【本編】今夜もウサギの夢をみる

 藍良の好きなアイドルを教えてもらってから、藍良と話す時の話題も増えた。昨日の歌番組は見たかとか、今度何が発売するだとか、藍良から連絡してくれることも増えた。
 僕は、藍良から共有される情報は欠かさずチェックして勉強した。塾の生徒の中にも同じアイドルを好きな子がいて、それをきっかけに僕に懐いてくれることもあった。
 藍良の「推し」を知るために見始めたエンタメ情報番組。そのついでに仕入れる様々な情報が、意外なところで誰かとの話題づくりに役立つことがあった。
 大学やバイト先での交流が少し深いものになって、アイドルとは、エンターテイメントとはすごいなと思った。
 そうして外から仕入れた情報や話題のおかげで、店での話題にも事欠かなくなった。藍良が楽しそうに聞いてくれている時の表情を見るたび、大好きな趣味を共有してもらえたことを喜ばしく思う。

「いらっしゃいませ、一彩様」
 今日は店の入り口に、水色の髪の背の高いウサギが立っていた。藍良が着ているかわいらしいデザインのものとは違う、すらりとした燕尾服のようなデザインの衣装。この店ではキャストそれぞれに似合う衣装をあてがわれているのだなと、今更ながら感心した。それと同時に、自分がいかに藍良のことしか見ていなかったのかを自覚して気恥ずかしくなる。
「こんばんは。いつも兄さんがお世話に……」
「いえいえ。お兄様に通っていただいているのはこちらのほうです。それに、今はお兄様よりもあなたのほうが常連さんですよ」
 僕は苦笑いと照れが混ざったような変な笑い方をしてしまった。この店の他のキャストにも顔を覚えられているようで、店内ですれ違うと「『あいら』くんのお客様ですよね」と挨拶をされる。
「『あいら』は今、前の予約のお客様が少し押していて遅れますので、『ひめる』に案内させて下さい」
 さあこちらへ、と優美な仕草で店内へと誘う『ひめる』さん。「ヒロくんいらっしゃい!」とフリルのついたしっぽを揺らしながら僕の手を引く藍良とは、ずいぶん雰囲気の違う接客だなと思った。

 席に案内され、10分ほど待って藍良が現れた。最近は私服姿も見慣れたけれど、お店の衣装の姿は藍良の「かわいい」が強調されていい。フリルたっぷりの黒いミニドレスをふわりと翻して、僕の隣に座る。
 出会った場所がここだから、私服姿のほうが特別に感じるけれど、本来はここでしか見られないウサギ姿の藍良が特別なんだと気づいた。初めて藍良を見た時のような心臓の高鳴りがまたぶり返す。
「ヒロくんごめんねェ、お待たせ。前のお客さんが延長するって言って、説得するのに手間取っちゃってェ」
 ヒロくんはラストだからゆっくりできるからね、と言って藍良が持ってきたレモンサワーを手渡してくれる。座る位置がずいぶん近くて、下手に動いたら触れてしまいそうだ。この店では客からの過度なスキンシップは禁止。どこからが「過度」になるのか分からないから、僕からは触れないように気を付けているのだけれど、最近は藍良のほうから遠慮なく触れてくるので気が気じゃない。
「藍良指名のお客さんが来ていたの?」
「うん。最近たくさん指名もらえるようになったんだよォ」
 藍良を指名して予約する際に、この日は空いているとかいないとか言われることが増えて、藍良に僕以外の常連客がついていることは何となく知っていた。
 けれどこうして実際に待たされてみて、他の客の存在を感じると心がざわつく。
「そ、そうなんだ……」
 下手な相槌しかできずに思わず目を逸らすと、藍良が嬉しそうに僕の視線を追いかけてくる。
「もしかして妬いてる?」
「そ、それは……当たり前だよ」
「大丈夫」
 藍良が僕の至近距離に顔を寄せて来て、手を添えて耳打ちする。
「シフト細かく教えたり、一緒に帰ったりするのはヒロくんだけだから」
 手のひらでこもった声と、耳をくすぐる吐息に僕の心臓は一気に跳ね上がってしまう。乾杯のために手に取ったグラスがやけに冷たく感じた。
「ヒロくん顔真っ赤。かわいい」
「か、からかわないで欲しいよ……」
 僕の心はとっくに、藍良に見透かされているんだろう。このお店の思うツボだって、藍良の手のひらの上だって、頭では解っているのに、心が判ってくれない。
 その日は藍良のシフトの時間いっぱいまで二時間ほど過ごした。僕は藍良の売上に貢献しようと、少し奮発して酒を注文する。いつもは僕の好きなレモンサワーばかりだから、藍良に好きな物を注文してもらった。藍良が選んだのはカシスオレンジ。「定番だよね。でも一番好きなんだァ」と言って藍良は笑っていた。赤から黄色への鮮やかなグラデーションが綺麗で、藍良と並ぶと絵になった。


