【ログ】Pixiv短編ログ(全年齢)

 今、星奏館の共用スペースは一彩の貸し切り状態だ。
 年末年始の休みを利用して、ほとんどの者は実家に帰るかアルバイトをしており、星奏館にずっと残っているのは一彩とその兄、燐音など、帰省の選択をしなかった者たちだけだ。一彩のルームメイトであるニキとひなたも年末年始こそアルバイトだと張り切っていて、寮には寝に帰るだけの状態だ。元旦のみESアイドル総出演の特番の撮影で、数日ぶりにESや星奏館が賑わった。しかし、大型の特番が多いこの時期に外部からの仕事が舞い込むアイドルはまだまだESには少なく、皆思い思いの休日を過ごしているようだ。
 一彩は寮の部屋を一人で広く使いながら、勉強やトレーニングに時間を使った。それから寮に残っている者たちで年末年始のテレビ番組を見たりゲームをしたりして遊んで過ごした。
 正月気分も通り過ぎつつある1月4日。今日は、一彩の誕生日だ。今朝、同室である椎名ニキと葵ひなたが一番に祝ってくれた。そして今日は、休みを利用して実家に帰っていた藍良が、一彩の誕生日に合わせて寮に戻って来てくれる日だ。
 朝食時を過ぎて誰もいない共用スペースで、一彩は外を眺める。藍良がもうすぐ到着するというので待ちきれず、寮の前の道路が見える席を陣取っているのだ。
 そして一台の車が、門の前に停まるのが見えた。ほぼ同時にスマホの通知が鳴る。画面に浮かんだポップアップのメッセージを見て、一彩はがたんと立ち上がった。誰もいない共有スペースで、その音はよく響く。間違いない、あれは藍良だと確信していた。この寮の目の前まで車を乗り入れられるのは関係者だけなのだ。

「ヒロくん、ただいまァ!」
 大きな荷物を持った藍良が、寮の門で手を振っている。藍良の後ろで走り去る車が見えた。目の前まで親に送ってもらったのだろう。
「藍良、会いたかったよ」
 思わず飛び出して来てしまったので、上着を着るのを忘れていた。1月の屋外は寒い。吐く息が白くなる。寒さで二人とも頬が紅潮しているのがよく分かった。
「大袈裟だなァ、この間撮影で会ったでしょォ」
 一彩は藍良の荷物を持ってあげた。ベージュのコートに身を包んだ藍良が、温かい寮の中に入ってほっと一息つく。
「でも本当に藍良のことが恋しかったんだよ。何度もお家まで行こうと思ったし、おでかけにも誘いたかった」
 年末年始は家族と過ごすと言った藍良の予定を優先して、一彩は年末に藍良のことを見送った。特番の撮影で一度顔を見ることができたとはいえ、その日はずっと忙しくてゆっくり話している暇はなかった。このところ毎日藍良の顔を見ていた一彩にとっては、たった数日とはいえ会えないのは寂しかったのだ。
「も~、ヒロくんって意外と寂しがりだよねェ。そんなんでソロの遠征の仕事とか来たらどうするわけェ」
「……そんなことを言って、藍良は寂しくなかったのかい?」
 一彩が少し拗ねて見せたら、藍良は肩を竦めて笑った。
「寂しくないわけないでしょ」
 藍良は一彩のくせっ毛頭を撫でてくれた。それから赤くなっている頬を高くして笑った。藍良が目の前で笑顔を見せてくれて、一彩も安心して頬を綻ばせる。
「メールでも言ったけど、改めてお誕生日おめでとうヒロくん。あと、明けましておめでとう」
「ウム、今年もよろしくお願いするよ、藍良!」
 誰もいない寮の玄関に、二人の声が響いていた。

