走したことのある、一彩の故郷の味のひとつだった。
まさかそれが玉子の中から出てくるとは思わなかった一彩は、感動して言葉を失った。一彩が充分驚いているのを見て、藍良が得意げに笑う。
「ふふゥ、燐音先輩に教えてもらって作ったのォ。故郷の味とは違うかもしれないけど」
「藍良が作ってくれたのだから、同じ味にならなくたっていいよ。これは藍良が作ってくれた味だ。すごく美味しい」
玉子も絶妙な柔らかさだ。オムライスもハンバーグも余計な味付けがされていないから、一見洋風の料理だが鶏肉の炊き込みご飯がよく合う。スプーンの進む一彩を見て、藍良が幸せそうに笑った。
「ヒロくんの大好きなものをいっぱい乗せたランチプレートだよォ、いっぱい食べてねェ」
そう言って藍良は立ち上がって、一彩のすぐ隣に移動した。肩と肩が触れる距離になって、一彩は少したじろぐ。
「ど、どうしたの藍良」
「せっかく二人きりだから……いいでしょ」
そう言って藍良は、戸惑う一彩の手からスプーンをとり、一彩のオムライスを一口分すくう。
「はい、あーん」
藍良がオムライスの玉子とハートの人参を乗せたスプーンを一彩に向けた。一彩は思わず顔が熱くなるのを感じる。逃げるように首を後ろに引くと、藍良が追いかけてきた。
「あ、藍良……お行儀が悪いよ」
「いいでしょォ、やってみたかったのォ」
「うう……恥ずかしいよ藍良」
「ほら、あーんして?」
一彩は顔を真っ赤にしながら数秒迷ったあと、観念して口を開いた。藍良の持ったスプーンがゆっくり口の中に入ってきて、ハート型の人参が舌の上に転がる。
咀嚼すると、甘い香りが鼻に抜けた。
「美味しい?」
「うん……」
「えへへェ、嬉しいなァ。はい、もう一口」
まだやるのかい、という口を挟む余裕すらなく、一彩の前に再びスプーンが向けられる。まるで餌付けをされているようで悔しいが、一彩はしばらく、藍良の好きにさせた。
照れる一彩に何度か自身の作った料理を食べさせ満足した藍良は、一彩にスプーンを返す。
「おれ、いつも食堂でご飯食べるときにね、ヒロくんがニキ先輩のご飯を美味しそうに食べるのが羨ましかったんだァ」
「そうだったのか、藍良の気持ちも考えずにごめんよ」
「ううん、ニキ先輩のご飯は美味しいもん。ちょっと妬いたのは認めるけどォ」
都会へと出てきたばかりの一彩にとって、初めて食べるものはすべて珍しく、美味しいと感じたものは順番に好物になっていく。その中でもハンバーグは特別好物になっているのだ。
「だからね、たまにはおれが作った料理をヒロくんに食べてもらいたいなって思ってねェ、ニキ先輩に教えてもらってたの」
一番ハンバーグが好きだとか、オムライスが気に入ったとか、意識して伝えたことは無いはずだが、藍良にはちゃんと分かられていたようだ。こうして、一彩の好きなものばかりが乗っているプレートが出てくるのが何よりの証拠だ。
「美味しいよ、それに嬉しい。藍良が作ってくれたというだけで、僕は幸せだよ」
一彩がそう言うと、藍良は頬を桃色に染めたまま「うふふゥ」と笑う。
「おれも嬉しい。とり飯ならおかわりもあるよォ」
藍良は自分が食べる分のプレートを側に寄せる。小食の藍良の皿には、一彩のものよりも一回り小さいハンバーグとオムライスが乗っていた。
一彩は先ほど藍良が自身に向けていたスプーンを見つめ、半分になったハンバーグをすくう。そして、隣にいる藍良を呼んだ。
「藍良」
「えっ、何?」
自分の食事を始めようとしていた藍良がこちらを振り向く。きょとんとしている藍良に、今度は一彩がスプーンを向けた。
一彩が藍良に向けたスプーンには、一口分のハンバーグと、赤いパプリカをくりぬいて作られたスペードが乗っていた。その意味が分かった藍良は、かぁっと頬を染めた。
「ほら、食べて」
一彩は藍良の頬に反対の手を添え、藍良の口にスプーンを入れた。藍良の唇がなし崩しに閉じられると、ゆっくりそれを引き抜く。
桃色から真っ赤になった藍良の頬がもぐもぐと動いているのを見て、一彩も満足そうに笑った。
