【ログ】Pixiv短編ログ(全年齢)

かわいいのカタチ


 ストローから吸い上げる甘酸っぱいみかんジュースの中に果肉のかけらを見つけて、おれは幸せな気持ちになった。美味しい。果物本来の甘さだから、これは甘いものを食べた罪にはならないはずだ。こく、っとなるべく静かに飲み込んで、隣に座っているヒロくんの横顔をちらっと見る。星奏館の共用の談話室の、窓に向かって設置してあるカウンターテーブルに並んで座るのが、最近のおれたちのお気に入りだ。テーブルを挟んで向かい合うより距離が近いし、相手の横顔を盗み見る時間も悪くない。おれは長いまつ毛をぱちぱちと興味津々に動かしているヒロくんの視線の先を追う。ヒロくんが見ているのは、おれが貸した芸能関係の情報誌。
 おれとヒロくんは、お互いに口実を作ってこうして共有ルームで会っている。おれはヒロくんに最新の芸能雑誌やライブDVDを見せてあげることを口実に、ヒロくんは同室の椎名先輩や葵ひなた先輩に教えてもらった料理やお菓子をおすそ分けすることを口実に。
 付き合ってるんだから、会う理由なんて「会いたい」だけでいいのに、遠慮とか照れとか、なんかそういうのが色々あって、何となく理由を用意してしまう。
「ねえ藍良、これはどういう意味なのかな」
 ヒロくんが持っている雑誌がこちらにスライドしてきた。こっそり見ていた横顔がこちらを向いて目が合う。顔が近くなって、おれは思わずヒロくんと反対側へ頭を引いた。
「ど、どれのことォ?」
 誌面を見るためには頭をもとの位置よりも、少しヒロくんに近づけないといけない。おれはちらと共有ルームの様子を振り返る。皆それぞれ自分の用事に夢中でこちらの様子なんて気にしていない。おれは気を取り直してヒロくんの手元を見た。
 ヒロくんの質問は大体がカタカナ用語や略語の意味を聞いてくるものだ。初めて見るアイドルや俳優については、シンプルに「この人物について藍良はどう思うか」なんて聞いてくることもある。そんなの、一言二言じゃ語りつくせないよねェ。それでも、ヒロくんは根気よく聞いてくれるから話しちゃう。
 アイドルだらけのESで、おれが人より自信がもてるものといえばアイドル知識だ。ヒロくんには勉強を教えてもらうことが増えて悔しいけど、この時だけはヒロくんの質問にすらすら答えられる自分に浸れる。
「ありがとう藍良! よく分かったよ」
「どういたしましてェ」
 ぱっと素直に笑うヒロくんに照らされたと思ったら、また真剣な横顔で雑誌を読むヒロくんに戻った。本当、コロコロ表情が変わるよねェ。

「ところでそれ、美味しいかい?」
 雑誌を一通り読み終えたヒロくんが、おれが少しずつ味わって飲んでいるジュースを指さす。
「うん。甘さが丁度いい」
「よかった」
 今日のヒロくんのおれに会う口実は、椎名先輩にもらったみかんで作ったジュース。椎名先輩は熟したみかんを、悪くなる前にとバイト先からたくさん持って帰ってきたらしい。昨日の夜は椎名先輩とひなた先輩と三人でみかんジュースを沢山作ったんだって。
「あ、藍良! 桃李くんが載っているよ」
 ヒロくんが雑誌の裏表紙に挟んであったビラをみつけて引っ張り出した。それは、おれがこの雑誌を買ったコンビニで手に入れた広告だ。
「かわいいよねェ。おれ、コンビニで見かけたらこのチョコ買っちゃうもん」
「藍良が最近よく食べている、木苺が描かれた箱のチョコレートかな?」
「そうそう」
 姫宮桃李先輩がイメージキャラクターを務めているのは、とあるお菓子メーカーから発売しているチョコレート。季節ごとに新しい味が出て、春夏秋冬違うテイストの姫宮先輩がCMに登場する。
 今放送中の、秋限定のラズベリーチョコのCMの姫宮先輩を見た時は、かわいすぎて思わずソファの上で飛び上がった。ピンクとブラウンを基調としたブラウスとベストを来て、まるで絵本の世界に迷い込んだようなかわいらしいラズベリーの森を背景に、チョコレートにキスをする先輩。最近はアイドルの出演するバラエティ番組を見ていたら頻繁にそのCMが流れる。何度も見ているのに、ついテレビを振り返ってしまうくらいにかわいい。
 サークルやお仕事で一緒になることが多い先輩だから、おれは遠慮を忘れて本人の前で大絶賛をしたのだ。また『ファン』になってると怒られたけれど、それでもかわいいのだから仕方がない。おれはアイドルであるのと同時に、アイドルのファンなんだから。