 二人は藍良の部屋まで荷物を運んだ。藍良の部屋には誰もいなかった。明かりも家電も皆静かで、廊下よりも室内のほうが寒い。
「先輩たちはまだご実家かァ。寒いから着替える間だけでも暖房つけよう」
 そう言って藍良が、エアコンのリモコンを探して部屋を歩いた。
 部屋に二人きり。そう思った瞬間、一彩は藍良のことを抱きしめていた。ああ、コートが邪魔だなと思う。
「ちょ、ちょっと!」
 藍良がバランスを崩しそうになって狼狽えているが、一彩がしっかりと藍良の身体を抱きしめているので倒れる心配はない。コートの中にいる藍良の細い体を探るように、回した両手で藍良の背を撫でる。
「藍良……」
 一彩は藍良の顔を覗き込んだ。今すぐ藍良の頭の中を、自分のことでいっぱいにしたい。そう思って見つめていたら、藍良が困ったように笑った。
「もう、ヒロくんは甘えん坊だなァ。お留守番してたワンちゃんみたい」
 一彩の手のひらに撫でられている藍良の頬がどんどん紅潮する。一彩はたまらず、吐息がかかるほどに唇同士を寄せた。
「ねえ藍良、キスしてもいいかい」
 藍良がどう答えても次の瞬間には重なりそうな距離。藍良は笑って、一彩の肩に両手を回してくれた。
「……今日一日は、できるだけ言うこときいてあげる」
 藍良が肯定したその瞬間、一彩は藍良の唇を、自分の唇で塞いだ。藍良に触れた瞬間、体温が上がって一気に温かくなった。かわいい、愛おしい。そんな思いで夢中で口づけていたら、藍良に背中を叩かれ制止された。一彩の腕から解放されそっぽを向いた藍良が部屋のエアコンと電気ストーブを点ける。その後ろ姿を見て藍良が耳まで真っ赤にしていることに、一彩は気づいた。
「今日は一緒に初詣に行く約束だよね」
 藍良が空にしたキャリーケースを畳むのを一彩が手伝う。藍良は詰め込んできた着替えを自分のベッドの上に広げながら頷いた。
「うん。それで、ヒロくんにお願いがあるんだけどォ」
「何かな、藍良」
 藍良がベッドの上に広げたもののうち白い布に包まれた何かを抱き上げて、一彩に見せた。
「これを、着せて欲しい……」
 藍良がそれを大事に寝かせるようにソファの上に置く。一彩が布を広げてみると、一揃いの着物が綺麗に畳んであった。一つずつ丁寧にめくって内容を確かめる。
「これは、袴かい? この間の撮影で使ったものとは違うみたいだけど」
 中に入っていたのは着物と羽織、そして袴だ。
「うん、それおれの家にあった袴。今日はこれを着ようと思ったんだけど、うちのお母さん袴の着付けとかできなくてさァ。ヒロくんなら、できるかなって」
 藍良がそう言うのを聞きながら、一彩はそっとその袴を広げてみた。しばらくその作りを眺めてから、うんと頷く。
「この間も撮影で着付けてもらったし、大丈夫だと思うよ。細かい部分は、スマホで調べてもらえると助かるよ」
「本当!? ヒロくんのお誕生日なのに、おれが着せてもらうなんて変だねェ」
 そう言いながらも、と藍良が嬉しそうに頷く。スマホでの調べものなら、藍良には朝飯前だ。
「変じゃないよ。綺麗に着飾った藍良と一緒におでかけできるなんて、最高の贈り物だよ」
 一彩は手際よく着物と袴を藍良に着せていく。宣言通り大まかな着付の方法は覚えており、細かい部分を藍良と一緒にネットで確認することで、問題なく着付けられた。
 白い着物に、深緑色の袴、そして、藍色の羽織。特番で身に着けた紅白の袴とはまた雰囲気が違う。
「あと、これを付けたら完成だ」
 一彩がソファの上に置いておいた飾りを手に取る。それは羽織がはだけないよう、胸のあたりで留める飾りだ。よく見ると、銅の飾りに白鳥が象られている。
「素敵な飾りだね。藍良によく似合うよ」
「えへへ、この袴は親戚のお下がりなんだけど、この飾りだけはおれのなんだァ」
 胸に羽織紐を飾り、一彩は一歩下がって藍良の全身を眺める。男性用の袴なのでシンプルだが、藍色と深緑色が上品な色彩を演出している。
「よし、完成だ。綺麗だよ、藍良」
「ふふ、ありがとう」
 一彩に褒められて、藍良は上機嫌でその場でひらりと一回転する。しかし、その直後に頬を膨らませて一彩の顔を覗き込んだ。
「でもォ」
「なにかな」
 たじろぐ一彩の鼻先に、藍良がびしっと指を差す。そして、少し頬を染めて一彩のことを睨んだ。
「ヒロくん、着せてくれるときにおれのこと触りすぎ」
「そ、そんなこと無いよ……」
 一彩は思わず目を逸らした。心当たりが無い訳ではなかった。着物の襟を整える時、袴を穿かせる時、帯を締めるために腰に両腕を回す時。目の前にある藍良の肌を意識しなかったと言えば嘘になる。
「それに、着せるために触れてしまうのは仕方ないだろう?」
 そう言ってみたものの、弁解しようとすればするほど自分が不利になるような気がして、一彩は藍良の視線に負けて押し黙る。
「ふゥん? ……まあ、そういう事にしておいてあげる」
「ご、ごめん」
 一彩のことを訝しげに睨んでいた藍良の視線がゆるんだと思ったところで、もう一度藍良が唇を尖らせる。
「謝るってことは、ちょっとは自覚あるんだァ?」
 失言を重ねたところを藍良に責められ、一彩はたじろぐ。
「うう……藍良、今日は藍良を独り占めさせてくれるって約束だったよね。だからその……」
 思わず目が泳いでいるのが自分でも分かる。数日ぶりに藍良に会える日で、さらに自分の誕生日を藍良が祝ってくれる日だ。この日をずっと楽しみにしていたのだ。自覚している以上に浮かれているのかもしれない。
「大目にみろって?」
 そしてそこを突くように、藍良が言う。一彩が自分の顔が熱くなるのを感じながら、素直に頷いた。
「……うん」
 藍良の誕生日に、一彩は藍良に思いつく限りの物や時間を贈った。そのお返しは何がいいか藍良に聞かれた時、一彩は素直に、藍良と一緒に過ごしたいと答えたのだ。
「あはは、いいよォ。ヒロくんが我儘言うの珍しいから許してあげる」
 藍良が噴き出して笑ってくれて、また一彩の癖っ毛を両手で混ぜた。藍良のことを小さくて可愛らしいと思っている一彩だが、時々こうして藍良に甘えているような構図にされてしまう。そんなに自分は子どもっぽいだろうかと藍良に聞いたことがあるが、その時は「時々赤ちゃんみたいなんだよねェ」と言われてしまった。