二人がハンバーグとオムライスを完食し、食器の片付けを終えてローテーブルについたころ。一彩のスマホがメッセージの着信を知らせて鳴った。
『もうすぐ帰るからなー』という燐音からの気遣いのメールが届いていて、一彩が赤面する。
うっかりここが人の家であることを忘れてしまいそうになっていた。
「もう兄さんたち帰ってくるみたいだよ」
「そっか、あっという間だねェ」
二人きりの時間はもうすぐ終わる。人の部屋を提供しておいてもらって何だが、名残惜しい。一彩は兄に返信をして、スマホをテーブルに置いた。
「……最後にちょっとだけ、いいかい?」
「なァに?」
首を傾げる藍良の肩を、一彩が何も言わずにそっと抱き寄せた。肌の柔らかさを感じながら背中に両腕を回し、それから丁寧に力を入れて抱き締める。藍良が小さく戸惑った声を上げたが、すぐに力を抜いて一彩の背を手のひらで撫でてくれた。
「大好きだよ、藍良。もうこれ以上ないってくらい好きなのに、またさらに君のことを好きになった」
「えへへ、もっともっと更新させてあげるねェ」
一彩は、藍良の手料理の余韻と藍良自身の香りをたっぷり数十秒感じてから、ゆっくりと身体を放した。
ドアが開いて燐音とニキが帰ってきても、一彩も藍良もお互いの隣から移動しなかった。仲良くくっついて座っている二人を一通りからかった燐音が、四人分のアイスが入った袋をテーブルの真ん中に置いてくれた。ニキが全員分のお茶を用意してテーブルにつく。
一彩はバニラアイスを、藍良はチョコレートアイスを選んだ。食後のおやつはこうして、四人一緒に楽しんだ。
今はまだ、誰かの助けがないと二人の時間を作れないけれど。
いつか二人だけの場所を、二人で手に入れられたらいいなと、一彩はそのアパートの一室を眺めながら思った。
おわり
その準備にかかる前に、藍良には寄りたいところがあった。ESビルのロビーに併設されているカフェ『シナモン』だ。普段は食堂の一角やレスティングルームで時間をつぶしている藍良だが、今日はここに用がある。真っ先にエレベーターへ向かう人の流れから外れて、藍良はシナモンの入口をくぐる。
「だからぁ、今の時間はお酒は提供できないって言ってるっすよ燐音くん」
「いいだろォ、俺っちオトナなんだからさー」
「大人なら分別をつけるべきですよ、天城」
「他の客に迷惑やから静かにせぇよ」
店内のコーヒーや軽食の香りに乗って、聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。Crazy:Bの四人が、カフェ『シナモン』を溜まり場にしているという話は本当だったようだ。ロビーに併設されていることや、メンバーの一人がそのカフェでアルバイトをしているからという理由で、入り浸りやすいのだろう。
「あれ、燐音くんの弟さんのカノジョくんじゃないっすか~」
カウンター内で食器を拭いていた椎名ニキが真っ先に藍良に気が付き、カウンターでニキに絡んでいた客三名が一斉に振り返る。うちHiMERUだけは藍良を一瞥してコーヒーに目線を戻したが、真ん中に座っていた桜河こはくがぱっと顔を輝かせて手を振ってくれた。
「ラブはん、ここで会うのは珍しいなぁ」
「よー、藍ちゃん! 俺っちの隣座れよ」
誰一人『藍良』という名前を呼ばない者たちに一斉に歓迎され、藍良はツッコミを入れるタイミングを逃してしまった。
燐音とこはくが自分の隣に藍良を座らせようと譲らないので、藍良は燐音に一席分ずれてもらい、二人の真ん中へと座った。
「桜河に会いに来たのでしたら天城は邪魔でしょう。後ろの席に移動しては?」
一つ離れた席で、HiMERUがそう言った。クールな物言いなので真意を計りかねるが、おそらくは横並びに座るカウンター席ではなく、テーブル席でゆっくり話してはどうかという、HiMERUなりの気遣いなのだろう。『邪魔』と言われた燐音がHiMERUに絡み返しているが、藍良は気にせず皆に聞こえるよう答える。
「ああ、えっと……こはくっちにも会いたかったんだけど、今日は実はニキ先輩に用があって」
「僕にっすか?」
ニキが藍良にお冷を提供しながら首を傾げる。エプロンの肩紐にかかるしっぽ髪が揺れた。