「仲良くお勉強してるのかと思ったら、ボクの広告なんて見てたの?」
 突然、おれたち二人以外の声が聞こえて驚く。聞き間違うはずがない。この声は姫宮桃李先輩の声だ。まるで見つめていた広告が喋ったように思えたけれどそんなはずはない。おれたちが振り返ると、「かわいい」をそのまま人の形にしたと言っても過言ではない存在がそこに立っていた。小さな体で仁王立ちをしている姫宮先輩の後ろには伏見弓弦先輩がにこやかに控えている。
「ふふ、そう言っておりますが、少し前からお二人が自分の広告を見ているからと、声をかけづらそうにしていたではないですか」
「うるさぁい! 弓弦は向こうで待っててって言ったのに」
 姫宮先輩が伏見先輩に抗議をしている様子を見ると、どうやら先輩は少し前からおれたちに声をかけようと待っていてくれたらしい。 
「僕らに何か用かい?」
「うん。白鳥に話があるんだけど」
 ヒロくんがおれの代わりに聞いてくれて、姫宮先輩が頷いた。おれに話? 姫宮先輩の手には、「提案書」と書かれた書類があった。



 次の日のレッスンにて。ダンスルームのピカピカの床で、おれは膝をかかえてうずくまっていた。ALKALOIDの皆が心配そうに一緒にしゃがみこんでくれている。
 おれは昨日、姫宮先輩に告げられた話が衝撃的すぎて、未だに状況を呑み込みきれていないのだ。
「姫宮先輩の次とか無理すぎる~」
 昨日、姫宮先輩はおれに仕事の話を持ってきた。その内容はなんとCMのオファーだったのだ。姫宮先輩が今度の冬までの一年、イメージキャラクターをつとめる予定のあの商品。おれが、あのチョコレートの次期イメージキャラクターなんて。姫宮先輩が出ているあのCMに、今度はおれが出るってことでしょ? 信じられない。
「あんなかわいい世界観、姫宮先輩にしか似合わないよォ」
「大丈夫! 藍良はかわいいよ!」
 頭の上で、ヒロくんが大きな声で励ましてくれる。でも、ヒロくんがおれのことを否定しないってことはとっくに分かっているから、ただ照れる以外に何も起こらない。
「うう~、ヒロくんの『大丈夫』は参考にならないのォ!」
「ど、どうしてだ藍良!」
「だってヒロくん……おれのこと何でも褒めてくれるもん……」
 今朝だって、出会いがしらに「藍良は今日もかわいいね」なんてノルマみたいに言ってきたし。ヒロくんにとっては、おれが何やったってかわいいんでしょ。どんなおれでもかわいいって言ってくれるんでしょ。金のしゃちほこを頭に乗せていたって、「個性的でかわいいね!」とか適当言うに決まってる。
 ヒロくんのその態度は、時々ムカつくけど実は嬉しい。でも、仕事の話ではぜんぜん参考にならない。
「褒めてくれるのもいいけど、本当にダメなところはダメって言ってほしいのォ」
 レッスン用の大きな鏡には、部屋の真ん中に集まって丸くなる四人が映っている。こんな広い部屋で何をしているんだおれたちは。
 おろおろしているヒロくんが視線で巽先輩とマヨイ先輩に助けを求めたのが気配で分かった。おれの頭の上にふわっと、タッツン先輩の手が乗る。
「心配せずとも、藍良さんはどこに出しても恥ずかしくない、自慢の子ですよ」
「そうですよぉ、藍良さんがCMに出たら、全パターン録画しましょうねぇ」
 二人の相変わらずの言動に安心する。安心してしまう。ALKALOIDの皆は、おれのことを絶対に否定しない。だからつい甘えてしまう。おれが泣き言を言えば、皆がなんて言うかはもう分かりきっているのに、確かめて安心することを繰り返している。
「藍良、桃李くんも、藍良の実力を認めてくれているから、自分の後任に推薦してくれたんだと思うよ」
「分かってる……でも、全然知らない人からもらう仕事より緊張するんだってば」
 一年かけて姫宮先輩が作り上げてきた世界観。その世界で、おれはちゃんと演じられるだろうか。