「ちゃーんとお誕生日プレゼントも用意してるんだからねェ」
 和装に身を包んだ藍良は、持ってきた荷物のうち、手荷物の方から何か包みを取り出した。綺麗な水色の包装紙で包まれた箱に、白いリボンがかけられている。藍良は改めて、一彩の正面に立ってそれを差し出す。
「ヒロくん、お誕生日おめでとう」
 一彩はそれを受け取ると、感動で言葉が出ず、しばらくその包みを眺めていた。そしてその箱を大事に抱きしめる。
「ありがとう……開けてもいいかな」
「もちろん」
 一彩は丁寧に包みを解いた。箱を開けると、中から出てきたのは、温かそうな耳あてとマフラーだった。
「これは……」
「イヤマフとマフラー。おれのと、色違いでお揃いだから」
 そう言って、藍良は箱から取り出した黒いファーの耳あてと、黒いシンプルなマフラーを一彩につけてくれた。肌ざわりの良いそれに温かく包まれる感覚に、一彩はほっと息をつく。
「ありがとう藍良。大切にするよ」
「ふふゥ、良かった。似合ってる」
 藍良は自分の白い耳あてをつけて、白いマフラーを巻いた。シンプルなデザインなので、袴に合わせても違和感がない。
「じゃあ出かけようヒロくん。夕方にはESでお誕生日パーティがあるし、それまでに帰ろうねェ」
「うん。よろしくお願いするよ」
 時間はまだ午前中。夕方に事務所で行われるパーティーの時間まで、二人で出かける予定だ。一月の気温の中、防寒具無しでは寒いので、藍良は着ている袴の上から、袴の羽織と同じ色のケープを着た。クリーム色がかった白いマフラーとの相性もよく、藍良にも似合っている。
 一彩が着たコートも紺色なので、上着の色がお揃いみたいになってしまった。

 星奏館の玄関から外に出ると、暖房の効いた屋内との温度差で思わず二人同時に縮こまる。一彩は笑って藍良に手を差し出して、藍良はそれを一度握り返した。
「ヒロくん、どこで誰が見てるか分からないから、外では手をつなぐのはダメ」
「分かっているよ。……だから、そこの門まで」
「ふふ、ヒロくんの欲張り」
 一彩と藍良は、バスに乗って行ける少し離れた神社まで初詣に向かった。誕生日は藍良と過ごしたいと言った一彩に、藍良が初詣を提案したのだ。境内にちょっとした出店や甘味処も並ぶ有名な神社で、デートをするには打ってつけだという事だ。