 店を出た僕は、一番近くにあるコンビニに入る。ホットコーヒーをテイクアウトして店先で待つこと十数分。私服に着替えた藍良が来てくれた。
「またまたお待たせェ」
 お店が終わった後一緒に帰るのも、もう当たり前の習慣になっていた。
「待って藍良。藍良の分もコーヒーを買ってくるよ」
 僕は、まだ半分ほど残っているコーヒーを飲み干したいのと、少しでも藍良と一緒にいる時間を長くしたいという下心でそう提案した。
「え、いいよォ」
「でも」
「じゃあソレちょうだい」
「え、これ?」
 言うが否や、藍良は僕の手からコーヒーをひょいと取り上げると、僕が今の今まで飲んでいたそれを躊躇わずに一口飲んだ。両手で持ったそれを傾けて、藍良の喉がこくっと鳴る。ほっと息をついた藍良が、安心したように笑った。
「あったかくて美味しい~! はい、ありがと」
 返されたコーヒーカップを見て、藍良に視線を戻すと今度は悪戯っぽく口角を上げている。この表情は確信犯だ。僕はいちいち狼狽える自分が情けなくて、悔しくて、その場で残ったコーヒーをすべて飲み干した。

「じゃあ行こ、ヒロくん!」
 藍良が僕の手をとって、帰り道へと誘導する。空気が冷たくて寒いので藍良の手のひらの温度と柔らかさをより意識する。時刻はすでに23時を回っているから、今日は寄り道は無しでまっすぐ駅へと向かう。いつもなら物足りないと思うところだけれど、今夜はいっぱいいっぱいだった。
 常連の指名客が増えたという藍良の話が、ずっと頭に残っている。藍良は僕だけが特別だと言ってくれたけれど、あくまでそれは「客」としての話。僕がお店に通ってお金を払わなくなったらこの関係は終わり。
 藍良はきっと、僕がお客さんで居続けるように適度に相手をしてくれているだけ。藍良から手を握ってくれたり、触れてくれたりするからといって、僕の方から触れて良いことにはならない。
 帰り道、藍良が楽しそうに好きなアイドルの話をする。お店で話す時は僕の話したい事や聞きたいことを優先してくれるけれど、帰り道ではずっと藍良が喋っている。
 僕はにこにこと話している藍良の横顔を遠慮なく眺められるこの時間が好きだ。夜の街明かりが逆光になってもキラキラして見えるまつ毛も、ネオンに照らされて虹色に輝く瞳も全部が綺麗でかわいらしくて、僕はたびたび藍良が話している内容が頭に入ってこなくなっていた。
「はいこれ、あげる」
 駅での別れ際、藍良がバッグの中から1枚のCDを取り出した。受け取ってよく見ると、それは藍良が推しているアイドルグループのアルバムだった。確か最近発売したばかりの、ファーストアルバムというやつだった。


