【ログ】Pixiv短編ログ(全年齢)
わがままのカタチ
顔を洗って、化粧水で肌を整え、髪を梳いて寝癖がないかをチェック。よし。
「今日もラブいよォ、藍良!」
鏡に向かってそう声を掛けたのが、まだベッドにいる朔間先輩に聞こえたみたいで「確かに今日もかわいいのう」と寝言みたいな声が聞こえてきた。身支度を整えてベッドのそばに寄ると、照明を落としているベッド側に、朔間先輩が転がっていた。今日は棺桶の中ではなく、愛用の枕を抱いて横になっている。
「朔間先輩は、今日はお休みですか?」
「今日は夜にラジオが一本あるだけじゃよ。昼まで寝かせておくれ」
おれは朔間先輩のベッドの側に置かれている目覚まし時計を手に取り、真昼に設定して置きなおしてあげた。
「それは別にいいですけどォ、おれ出かけるから起こしてあげられませんよォ」
「起こしてもらいたいのは山々じゃが、そう白鳥くんに甘えてばかりでは天祥院くんに小言を言われてしまうからの。ちゃんと起きるとしよう。最悪、薫くんが起こしに来るじゃろう」
あまり信憑性のない「ちゃんと」を聞いておれは苦笑する。でも、おれが寝坊したときには朔間先輩が声をかけてくれたりするから、おれからはあまりお小言は言えない。
「白鳥くんは今日は仕事か?」
「おれはサークルの集まりがあって。カフェに集合なんです」
「それは楽しそうじゃの。いってらっしゃい」
「ふふゥ、行ってきまァす!」
朔間先輩にひらひらと手を振って、おれは部屋を出た。今日はおれが所属しているサークル『プリティ5』の集会がある。サークル活動といっても、皆で一緒に買い物をしたりお茶したりするだけのサークルだけど、皆が皆、それぞれ違う「かわいい」や「プリティ」の概念を持っていて、おれはそれを共有してもらって、勉強させてもらうのが好きだ。おれも、おれの「ラブい」を磨かないとね。
待ち合わせの時間までは余裕があるから、朝食をどこかで食べて、買い物をしながらゆっくり向かうつもりだ。久しぶりのオフ、楽しむぞ。そう思って部屋を出ると、階段を降りた先にある廊下のベンチに、見慣れた影を見つけた。赤い髪に白い肌、黒いシャツ。そのシルエットはどうしても見間違えない。ヒロくんだ。
「藍良、おはよう」
ヒロくんはおれを見つけると立ち上がって軽く両手を広げる。そのまま飛び込めば受け止めてくれるんだろうけど、人目のあるところでそれはしない。
「ヒロくんおはよォ、どうしたの?」
抱きしめられはしなかったけれど、挨拶のついでに髪に触れられた。寝ぐせでも残っていたかな。いや、ヒロくんのことだから意味もなくおれに触りたかっただけだろう。ヒロくんはもともと気を許した相手にはスキンシップが多いタイプだ。付き合っているおれに対しては特に。
「そろそろ藍良が出てくるんじゃないかと思って待っていたよ。今日はサークル活動の日だろう?」
「そうだけど」
何でサークル活動日を把握されているんだろう。おれ話したっけ。それより、用があるなら待っていないでスマホで連絡くれればいいのに。
「待ち合わせ場所まで送るよ。僕も事務所に用事があるから、そのついでに」
ヒロくんはおれが遠慮して断りそうなポイントに先回りして送迎を申し出てきた。丁寧に手まで差し出している。いや、手は繋がないから。人に見られたら恥ずかしいっていつも言っているのに。
「んもゥ、しょうがないなあ。ヒロくんがそうしたいならそうして」
「ウム!」
ヒロくんは嬉しそうに笑った。おれと一緒にいられるのが心底嬉しいって感じの顔。そういう顔をしてくれるのはおれの自信にもなるし、悪い気はしない。けれど。
「藍良は朝食はとったかい?」
「ううん、まだ」
「じゃあ一緒に食べよう。時間はあるかい?」
「う、うん」
「じゃあ共有のキッチンで何か作ってあげる」
こんな風に世話を焼かなくていいのに、というところまで焼いてくる。とにかく至れり尽くせりなのだ。好きでやっているのも分かっているし、ヒロくんに裏はない。ただただ、そうしたくてやっている。だからこそ、素直に甘えるわけにもいかない。
「そ、そこまでしなくていいよォ! おれ、今日はコンビニで適当に買うつもりだったから」
「分かったよ。じゃあ僕もそうしよう!」
ヒロくんはあっさり了承して、おれの手を引いて星奏館の玄関へと向かった。結局手を繋がれてしまった。
こんな風にいつも甘やかされていたらおれがダメになる。だからいつもちょっとだけ抵抗を試みるんだけど、ヒロくんの前向きすぎるコミュニケーションを前に、おれはいつも絆されてしまうのだ。
こんなにおれのことばっかり構って世話を焼いて、たまに面倒になったりしないんだろうか。ヒロくんが何かを面倒がってるところ、見たことないな。たまにはヒロくんの、困った顔が見てみたい。
*
「はぁ~」
おれは太いストローでタピオカを一粒吸い込んで飲みこみ、ミルクティーの甘さとタピオカの食感に気が緩んでほっと一息ついた。それを思ったより大きく吐き出してしまったみたいで、隣に座っている小さな先輩がびくっと反応する。
「どうしたの、白鳥。おおきい溜め息なんか」
「す、すみません姫宮先輩……」
おれより一つ年上の姫宮桃李先輩は、おれの溜め息に驚いて、飲んでいた紅茶から顔を上げた。この場で一番年下なのはおれだから、ここにいる全員が先輩だ。同じ丸いテーブルを囲んでいるその先輩たちが、一斉におれの方を見る。
「朝からうちのサルに振り回されて疲れただけですゥ」
「あらあら惚気?」
おれの真向かいに座っている鳴上嵐先輩が、分かりやすくテンションを上げた。鳴上先輩は、おれがヒロくんについて文句を言うと、必ずといっていいほど目を輝かせて「そういうのもっと頂戴」と訴えてくる。おれは慌てて首を横に振った。
「ち、違……! あいつ、おれが頼んでもいないことでいちいち世話焼いてくるから逆に疲れるんですよォ」
今朝は結局、ずっとヒロくんと一緒にいた。プリティ5の皆との待ち合わせ時間まで、コンビニのパンを買って、公園を散歩しながらそれを食べて、おれたちのパンを狙うハトやスズメから逃げ回って。
それから日用品や文房具を一緒に見て回った。服やアクセサリーはサークルの皆と選ぶからと止めなければ、多分ギリギリまでついて来ただろう、結局荷物は全部持ってくれたし、何度手を繋がれそうになったか分からない。ESビルに先に到着したのに、結局このカフェCOCHIの入口が見えるところまでは送られてしまった。ヒロくんに送ってもらったことをサークルの皆に知られるのがなんとなく恥ずかしくて、ここまでで良いと無理やり断って、ヒロくんをビルのほうへ押し返した。
「ほんとに加減ってやつを知らないというか、空気読めないというか」
「やっぱり惚気じゃな~い! ふふ、かわいいわねえ~」
「そ、そんなんじゃないですってばァ!」
否定すればするほど鳴上先輩のテンションが上がる。ダメだァ、もう何言ってもからかわれる。でも、このノリのおかげで、おれとヒロくんが本当に付き合ってるってことは、バレてない気がするのは都合がいい。
「はいはい注目~! 今日の予定を発表するね!」
巴日和先輩がぽんと手を叩いて注目を集める。さっきまで特に目的もなくただおしゃべりするだけの時間が過ぎていたけれど、ようやく本題に入るようだ。本題に入らないまま解散になる日もある。
今日は巴先輩がセゾンアベニューで見つけたという、パンと焼き菓子のお店に行くことになった。15時に焼きたてのパンが売り出されるから、それまでぶらぶらと買い物をしようという、ゆるい計画。このサークルのこのゆるさがおれは大好きだ。
さっそく、今日のサークル活動の本題が始まった。まずは皆で一緒に服やアクセサリーを見て回った。ほぼウィンドウショッピングだったけれど、皆の好きなブランドの話とか、いつか着ていた衣装を買ったお店とかを教えてもらえるのは参考になる。おれは姫宮先輩に似合うと薦められたハートのヘアピンを買った。ちょっと子どもっぽかなって思って迷っていたところに、姫宮先輩が「似合いそう」と声をかけてくれたから、それで決めた。
巴先輩が案内してくれたパン屋さんは、入口から一望できる小さめのお店だった。見渡す限りぎっしりとパンが並んでいて目移りする。ショーケースの中にはキッシュや焼き菓子も並んでいた。
焼きたてであることを見せつけるように並べてあるパンたちは、おれが朝コンビニで適当に選んだパンとは香りもツヤも全然違う。ヒロくんにお土産に買って行ったら喜ぶかなァ。……って、またヒロくんのこと考えてるし。
おれはヒロくんとタッツン先輩、マヨさんと顔を順番に思い浮かべながらパンを選んだ。
「白鳥くんそんなに食べるん? おれどれにしよかなあ~」
影片先輩がおれのトレイに乗ったクロワッサンやあんパンを覗き込んで言う。影片先輩のトレイには、まだ何も乗っていなかった。 影片先輩は厳しくカロリー制限してるらしいし、厳選の一個を選ぼうとして迷っているみたいだった。
「全部じゃないですよ、ユニットのメンバーにお土産にと思って」
「ええなぁ~、いまお師さんパリやから。じゃあおれは、凛月くんの買うてこかな」