 バスは目的地に近づくに連れ多くの人を乗せ、一彩と藍良は途中で席を立ち、子連れの女性に席を譲った。立ち乗りの乗客でバスがいっぱいになってもまだ人が乗り込んで来るので、一彩は扉から離れた奥へと藍良を連れて行く。そして人が押し寄せて来る方へと背を向け、片腕で藍良を抱き寄せて両足でしっかりと立った。なんとか空いていたつり革を一つ見つけて掴む。知らない大人の乗客と一彩との間で小さくなっている藍良は、何も言わずに一彩に掴まっていた。
 運転手が乗車を拒否するほど満員になってから数分後、ようやくバスは神社の最寄りのバス停へと停車した。人に流されるように下車した二人は、急いでバス停から離れて一息つく。
「すごい人だったねェ」
「大丈夫だったかい? 藍良」
 一彩は藍良の少し乱れた髪を手のひらで撫でて整えた。藍良が頬を染めて、その手を振り払う。
「うん、ヒロくんが壁になってくれてたから大丈夫。ありがと」
 照れ隠しなのか速足になる藍良を追って、一彩は参道へと向かう。
 訪れた神社はこのあたりでは一番大きな神社で、参道の方へ溢れるほどに行列が出来ていた。行列に並ぶのは長期戦になりそうなので、二人は一度近くのコンビニに入り、飲み物と軽食を買った。
 一時間待ちと書かれた看板を持った巫女のいる最後尾に、一彩と藍良が並ぶ。並んでいる間に昼食の時間になりそうだ。
「ヒロくんの故郷でも、初詣ってするの?」
「そうだね。似たような行事はあるよ。こんな風に、土地の神を祭っている寺院を参ったり、祈祷を行ったりするんだ」
 それでもこんな人数は見たことがないよ、と言って一彩は苦笑する。

 参拝のための行列は長かったが、話したりコンビニで買った軽食を食べたりしていたら、いつの間にか境内へと進んでいた。
 途中、手水舎の前を通る時は、列整理の巫女の指示に従って順番を待ち、手や口を清めた。
 さらに列が進み拝殿が近くなり、あと数人で一彩と藍良の番になる。看板に記されている礼拝の作法を、一彩はしっかり読み込んだ。
「ほら、おれ達の番だよ」
 藍良に袖を引っ張られながら一彩は賽銭箱の前に立ち、二人で一緒に小銭を投げ入れた。
 順番を譲り、一彩と藍良は境内を見て回ることにする。この神社はこの街で一番大きな神社で、境内には立派な授与所や宝物殿などがあり、参道沿いには出店や甘味処もあるので見物のし甲斐もあるのだ。
「ヒロくんは何をお祈りしたの?」
 人の流れを避け、開けたところを探しながら藍良が聞く。一彩は藍良にもらった黒のマフラーで口元を隠しながら、藍良だけに聞こえるように言った。
「来年の誕生日も、藍良とここに来れますようにって」
「えっ」
 藍良が立ち止まって振り返る。一彩と目が合うと、頬を染めてその目を逸らした。
「もう……すぐそういう事言うんだから」
「え、僕何か変なこと言ったかな?」
 藍良は一彩と色違いのマフラーに鼻まで埋める。
「言ってない。……ここが外じゃなかったらぎゅってして欲しかった」
 藍良の満更でもない反応に安心して、一彩は藍良の頭を撫でた。
「後で僕からお願いするよ」
 藍良は何を祈ったのか、そう聞こうとした時、恥ずかしいのか、藍良が逃げるように何かを見つけて駆け出す。
「あ、お守り! ねェ、お守り買おうよ」
 藍良の頭の位置で所在なげになった手をポケットのあたりに戻して、一彩は頷いた。
「そうだね」
 藍良が見つけたのは立派な授与所だった。拝殿への列ほどでは無いが少し列が出来ている。少し待ったが、ほどなくしてお守りを選べる順番がまわってきた。
「ヒロくんはどれにする?」
 様々な御利益がかけられた色とりどりのお守りが並んでいる。金糸の刺繍の入ったお守りや、ストラップに小さな絵馬のついたカジュアルなものまで色々揃っている。
「そうだな、厄除けのお守りがいいな。色は藍良に選んで欲しいよ」
「じゃあコレ! ヒロくんはやっぱり赤いのだよねェ」
 一彩が荷物から財布を出そうとするのを藍良が制する。
「ここはおれが出してあげる。これくらいしかできないけど」
 一彩の誕生日だからと、藍良がお守り代を納めてくれるらしいので、一彩は藍良のその気持ちを汲んだ。
「ううん、嬉しいよ。ありがとう」
「えへへェ、タッツン先輩とマヨさんの分も買おうねェ」
 二人は巽とマヨイの分もお守りを選び、授与所にお金を納めた。藍良は一彩の分のお守りを手渡して笑う。
「おれも同じ色にしちゃった」
 藍良は手のひらに赤いお守りを乗せて一彩に見せた。一彩も同じようにして、二つのお守りを並べる。
「ありがとう。大切にするよ」
 一彩の宝物が、またひとつ増えた。 