 帰宅してすぐ、僕は藍良にメッセージを送る。お互いに無事に家に着いたかの確認と、今日のお礼と、次の約束のためだ。
 今日は、帰り際にもらったアルバムについてのお礼を付け加える。アルバムという決して安くはないものをプレゼントしてくれたことに驚いたけれど、よくよく話を聞いてみたら、ライブのチケット購入権を得る抽選に応募するためのチケットというものが入っているらしく、そのために三枚購入したのだそうだ。
 応募できるのは1名義につき1回だそうなので、自分と母親と父親で3枚応募したのだと説明してくれた。つまり、藍良の家には同じアルバムがあと2枚あるということ。ようするに余っているものを僕にくれただけなのだが、それでも僕は嬉しかった。このアルバムを聴いて、藍良の大好きなもののことをよく知って、藍良に話したいと思ってもらえるような話し相手になろうと思う。
 藍良から「おれも家に着いた。今日もありがと。絶対アルバムの感想聞かせてね! いつでも連絡してね!」と返信が届く。いつでも連絡してね、という何気ない一言に素直に高揚する僕の心を、自分でも単純なやつだと思う。
 藍良からの返信を確認した手癖でSNSのアプリを開いて、藍良の投稿を確認する。藍良は夜中に、今日の仕事の感想やお礼を投稿していることが多いから、帰宅後や寝る前には必ずチェックしているのだ。

『今日もご指名ありがとォ! お客さんと色んなお話できるの楽しい。『あいら』の知らないこと、いっぱい教えてねェ!』

 店内で撮影された自撮りの写真。今日の衣装とともに客を喜ばせるようなコメントを添えて、たった今投稿されていた。僕はその投稿に迷わず「いいね」ボタンを押す。「いいね」されている数も、前に比べて随分増えているように見えた。人気が出るのは喜ばしいことだけれど、僕としては当然複雑だ。
 藍良の投稿にいくつか返信がついていたので、僕は流れでそれをチェックする。「今日もかわいかった」「今度指名しようかな」という短い投稿が連なるなか、長文の返信が目に留まる。

『『あいら』ちゃん、今日もとても楽しかったよ。カルーアミルク、美味しそうに、飲んでいたね。『あいら』ちゃんはミルクが好きなのかな? 今度また、指名するからね。就活の相談にも、乗るからね。それでは、オヤスミナサイ』

 僕は絵文字だらけのその返信を見て、思わず眉間に力を入れてしまう。ぞわぞわと背筋が冷える代わりに顔がかっと熱くなるような妙な感覚。僕はおそるおそるそのアカウントのアイコンをタップする。
 プロフィール画面には、海を背景に撮影された車の写真。自己紹介文には『美味い酒と美味い飯が好き。人間は食べたものでできている! 良いものを取り入れれば、良い自分になれるのです。趣味の合う人と繋がりたい40代の男(年齢より若く見られます)』という何とも言えない文章が綴られていた。
 画面をスクロールして、その男の投稿を見てみた。

『可愛かったなぁ。キミの笑顔に、癒されっぱなしだったよ』

『美味しい、カルーアミルクの情報を、仕入れないと。知り合いに、バー経営してるやついるから、聞いてみるか』

『次は、いつ会えるかな。お仕事、がんばれるね』

 読み進めるたびに背筋がざわつくので、僕は薄目で一通りスクロールして画面を閉じた。
 多分、僕の前に藍良のことを指名していたのはこの男だろう。随分年上のようだけれど、藍良はこういう人が好きなのだろうか。いや、店のキャストはお客さんの指名を断れない。変なお客さんに当たってしまったのかな。
 ……待て、そもそも僕が変なお客さんだと決めつけるのは良くないだろう。僕だって藍良に本当はどう思われているのか分からないのに。
 僕は溜め息をついた。今日は兄さんは帰って来ていなくて誰も居ないから、遠慮なく、もう一度深くため息をついた。風呂に入ってさっさと寝てしまおう。
 藍良にもらったアルバムを聴きながら、今まで藍良と一緒に撮った写真を眺めながら。

 藍良はカシスオレンジが一番好きだと言っていた。
 本当のことを教えてもらっているのは僕のほうだと、信じている。



つづく
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