それなら二個買えるしな、と言って店内をぐるぐる回って悩む影片先輩を追いかけて、鳴上先輩が次々にパンを乗せていく。
「そうそう、こういうのは人と食べるほうが美味しいのよ」
鳴上先輩のトレイにもたくさんのパンが乗っていた。
星奏館の共有スペースで同室の皆を誘って食べましょう、という鳴上先輩の提案に、影片先輩は嬉しそうに頷いている。
レジに並んでいる時、巴先輩が姫宮先輩と真剣にショーケースを眺めているのが見えた。皆それぞれ、一緒に食べる人の顔を思い浮かべながら選んでいるんだろうか。そう思うとおれまで楽しくなってくる。こうして見ると、皆同世代のお友達みたいだ。
買い物を楽しんだおれ達は、セゾンアベニューにある行きつけのカフェに寄った。それぞれこの後予定があるから、それまで自由に過ごそうという巴先輩の提案に乗った。多分、この後一番最初にお仕事で抜けないといけない巴先輩が、自分が抜けるのをきっかけに解散とならないよう、考えてくれたんだ。
おれたちは今日の買い物を振り返ったり、最近あった出来事について話ながら過ごす。
皆のスマホの中には、お仕事やオフの思い出がいっぱい詰まっていて、それを見せてもらう時間がおれは好きだ。
おれもALKALOIDの皆と撮った写真や、プロモーションの仕事で撮った写真のデータを皆に見せた。色んな「かわいい」にこだわっている先輩たちに、仕事についてアドバイスがもらえるのも、貴重だ。
ヒロくんと二人きりの時に撮った写真だけは鍵付きのフォルダに避けてあるので、うっかり見せてしまうことはない。
「おひいさ~ん? 仕事の時間ですよぉ~」
カフェの扉のベルがカラコロと心地よく鳴って、漣ジュン先輩が顔を出した。
アイドルだらけの寮と事務所を行き来しているのに、突然現れるアイドルにはいつもテンションが上がってしまう。けれど、ここでファンのテンションを出してしまったら周りにいるサークルの皆に失礼だから、ぐっと我慢する。
Edenのメンバーにして、巴先輩のパートナー。プリティ5で活動していると、高確率で漣先輩が「おひいさん」を迎えにくる。めんどくさそうにしながら、いつも律儀に来てくれる。
「うんうん、ジュンくんはいつも迎えに来てくれてエライね! ついでにコレ持ってね!」
巴先輩が丁寧に使い終わった食器を一か所に寄せて立ち上がり、足元のカゴに入っていた紙袋の数々を漣先輩に押し付ける。
「はいはい持ちますよ……って重! 今から仕事だっつーのに何買ってんすか!」
「新しい服と食器と、新作のキッシュを手に入れたね。ジュンくんの分もあるから喜ぶといいね!」
「はぁ? 頼んでもいねえのに。だいたい今日の仕事は料理屋のレポでしょうが!」
「ああそうだったね。でもそのお店にキッシュがあるとは限らないね」
ああもう、と頭を抱えながらも、漣先輩は諦めた様子だった。巴先輩が買い込んだパンやキッシュ、洋服やアクセサリーが入った紙袋を両手で軽々と持ち上げる。やれやれと顔に書いてあるけれど、嫌そうじゃない。どちらかと言うと楽しそうだった。
「一杯くらい飲んでいきなさいよ」
そう鳴上先輩が声をかけて、影片先輩が頷く。
「せや。時間ないのん?」
「あー、はい。すんません。結構ギリギリなんすよ」
漣先輩が申し訳なさそうに言う。漣先輩、雰囲気はちょっと怖いというか、クールだけど言葉は優しいよね。
「ほらほらジュンくん、さっさと行くね!」
「おれがアンタを迎えに来たんでしょうがよ」
巴先輩と漣先輩のいつものやり取りを見ながら、おれは「いいなあ」と思ってしまった。漣先輩は巴先輩に甘い。ヒロくんもおれを甘やかしてくれるけれど、おれたちのはこの二人のやりとりとはどこか違う、ヒロくんは、おれに文句を言ったり、怒ったりしない。
なんていうか、張り合いが無いように感じるのだ。別にいつも怒られたいわけじゃないけど、でも、我儘を窘められたり、それに文句を言いながら、面倒を押し付け合ったりしてみたいなァ。
「じゃあ皆さんすんません。次寄った時はお茶、ご一緒させてくださいね」
漣先輩は礼儀正しく頭を下げて、巴先輩と一緒にカフェを出て行った。次寄った時はって、また迎えに来て荷物持ちするのが当たり前みたいな言い方。おれはちょっとおかしくなって、笑ってしまった。
「日和さまはいいな~、ボクも弓弦に迎え頼めばよかった」
巴先輩が抜けて、テーブルには四人だけになった。姫宮先輩が空になったティーポットとカップを覗き込んでソファにもたれる。そんな仕草を、きっと「お行儀が悪い」と窘めるんだろう人が今日は側にいない。
「今日は伏見先輩は何してるんですか?」
「英智さまと打ち合わせ。『坊ちゃまはお友達との時間を過ごされてくださいませ』なんて言ってボクのこと置いてったんだから」
そう言って唇を尖らせる姫宮先輩はかわいい。鳴上先輩が追加でフルーツを頼んでくれて、それを摘まみながらそれぞれ残りの時間を過ごした。
今日オフだったのはおれだけで、おれは最後に影片先輩を見送り、喫茶店を出る。影片先輩と一緒に帰っても良かったんだけど、今日はちょっと試したいことがあった。おれはスマホの連絡先一覧からヒロくんを選んで電話をかけ、それを耳にあてる。少し長めにコールして、ヒロくんが出てくれた。少し息を切らしている。急いで出てくれたんだろうか。
「もしもしヒロくゥん? 今どこ? 用事終わったァ?」
「うん、終わったよ。今トレーニングルームに居るんだ」
時間が空くとすぐ運動をするヒロくんは、たとえ用事が簡単でもその後欠かさずトレーニングルームを使う。電話に出るのが遅かったのはそれが理由か。
「ふゥん。ねェ、迎えに来て。今セゾンアベニューのカフェにいるの」
「分かった! すぐ迎えに行くから待っていて欲しいよ」
そう言って、ヒロくんは電話を切った。ほらね、ヒロくんはおれの言うことはいつも二つ返事。ESビルにいるヒロくんがおれを迎えに来て、一緒に星奏館に帰るなんて、おれが今いる場所との位置関係的にどう考えても効率が悪い。でも、ヒロくんにとってそんなことは関係ないみたい。
「迎えに来たよ、藍良」
「ありがとォ」
30分もしないうちに、ヒロくんが来た。おれは申し訳ないと思っているのが顔に出ないようにしながら、おれが座っているベンチに一緒に乗っている紙袋をヒロくんに差し出す。
「ねえ、これ持って」
「分かったよ」
また二つ返事。分かっていたけれど。おれは追い打ちをかけるように、もう一つ我儘を言ってみた。
「ねえ、疲れた。歩けない」
「そうか、じゃあ僕が背負ってあげるよ」
ヒロくんはおれの前に膝をついて、顔を覗き込んでくる。心配そうに下がった眉ときりっとした大きい目。うう、負けそう……。
「……それはいい、恥ずかしいから」
おれは赤くなっている顔を隠そうとして俯いた。でも、下から覗きこまれているからあんまり意味がない。
「じゃあタクシーを呼ぶかい?」
ヒロくんの提案は適切なんだろうけど、そこまでしなくていい。だめだ、このままじゃおれの良心が耐えられない。ヒロくんの優しさを試そうとしたのが間違いだった。
「歩けるからいい」
言ってることがめちゃくちゃなのは分かっているけど、そう言うしかなかった。
おれは立ち上がって、ESへ帰る道の方向へと足を向ける。
「え、でもさっき歩けないって」
「言ってみただけだもーん」
「あ、藍良待って」
ヒロくんが遅れて立ち上がって、すぐにおれに追いついた。
*
おれは星奏館のロビーで、一人溜め息をついた。学校から一人で帰ってきて、誰もいない共有スペースを見渡して、ソファに腰かけた。明かりを点ける元気もない。おれ一人しかいないのに電気使うの、もったいないよねェ。
今日はヒロくんは個人の仕事があって一緒には居ない。一人でこうして過ごしていると、ヒロくんが側にいる時とのギャップで寂しくなる。ヒロくんの過剰な世話焼きには困ることもあるけれど、ヒロくんのことは大好きだから、結局構ってくれるのは嬉しいんだよね。
ふとした時に、なんだか子ども扱いされているみたいに感じて複雑になるだけだ。
おれがヒロくんのことを引っ張ろうとして少し前を歩いても、身長と歩幅の差でどうしてもリードできない。身体的にも、精神的にも、おれが甘やかされる側であるのは覆らない。
「ただいまー! 巴日和が帰って来たね! ……あれ? 誰も居ないね。暗いのは良くないね! 明かりを点けてジュンくん!」
突然、誰もいなかった共有スペースに太陽が飛び込んできた。声だけで分かる。巴先輩だ。一緒に漣先輩もいる。
「誰も居ないから明かりが消えてるんでしょーよ。おひいさんここで寛ぐ気っすか? 使わない部屋の電気を点けるのは無駄ですよぉー」
感心するほどすらすらと、巴先輩へのツッコミが出てくる漣先輩。あの「やれやれ感」がいいんだよね。ファンの間でもこの二人のニコイチ感はたまらないってよく聞く。でも今は、観察している場合じゃない。
「あのゥ……おれ居ますゥ」
おれはすっと片手を上げてアピールした。このままだと自分の存在感の無さに落ち込みそう。
「あ、白鳥くんすみません、気づかねーで。どうしたんです? 明かりも点けずに」