 姫宮先輩は、今度の冬の限定商品のためのCM撮影を行う際、次期イメージキャラクターの話をクライアントに聞いたそうだ。ESのアイドルから、姫宮先輩の推薦するアイドルはいないかと。
 そこでおれの名前を出してくれたんだから、ありがたいと思わなきゃ。本当は飛び上がりたいほど嬉しいんだけど、おれのこの性格のせいで緊張が先に来てしまう。
 姫宮先輩には覚悟を決めてくるから少し待ってほしいと言った。姫宮先輩の返事は「じゃあとりあえずオッケーってあんずには返事しておくから」だった。待ってくれるのはおれの覚悟だけで、仕事は問答無用で請けることになった。
 もともと、姫宮先輩の推薦なんだから断るつもりなんて無いんだけど。

 レッスン後、鞄の中のスマホを確認したら、姫宮先輩からメッセージが入っていた。サークルのメンバーのトークルームに「今夜、プリティ5の皆に集合してほしいんだけど」という文字を見つけて、絶対におれの話だと思った。



「急に集会なんてどうしたの? ぼくはそんなに暇じゃないんだけどね」
 そう言いながら、しっかりナイトハーブティーを全員分用意して美味しそうに香りを嗅いでいる巴日和先輩。その隣で、鳴上先輩がくすくすと笑っている。この二人が並ぶと美しさで眩しい。
「でもちゃあんと集まってくれるんだから、優しいわよねェ」
 星奏館の共有ルームの一番大きなテーブルに、五人向かい合って座った。皆夕飯もお風呂も済ませた時間帯で、共有ルームにはほとんど人がいない。
「当たり前だね。プリティ5の集会がぼく無しで行われるなんて有り得ないからね」
 おれは新参だし、忙しくてサークルに顔を出せない期間があったから詳しい経緯は知らないけれど、このサークルは巴先輩が仕切っているみたいだ。とくに決まったルールもないゆるいサークルだけれど、巴先輩は仕事でない限り必ず来てくれる。
「でも、今日の主役は日和さまじゃないからね?」
 姫宮先輩が、自分のハーブティーのカップに手のひらをあてながら言った。今回招集をかけたのは姫宮先輩なのだ。
「そう言えば議題があるんだったね。で、今日の悩めるプリティな子は誰かな? このぼくが聞いてあげなくもないね」
 巴先輩、鳴上先輩、姫宮先輩が一斉にこちらを見る。三人の視線を正面から浴びると干からびそう……。隣で心配そうに苦笑してくれている、影片みか先輩の眼差しの安心感がすごい。
「あうゥ……えっと……」
 おれは言葉に詰まって、姫宮先輩に視線で助けを求めた。この集会を開いた理由は知ってるけど、おれ何も用意してないよォ。目が合うと、姫宮先輩は少し頬を染めて嬉しそうに胸を張った。
「しょうがないなあ、ボクが代わりに説明してあげる!」
「ウフフ、桃ちゃん、先輩してるわねェ」
 まるで小さな子の成長を見守るお姉ちゃんのように、鳴上先輩が言った。
「からかわないでよ、仕事の話なんだからね」
 こほん、と咳払いをした姫宮先輩がおれの代わりに全部説明してくれた。
 姫宮先輩がもうすぐ契約期間を終える、お菓子メーカーの広告塔の後継におれを推薦してくれたこと。姫宮先輩の仕事を引き継ぐことに、おれが緊張しまくりなこと。そんなことを手短に説明してくれた。
 一通り話を聞いた鳴上先輩が、なるほどねという顔をしながら頬に手を当てる仕草をする。
「つまり藍良ちゃんは自信が無いのねェ」
「はいィ……その通りですゥ」
 さすが経験豊富な先輩。問題の本質をいち早く見抜いてくれた。そう、その通り。ただ単におれが怖気付いてるだけなのだ。
「自信ってのは努力の結果、成功を掴み取る経験から生まれるものなのよねえ。とにかくやってみないことには……」
 鳴上先輩は、こういう後輩のお悩み相談的なものに慣れているような感じがする。Knightsの運営のことで忙しい朱桜先輩や朔間凛月先輩のフォローに回ったり、二人の手が回らないところまで気を回したりしているらしいし、後輩の面倒も任されているのかも。
「そんなの、自分が一番! 自分がかわいいって思い込めばいいんだから簡単だね。実際ぼくはかわいいし、藍良くんだってかわいらしいね」