「ええー、藍ちゃん俺っちはァ?」
HiMERUに絡んでいたはずの燐音がすかさず反応した。藍良の肩に腕を絡めてわざとらしく拗ねたような声を出す。
「燐音先輩、重いよォ」
一彩よりも一回り体格のいい燐音に絡まれ、藍良はほとんど俯いてしまう。
「やめたれや燐音はん。話ができひんやろ。どないしたん?」
燐音を窘めてくれたこはくに礼を言って、藍良は背筋を伸ばした。そして改めて、目の前にいるニキの目を見て、言った。
「ニキ先輩……その、おれに料理を教えて欲しいんです!」
ニキがぽかんと口を開けて自分の鼻を指差し、藍良が首をぶんぶんと縦に振った。
*
白鳥藍良と天城一彩は付き合っている。それは藍良を良く知る人間にはもはや周知の事実となっている。食堂で二人一緒に食事をするのは日常のことだ。
そんないつもの食事の席で藍良はいつも、美味しそうにハンバーグやオムライスを食べる一彩の姿を見ている。一彩が嬉しそうにしているのを見るのは好きなのだが、一彩が喜ぶそのメニューを作っているのは、主に食堂で働いている椎名ニキであることは少し複雑だった。
彼がシフトに入っていない日もある。けれど一彩自身が『椎名さんのハンバーグはやっぱり美味しいね』と大絶賛するのは決まってニキが食堂に入っている日のような気がする。
ニキの料理の腕には藍良もお世話になっているのだが、一彩が付き合っている相手、つまりは自分の目の前で他の人が作った料理を褒めるのを聞いているのを、悔しいと感じているのだ。そして、自身が作った料理をこんな風に美味しそうに食べてくれたら嬉しいだろうなと想像もした。そう考えたら料理というものに興味が沸いてきたのだ。
実家に住んでいたころは親の手伝いしかしていなかった。あとはせいぜい家庭科の調理実習程度でしか料理の経験がない。それでも藍良は、自分が作った料理を一彩に食べてもらいたいと憧れを持つようになった。
そうなれば椎名ニキ本人に教えを乞うのが手っ取り早い。ニキに頼めばもれなく燐音もついてくるだろうから、一彩の味の好みなども聞きやすいだろうと思った。
という訳で藍良は、とあるオフの日にニキと待ち合わせたのだ。一彩に見つかると話がややこしくなるので、セゾンアベニューの喫茶店でジュースを飲みながら、藍良はニキのアルバイトやCrazy:Bのレッスンが終わる時間を待っていた。
予定通りニキが喫茶店前の通りに現れ、藍良は会計を済ませて外に出る。やはり燐音も付いて来ていた。燐音とニキが歩き出す方向へ、藍良も一緒についていく。
「つまり燐音くんの弟さんのカノジョくんは、燐音くんの弟さんのためにゴハンを作ってあげたいってことっすよね」
「白鳥藍良です」
燐音がニキに、一彩や藍良のことをどのように話しているのか、容易に想像ができる長い呼称だ。藍良は肩を竦めて、自身のフルネームを名乗る。
「なはは、冗談っすよ藍良くん。でも弟さんがそんなに美味しそうに食べてくれてるなら料理人冥利に尽きるっす」
「ニキくんはアイドル屋さんだろォ? まあでもニキの飯はうめぇからな。藍ちゃんが妬いちゃうのも分かるぜェ」
燐音がニキにツッコミを入れつつ、藍良の頭をがしがしと撫でた。藍良は猫が嫌がるような声を上げてそれを振り払う。
「教えるのが上手いかは分からないっすけど、藍良くんが美味しく作れるように僕も頑張るっすよ」
前を歩くニキのしっぽ髪が揺れる。藍良は燐音のせいで乱れた髪を手櫛で整えながら、ニキの背中に頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします!」
「じゃーまずは買い物して帰りますかねー」
ニキが向かう先に見えるスーパーを指差した。食材を買って友人の家に上がり、一緒に料理をするというシチュエーションに、藍良はわくわくした。一彩に内緒で計画を進めているちょっとした後ろめたさも、サプライズの下準備と思えば良いスリルになる。
「ニキ~、俺っちシチューがいい」
「だからハンバーグだって言ってるじゃないっすか」