漣先輩は、おれがいるのを見つけるとすぐに明かりを点けてくれた。巴先輩がソファの背もたれに肘をついて、おれのことを後ろから覗き込んでくる。巴先輩が後ろに立つだけでおれにも後光が差しそう。
「うんうん、暗い部屋だと心まで暗くなるね!」
おれのネガティブは今に始まったことではないけれど、明かりを点けたり、明るい人と一緒にいることで風向きを変えられたらいいよね。おれは思い切って、巴先輩に声をかけることにした。
「あの、先輩。今お時間ありますか?」
巴先輩の顔は眩しくて直視できないから、おれは一瞬だけきょとんとした巴先輩と目が合ってすぐ俯いてしまった。
「んー?」
その後、巴先輩と漣先輩が目を合わせて頷き合った後、漣先輩はキッチンへ、巴先輩はおれの隣へ座る。
「分かった、いいお茶を淹れてあげるね」
まさに太陽の笑み。おれもしかして、とんでもないことを巴先輩に頼んでしまったんじゃないだろうか。
しばらくして、漣先輩がトレイに載ったティーセットとキッシュを持ってきてくれた。それを丁寧にテーブルの上に置く。
「上手に用意したねジュンくん! えらいね!」
「オレは白鳥君のために用意したんすよ。オレの分はもらいますからね」
ごゆっくり、と漣先輩はおれに挨拶をしてくれて、アイドルたちの部屋の並ぶ廊下へと向かった。
巴先輩はトレイに乗っている砂時計が終わったのを確認すると、おれの分もティーポットからお茶を注いでくれた。自分のカップに注いだそれを口元に近づけて香りを楽しんで、テーブルの上に戻した。
「うん、ジュンくんもお茶を淹れるのが上手になったね」
淹れたての紅茶は熱いからすぐ飲めないけど、こうやってまずは香りだけを楽しむんだ。おれは巴先輩の真似をして、香りを吸い込んでみた。ちょっと酸っぱい匂いがする。ハーブが入っているのかな。いい匂いなのに「葉っぱっぽい香り」という感想しか浮かばなくて、おれは「いい香りですね」と言うだけにとどめた。
「すみません、漣先輩を追い帰したみたいになっちゃって」
「構わないね。秘密の相談は、そう何人も聞くものじゃないね」
巴先輩は優雅に、紅茶を一口飲んだ。
「それでどうしたの? ぼく、あんまり相談とか向いてないんだよね。思ったことをそのまま言うと、言われた子が落ち込んじゃうみたいでね」
「あうゥ……大丈夫です、多分」
普段の言動から、なんとなくそんな気はしている。巴先輩の言葉や振舞い、ステージでのパフォーマンスには元気づけてもらっているけど、一対一の相談になるとどんな感じなのかは想像ができない。
でも、おれが憧れている巴先輩だし、漣先輩との気楽なやり取りを見ていて羨ましいと思ったのだから、相談するならこの人しかいないのだ。
おれはできるだけ素直に、正直に、最近あったことを中心にヒロくんとのやりとりについて話した。
ヒロくんはおれが何を言っても全肯定で、疲れたと言えば抱き上げようとしたり、お腹がすいたと言えば何かを買いに走ろうとする。それだけならまだかわいい時もあるけど、ちょっと愚痴をきいて欲しいだけでも、ただ疲れたとか暑いとかぼやきたいだけの時でも、とにかく世話を焼こうとする。そんなことをまとまりなく口にしたのを、巴先輩は一通り静かに聞いてくれてから、言った。
「ふぅん、君の所の“ヒロくん”は素直で従順なんだねぇ。良いことじゃない? ジュンくんにも見習ってほしいね」
「そう、なんですけど……。なんか素直すぎるというか。たまには否定してもいいんだよって、思うんですけど」
「気にしすぎなんじゃない? 一彩くんはそうしたいからしているんだよね?」
「やっぱり気にしすぎですかねェ……もっとおれも、巴先輩みたいに堂々と振舞いたいなァ」
「確かに張り合いがないものつまんなさそうだね。でも、藍良くんがぼくの真似をしたところで、ぼくが一番だから君はどんなに頑張っても二番手になっちゃうからね」
「あはは……」
そういう傍若無人なところを見習いたい、って言ったら怒られるかなァ。その自信にあふれた感じ、憧れる。
「わがまま聞いてくれるのは嬉しいけど、いつもいう事きいてくれるから、逆に不安になるんですよォ」
この場に鳴上先輩がいたら「惚気よォ!」と言われそうな内容だし実際惚気かもしれない。贅沢な悩みだとも思う。
ヒロくんは無神経だけど優しいから、おれを傷つけないようにしてくれているのかもしれない。おれが怒ったり拗ねたりすると、すぐタッツン先輩とかに『藍良を傷つけてしまったかもしれない!』って相談するし。大げさなんだよォ、大した事じゃないときすっごく恥ずかしいし。
色々説明していたらついでに愚痴もぽろぽろでてきた。おれのそんなどうでもいい話を黙って聞いてくれていた巴先輩は、少し考えてから言う。
「確かにジュンくんは今更ぼくに何を言われてもへそ曲げたりしないし、ぼくも遠慮なんかしないね。藍良くんは、一彩くんとそうなりたいってこと?」
「簡単に言うと、そうです」
人に面と向かって言葉にされると恥ずかしい。今、誰か帰ってきたらどうしよう。巴先輩はお皿に乗ったキッシュの一切れを、フォークで丁寧に一口分をとって食べた。
「ぼくを羨む気持ちは分かるけどね、愛のカタチは人それぞれだからね。一彩くんには一彩くんの愛情表現があるから。そのあり方で他人を羨ましがるのは、ちょっと違うね」
「そう、ですよね」
さすが巴先輩。おれ自身が、言って欲しかったんだって後から気づくような言葉を次々にくれる。自己中心的で、愛されたがり。この矛盾した性格が矛盾じゃなくなるのは、巴先輩だからこそだと思う。おれが我儘放題したら、嫌われるだけだと思うから。
「まあでも、喧嘩してるわけでもないのにすれ違っちゃってるのは可哀想だね」
愛は正しく伝わらないとね。そう言って巴先輩がおれにもキッシュを勧めてくれる。おれはありがとうございますと言ってから、一口だけ食べた。サーモンの優しい味と塩気がバランスよく口の中で混ざりあう。美味しい。
「君はこのこと、ちゃんと一彩くんと話したの?」
「えっと……甘やかさなくていいとか、世話焼かなくていいってことは、たまに」
話すというか、文句みたいに言ってるだけだけど……。
「そうじゃないね。たまには叱って欲しいってちゃんと言うね」
「えっ」
「違うの? 顔にかいてあるね」
巴先輩のスミレのような瞳が、からかうようにおれの事を見た。その顔に重ねて、ヒロくんのことを思い浮かべる。
そこまでしなくていい、別にいい、言いたかっただけだから。自分の最近の言葉を思い出しても、ちゃんと伝えているとは言い難い。
「言葉にしないのに相手に分かってもらおうなんて。そんなの、そう簡単なことじゃないね」
言いたいことははっきり言うべし。巴先輩に言われると説得力がありすぎる。巴先輩は、おれなら九割呑み込んでしまいそうな言葉をずばずば口にする。最初は驚いたけれど、今ではそれも見ていて気持ちがいい。ファンとしてアイドル・巴日和を追いかけていた時とは違う一面が見れて、おれは前よりももっとこの先輩に憧れた。
いつの間にか先輩のキッシュは半分以上なくなっていた。おれより先輩のほうが喋ってるのに。そんなに大好きなものを、おれにも一切れ分けてくれたのがとても嬉しいと思った。
「あ、でも、ぼくは別にジュンくんに怒られたいわけでもないし、怒られて嬉しいわけでもないからね。そこは勘違いしないでね?」
「あはは、分かりました」
でも巴先輩、漣先輩と言い合ってるときちょっと楽しそうだけどなァ。わざと漣先輩を怒らせているようにも見える。それでいて、漣先輩も楽しそうだし。ああ、やっぱりいいなァ。
「思ってることを、きちんと話すのが確実だね。君たちはまだまだ幼いけど、頭は悪くないみたいだからね」
「ありがとうございます。ちゃんと、ヒロくんと話してみます」
ちょっと考えれば分かること、当たり前のことだった。でも、巴先輩がはっきりと、堂々と肯定してくれるから自信もついたような気がする。
多分、ヒロくんも本来こんな感じなんだ。おれのことを大事に認めて、肯定してくれる。ヒロくんにたくさんの自信をもらっていた気がする。それを、上手に受け取れていなかった。
巴先輩はキッシュを食べ終わると、おれが食べ終わるのを待ってから、お部屋に戻った。相談とキッシュのお礼には全然足りないけれど、おれは食器の片付けを申し出た。
今度巴先輩に、おれの大好きなお菓子を贈ろうとおもう。
*
おれは巴先輩と話したあと一度部屋に戻り、顔を洗ったり部屋着に着替えたりして気分転換をした。おれのスマホには、ヒロくんからの「今から寮に帰るよ」のメッセージが来たばかりだった。お仕事上手くいったかな、そう考えながらおれはリップクリームを塗りなおした。
寮のロビーに迎えに行こうと廊下に出る。階段を降りたところで、丁度自室に向かおうとしているヒロくんと鉢合わせた。目が合った瞬間どきりとする。ぱっと明るくなる表情を見せてくれた。撮影の時にセットしたのか前髪が分けられておでこが見える。ヒロくんの整った顔がいつもよりよく見えてドキッとした。
「あ、ヒロくんお帰り……」
「ただいま藍良」
「お仕事どうだった?」
「大丈夫だったよ。インタビューは少し長引いてしまったけれど、上手く答えられたと思う」