 人を褒めるときも自分を上げるのを忘れないのがさすが巴先輩。でも巴先輩にかわいいって言われちゃった。お世辞でも嬉しいなァ。
「ただ自分を褒めればいいってものじゃないのよ? 自分に褒められる心当たりがない時にそうしたって意味ないわァ」
 そこまで話してから鳴上先輩がひと口、ハーブティーを飲む。一瞬静かな時間が流れるけれど、次に鳴上先輩が何を言うのか、皆注目していた。メイクを落としても綺麗な肌。ハーブティーを飲む仕草まで様になっている。
「アタシもね、綺麗になりたくていーっぱい努力したわ。お化粧の勉強や練習もした。それである時、綺麗だねって言ってくれる人が現われて、ああ、アタシの努力が実ったんだって思ったの」
「あー、おれそれも分かるわぁ。気ィ遣って上手やねって言ってくれてるのって分かってまうもんな。自分そんなんやないのにーって」
 それまで黙って聞いていた影片みか先輩も話に加わる。ステージで完璧なパフォーマンスを難なくこなしているように見える影片先輩も、やっぱり見えないところでは地道な努力をしているんだ。
「お師さん全然褒めてくれへんけど、ちょっとでも上達したところはちゃんと見つけてくれるんよ」
「みかちゃんのモチベーションはやっぱり『お師さん』なのねェ」
 ここにいる全員がおれにとっての憧れの先輩。そして、ずっと追いかけてきたアイドル達だ。そのアイドルたちがファンの皆にパフォーマンスを見せるまでにしている裏の努力。ここで暮らし始めてから、おれはそれを思い知った。
「努力が結果に結びついた時、ああアタシやればできるんだわ! って自信になるの。ファンの皆が綺麗、かっこいいって言ってくれた時に、頑張ってきてよかったって思うわ」
「それは一理あるね。アイドル巴日和は、ファンの前に出て初めて完成するんだね。ファンの皆から賞賛や愛をもらうあの瞬間、アイドルは一番輝いているね」
 先輩たちでも、そんな風に考えるんだ。それが分かって、おれはほっと緊張が解けるのが分かった。アイドルはファンに楽しい時間を提供するのが仕事だけれど、そんなアイドルは誰だって、ファンの皆の声に支えられているんだ。
「あ……それはおれも分かります。ファンの皆にかわいい、かっこいいって言われると調子に乗っちゃう」
 ALKALOIDとして、アイドル白鳥藍良としてステージに立つ時、その時だけはおれは、おれのなかで一番の、最高のアイドルになれる。レッスン中の不安やステージに上がる前の緊張なんて全部吹っ飛んじゃう。ファンの皆がかわいい、かっこいいって言ってくれるから、おれは皆の求める、おれがなりたいアイドルになれているんだって実感できるんだ。
「うんうん。褒められた分だけ輝けるってことだよね。そのためには藍良くんもいーっぱい、お仕事を頑張るといいね」
「緊張することも大事だけど、失敗を怖がっちゃダメよォ」
 巴先輩と鳴上先輩の言葉が、おれの中にすっと入ってくるのを感じた。姫宮先輩は黙って二人の話を聞いている。先輩は、このためにこの集会を開いてくれたんだ。ちゃんと、おれなりに導いた言葉を伝えなきゃ。貴重な時間を使って、皆集まってくれているんだから。
「冷める前に飲まな、もったいないで」
 そんなおれの緊張を読み取ったのか、影片先輩がおれの目の前にある手つかずのハーブティを指差した。おれは言葉を探しながらそれを一口飲んだ。それは人肌よりもぬるくなってしまっていたけれど、とても美味しかった。飲み込んでほっとするのと同時に肩の力が抜けた。さすが寝る前に飲むようにブレンドされたらしいハーブティだ。心が落ち着く作用があるみたい。
 おれは顔を上げて、先輩たちの顔を順番に見た。そして最後に、姫宮先輩と目を合わせる。
「おれのことをかわいいって言ってくれるファンのみんなのためにも、おれ、頑張ってみます」
 姫宮先輩が笑ってくれた。姫宮先輩の期待に答えるためにも、こうして集まってくれたサークルの皆のためにも、もちろんファンのためにも。おれ、頑張らないと。