 二人はおみくじや絵馬を楽しんでから境内をあとにし、参道で見つけた甘味処に寄った。外に大きな和傘と赤い布がかけられたベンチがあるので、そこで人の往来を眺めながら和菓子を食べることにする。
 甘いものを食べて幸せそうにしている藍良に、一彩が自分の饅頭を分けてあげようとしたとき、誰かの影が二人の前で立ち止まった。
「あの……ALKALOIDの一彩くんと藍良くん、ですよね」
 どきりとして顔を上げる。一彩と藍良の手が止まった。
「え?」
 二人が顔を上げると、OLらしき若い女性が小さく悲鳴を上げて「わ、やっぱり」と、控えめだが興奮した声を上げる。
「……こ、声かけてごめんなさい、撮影……ですか?」
 女性は友人と二人で初詣に来ているようだ。連れの女性が一歩後ろで心配そうな顔をしている。
 どうすれば良いのか分からない一彩が藍良を見ると、藍良と目が合った。一彩は頷いて、藍良に返答を任せた。こういう時どう対応するのが正しいのかは、一彩よりも藍良の方が心得ているだろう。藍良は頷くと、声をかけてきた女性に笑顔を返した。
「ううん、プライベートで……お参りしてきたんです」
 それを聞いて、女性二人のうち一人が、一彩と藍良の前に片手を差し出した。もう片方の手はぎゅっとショルダーバッグのストラップを握っている。
「あの、握手……してもらえませんか?」
 女性は嬉しいようで申し訳なさそうな、そして今にも泣き出しそうな複雑な表情をしていた。
 女性の申し出に、藍良は快く両手を差し出して女性の手を握った。よく見ると、その女性のバッグには、ALKALOIDのライブで販売したリストバンドが付いている。街中でファンに声をかけられたことがない一彩は、こういう事もあるのかと純粋に感動した。
 藍良に促され、一彩もその女性と握手する。斜め後ろで様子を見ていた友人らしき女性にも、一彩は手を差し出した。戸惑っている様子の女性は少し迷ってから、一彩と藍良と順番に握手をした。
 女性二人には、SNS等でこの事について話さないことを約束してもらった。彼女らを見送った後、藍良はふうと一息ついた。
「ビックリしたねェ、おれたちも街中で声かけられるくらいにはなってるんだァ」
「そうだね。嬉しいけれど、一層気を付けないといけないね」

 一彩は、神社の鳥居のほうへと向かっている二人を眺める。最初に握手を求めてきた女性が、連れの女性に宥められながら、何やら興奮した様子で俯いて歩いていた。
「さっきの人たち、約束を守ってくれるといいけれど」
 一彩が何となくそう呟いて、藍良がふふっと笑う。
「守ってくれると思うよォ。おれもアイドルオタクだから分かるけど、ほんとにそのアイドルが好きなら、街で見かけたこと自慢したくてもグッと我慢するもん」
「そういうものなのかい?」
「人によるけどねェ。でも、あの人たちは大丈夫だと思う」
 藍良がそう言うのだから、そうなのだろうと一彩も納得する。一彩にも、彼女らが藍良を傷つけるような人には見えないので、余計な心配はしないことにした。