おれは目線だけを動かして周囲を確認して、ヒロくんの側に駆け寄って、階段のほうへ誘導するように袖を引っ張った。廊下からは死角、だけど近くに来られたら丸見えの場所。こんなところじゃ全然隠れられないけど、ヒロくんを誘うには丁度いい。
「ど、どうしたの藍良」
驚いているヒロくんの言葉には答えないで、そのまま抱き着いた。汗と香水とワックスの匂い。お仕事してる時の、ヒロくんの匂いだ。
「……ねェ、ヒロくんとお話がしたいから、二人きりになれる所に連れて行って」
初っ端から巴先輩のようにはいかなかった。予定では「今から二人きりにして」と強引に言ってみるつもりだったのに、ヒロくんの顔を見たら甘ったるい感情が心臓から込み上げてきて、そのまま声になって絞り出されてしまった。
「あ、藍良。な、何かあったの?」
ヒロくんが慌ててる。その顔が見れないのは残念だけど、おれはぎゅうっと身体を押し付けるようにして抱き着いた。
「何でもいいでしょォ……連れてって」
早くして。誰かに見られたら恥ずかしい。
星奏館の館内に、二人きりになれる場所なんてそうそう無い。同室の先輩たちが出かけていれば可能性はあるけれど、今日はその確認はしていないし。
「分かった。何とか探してみよう」
ヒロくんはおれの手を引いて、どこかへ連れて行こうとしてくれた。けどおれはその場から動かず、二人の腕がぴんと伸びる。あれ、と振り返るヒロくんに、わざと拗ねた声でお願いした。
「抱っこして、連れてって」
これにはさすがに面食らったみたいで、ヒロくんが目を見開いた。顔がちょっと赤くなった。かわいい。
「本当にどうしたの? どこか悪いのかい?」
「ううん」
「何か嫌なことでもあった?」
「ううん」
子どもみたいな態度にしかならないけれど、ヒロくんには多分効いている。ヒロくんが周りを気にするような視線を泳がせた後、おれと目を合わせた。
「藍良、いいんだね」
こくりと頷くと、ヒロくんはおれの肩と膝に両手をかけて抱き上げてくれた。時間はもう夜が近くて、帰って来ているアイドルも沢山いる。だからおれは前髪で顔を隠して、ヒロくんの肩にもたれた。誰かに見られても、寝ちゃったとか、体調が悪いのかもとか、勝手に勘違いしてくれますように。
俯いていたから周りは見えなかったけれど、ヒロくんがいくつか階段を上がって、風の吹く場所へ出たのが分かった。思わず顔を上げる。星奏館の屋上にある庭園だった。人影が見えたので慌ててもう一度俯く。絶対いろんな人に見られているけれど、誰かと目が合ったら恥ずかしくてどうにかなりそうだ。
「白鳥くん、どうかしたんですか」
知ってる声がしてぎくっと身体が一瞬震えた。紫之先輩の声だ。ああそうか、花壇にお水を上げていたのかな。
「それが、僕にもまだ話してくれなくて。その、この場所をしばらく貸してもらえないだろうか」
確かここには花壇とベンチがある。天気のいい日にはここで発声練習や台本読みをしているアイドルもいる。俯いているから分からないけど、この感じ紫之先輩しかいないみたいだ。
「いいですよ。といっても、ここはガーデニアが管理しているだけで、皆さんが自由に使っても良い所です。でも、何か事情があるみたいなので、人払いをしておきますね」
「ありがとう。恩に着るよ」
ヒロくんがお礼を言うと、おれを運ぶヒロくん便が再び移動する。同時に、紫之先輩がどこかへ駆けて行く足音が遠ざかった。うう……紫之先輩すみません。っていうか、ヒロくんも気の利いたところ選んでくれちゃって。
「藍良、顔を上げて」
おろすよ、と言ってヒロくんはおれのことをベンチに座らせてくれた。顔を上げると、ガーデニアの皆が世話をしている花たちが、夕陽を浴びてキラキラ輝いているのが見えた。先ほど水をあげたばっかりなんだろう。
「藍良、どうしたんだい? なんだか様子がおかしいよ」
ベンチに座らせたおれの向かいに、ヒロくんがしゃがむ。顔を覗き込まれると、かぁっと顔が熱くなった。
「顔を見ながらだと恥ずかしいから、隣に座ってくれる?」
そう言うと、ヒロくんはおれの横に座ってくれた。本当、とりあえず言うこと聞いてくれるよね。肩に頭を乗せてみたら、抱き寄せてくれた。今日はとことん甘えてやる。そう思って腕を絡めた。
「どう思った?」
「え?」
「おれが急に、抱っこして連れてってって、言ったこと」
どう話を切り出していいか分からなかったから、おれはすぐに本題に入った。おれが頭を乗せているヒロくんの肩の力が抜けるのが分かる。
「やっぱり、僕は何かを試されていたのかな?」
気づいていたか。まあ気づくよねえ。様子がおかしいと思われているって、自分でも分かるし。
「どこまでやったら、ヒロくんが困るかなって思ったの」
「困ったよ。でも、かわいらしいとも思った」
ヒロくんの手が、おれの髪を撫でてくれた。そのまま頬に触れられたから顔を上げる。目が合った。
「ちょっとくらい、むかつくとか思わないの?」
「思わないよ。だって藍良からは、僕への愛情も感じるからね」
キスして、と声に出さずに唇だけでねだったら、ヒロくんが気づいてくれて、そのまま唇が重なった。安心する。ヒロくんの体温が唇を伝っておれに流れて来る。塗ったばかりのリップクリームを、ヒロくんに押し付けるようにキスを返した。
「何でヒロくんは、こんなにもおれのこと、世話焼いてくれるの?」
「世話なんて……。僕はただ、藍良が……きみがしたいと思うこと、して欲しいことを何でもしてあげたいって、叶えてあげたいって思うから。それ以外には何も」
ヒロくんはどうして、そんなにおれの事大好きなの? それは恥ずかしくて聞けなかった。聞いたところでおれが恥ずかしくなるだけに決まってる。別にヒロくんの気持ちはこれっぽっちも疑ってない。
「どうして、今日はいつもより強引なんだい? 何を確かめたかったの?」
ヒロくんが子どもをあやすみたいにおれの背中をとんとんと叩いた。この扱いが今は不思議と嫌じゃない。おれはヒロくんの膝の上で、ヒロくんの片手を捕まえて、おれの指を絡めた。
「ちょっとだけ不安になったの。……ヒロくん、おれのこと全然否定しないし、怒らないから。本当は嫌なことも我慢させてるんじゃないかって」
背中を軽く叩いていたヒロくんの手が、ぎゅっとおれを抱き寄せてくれた。ヒロくんのその行動に嘘なんてひとつも無い。おれは何を勝手に不安になっていたんだろう。
「嫌だったらちゃんと言って欲しいし、やりすぎだなって思ったら怒って欲しい。だからヒロくんを困らせてみたかったの」
おれを傷つけないように気遣ってくれるのは嬉しい。でも、そのために言いたいことを呑み込まないで欲しい。ヒロくんは優しいから、きっとおれよりずっと我慢してるし、おれを最優先してくれる。それじゃあ絶対ダメ。対等じゃない。
ヒロくんがどんな顔をしているのか気になって、おれは顔を上げた。困らせたかな、と思って見上げたヒロくんは笑っていた。大切なものの形を確かめるみたいに、また頬を撫でられる。
「藍良、僕にだって嫌なことはあるし、正しくないと思うことはあるよ。君が言うことが間違っていると思ったら、僕もちゃんと言うつもりだ」
「うん」
「でも僕は、藍良に頼られるのが嬉しいから、これからも君の我儘を、我儘と思わずに聞いてしまうと思うよ」
ふふ、と思わず笑った。笑っていると頬に触れるヒロくんの指がくすぐったい。
「それじゃあ同じじゃん」
「だって藍良が教えてくれたんだよ『嫌い嫌いも好きのうち』とね。君が僕のことを大好きだって言ってくれたから、僕は君に何をされたって愛おしく思うよ」
ずるい。どうしてそう、恥ずかしいことをスラスラ言えるの。鈍感なくせに、どうして肝心な時はすぐにおれの不安を拭ってくれるの。
本当にずるい。対等でいるためにはヒロくんがくれるものが大きすぎる。おれが同じだけ返すには、何をしたらいいんだろう。
「……それじゃあ、ヒロくんもおれに我儘言って」
「それは、どういうことかな」
おれはヒロくんの分けられた前髪の間にある、ヒロくんのおでこに触れた。ふふ、いつも見えないところが見えているのはレアだよねェ。
「おればっかり我儘きいてもらうんじゃ不公平でしょ。ヒロくんも、おれとしたいこと、おれにしてほしいこと、言って。嫌だったらちゃんというし、怒るから。それで勉強して」
ヒロくんに構って欲しい。でも、ヒロくんにばっかり負担をかけるのは嫌。ヒロくんがいつも立ち止まってくれるのは嫌。おれが足を引っ張ってるみたいだから。
おれも、ヒロくんに甘えられたい。ヒロくんの、支えになりたいから。それが今返せる精一杯だと思う。
「じゃあ早速ひとつ、いいかい?」
「なァに? ……んっ」
目が合うや否や、また唇が重なった。強く抱きしめられ、また体温を分けられる。口をふさがれていたら文句も言えないし怒れない。ああ、そういえばヒロくんはいつもこんな感じで強引だっけ。おれが気にしすぎていただけで、お互い様だったのかもしれない。
まあ、怒る気なんてさらさら無いんだけど。おれのことを構いすぎるヒロくんも、きっとこんな気持ちなんだろう。
まだちょっと歪だけど、これが今のおれたちの愛のカタチなのかもしれない。