「あの先輩たちと一緒にいると、悩んで落ち込んでる時間がもったいないって思わない?」
 プリティ5の集会が終わった後、おれは先輩たちが退席するのを順番に見送った。最後まで残ってくれていた姫宮先輩と二人きりになる。
「確かにそうかも。なんかオーラにあてられるっていうか、皆と一緒にいるとおれも出来る気がしてきちゃうんですよねェ」
 ステージの向こうとこっち、テレビの向こうとこっち、そんな風に違う世界にいると思っていたアイドルたちと、おれは今同じ場所で仕事をしている。そう思うだけでも、力が湧いてくるような気がするんだ。
「そうそう。最初は気がするだけでいいんだよ。あとで身体が気持ちに追いつくからさ」
 姫宮先輩が、『創に教えてもらったんだよ』と言ってお茶を淹れなおしてくれた。二杯目のハーブティーは熱いうちに飲もう。
「ボク、アドバイスとか上手にできないからさ。今日は先輩たちにも集まってもらえてよかった」
「そんな事無いですよォ、姫宮先輩がいてくれたから助かったこと今までいっぱいありましたし」
 姫宮先輩はおれにとって先輩だけど、姫宮先輩にとっても、おれ以外の皆は先輩なんだよね。えへへ、そう思ったらちょっと親近感。姫宮先輩と、もっと色々お話してみたいな。
「何度も言うけど、ほんと白鳥って人のこと素直に尊敬するよね。だからボクも、誰かの憧れになれたんだって勘違いできるの」
「勘違いじゃないですってばァ」
「言ったでしょ。最初は『気がする』だけでいいんだって。それを目指して努力すれば、後で追いつくからさ」
 まるで星に恋するような目で、姫宮先輩は天井を見上げた。共有の談話室の照明が眩しいのか、目を細める表情が余計にそう見せる。
「白鳥が尊敬してくれるから、ボクは『先輩』になれた。憧れはね、輝ける秘訣なんだよ」
「姫宮先輩……」
「白鳥にもきっと居るでしょ。自分が最高、自分が一番って思わせてくれる人。勘違いさせてくれる人が」
 最高だと思える瞬間。姫宮先輩のその言葉を聞いたとき、おれの脳裏にライブ会場が広がった。沢山のファンにペンライト、歓声、縦横無尽に照らしまわるレーザーライト。振り返ればALKALOIDの皆がいて、すぐ側にはいつもヒロくんがいる。
 あの瞬間は確かに最高。何でもできる気がする。おれはライブの最中目が合ったときの、ヒロくんの笑顔を思い出した。汗びっしょりで顔を真っ赤にした、最高の笑顔。
 大好きなヒロくんと、タッツン先輩とマヨさんと一緒に、たくさんのファンに囲まれているあの時間だけは、誰にも負けない気がしてる。
「その人の世界では白鳥が一番かわいいんだから。ちゃんと魅せてあげなきゃ」
 それがアイドルの仕事でしょ、と言って姫宮先輩は自分のぶんのハーブティを飲み干した。
「せっかくボクが推薦するんだから、前向きに取り組んでよね」
「はい。前向きどころか、おれに任せろ!って言えるくらいになります!」
「その調子」
 かちゃ、と上品な音を小さく鳴らして、姫宮先輩のティーカップがソーサ―の上に乗った。
「あ、そうだ」
「はい」
 姫宮先輩が用事を思い出したように、小さな手のひらをぽんと合わせる。
「一彩が心配してたよ。『僕じゃ藍良を上手に励ませないから』って」
「な、なんで今アイツの名前が出るんですか」
 今ちょっとヒロくんのこと考えてたから思いっきり図星だった。おれは顔が赤くならないように、なるべく平静を装う。姫宮先輩は小さく肩を竦めて、ポケットから取り出したスマホを少し操作して、おれに画面を見せてくれた。
「ALKALOIDの皆に泣きついたんでしょ、白鳥。だからじゃないの?」
 姫宮先輩のかわいらしくデコられたスマートフォンの画面には、ヒロくんから姫宮先輩に送られたメッセージがあった。内容は『昨日桃李くんからあった仕事の話で、藍良が緊張してしまっている』とのことだった。送信時間はちょうどレッスンの休憩中だ。いつの間に送っていたんだろう。
「ああ……そういう、ことか。確かにおれ、ヒロくんに『ヒロくんの大丈夫は参考にならない』って言っちゃいました」
 ヒロくんがおれのことを、特別な意味で「かわいい」って言ってくれることを、姫宮先輩にもバレたのかと思って一瞬焦ってしまった。
「もー、仲間の言葉が一番効くんだからね。一番近くで見てくれてるんだから」
「そ、そうですよね」
 そういうことなら、その『仲間』に励ましてもらいに行こうかな。