慣れた会話をしながら先を歩く燐音とニキの後ろ姿を眺め、藍良は思わず口角を上げた。一彩に喜んでもらうための第一歩だ。今はこの二人に、甘えさせてもらおう。
*
『ごめんヒロくん、今日は先に寮に帰ってて。レッスンで会お』
かわいらしい絵文字とともに送られてきたメールだが、一彩はその文面を読んで肩を落とした。最近、ごくたまにだが藍良が一彩の誘いを断る。藍良とは部活が違うし、ソロでの仕事がそれぞれ入ることもあるから毎日一緒にいるわけではない。しかし、断られる理由に心当たりが無いと心がもやもやとした。
今日は夜にレッスンがあるから放課後は少し時間があるはずだった。だから、レッスンの時間まで藍良とゆっくり過ごせると思っていた。放課後を待てずに藍良にメールをしたところ、先ほどの文面が返ってきてしまったのだ。
今日は空手部は自主練習だから、行かないつもりでいたのだが、藍良が一緒に帰れないのなら部活に顔を出そうと思った。
ALKALOIDのレッスンは夕食後だ。藍良にはその時、今日はどこで何をしていたのか、それとなく聞いてみようと思う。
空手部の部長である南雲鉄虎は、彼がリーダーを務める流星隊の活動が無いときは、部活の有無に関わらず道場にいることが多い。一彩は鉄虎に練習に付き合ってもらいながら、余計な考えごとをしないよう身体を動かした。
そうしていると時間が過ぎるのがあっという間で、すぐに夕食の時間となる。しかし食堂に藍良の姿は無かった上、一彩から「食堂にいるよ」と連絡したメッセージにはしばらく既読マークがつかなかった。
「藍良さんなら、遅れて来ると言っていましたよ」
そしてレッスンの時間、いつもは誰よりも早く到着しているはずの藍良の姿がなかった。巽が、一彩が問う前に事情を説明してくれた。
「そうか……」
藍良の顔が見られると思って楽しみにしていた一彩は、その姿がないことに肩を落とす。どうにも今日は、思うように藍良が目の前に現れてくれない。
「ど、どうかしたんですか?」
普段と違う一彩の様子に、マヨイがはらはらとした声で問う。一彩と藍良に何かあると、すぐに察してくれるのがこの二人の先輩なのだ。一彩はそれに甘え、事情を説明する。
「最近、藍良がどこに居るのか分からない時があるんだよ。……今日も、放課後はどこかへ出かけたみたいなんだ」
話しながら、一彩は自分がいかに我儘なことを言っているのかを自覚した。分かっているはずなのに、どうにも自分は藍良の時間を支配しようとしてしまう。そんな一彩の自責を汲み取るように、巽が優しい声色で諭してくれた。
「一彩さんがそうであるように、藍良さんには藍良さんの予定や人付き合いがあります。そう気にすることは無いと思いますよ」
巽がそう窘めるのはもっともで、一彩自身もそれは分かっているつもりなのだ。藍良には藍良の予定や事情がある。それらを、たとえ恋人であったとしても一彩がすべて把握するのは難しい。
それでも、藍良のことをすべて知っていたい、全部自分に打ち明けて欲しいと思ってしまうのも事実。そのちょうどいい距離感を見つけて落ち着くのは、一彩にとってはなかなか難しいことだった。
三人が着替えやストレッチ等を終えるころ、レッスン室に藍良が現れた。急いで来たようで息を切らせている。学校が終わった後帰っていないのか、学校の指定鞄を持ったままだった。
「藍良!」
一彩は藍良の姿を見るなり、思わず駆け寄って抱きしめた。一彩は、ALKALOIDの四人しかいない場では藍良へのスキンシップをあまり遠慮しなくなっていた。それでも突然抱き着いてしまったからか、藍良を困惑させてしまったようだ。
「ちょ、ちょっとヒロくん!? 何なのォ!」
一彩は細く小さな藍良の身体を抱きしめ、その匂いを吸い込む。藍良の匂い、いつも藍良がつけているフレグランスの香り、走ってきたからか汗の匂いもする。そして、どこかで誰かと食事をしてきたのだろうか。知らない匂いも沢山した。
「……どこに行っていたの、藍良」
「ちょっと買い物したいものがあったのォ。夕飯も外食にしちゃった。遅くなってごめんねェ」