おわり
顔を洗って、化粧水で肌を整え、髪を梳いて寝癖がないかをチェック。よし。
「今日もラブいよォ、藍良!」
鏡に向かってそう声を掛けたのが、まだベッドにいる朔間先輩に聞こえたみたいで「確かに今日もかわいいのう」と寝言みたいな声が聞こえてきた。身支度を整えてベッドのそばに寄ると、照明を落としているベッド側に、朔間先輩が転がっていた。今日は棺桶の中ではなく、愛用の枕を抱いて横になっている。
「朔間先輩は、今日はお休みですか?」
「今日は夜にラジオが一本あるだけじゃよ。昼まで寝かせておくれ」
おれは朔間先輩のベッドの側に置かれている目覚まし時計を手に取り、真昼に設定して置きなおしてあげた。
「それは別にいいですけどォ、おれ出かけるから起こしてあげられませんよォ」
「起こしてもらいたいのは山々じゃが、そう白鳥くんに甘えてばかりでは天祥院くんに小言を言われてしまうからの。ちゃんと起きるとしよう。最悪、薫くんが起こしに来るじゃろう」
あまり信憑性のない「ちゃんと」を聞いておれは苦笑する。でも、おれが寝坊したときには朔間先輩が声をかけてくれたりするから、おれからはあまりお小言は言えない。
「白鳥くんは今日は仕事か?」
「おれはサークルの集まりがあって。カフェに集合なんです」
「それは楽しそうじゃの。いってらっしゃい」
「ふふゥ、行ってきまァす!」
朔間先輩にひらひらと手を振って、おれは部屋を出た。今日はおれが所属しているサークル『プリティ5』の集会がある。サークル活動といっても、皆で一緒に買い物をしたりお茶したりするだけのサークルだけど、皆が皆、それぞれ違う「かわいい」や「プリティ」の概念を持っていて、おれはそれを共有してもらって、勉強させてもらうのが好きだ。おれも、おれの「ラブい」を磨かないとね。
待ち合わせの時間までは余裕があるから、朝食をどこかで食べて、買い物をしながらゆっくり向かうつもりだ。久しぶりのオフ、楽しむぞ。そう思って部屋を出ると、階段を降りた先にある廊下のベンチに、見慣れた影を見つけた。赤い髪に白い肌、黒いシャツ。そのシルエットはどうしても見間違えない。ヒロくんだ。
「藍良、おはよう」
ヒロくんはおれを見つけると立ち上がって軽く両手を広げる。そのまま飛び込めば受け止めてくれるんだろうけど、人目のあるところでそれはしない。
「ヒロくんおはよォ、どうしたの?」
抱きしめられはしなかったけれど、挨拶のついでに髪に触れられた。寝ぐせでも残っていたかな。いや、ヒロくんのことだから意味もなくおれに触りたかっただけだろう。ヒロくんはもともと気を許した相手にはスキンシップが多いタイプだ。付き合っているおれに対しては特に。
「そろそろ藍良が出てくるんじゃないかと思って待っていたよ。今日はサークル活動の日だろう?」
「そうだけど」
何でサークル活動日を把握されているんだろう。おれ話したっけ。それより、用があるなら待っていないでスマホで連絡くれればいいのに。
「待ち合わせ場所まで送るよ。僕も事務所に用事があるから、そのついでに」
ヒロくんはおれが遠慮して断りそうなポイントに先回りして送迎を申し出てきた。丁寧に手まで差し出している。いや、手は繋がないから。人に見られたら恥ずかしいっていつも言っているのに。
「んもゥ、しょうがないなあ。ヒロくんがそうしたいならそうして」
「ウム!」
ヒロくんは嬉しそうに笑った。おれと一緒にいられるのが心底嬉しいって感じの顔。そういう顔をしてくれるのはおれの自信にもなるし、悪い気はしない。けれど。
「藍良は朝食はとったかい?」
「ううん、まだ」
「じゃあ一緒に食べよう。時間はあるかい?」
「う、うん」
「じゃあ共有のキッチンで何か作ってあげる」
こんな風に世話を焼かなくていいのに、というところまで焼いてくる。とにかく至れり尽くせりなのだ。好きでやっているのも分かっているし、ヒロくんに裏はない。ただただ、そうしたくてやっている。だからこそ、素直に甘えるわけにもいかない。
「そ、そこまでしなくていいよォ! おれ、今日はコンビニで適当に買うつもりだったから」
「分かったよ。じゃあ僕もそうしよう!」
ヒロくんはあっさり了承して、おれの手を引いて星奏館の玄関へと向かった。結局手を繋がれてしまった。
こんな風にいつも甘やかされていたらおれがダメになる。だからいつもちょっとだけ抵抗を試みるんだけど、ヒロくんの前向きすぎるコミュニケーションを前に、おれはいつも絆されてしまうのだ。
こんなにおれのことばっかり構って世話を焼いて、たまに面倒になったりしないんだろうか。ヒロくんが何かを面倒がってるところ、見たことないな。たまにはヒロくんの、困った顔が見てみたい。
*
「はぁ~」
おれは太いストローでタピオカを一粒吸い込んで飲みこみ、ミルクティーの甘さとタピオカの食感に気が緩んでほっと一息ついた。それを思ったより大きく吐き出してしまったみたいで、隣に座っている小さな先輩がびくっと反応する。
「どうしたの、白鳥。おおきい溜め息なんか」
「す、すみません姫宮先輩……」
おれより一つ年上の姫宮桃李先輩は、おれの溜め息に驚いて、飲んでいた紅茶から顔を上げた。この場で一番年下なのはおれだから、ここにいる全員が先輩だ。同じ丸いテーブルを囲んでいるその先輩たちが、一斉におれの方を見る。
「朝からうちのサルに振り回されて疲れただけですゥ」
「あらあら惚気?」
おれの真向かいに座っている鳴上嵐先輩が、分かりやすくテンションを上げた。鳴上先輩は、おれがヒロくんについて文句を言うと、必ずといっていいほど目を輝かせて「そういうのもっと頂戴」と訴えてくる。おれは慌てて首を横に振った。
「ち、違……! あいつ、おれが頼んでもいないことでいちいち世話焼いてくるから逆に疲れるんですよォ」
今朝は結局、ずっとヒロくんと一緒にいた。プリティ5の皆との待ち合わせ時間まで、コンビニのパンを買って、公園を散歩しながらそれを食べて、おれたちのパンを狙うハトやスズメから逃げ回って。
それから日用品や文房具を一緒に見て回った。服やアクセサリーはサークルの皆と選ぶからと止めなければ、多分ギリギリまでついて来ただろう、結局荷物は全部持ってくれたし、何度手を繋がれそうになったか分からない。ESビルに先に到着したのに、結局このカフェCOCHIの入口が見えるところまでは送られてしまった。ヒロくんに送ってもらったことをサークルの皆に知られるのがなんとなく恥ずかしくて、ここまでで良いと無理やり断って、ヒロくんをビルのほうへ押し返した。
「ほんとに加減ってやつを知らないというか、空気読めないというか」
「やっぱり惚気じゃな~い! ふふ、かわいいわねえ~」
「そ、そんなんじゃないですってばァ!」
否定すればするほど鳴上先輩のテンションが上がる。ダメだァ、もう何言ってもからかわれる。でも、このノリのおかげで、おれとヒロくんが本当に付き合ってるってことは、バレてない気がするのは都合がいい。
「はいはい注目~! 今日の予定を発表するね!」
巴日和先輩がぽんと手を叩いて注目を集める。さっきまで特に目的もなくただおしゃべりするだけの時間が過ぎていたけれど、ようやく本題に入るようだ。本題に入らないまま解散になる日もある。
今日は巴先輩がセゾンアベニューで見つけたという、パンと焼き菓子のお店に行くことになった。15時に焼きたてのパンが売り出されるから、それまでぶらぶらと買い物をしようという、ゆるい計画。このサークルのこのゆるさがおれは大好きだ。
さっそく、今日のサークル活動の本題が始まった。まずは皆で一緒に服やアクセサリーを見て回った。ほぼウィンドウショッピングだったけれど、皆の好きなブランドの話とか、いつか着ていた衣装を買ったお店とかを教えてもらえるのは参考になる。おれは姫宮先輩に似合うと薦められたハートのヘアピンを買った。ちょっと子どもっぽかなって思って迷っていたところに、姫宮先輩が「似合いそう」と声をかけてくれたから、それで決めた。
巴先輩が案内してくれたパン屋さんは、入口から一望できる小さめのお店だった。見渡す限りぎっしりとパンが並んでいて目移りする。ショーケースの中にはキッシュや焼き菓子も並んでいた。
焼きたてであることを見せつけるように並べてあるパンたちは、おれが朝コンビニで適当に選んだパンとは香りもツヤも全然違う。ヒロくんにお土産に買って行ったら喜ぶかなァ。……って、またヒロくんのこと考えてるし。
おれはヒロくんとタッツン先輩、マヨさんと顔を順番に思い浮かべながらパンを選んだ。
「白鳥くんそんなに食べるん? おれどれにしよかなあ~」
影片先輩がおれのトレイに乗ったクロワッサンやあんパンを覗き込んで言う。影片先輩のトレイには、まだ何も乗っていなかった。 影片先輩は厳しくカロリー制限してるらしいし、厳選の一個を選ぼうとして迷っているみたいだった。
「全部じゃないですよ、ユニットのメンバーにお土産にと思って」
「ええなぁ~、いまお師さんパリやから。じゃあおれは、凛月くんの買うてこかな」
それなら二個買えるしな、と言って店内をぐるぐる回って悩む影片先輩を追いかけて、鳴上先輩が次々にパンを乗せていく。