 おれは姫宮先輩と一緒に、夜のお茶会に使った食器を片付けた後、ひとりでヒロくんの部屋を訪ねた。部屋には葵ひなた先輩しかいなくて、ヒロくんはトレーニングに出かけたと言われた。夕食を食べすぎたから長めに身体を動かしてくると言っていたらしい。
 おれはパーカーの上にコートを着て星奏館を出て、ESビルへと向かう。秋も深くなっているので夜は冷える。ヒロくんを驚かせようと思って、連絡をせずに向かうことにした。
 ESビル内にあるトレーニングルームをのぞくと、ヒロくんが黒のタンクトップ姿でストレッチをしていた。もう筋トレは終わったのかな、丁度いいタイミングで来たかも。寒い外と違って、このトレーニングルームは暑い。ここだけ季節が違うのかってくらい、ヒロくんは汗だくだし、薄着だ。見渡してみたけれど、他にトレーニングをしている人は誰もいない。
「藍良!」
 ヒロくんはおれが声をかける前におれに気づいた。人前で肌を出すのが苦手らしいヒロくんのタンクトップ姿は貴重だ。悔しいけど、かっこいい。汗臭いのは苦手だけど、ヒロくんの汗のにおいと、汗をかいたヒロくんのことは好き。わざわざ迎えに来るのは、こういうヒロくんを見たいからだもん。トレーニングルームが撮影禁止じゃなかったら、絶対写真に撮るのに。
「こんな時間にどうしたの? 今日は早めに帰ったはずだよね」
「いいでしょォ、ヒロくんに会いたくなったの」
 取り繕った理由なんてない、シンプルな「会いたい」を伝えるのはやっぱり照れくさい。笑ったヒロくんの顔も、ちょっと赤くなった気がした。
「どこか行きたいところはある?」
「ううん、もう時間も遅いし。一緒に星奏館に帰ろ」
「ふふ、分かったよ。シャワーを浴びるから待っていて」
 ヒロくんはトレーニングルームの備品を元の場所に戻し、明かりを消して扉を閉めた。今日はヒロくんが最後の利用者だったんだろう。おれはシャワールームの脱衣所のベンチで、ヒロくんが汗を流すシャワーの音を聞いていた。
 夏場はこのシャワールームも混むけれど、秋のこの時間に利用するのはトレーニングルームの常連くらいだ。皆寮が近くにあるから、わざわざ公共のシャワーは使わないよね。
 シャワーの音が止んで、一番奥のブースの扉が開く。扉からヒロくんの手が伸びて、タオル、肌着、シャツの順にカゴから持って行く。シャワーブースからヒロくんが出て来るときはしっかり肌着とシャツだけは身に着けている。ヒロくんのそれは大袈裟だけど、アイドルが簡単に肌を見せることにはおれも反対だし、徹底してガードの固いヒロくんの行動を見て、おれはよしよしと感心した。いくらシャワールーム内とはいえ、腰にタオルを一枚巻いただけで脱衣所を歩き回るアイドルは少数派だ。
 おれはヒロくんを洗面台の前に座らせて、ドライヤーをかけてあげた。二人きりの静かな脱衣所に風の音が響く。こうしてヒロくんの髪を乾かしてあげる時間が好き。だからロケで同じ部屋に泊まる時とか、チャンスがあればやってあげている。
 水に濡れてぺたっとしたヒロくんの癖っ毛が、ふわふわくるくると個性を取り戻していくのがかわいい。黒のインナーに映えるうなじとか、見ているとドキドキする。