抱きしめるというよりは、甘えるように抱き着いている一彩の背中を、藍良が撫でてくれる。思っていたよりも不安だったんだなと、一彩は自分で自分の行動と言動に驚いてしまった。
「遅れて来ておいてなんだけど、ちょっと相談があってさァ」
「……何かな?」
一彩は藍良の『相談』を聞くために、藍良を抱きしめる腕の力を緩めて顔を見た。腕は緩めても、両手はしっかり藍良の肩に触れている。藍良が何か知らないことを言うんじゃないかと、心がざわついた。
「次の日曜日のレッスン、時間変えられないかなァ? 午前中か次の日に……夜でもいいの。昼すぎはどうしても空けたくてェ」
一彩が、ぴくっと表情を震わせて反応した。
一彩が今敏感になっている、一彩の知らない藍良のスケジュールの話題。藍良がどこで何をしているのか、分からない時間が増えるのが怖い。
「誰かと、約束があるの?」
「え? ……うん、まぁ、午後じゃないと都合が悪いというか」
一彩は目を伏せ、もう一度藍良を抱きしめた。藍良が「もー」と言いながらもぞもぞと軽い抵抗をする。
「レッスンより大切なことなのかい?」
「ヒロくん……?」
そこで藍良は初めて、一彩の様子がいつもと違うことに気づいたようだ。藍良が抵抗をやめ、身体の力を抜いて大人しくなる。
「藍良がALKALOIDのレッスンよりも優先することは何?」
藍良から一彩の表情は見えていないはずだが、思ったよりも声が低くなってしまったのか、藍良が怯んだのが分かった。
「そ、そんなに怒らなくてもいいじゃん」
「怒ってはいないよ。……ただ、気になって」
「あ、あのねェ!」
ぐぐっと藍良が力を込めて、一彩の抱擁を解こうともがく。
「お、おれはねェ、その日ヒロくんと行きたいところがあるのォ!」
一彩が腕を緩めてできた空間を使って、藍良が一彩の胸や肩をぽこぽこと叩いた。
「え……?」
「……どうしても日曜の午後じゃないとダメなのォ」
一彩が思わず腕を解くと、藍良が逃げるように一彩から一歩離れた。でも、その瞳はちゃんと一彩のことを見ている。それから、巽とマヨイのことも。
「ねえ、タッツン先輩、マヨさんごめん。……おれの我儘なんだけど、日曜の午後はおれにリーダー貸して」
藍良はぽかんとしている一彩の鼻先をびしっと指差した。
一彩と藍良のやりとりを見守っていた先輩二人は、藍良の視線を受けて笑ってくれた。
「ええ、俺は問題ありませんよ」
「しばらくライブの予定はありませんし、たまにはゆっくりしましょう」
二人の快い返事を聞いて、藍良はほっとした表情を見せる。しかし次の瞬間にはくるりと一彩を振り返り、その顔を覗き込む。
「いいよね、ヒロくん? 予約の変更、おれがやっとくから」
念を押すような強い視線。しかし、その瞳にはちゃんと一彩のことが映っている。まだ日曜の午後に何をしたいのかは教えてもらえそうにないが、藍良が自分のために時間を使ってくれているのだと分かると、一彩はいくらか安心した。
「分かった。……ごめんよ、藍良」
一彩がしゅんと肩を落とすと、藍良は苦笑して一彩のくせっ毛を混ぜるように撫でる。
「んーん、おれも心配かけてごめん。ちゃんと日曜日に説明するから。今はレッスンしよ?」
それから藍良は一彩の手を握って、先輩二人の側へと一彩を連れて行った。それから藍良も皆と同じ練習着に着替え、四人そろったレッスンが始まった。
*
そして日曜日。午前中に変更したレッスンのあと、一彩と藍良は寮に一度もどって身支度を済ませた。もうすぐ昼食の時間になるが、昼食は一緒に食べようと藍良に言われているので、一彩はいつものズボンにベルトを締めながら、その腹が鳴るのを聞く。
寮のロビーで待ち合わせ、藍良に連れていかれた先はセゾンアベニューでもタイムストリートでもなく、一軒家やアパートが立ち並ぶ静かな住宅街だった。あるアパートの前で、藍良が立ち止まる。
「藍良、ここは?」
「ニキ先輩の部屋」
藍良の口から出た以外な名前に、一彩は首をかしげる。
「……僕に言わずに、椎名さんと会っていたの?」
一彩の含みのある物言いに、藍良は苦笑する。