「そうそう、こういうのは人と食べるほうが美味しいのよ」
鳴上先輩のトレイにもたくさんのパンが乗っていた。
星奏館の共有スペースで同室の皆を誘って食べましょう、という鳴上先輩の提案に、影片先輩は嬉しそうに頷いている。
レジに並んでいる時、巴先輩が姫宮先輩と真剣にショーケースを眺めているのが見えた。皆それぞれ、一緒に食べる人の顔を思い浮かべながら選んでいるんだろうか。そう思うとおれまで楽しくなってくる。こうして見ると、皆同世代のお友達みたいだ。
買い物を楽しんだおれ達は、セゾンアベニューにある行きつけのカフェに寄った。それぞれこの後予定があるから、それまで自由に過ごそうという巴先輩の提案に乗った。多分、この後一番最初にお仕事で抜けないといけない巴先輩が、自分が抜けるのをきっかけに解散とならないよう、考えてくれたんだ。
おれたちは今日の買い物を振り返ったり、最近あった出来事について話ながら過ごす。
皆のスマホの中には、お仕事やオフの思い出がいっぱい詰まっていて、それを見せてもらう時間がおれは好きだ。
おれもALKALOIDの皆と撮った写真や、プロモーションの仕事で撮った写真のデータを皆に見せた。色んな「かわいい」にこだわっている先輩たちに、仕事についてアドバイスがもらえるのも、貴重だ。
ヒロくんと二人きりの時に撮った写真だけは鍵付きのフォルダに避けてあるので、うっかり見せてしまうことはない。
「おひいさ~ん? 仕事の時間ですよぉ~」
カフェの扉のベルがカラコロと心地よく鳴って、漣ジュン先輩が顔を出した。
アイドルだらけの寮と事務所を行き来しているのに、突然現れるアイドルにはいつもテンションが上がってしまう。けれど、ここでファンのテンションを出してしまったら周りにいるサークルの皆に失礼だから、ぐっと我慢する。
Edenのメンバーにして、巴先輩のパートナー。プリティ5で活動していると、高確率で漣先輩が「おひいさん」を迎えにくる。めんどくさそうにしながら、いつも律儀に来てくれる。
「うんうん、ジュンくんはいつも迎えに来てくれてエライね! ついでにコレ持ってね!」
巴先輩が丁寧に使い終わった食器を一か所に寄せて立ち上がり、足元のカゴに入っていた紙袋の数々を漣先輩に押し付ける。
「はいはい持ちますよ……って重! 今から仕事だっつーのに何買ってんすか!」
「新しい服と食器と、新作のキッシュを手に入れたね。ジュンくんの分もあるから喜ぶといいね!」
「はぁ? 頼んでもいねえのに。だいたい今日の仕事は料理屋のレポでしょうが!」
「ああそうだったね。でもそのお店にキッシュがあるとは限らないね」
ああもう、と頭を抱えながらも、漣先輩は諦めた様子だった。巴先輩が買い込んだパンやキッシュ、洋服やアクセサリーが入った紙袋を両手で軽々と持ち上げる。やれやれと顔に書いてあるけれど、嫌そうじゃない。どちらかと言うと楽しそうだった。
「一杯くらい飲んでいきなさいよ」
そう鳴上先輩が声をかけて、影片先輩が頷く。
「せや。時間ないのん?」
「あー、はい。すんません。結構ギリギリなんすよ」
漣先輩が申し訳なさそうに言う。漣先輩、雰囲気はちょっと怖いというか、クールだけど言葉は優しいよね。
「ほらほらジュンくん、さっさと行くね!」
「おれがアンタを迎えに来たんでしょうがよ」
巴先輩と漣先輩のいつものやり取りを見ながら、おれは「いいなあ」と思ってしまった。漣先輩は巴先輩に甘い。ヒロくんもおれを甘やかしてくれるけれど、おれたちのはこの二人のやりとりとはどこか違う、ヒロくんは、おれに文句を言ったり、怒ったりしない。
なんていうか、張り合いが無いように感じるのだ。別にいつも怒られたいわけじゃないけど、でも、我儘を窘められたり、それに文句を言いながら、面倒を押し付け合ったりしてみたいなァ。
「じゃあ皆さんすんません。次寄った時はお茶、ご一緒させてくださいね」
漣先輩は礼儀正しく頭を下げて、巴先輩と一緒にカフェを出て行った。次寄った時はって、また迎えに来て荷物持ちするのが当たり前みたいな言い方。おれはちょっとおかしくなって、笑ってしまった。
「日和さまはいいな~、ボクも弓弦に迎え頼めばよかった」
巴先輩が抜けて、テーブルには四人だけになった。姫宮先輩が空になったティーポットとカップを覗き込んでソファにもたれる。そんな仕草を、きっと「お行儀が悪い」と窘めるんだろう人が今日は側にいない。
「今日は伏見先輩は何してるんですか?」
「英智さまと打ち合わせ。『坊ちゃまはお友達との時間を過ごされてくださいませ』なんて言ってボクのこと置いてったんだから」
そう言って唇を尖らせる姫宮先輩はかわいい。鳴上先輩が追加でフルーツを頼んでくれて、それを摘まみながらそれぞれ残りの時間を過ごした。
今日オフだったのはおれだけで、おれは最後に影片先輩を見送り、喫茶店を出る。影片先輩と一緒に帰っても良かったんだけど、今日はちょっと試したいことがあった。おれはスマホの連絡先一覧からヒロくんを選んで電話をかけ、それを耳にあてる。少し長めにコールして、ヒロくんが出てくれた。少し息を切らしている。急いで出てくれたんだろうか。
「もしもしヒロくゥん? 今どこ? 用事終わったァ?」
「うん、終わったよ。今トレーニングルームに居るんだ」
時間が空くとすぐ運動をするヒロくんは、たとえ用事が簡単でもその後欠かさずトレーニングルームを使う。電話に出るのが遅かったのはそれが理由か。
「ふゥん。ねェ、迎えに来て。今セゾンアベニューのカフェにいるの」
「分かった! すぐ迎えに行くから待っていて欲しいよ」
そう言って、ヒロくんは電話を切った。ほらね、ヒロくんはおれの言うことはいつも二つ返事。ESビルにいるヒロくんがおれを迎えに来て、一緒に星奏館に帰るなんて、おれが今いる場所との位置関係的にどう考えても効率が悪い。でも、ヒロくんにとってそんなことは関係ないみたい。
「迎えに来たよ、藍良」
「ありがとォ」
30分もしないうちに、ヒロくんが来た。おれは申し訳ないと思っているのが顔に出ないようにしながら、おれが座っているベンチに一緒に乗っている紙袋をヒロくんに差し出す。
「ねえ、これ持って」
「分かったよ」
また二つ返事。分かっていたけれど。おれは追い打ちをかけるように、もう一つ我儘を言ってみた。
「ねえ、疲れた。歩けない」
「そうか、じゃあ僕が背負ってあげるよ」
ヒロくんはおれの前に膝をついて、顔を覗き込んでくる。心配そうに下がった眉ときりっとした大きい目。うう、負けそう……。
「……それはいい、恥ずかしいから」
おれは赤くなっている顔を隠そうとして俯いた。でも、下から覗きこまれているからあんまり意味がない。
「じゃあタクシーを呼ぶかい?」
ヒロくんの提案は適切なんだろうけど、そこまでしなくていい。だめだ、このままじゃおれの良心が耐えられない。ヒロくんの優しさを試そうとしたのが間違いだった。
「歩けるからいい」
言ってることがめちゃくちゃなのは分かっているけど、そう言うしかなかった。
おれは立ち上がって、ESへ帰る道の方向へと足を向ける。
「え、でもさっき歩けないって」
「言ってみただけだもーん」
「あ、藍良待って」
ヒロくんが遅れて立ち上がって、すぐにおれに追いついた。
*
おれは星奏館のロビーで、一人溜め息をついた。学校から一人で帰ってきて、誰もいない共有スペースを見渡して、ソファに腰かけた。明かりを点ける元気もない。おれ一人しかいないのに電気使うの、もったいないよねェ。
今日はヒロくんは個人の仕事があって一緒には居ない。一人でこうして過ごしていると、ヒロくんが側にいる時とのギャップで寂しくなる。ヒロくんの過剰な世話焼きには困ることもあるけれど、ヒロくんのことは大好きだから、結局構ってくれるのは嬉しいんだよね。
ふとした時に、なんだか子ども扱いされているみたいに感じて複雑になるだけだ。
おれがヒロくんのことを引っ張ろうとして少し前を歩いても、身長と歩幅の差でどうしてもリードできない。身体的にも、精神的にも、おれが甘やかされる側であるのは覆らない。
「ただいまー! 巴日和が帰って来たね! ……あれ? 誰も居ないね。暗いのは良くないね! 明かりを点けてジュンくん!」
突然、誰もいなかった共有スペースに太陽が飛び込んできた。声だけで分かる。巴先輩だ。一緒に漣先輩もいる。
「誰も居ないから明かりが消えてるんでしょーよ。おひいさんここで寛ぐ気っすか? 使わない部屋の電気を点けるのは無駄ですよぉー」
感心するほどすらすらと、巴先輩へのツッコミが出てくる漣先輩。あの「やれやれ感」がいいんだよね。ファンの間でもこの二人のニコイチ感はたまらないってよく聞く。でも今は、観察している場合じゃない。
「あのゥ……おれ居ますゥ」
おれはすっと片手を上げてアピールした。このままだと自分の存在感の無さに落ち込みそう。
「あ、白鳥くんすみません、気づかねーで。どうしたんです? 明かりも点けずに」