 ヒロくんは髪をかわかし、一通りのスキンケアをして、服を着こむ。いつものヒロくんの秋冬仕様になったところで、ヒロくんはおれの目の前に手を差し出してきた。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん。でもその前に少しだけ……隣座って」
 おれはヒロくんの手を握り返したけれど、立ち上がらずに自分が座っているラタンのベンチへとヒロくんを誘った。
 本当は帰り道、歩きながら話そうと思っていたんだけど、たまたま今二人きりになれているからいいよね。
「やっぱりどうかしたの?」
 さっきは『会いたかった』なんてシンプルな告白をしたけれど、本当は下心がある。おれは膝の上で、ヒロくんの大きな手をぎゅっと握りなおした。
「姫宮先輩に、おれのこと話したでしょ」
「うん。……余計なことだったかな」
「ううん、嬉しかった。だから姫宮先輩のアドバイスを受けて、ヒロくんにお願いがあります」
「ふふ、何かな」
 おれはヒロくんの湯上りの体温を感じながら、肩を寄せて甘えた。ヒロくんにこうして触れるの久しぶりだからドキドキしてきた。
「かわいいって、いっぱい言って欲しいの」
「え?」
「CMのお仕事に自信を持って行けるように。ヒロくんがいっぱいかわいいって言ってくれたら、かわいくなれるから」
「い、いいけど……でも藍良、僕のは参考にならないって言っていたよね」
「う、うん……だって、ヒロくん何でも肯定するんだもん」
 本当は、仕事をいっぱい頑張った結果ファンに喜んでもらえるのが順番として正しい。ヒロくんに甘やかしてもらおうなんて、ずるいのは分かってる。でもいいよね、ヒロくんもおれのことを、かわいくしてくれる一人だし。
「僕には、きみに欠点があるようには見えないんだよ。少なくとも、アイドルとしてのきみにはね」
「じゃあそれ以外にはあるのォ?」
「うーん、そうだな……時々言葉に配慮が足りないところとかかな」
「ええー」
 思っていること、考えていることがついつい口に出ちゃうのは認めるけど。配慮が足りないかぁ、素直って言って欲しいよね。
「でも、僕にはそれすらもかわいく思えてしまうから。いけないね、僕はアイドルとしても、きみの仕事の役に立ちたいのに」
 ヒロくんの手が、おれの頭を撫でてくれた。ヒロくんの肩から顔を上げると、優しい目がおれを見ていた。
「……かわいいよ、藍良」
「ほんっと、ヒロくんといると勘違いしちゃう……」
 ヒロくんが甘やかしてくれるから、かわいいって言ってくれるから、おれはまるでお姫様にでもなったような気分になる。ヒロくんと一緒なら、ヒロくんが見ていてくれるなら何でも出来る気がするんだ。
「でも、今は勘違いでもいいからそれが必要なの」
 おれは、おれを見つめるヒロくんの頬に両手で触れた。化粧水をつけたばっかりだからお肌がすべすべだ。ヒロくんがおれのことを抱きしめてくれた。シャワールームは暖房が利いているからちょっと暑い。
「頑張るために充電が必要なの。……だからね、いつもみたいに甘やかして」
 どうしよう、体温が上がってきた。たまたま二人きりになれたからって、ここを選んだのはまずかったかな。
「勘違いじゃないよ。藍良はかわいい」
「んっ……」
 見つめられて、ちゃっかりキスをされた。期待してなかったわけじゃないけど、場所が場所なだけに身体が強張ってしまう。
 軽く舌を絡められたと思ったら、ちゅっと唇を啄まれた。そのまま、頬や額、まぶたにもキスをされた。
「瞳も、髪も、声も、全部かわいい」
 ヒロくんがおれのパーカーのファスナーを降ろして、喉のあたりにキスをしてきた。ぞくぞくと肌に痺れるような刺激が走る。
「あっ……」
 だめ、声が出ちゃう。ヒロくんがおれの胸元に俯いたとき、視界にシャワールームの天井が入って我に返る。思わず肩を押し返すと、楽しそうなヒロくんと目が合った。あー、スイッチ入っちゃったかも。おれを甘やかす口実を手に入れたヒロくんは、ちょっとやそっとじゃ満足してくれない。
 こんなところで、どこまでやっちゃうつもりなの……。
「僕の前でこうして、赤くなる藍良もかわいいよ」
「……こんな顔、ファンの皆には見せられないもん」
「そうだね。これは僕だけの藍良だ」
 ヒロくんの唇が耳にあたってくすぐったい。耳元で「かわいい」を連呼されると気がおかしくなりそう。
 仕事を頑張るためにヒロくんに励ましてもらおうと思ったのに、全然違う展開になってしまった。






 それから数週間後、ついにおれが新しいCMを撮影する日がきた。次の春から一年間、おれがその商品のイメージキャラクターになる。CM撮影が季節ごとに計四回。雑誌に載せるための広告やビラに使われる写真も何枚か撮るらしい。
 おれはソロの仕事に行く前は、ヒロくんに充電を頼むことにした。誰もいないところで数十秒だけ、ヒロくんにぎゅっと抱きしめてもらって「藍良はかわいいよ」って言ってもらう儀式のようなもの。気合入るし、ヒロくんといちゃいちゃできるし一石二鳥。
 おれのことを全部肯定してくれるヒロくんの存在は、やっぱり大きいなって思った。