「言わなかったのは悪かったけどォ、ヒロくんのためなんだからそれくらい許してよね」
少し長い髪を翻しながらそっぽを向いて、藍良はアパートの階段を上がり始めた。一彩も慌ててそれについていく。
藍良がある一室の前で立ち止まり、インターホンを押した。
中からニキの「どーぞー」という声が聞こえてきたので、藍良は遠慮なく扉を開け、一彩に中に入るように促した。
一彩が藍良と一緒にニキの部屋へと入る。玄関のドアが閉まると同時に明かりがついて、目の前で破裂音と共に色とりどりの紙吹雪が舞った。
「な、何だ!?」
驚いて藍良をとっさに抱き寄せる体勢になった一彩が状況を確認するように目を見張る。すると目の前で自分の兄、燐音が紙吹雪の向こうで円錐型の筒を構えていた。
一彩がぽかんと口を開け、はらはらと落ちていく紙吹雪を視界の端にとらえながら兄の顔を見つめる。そして、その紙吹雪のすべてが床に落ちるころ、やっと口を動かした。
「今日は何かのお祝いだったかな……?」
「ぎゃはは、ある意味そうかもなァ! いらっしゃい弟くんとカノジョくん」
奥から出てきたニキが騒ぐ。
「ほらー燐音くん、絶対スベるって言ったじゃないすかー」
それに僕の家っすよぉ、と言いながらニキはエプロンの紐を結んでいる。
「うるせーなニキ、かわいい弟とそのカノジョくんは派手に迎えてぇっしょ」
ぎゃーぎゃー騒ぐ二人を見ながら、一彩はパーティーなどで使う『クラッカー』というおもちゃを鳴らされたのだと理解した。そして、ほっとして藍良を抱き寄せていた腕を放した。藍良がやれやれといった表情で靴を脱いで部屋に上がる。一彩も同じようにお邪魔すると、1Kのアパートに四人がおさまった。
「こ、これはいったいどういう事……?」
困惑しっぱなしの一彩はそれを聞くのがやっとだった。藍良のニキの隣に並んで立って、一彩の顔を見上げる。
「いきなりごめんね、ヒロくん」
その頬は少し赤くなっていた。胸の前で指同士をもじもじと絡めながら、恥ずかしそうに事情を話す。
「じ、実はね、おれ……自分で作ったご飯をヒロくんに食べてほしくて、料理練習したんだァ」
「そ、そうなのか」
一彩までつられて顔が熱くなる。藍良がこくっと頷いて、自分の荷物の中から若葉色のエプロンを出して身に着けた。
「……今から成果見せるから、座って見ててくれる?」
藍良はニキと一緒にキッチンに立ち、何やら用意を始めた。一彩は燐音に促され、テレビの前のローテーブルの側に座る。勝手知ったる兄の横で、一彩は戸惑った。テーブルに置いてあるポットから、二つのカップに麦茶を注いで一彩に片方を差し出す。
「藍ちゃん、ここ最近お前のためにこっそり料理の練習してたんだぜぇ」
「うん……驚いているよ。兄さんは知っていたの?」
「ん? まーなァ。俺っちだいたいここにいるし」
燐音は小さなカップに入った麦茶を二口ほどで一気に飲み干す。一彩もそれを一口いただいてから、ふと気づいたことを口にした。
「ってことは、兄さんはもう藍良の作った料理を食べたことがあるのかい?」
「……そりゃノーコメントだな」
一瞬の沈黙を、一彩は肯定ととらえたようだ。がたんと音を立て、自分の兄に詰め寄る。
「兄さん!」
「もォヒロくんうるさァい! 先輩たちには味見してもらってたのォ! 今日一番おいしく作るから大人しくしててよねェ!」
「わ、わかったよ……」
藍良に叱られてしまい、一彩は耳をたたんだ犬のようにしゅんとなって座りなおした。燐音はその横で肩を震わせて笑っており、一彩が悔しそうに顔を真っ赤にしていた。
それからしばらく、一彩が兄と雑談をしながら、藍良が料理をする様子を眺める時間が続いた。ニキは藍良の手元を見て何かアドバイスをしているようだったが、直接手を貸すことはしていない。すべて藍良が自分で作業をしていた。
ラグの上に座っている一彩からは、藍良が何を作っているのかはよく見えない。しかし、藍良が温めたフライパンに何かを乗せた瞬間、ジュウッという食欲をそそる音とともに、一彩の好きな匂いが漂ってきた。それはすぐにハンバーグの匂いだと分かる。ひき肉が焼ける匂いと、それに練りこまれた調味料の匂い。