 二人は人通りから目立たないよう、甘味処の長椅子の座る向きを変えた。人通りに背を向ける形で座り、残りの和菓子を食べる。一彩がみたらし団子を手に取った時、藍良がおもむろにスマホを手に取った。
「おれさァ、さっきお参りした時に、ALKALOIDがもっと有名になって、皆で一緒に輝けますようにってお願いしたの」
 手のひらに乗せた花の形をした菓子を、藍良が写真に撮る。
「素敵なお願いだね」
「うん。でも、そのお願いは本当だけど、その願いが叶ったら、こんな風に街を歩けなくなるねェ。それはちょっと複雑だなァ」
 今はまだ、悔しいが変装が必須であるほどALKALOIDの知名度は高くないはずだ。ESビル周辺や学院周辺ではアイドル目当ての一般人がうろついている事はあるが、それ以外の場所では雑踏に紛れるのは簡単だった。
 それが今では、声をかけてくれるファンが現れている。これからどんどん、先ほどの女性のような者が増えて来るということだ。
「僕は……」
「うん?」
「僕はアイドルとしても輝きたいし、藍良とも色んなところにお出かけしたいよ」
 ALKALOIDが有名になるのは嬉しい。それは素直な感情だ。たとえ有名になるにつれ、外を歩くのに気を付けることが増えていったとしても、できるだけ自由に、藍良と一緒に出かけたい。ALKALOIDの知名度を理由に、藍良と二人で出歩く機会を減らそうとは、一彩は少しも考えていないのだ。
 一彩のその考えを感じ取り、藍良はくすくすと笑う。
「ふふゥ、やっぱりヒロくんって欲張りだよねェ」
 藍良は団子をひとつ、一彩に差し出した。
「でもおれも同じ気持ち」
「うん、皆で一緒に頑張ろうね、藍良」
 一彩と藍良は、二人で三色団子を持って、スマホで自撮りのツーショットを撮った。和傘を背景に団子を持つ袴姿の藍良は、どう撮影しても絵になるので、一彩も何枚か写真を撮った。

 それからは誰かに声を掛けられることもなく、和菓子を食べきる。甘いものを食べたので苦めの緑茶を頂いて、二人は長椅子から立ち上がった。
「そろそろ行こうか。着替えて事務所に行かなきゃ」
「そうだね」
 さっきの女性たちのことを疑うわけではないが、念のため早めに移動することにする。二人がここにいることに、他にも気づいている人がいないとも限らないからだ。
「事務所に行く前にお部屋で着替えないと」
 団子の串や湯のみを、甘味処の店主に返しながら藍良が言う。急かされると、一彩は名残惜しい気持ちになってしまった。
「……もう少し、藍良と二人で居たかったよ」
「ふふ、でも皆もヒロくんのことお祝いしたいんだから。早く帰ろう。ね?」
 藍良がひらりと袴の裾を揺らしながらバス停へと向かう。一彩はその隣に追いつこうと足を速め、思わず繋ぎそうになった手をひっこめた。
「今夜は、もう一度二人きりになる時間はあるかな」
「努力はしてあげるよォ」
 一彩は藍良と一緒にバスに乗って、星奏館まで帰った。藍良を部屋まで送った際に、藍良の部屋には誰もいなかったので、一彩は袴の片づけを手伝うと言った。それが二人きりでいるための分かりやすい言い訳になっている自覚はあったし、藍良にも呆れられたけれど、藍良も受け入れてくれた。
 荷物を片付けた後、少しのスキンシップとキスはさせてもらえたけれど、しばらくすると藍良に、誰かが帰ってくる前に部屋に戻れと促された。一彩は仕方なく、誰もいない部屋へと帰る。そして藍良に贈られた耳あてとマフラー、そしてお守りを、大事にベッドサイドに置いた。それらを眺めて、目を細める。
 この部屋に、藍良がいつもいればいいのにと思ってしまう。同室のメンバーに不満があるわけではない。彼らも大切な仲間で、友人だ。けれど、大好きな藍良と一緒にいたいという感情は、また別にあるわけで。
「いつも藍良と同じ部屋に、帰ってこれたらいいのにね」
 素直な独り言が出てしまい、一彩は自分でも驚いた。ベッドに倒れこんで、天井を仰ぐ。
 心がどんどん欲張りになっていく。満たされている、満足していると自分に言い聞かせても、心の奥ではもっと、もっとと藍良に手を伸ばしている。

 来年も再来年も、藍良と特別な日を祝いあいたい。そしてそれが何度目か繰り返された時には、二人で帰る場所をきっと同じにしていたいと、思った。
 今はまだそれを叶える力は一彩には無いけれど、いつかその場所をつかみ取ってみせると、一彩は自分の中で誓った。

 それは、いつかの藍良の誕生日に。




 おわり
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