 そしてさらに数か月後、おれがCMに起用されたチョコレートが発売された。おれはコンビニにこそこそとそのチョコレートを買いに行き、星奏館のシアタールームへと向かう。今日はALKALOIDの皆とライブDVD鑑賞会をするついでに、おれの出ているCMを見せて感想をもらおうと思っている。
 すでにCMは昨日から放送されているし、おれも完成したCMは見せてもらっている。でもALKALOIDの皆には、おれが鑑賞会を開くまでは観ないようにお願いしておいた。もともとテレビを観る時間も習慣も無い人たちだから、ちゃんと約束を守ってくれているだろう。初見の、取り繕わない素直な褒め言葉が欲しい。皆は絶対褒めてくれるし、ヒロくんはきっと大袈裟にかわいいって言ってくれる。反省や改善点はCMが完成した時にプロデューサーと確認したし自分が一番よく分かってる。
 だから今日は、いっぱい褒めてもらって、次への自信につなげたい。

 星奏館のロビーに入り、おれは自分が借りる予定のシアタールームのカギが既に持ち出されているのを見つけた。もう皆集まっておれを待ってくれているんだろう。

『いちごって、甘いだけじゃないんだよォ』

 ふと、おれは聞き覚えがありすぎる声とフレーズに思わず立ち止まった。振り返ると、共有スペースにあるテレビでおれの出演したCMが流れていた。
 テレビの前に座っているのは、姫宮桃李先輩と紫之創先輩、それから春川宙先輩だった。

『甘~いいちごと、ビターチョコレートがとろけて響き合う』

 アンティークなセットのテーブルに頬杖をついて、こちらにむかって微笑む白鳥藍良の姿に、おれは心臓のあたりから頭のてっぺんまで、一気にぶわっと熱くなるのを感じた。

『今度のいちごはちょっとビター』

「ぎゃあああ」
 CMの締めにキャッチコピーと共にいちごにキスをするおれ。恥ずかしすぎて、テレビの前に躍り出てしまった。
「ひっ! な、何!?」
 姫宮先輩が悲鳴を上げる。おれの声と先輩の声は思ったよりも共有ルーム内に響いてしまって、視線を集めてしまった。
「なんで三人でおれのCMの鑑賞会してるんですかァ!?」
「ち、違うって白鳥! 三人集まってるのも、CMが流れたのもたまたま!」
 姫宮先輩が小さな両手を顔の前でぶんぶんと振る。
「宙もいま来たところです!」
 春川先輩がソファの上で膝を抱えて座り、にこにこしながらそう言った。どうやらBrancoのメンバーが勢ぞろいしちゃったのもたまたまらしい。
「えへへ、でも実はぼく、さっきお店で見つけて買ってきちゃいました。今のCMのチョコ」
 紫之先輩がハンドバッグの中からチョコレートの箱を取り出す。初回出荷分限定の、おれの顔写真入りのパッケージが堂々と掲げられた。
「えええ待って待って紫之先輩! 恥ずかしいよォ」
「何言ってんの白鳥。良かったよ、CM」
 おれはその場でうずくまり、両手で顔を覆うしかない。けれど、姫宮先輩がすかさずフォローを入れてくれたので、指の間から三人の様子を窺った。
「ほ、ほんとですかァ?」
「うん。白鳥を推薦してよかったって思ったよ」
 姫宮先輩が手を差し出してくれる。おれはその手を握り返して立ち上がった。

「良かったら皆で食べましょう?」
 紫之先輩が丁寧にパッケージを開けてチョコレートをローテーブルの上に置いた。紫之先輩が用意したらしいティーセットと並ぶのがなんだか誇らしい。
 ひとつ口に放り込んだ春川先輩が、幸せそうに両手で頬を包んだ。
「いちごとチョコがとろけて響き合うな~」
「や、やめてよォ春川先輩……!」
 CMの謳い文句をそのまま真似されて、おれは顔が熱くなるのを感じる。アイドルなんだからこれくらいでいちいち恥ずかしがってられないんだけど、ソロのCMの仕事なんて初めてだから色々と心が追いつかない。
 けれど、素直に嬉しいと感じるのと同時に安心した。姫宮先輩にも、同じくらい尊敬している紫之先輩と春川先輩にも喜んでもらえた。ひとまずこの仕事は大成功っていってもいいのかもしれない。

 三人から思いがけない賞賛をもらったおれは、ALKALOIDの皆が待つシアタールームへの足取りも自然と軽くなった。今なら自信をもって発表できる。これが白鳥藍良渾身の『かわいい』だって!

 おれは仲間たちが待つ部屋の扉を、思いっきり開いた。




おわり
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