藍良が自分の好物を作ってくれていると思うと、もう既に嬉しくなった。
ハンバーグが出来上がったらしいタイミングで炊飯器が音を立て、炊きあがりを告げる。藍良が一度フライパンを洗ったのち、今度は玉子を数個割って溶き、それを焼くのが分かった。
「できたよォ」
そう言って藍良が運んできた大皿には、藍良の手のひらで作った小さなハンバーグと、同じ大きさのオムライスが仲良く並んでいた。ソースを好まない一彩のためか、ケチャップ等で飾り付けをしない代わりに、ゆで野菜を型抜きして作られたスペードやハートが彩られていた。
「すごい、僕の好きなものばっかりだよ」
レッスン後から何も食べておらず、空腹の一彩にとっては輪をかけて美味しそうに見える。燐音は藍良がローテーブルの上に二人分のプレートを並べるのを見届け、ラグの上から立ち上がる。
「よーし俺らは邪魔だから外行くぞニキ」
「ここ僕の部屋っすよ!? でもまあそうっすね、二人ともごゆっくり~。僕らは外で食べるっす」
そう言ってニキもエプロンを外して、二人に部屋を貸してくれた。
「ありがとう椎名さん」
「ご、ごめんねェ」
なぜか部屋の主のほうが出ていくという奇妙な状況。そして部屋には一彩と藍良だけが残された。
ニキの部屋で二人きりになるという状況のなか、一彩は藍良の作ったハンバーグプレートを眺める。
「早速だけど、た、食べてもいいかい?」
「うん。……先輩が見ててくれたけど、おれ一人で作ったから。味わってねェ」
一彩は早速、スプーンを手に取ってハンバーグの端を崩した。柔らかなそれは肉汁をじわっと溢れさせながら一口大に切られる。それを少しの間眺めてから、一彩は口の中へと入れた。
まだ内部の熱いそれを舌の上で転がして冷ましながら味わう。塩と胡椒等のシンプルな調味料のみで味付けをされた、一彩好みの味だった。呑み込むと、一彩はその素朴なおいしさに思わず笑った。
「すっごく美味しいよ」
「良かったァ」
ローテーブルに身を乗り出していた藍良は、安心したように力を抜いた。
「ね、オムライスの中も見て」
ちょんちょんと指でオムライスを示す藍良。一彩が早速、とろとろとした玉子の中身をスプーンで覗いてみた。
「あ、これ……」
そこには、チキンライスではなく、鶏肉等を使った炊き込みご飯が入っていた。一彩が前に藍良にご馳走したことのある、一彩の故郷の味のひとつだった。
まさかそれが玉子の中から出てくるとは思わなかった一彩は、感動して言葉を失った。一彩が充分驚いているのを見て、藍良が得意げに笑う。
「ふふゥ、燐音先輩に教えてもらって作ったのォ。故郷の味とは違うかもしれないけど」
「藍良が作ってくれたのだから、同じ味にならなくたっていいよ。これは藍良が作ってくれた味だ。すごく美味しい」
玉子も絶妙な柔らかさだ。オムライスもハンバーグも余計な味付けがされていないから、一見洋風の料理だが鶏肉の炊き込みご飯がよく合う。スプーンの進む一彩を見て、藍良が幸せそうに笑った。
「ヒロくんの大好きなものをいっぱい乗せたランチプレートだよォ、いっぱい食べてねェ」
そう言って藍良は立ち上がって、一彩のすぐ隣に移動した。肩と肩が触れる距離になって、一彩は少したじろぐ。
「ど、どうしたの藍良」
「せっかく二人きりだから……いいでしょ」
そう言って藍良は、戸惑う一彩の手からスプーンをとり、一彩のオムライスを一口分すくう。
「はい、あーん」
藍良がオムライスの玉子とハートの人参を乗せたスプーンを一彩に向けた。一彩は思わず顔が熱くなるのを感じる。逃げるように首を後ろに引くと、藍良が追いかけてきた。
「あ、藍良……お行儀が悪いよ」
「いいでしょォ、やってみたかったのォ」
「うう……恥ずかしいよ藍良」
「ほら、あーんして?」
一彩は顔を真っ赤にしながら数秒迷ったあと、観念して口を開いた。藍良の持ったスプーンがゆっくり口の中に入ってきて、ハート型の人参が舌の上に転がる。
咀嚼すると、甘い香りが鼻に抜けた。
「美味しい?」
「うん……」
「えへへェ、嬉しいなァ。はい、もう一口」