漣先輩は、おれがいるのを見つけるとすぐに明かりを点けてくれた。巴先輩がソファの背もたれに肘をついて、おれのことを後ろから覗き込んでくる。巴先輩が後ろに立つだけでおれにも後光が差しそう。
「うんうん、暗い部屋だと心まで暗くなるね!」
おれのネガティブは今に始まったことではないけれど、明かりを点けたり、明るい人と一緒にいることで風向きを変えられたらいいよね。おれは思い切って、巴先輩に声をかけることにした。
「あの、先輩。今お時間ありますか?」
巴先輩の顔は眩しくて直視できないから、おれは一瞬だけきょとんとした巴先輩と目が合ってすぐ俯いてしまった。
「んー?」
その後、巴先輩と漣先輩が目を合わせて頷き合った後、漣先輩はキッチンへ、巴先輩はおれの隣へ座る。
「分かった、いいお茶を淹れてあげるね」
まさに太陽の笑み。おれもしかして、とんでもないことを巴先輩に頼んでしまったんじゃないだろうか。
しばらくして、漣先輩がトレイに載ったティーセットとキッシュを持ってきてくれた。それを丁寧にテーブルの上に置く。
「上手に用意したねジュンくん! えらいね!」
「オレは白鳥君のために用意したんすよ。オレの分はもらいますからね」
ごゆっくり、と漣先輩はおれに挨拶をしてくれて、アイドルたちの部屋の並ぶ廊下へと向かった。
巴先輩はトレイに乗っている砂時計が終わったのを確認すると、おれの分もティーポットからお茶を注いでくれた。自分のカップに注いだそれを口元に近づけて香りを楽しんで、テーブルの上に戻した。
「うん、ジュンくんもお茶を淹れるのが上手になったね」
淹れたての紅茶は熱いからすぐ飲めないけど、こうやってまずは香りだけを楽しむんだ。おれは巴先輩の真似をして、香りを吸い込んでみた。ちょっと酸っぱい匂いがする。ハーブが入っているのかな。いい匂いなのに「葉っぱっぽい香り」という感想しか浮かばなくて、おれは「いい香りですね」と言うだけにとどめた。
「すみません、漣先輩を追い帰したみたいになっちゃって」
「構わないね。秘密の相談は、そう何人も聞くものじゃないね」
巴先輩は優雅に、紅茶を一口飲んだ。
「それでどうしたの? ぼく、あんまり相談とか向いてないんだよね。思ったことをそのまま言うと、言われた子が落ち込んじゃうみたいでね」
「あうゥ……大丈夫です、多分」
普段の言動から、なんとなくそんな気はしている。巴先輩の言葉や振舞い、ステージでのパフォーマンスには元気づけてもらっているけど、一対一の相談になるとどんな感じなのかは想像ができない。
でも、おれが憧れている巴先輩だし、漣先輩との気楽なやり取りを見ていて羨ましいと思ったのだから、相談するならこの人しかいないのだ。
おれはできるだけ素直に、正直に、最近あったことを中心にヒロくんとのやりとりについて話した。
ヒロくんはおれが何を言っても全肯定で、疲れたと言えば抱き上げようとしたり、お腹がすいたと言えば何かを買いに走ろうとする。それだけならまだかわいい時もあるけど、ちょっと愚痴をきいて欲しいだけでも、ただ疲れたとか暑いとかぼやきたいだけの時でも、とにかく世話を焼こうとする。そんなことをまとまりなく口にしたのを、巴先輩は一通り静かに聞いてくれてから、言った。
「ふぅん、君の所の“ヒロくん”は素直で従順なんだねぇ。良いことじゃない? ジュンくんにも見習ってほしいね」
「そう、なんですけど……。なんか素直すぎるというか。たまには否定してもいいんだよって、思うんですけど」
「気にしすぎなんじゃない? 一彩くんはそうしたいからしているんだよね?」
「やっぱり気にしすぎですかねェ……もっとおれも、巴先輩みたいに堂々と振舞いたいなァ」
「確かに張り合いがないものつまんなさそうだね。でも、藍良くんがぼくの真似をしたところで、ぼくが一番だから君はどんなに頑張っても二番手になっちゃうからね」
「あはは……」
そういう傍若無人なところを見習いたい、って言ったら怒られるかなァ。その自信にあふれた感じ、憧れる。
「わがまま聞いてくれるのは嬉しいけど、いつもいう事きいてくれるから、逆に不安になるんですよォ」
この場に鳴上先輩がいたら「惚気よォ!」と言われそうな内容だし実際惚気かもしれない。贅沢な悩みだとも思う。
ヒロくんは無神経だけど優しいから、おれを傷つけないようにしてくれているのかもしれない。おれが怒ったり拗ねたりすると、すぐタッツン先輩とかに『藍良を傷つけてしまったかもしれない!』って相談するし。大げさなんだよォ、大した事じゃないときすっごく恥ずかしいし。
色々説明していたらついでに愚痴もぽろぽろでてきた。おれのそんなどうでもいい話を黙って聞いてくれていた巴先輩は、少し考えてから言う。
「確かにジュンくんは今更ぼくに何を言われてもへそ曲げたりしないし、ぼくも遠慮なんかしないね。藍良くんは、一彩くんとそうなりたいってこと?」
「簡単に言うと、そうです」
人に面と向かって言葉にされると恥ずかしい。今、誰か帰ってきたらどうしよう。巴先輩はお皿に乗ったキッシュの一切れを、フォークで丁寧に一口分をとって食べた。
「ぼくを羨む気持ちは分かるけどね、愛のカタチは人それぞれだからね。一彩くんには一彩くんの愛情表現があるから。そのあり方で他人を羨ましがるのは、ちょっと違うね」
「そう、ですよね」
さすが巴先輩。おれ自身が、言って欲しかったんだって後から気づくような言葉を次々にくれる。自己中心的で、愛されたがり。この矛盾した性格が矛盾じゃなくなるのは、巴先輩だからこそだと思う。おれが我儘放題したら、嫌われるだけだと思うから。
「まあでも、喧嘩してるわけでもないのにすれ違っちゃってるのは可哀想だね」
愛は正しく伝わらないとね。そう言って巴先輩がおれにもキッシュを勧めてくれる。おれはありがとうございますと言ってから、一口だけ食べた。サーモンの優しい味と塩気がバランスよく口の中で混ざりあう。美味しい。
「君はこのこと、ちゃんと一彩くんと話したの?」
「えっと……甘やかさなくていいとか、世話焼かなくていいってことは、たまに」
話すというか、文句みたいに言ってるだけだけど……。
「そうじゃないね。たまには叱って欲しいってちゃんと言うね」
「えっ」
「違うの? 顔にかいてあるね」
巴先輩のスミレのような瞳が、からかうようにおれの事を見た。その顔に重ねて、ヒロくんのことを思い浮かべる。
そこまでしなくていい、別にいい、言いたかっただけだから。自分の最近の言葉を思い出しても、ちゃんと伝えているとは言い難い。
「言葉にしないのに相手に分かってもらおうなんて。そんなの、そう簡単なことじゃないね」
言いたいことははっきり言うべし。巴先輩に言われると説得力がありすぎる。巴先輩は、おれなら九割呑み込んでしまいそうな言葉をずばずば口にする。最初は驚いたけれど、今ではそれも見ていて気持ちがいい。ファンとしてアイドル・巴日和を追いかけていた時とは違う一面が見れて、おれは前よりももっとこの先輩に憧れた。
いつの間にか先輩のキッシュは半分以上なくなっていた。おれより先輩のほうが喋ってるのに。そんなに大好きなものを、おれにも一切れ分けてくれたのがとても嬉しいと思った。
「あ、でも、ぼくは別にジュンくんに怒られたいわけでもないし、怒られて嬉しいわけでもないからね。そこは勘違いしないでね?」
「あはは、分かりました」
でも巴先輩、漣先輩と言い合ってるときちょっと楽しそうだけどなァ。わざと漣先輩を怒らせているようにも見える。それでいて、漣先輩も楽しそうだし。ああ、やっぱりいいなァ。
「思ってることを、きちんと話すのが確実だね。君たちはまだまだ幼いけど、頭は悪くないみたいだからね」
「ありがとうございます。ちゃんと、ヒロくんと話してみます」
ちょっと考えれば分かること、当たり前のことだった。でも、巴先輩がはっきりと、堂々と肯定してくれるから自信もついたような気がする。
多分、ヒロくんも本来こんな感じなんだ。おれのことを大事に認めて、肯定してくれる。ヒロくんにたくさんの自信をもらっていた気がする。それを、上手に受け取れていなかった。
巴先輩はキッシュを食べ終わると、おれが食べ終わるのを待ってから、お部屋に戻った。相談とキッシュのお礼には全然足りないけれど、おれは食器の片付けを申し出た。
今度巴先輩に、おれの大好きなお菓子を贈ろうとおもう。
*
おれは巴先輩と話したあと一度部屋に戻り、顔を洗ったり部屋着に着替えたりして気分転換をした。おれのスマホには、ヒロくんからの「今から寮に帰るよ」のメッセージが来たばかりだった。お仕事上手くいったかな、そう考えながらおれはリップクリームを塗りなおした。
寮のロビーに迎えに行こうと廊下に出る。階段を降りたところで、丁度自室に向かおうとしているヒロくんと鉢合わせた。目が合った瞬間どきりとする。ぱっと明るくなる表情を見せてくれた。撮影の時にセットしたのか前髪が分けられておでこが見える。ヒロくんの整った顔がいつもよりよく見えてドキッとした。
「あ、ヒロくんお帰り……」
「ただいま藍良」
「お仕事どうだった?」
「大丈夫だったよ。インタビューは少し長引いてしまったけれど、上手く答えられたと思う」