まだやるのかい、という口を挟む余裕すらなく、一彩の前に再びスプーンが向けられる。まるで餌付けをされているようで悔しいが、一彩はしばらく、藍良の好きにさせた。
照れる一彩に何度か自身の作った料理を食べさせ満足した藍良は、一彩にスプーンを返す。
「おれ、いつも食堂でご飯食べるときにね、ヒロくんがニキ先輩のご飯を美味しそうに食べるのが羨ましかったんだァ」
「そうだったのか、藍良の気持ちも考えずにごめんよ」
「ううん、ニキ先輩のご飯は美味しいもん。ちょっと妬いたのは認めるけどォ」
都会へと出てきたばかりの一彩にとって、初めて食べるものはすべて珍しく、美味しいと感じたものは順番に好物になっていく。その中でもハンバーグは特別好物になっているのだ。
「だからね、たまにはおれが作った料理をヒロくんに食べてもらいたいなって思ってねェ、ニキ先輩に教えてもらってたの」
一番ハンバーグが好きだとか、オムライスが気に入ったとか、意識して伝えたことは無いはずだが、藍良にはちゃんと分かられていたようだ。こうして、一彩の好きなものばかりが乗っているプレートが出てくるのが何よりの証拠だ。
「美味しいよ、それに嬉しい。藍良が作ってくれたというだけで、僕は幸せだよ」
一彩がそう言うと、藍良は頬を桃色に染めたまま「うふふゥ」と笑う。
「おれも嬉しい。とり飯ならおかわりもあるよォ」
藍良は自分が食べる分のプレートを側に寄せる。小食の藍良の皿には、一彩のものよりも一回り小さいハンバーグとオムライスが乗っていた。
一彩は先ほど藍良が自身に向けていたスプーンを見つめ、半分になったハンバーグをすくう。そして、隣にいる藍良を呼んだ。
「藍良」
「えっ、何?」
自分の食事を始めようとしていた藍良がこちらを振り向く。きょとんとしている藍良に、今度は一彩がスプーンを向けた。
一彩が藍良に向けたスプーンには、一口分のハンバーグと、赤いパプリカをくりぬいて作られたスペードが乗っていた。その意味が分かった藍良は、かぁっと頬を染めた。
「ほら、食べて」
一彩は藍良の頬に反対の手を添え、藍良の口にスプーンを入れた。藍良の唇がなし崩しに閉じられると、ゆっくりそれを引き抜く。
桃色から真っ赤になった藍良の頬がもぐもぐと動いているのを見て、一彩も満足そうに笑った。
二人がハンバーグとオムライスを完食し、食器の片付けを終えてローテーブルについたころ。一彩のスマホがメッセージの着信を知らせて鳴った。
『もうすぐ帰るからなー』という燐音からの気遣いのメールが届いていて、一彩が赤面する。
うっかりここが人の家であることを忘れてしまいそうになっていた。
「もう兄さんたち帰ってくるみたいだよ」
「そっか、あっという間だねェ」
二人きりの時間はもうすぐ終わる。人の部屋を提供しておいてもらって何だが、名残惜しい。一彩は兄に返信をして、スマホをテーブルに置いた。
「……最後にちょっとだけ、いいかい?」
「なァに?」
首を傾げる藍良の肩を、一彩が何も言わずにそっと抱き寄せた。肌の柔らかさを感じながら背中に両腕を回し、それから丁寧に力を入れて抱き締める。藍良が小さく戸惑った声を上げたが、すぐに力を抜いて一彩の背を手のひらで撫でてくれた。
「大好きだよ、藍良。もうこれ以上ないってくらい好きなのに、またさらに君のことを好きになった」
「えへへ、もっともっと更新させてあげるねェ」
一彩は、藍良の手料理の余韻と藍良自身の香りをたっぷり数十秒感じてから、ゆっくりと身体を放した。
ドアが開いて燐音とニキが帰ってきても、一彩も藍良もお互いの隣から移動しなかった。仲良くくっついて座っている二人を一通りからかった燐音が、四人分のアイスが入った袋をテーブルの真ん中に置いてくれた。ニキが全員分のお茶を用意してテーブルにつく。
一彩はバニラアイスを、藍良はチョコレートアイスを選んだ。食後のおやつはこうして、四人一緒に楽しんだ。
今はまだ、誰かの助けがないと二人の時間を作れないけれど。
いつか二人だけの場所を、二人で手に入れられたらいいなと、一彩はそのアパートの一室を眺めながら思った。
おわり