おれは目線だけを動かして周囲を確認して、ヒロくんの側に駆け寄って、階段のほうへ誘導するように袖を引っ張った。廊下からは死角、だけど近くに来られたら丸見えの場所。こんなところじゃ全然隠れられないけど、ヒロくんを誘うには丁度いい。
「ど、どうしたの藍良」
驚いているヒロくんの言葉には答えないで、そのまま抱き着いた。汗と香水とワックスの匂い。お仕事してる時の、ヒロくんの匂いだ。
「……ねェ、ヒロくんとお話がしたいから、二人きりになれる所に連れて行って」
初っ端から巴先輩のようにはいかなかった。予定では「今から二人きりにして」と強引に言ってみるつもりだったのに、ヒロくんの顔を見たら甘ったるい感情が心臓から込み上げてきて、そのまま声になって絞り出されてしまった。
「あ、藍良。な、何かあったの?」
ヒロくんが慌ててる。その顔が見れないのは残念だけど、おれはぎゅうっと身体を押し付けるようにして抱き着いた。
「何でもいいでしょォ……連れてって」
早くして。誰かに見られたら恥ずかしい。
星奏館の館内に、二人きりになれる場所なんてそうそう無い。同室の先輩たちが出かけていれば可能性はあるけれど、今日はその確認はしていないし。
「分かった。何とか探してみよう」
ヒロくんはおれの手を引いて、どこかへ連れて行こうとしてくれた。けどおれはその場から動かず、二人の腕がぴんと伸びる。あれ、と振り返るヒロくんに、わざと拗ねた声でお願いした。
「抱っこして、連れてって」
これにはさすがに面食らったみたいで、ヒロくんが目を見開いた。顔がちょっと赤くなった。かわいい。
「本当にどうしたの? どこか悪いのかい?」
「ううん」
「何か嫌なことでもあった?」
「ううん」
子どもみたいな態度にしかならないけれど、ヒロくんには多分効いている。ヒロくんが周りを気にするような視線を泳がせた後、おれと目を合わせた。
「藍良、いいんだね」
こくりと頷くと、ヒロくんはおれの肩と膝に両手をかけて抱き上げてくれた。時間はもう夜が近くて、帰って来ているアイドルも沢山いる。だからおれは前髪で顔を隠して、ヒロくんの肩にもたれた。誰かに見られても、寝ちゃったとか、体調が悪いのかもとか、勝手に勘違いしてくれますように。
俯いていたから周りは見えなかったけれど、ヒロくんがいくつか階段を上がって、風の吹く場所へ出たのが分かった。思わず顔を上げる。星奏館の屋上にある庭園だった。人影が見えたので慌ててもう一度俯く。絶対いろんな人に見られているけれど、誰かと目が合ったら恥ずかしくてどうにかなりそうだ。
「白鳥くん、どうかしたんですか」
知ってる声がしてぎくっと身体が一瞬震えた。紫之先輩の声だ。ああそうか、花壇にお水を上げていたのかな。
「それが、僕にもまだ話してくれなくて。その、この場所をしばらく貸してもらえないだろうか」
確かここには花壇とベンチがある。天気のいい日にはここで発声練習や台本読みをしているアイドルもいる。俯いているから分からないけど、この感じ紫之先輩しかいないみたいだ。
「いいですよ。といっても、ここはガーデニアが管理しているだけで、皆さんが自由に使っても良い所です。でも、何か事情があるみたいなので、人払いをしておきますね」
「ありがとう。恩に着るよ」
ヒロくんがお礼を言うと、おれを運ぶヒロくん便が再び移動する。同時に、紫之先輩がどこかへ駆けて行く足音が遠ざかった。うう……紫之先輩すみません。っていうか、ヒロくんも気の利いたところ選んでくれちゃって。
「藍良、顔を上げて」
おろすよ、と言ってヒロくんはおれのことをベンチに座らせてくれた。顔を上げると、ガーデニアの皆が世話をしている花たちが、夕陽を浴びてキラキラ輝いているのが見えた。先ほど水をあげたばっかりなんだろう。
「藍良、どうしたんだい? なんだか様子がおかしいよ」
ベンチに座らせたおれの向かいに、ヒロくんがしゃがむ。顔を覗き込まれると、かぁっと顔が熱くなった。
「顔を見ながらだと恥ずかしいから、隣に座ってくれる?」
そう言うと、ヒロくんはおれの横に座ってくれた。本当、とりあえず言うこと聞いてくれるよね。肩に頭を乗せてみたら、抱き寄せてくれた。今日はとことん甘えてやる。そう思って腕を絡めた。
「どう思った?」
「え?」
「おれが急に、抱っこして連れてってって、言ったこと」
どう話を切り出していいか分からなかったから、おれはすぐに本題に入った。おれが頭を乗せているヒロくんの肩の力が抜けるのが分かる。
「やっぱり、僕は何かを試されていたのかな?」
気づいていたか。まあ気づくよねえ。様子がおかしいと思われているって、自分でも分かるし。
「どこまでやったら、ヒロくんが困るかなって思ったの」
「困ったよ。でも、かわいらしいとも思った」
ヒロくんの手が、おれの髪を撫でてくれた。そのまま頬に触れられたから顔を上げる。目が合った。
「ちょっとくらい、むかつくとか思わないの?」
「思わないよ。だって藍良からは、僕への愛情も感じるからね」
キスして、と声に出さずに唇だけでねだったら、ヒロくんが気づいてくれて、そのまま唇が重なった。安心する。ヒロくんの体温が唇を伝っておれに流れて来る。塗ったばかりのリップクリームを、ヒロくんに押し付けるようにキスを返した。
「何でヒロくんは、こんなにもおれのこと、世話焼いてくれるの?」
「世話なんて……。僕はただ、藍良が……きみがしたいと思うこと、して欲しいことを何でもしてあげたいって、叶えてあげたいって思うから。それ以外には何も」
ヒロくんはどうして、そんなにおれの事大好きなの? それは恥ずかしくて聞けなかった。聞いたところでおれが恥ずかしくなるだけに決まってる。別にヒロくんの気持ちはこれっぽっちも疑ってない。
「どうして、今日はいつもより強引なんだい? 何を確かめたかったの?」
ヒロくんが子どもをあやすみたいにおれの背中をとんとんと叩いた。この扱いが今は不思議と嫌じゃない。おれはヒロくんの膝の上で、ヒロくんの片手を捕まえて、おれの指を絡めた。
「ちょっとだけ不安になったの。……ヒロくん、おれのこと全然否定しないし、怒らないから。本当は嫌なことも我慢させてるんじゃないかって」
背中を軽く叩いていたヒロくんの手が、ぎゅっとおれを抱き寄せてくれた。ヒロくんのその行動に嘘なんてひとつも無い。おれは何を勝手に不安になっていたんだろう。
「嫌だったらちゃんと言って欲しいし、やりすぎだなって思ったら怒って欲しい。だからヒロくんを困らせてみたかったの」
おれを傷つけないように気遣ってくれるのは嬉しい。でも、そのために言いたいことを呑み込まないで欲しい。ヒロくんは優しいから、きっとおれよりずっと我慢してるし、おれを最優先してくれる。それじゃあ絶対ダメ。対等じゃない。
ヒロくんがどんな顔をしているのか気になって、おれは顔を上げた。困らせたかな、と思って見上げたヒロくんは笑っていた。大切なものの形を確かめるみたいに、また頬を撫でられる。
「藍良、僕にだって嫌なことはあるし、正しくないと思うことはあるよ。君が言うことが間違っていると思ったら、僕もちゃんと言うつもりだ」
「うん」
「でも僕は、藍良に頼られるのが嬉しいから、これからも君の我儘を、我儘と思わずに聞いてしまうと思うよ」
ふふ、と思わず笑った。笑っていると頬に触れるヒロくんの指がくすぐったい。
「それじゃあ同じじゃん」
「だって藍良が教えてくれたんだよ『嫌い嫌いも好きのうち』とね。君が僕のことを大好きだって言ってくれたから、僕は君に何をされたって愛おしく思うよ」
ずるい。どうしてそう、恥ずかしいことをスラスラ言えるの。鈍感なくせに、どうして肝心な時はすぐにおれの不安を拭ってくれるの。
本当にずるい。対等でいるためにはヒロくんがくれるものが大きすぎる。おれが同じだけ返すには、何をしたらいいんだろう。
「……それじゃあ、ヒロくんもおれに我儘言って」
「それは、どういうことかな」
おれはヒロくんの分けられた前髪の間にある、ヒロくんのおでこに触れた。ふふ、いつも見えないところが見えているのはレアだよねェ。
「おればっかり我儘きいてもらうんじゃ不公平でしょ。ヒロくんも、おれとしたいこと、おれにしてほしいこと、言って。嫌だったらちゃんというし、怒るから。それで勉強して」
ヒロくんに構って欲しい。でも、ヒロくんにばっかり負担をかけるのは嫌。ヒロくんがいつも立ち止まってくれるのは嫌。おれが足を引っ張ってるみたいだから。
おれも、ヒロくんに甘えられたい。ヒロくんの、支えになりたいから。それが今返せる精一杯だと思う。
「じゃあ早速ひとつ、いいかい?」
「なァに? ……んっ」
目が合うや否や、また唇が重なった。強く抱きしめられ、また体温を分けられる。口をふさがれていたら文句も言えないし怒れない。ああ、そういえばヒロくんはいつもこんな感じで強引だっけ。おれが気にしすぎていただけで、お互い様だったのかもしれない。
まあ、怒る気なんてさらさら無いんだけど。おれのことを構いすぎるヒロくんも、きっとこんな気持ちなんだろう。
まだちょっと歪だけど、これが今のおれたちの愛のカタチなのかもしれない。
おわり