【本編】今夜もウサギの夢をみる

 クリスマスも正月も、驚くほど何もなく過ぎた。
 冬期講習のバイトで忙しかったし、年末年始だからといって実家に帰る時間もなかった。
 少しだけ変わったのは、藍良がときどき僕と店の外で会ってくれるようになったこと。僕が来店した日に、藍良が早上がりだったらという条件つきだけれど、藍良がシフトを細かく教えてくれるようになったのでほぼ毎回、駅まで送らせてもらっている。
「いやお前、それはいいように使われてんなァ」
 ダイニングテーブルをビールの缶で叩きながら兄が言った。友人の部屋を渡り歩いている兄が珍しく僕らの部屋に帰って来ているので、僕は晩酌に付き合っていた。覚悟はしていたけれど、藍良とのことを色々聞かれた。
 最近、店に行くたびに藍良と一緒に駅まで歩いていて、バーやファミレスに寄ることがあると伝えると、兄は楽しそうな複雑そうな難しい表情で僕の話を聞いていた。
「それでも僕は楽しいよ」
「まァそうだろうさ。……光栄なことだな」
「え?」
「藍ちゃんにとってお前は『切れてほしくない客』になったわけだ。おめでとさん」
 兄は本当に、僕に釘を刺すのが上手い。あくまで僕は客で、藍良が好意的なのは店に通い続けて欲しいから。それを説教臭くなく伝えてくるから反論もできない。
「お前にできることは、店に通い続けて藍ちゃんの稼ぎになることだけだ」
 兄が置いたビールの缶がコン、と音を立てる。音で、それが空になったのが分かった。一本数百円のそれがゆっくりと並べられていく。
「……分かってる」
「まァでも、本気で落としたいならお兄ちゃん相談に乗ってやるから。……焦るなよ」
「そ、そういうわけじゃ……」
「じゃあどういうわけなんだ? お前は藍ちゃんに惚れてンだろ?」
「……」
 何も言い返せないけれど、この場合黙ることは肯定だ。僕は、藍良のことが好きだ。
 プシュッ、と新しい缶が開けられる。兄がそれをこちらに傾けるので、僕は空いたグラスでそれを受け取った。
「お兄ちゃんは弟くんを心配して言ってんだ」
「うん、ありがとう兄さん」
 半分ずつに分けたビールを飲んで、テーブルの上の空き缶は四本になった。
 兄さんは僕より先に寝て、僕より先に起きて部屋を出て行った。


 冬期講習のバイトが終わると同時に、僕の大学の冬期休業も終わる。僕は冬休み最後の日に、明日からの授業の準備をすることにした。大学三年ももう終盤だ。単位は足りているけれど、いくつか興味のある授業を履修している僕は、休み明け早々1コマ目から授業がある。
 今日出かける先は本屋だ。足りない文具を買い足すついでに教授に勧められた本と、空き時間の暇つぶし用の本を買おう。
 なんとなく、藍良のいる店のある方面へと向かっていた。まだ昼だから彼のいる店は開いていないのに、何となく足が向いてしまった。あのあたりは便利な店が多いし、藍良と待ち合わせる時に時間をつぶすようになった本屋もある。
 今度また帰り道を一緒に歩ける時のため、寄り道のレパートリーを増やしておきたい。時間があったら駅周辺を散策してみるのもいい。

 会えるわけが無いという思いと、会えたらいいなという思いをちょっとずつ燻らせながら、僕は本屋へと入る。大抵の本なら見つかりそうな広い店内に高い本棚。狭い通路を沢山の本を乗せたワゴンが通る。
 閉店間際とは違って店内は賑わっていて店員さんも活発に動いていた。だから僕は必要な参考書を探すのを店員さんに手伝ってもらった。店の中央にある検索機を使うのは少しだけ苦手なのだ。
 必要な本や欲しい本を腕の上に積んで、最近導入されてしまったセルフレジの列へと並ぶ。この後の計画を頭に巡らせながら、どれくらいで僕の順番が来るだろうかと前に並ぶ人たちをなんとなく数えた。
「あ……」
 その姿を見つけると同時に、僕の体温が上がった。鳥の子色の髪。後ろ姿で帽子を被っているけれどもすぐに分かった。
 鼓動が早くなる。あれは藍良だ、と思うのと同時に僕はレジの列を外れて出口のほうへと先回りした。
 会計を終えて、大事そうに本の入った袋を抱えて僕のいる出口へと向かってくる藍良。ポケットからスマホを取り出して目を伏せていた藍良は、僕が声をかけるとびくっと肩を飛び上がらせて顔を上げた。
「え、ヒロくん!?」
 もう呼ばれ慣れた渾名だけれど、藍良に名前を呼ばれるのはそのたびに嬉しい。まさか本当に会えるなんて。藍良の表情がぱっと明るくなって、ポケットにスマホをしまい直す。
「なんでここにいるのォ? 学校このへん?」
「ううん。君や兄さんと飲む時以外このあたりに来ないから、たまにはこの辺で買い物しようかと思って」
 嘘はついていないが、ひょっとして藍良に会えるかもという思いがあったことは言わないでおいた。
「大学で必要な本を買いに」
「うわァ、真面目ェ」
 くすくすと笑う藍良。かわいい。これが営業としての笑顔なのかそうでないのか分からないけれど、僕に笑ってくれているのだから、どちらでもいい。
「藍良は何を買ったの?」
「これ? 雑誌」
「そうなんだ」
 咄嗟に「何の雑誌?」と聞くのはしつこいだろうかという勘が働いて、僕は気の利かない返答をしてしまった。会話が途切れて、僕は少し焦る。店の出入口での立ち話の状態。何か言わないと、藍良が帰ってしまう。せっかく会えたのだから、どうにか話したい。
「ねえ藍良。良かったらこの後ご飯でもどうかな。ご馳走するよ」
「え? い、いいけど……」
 藍良は戸惑っている様子だったけれど、意外にも即答だった。
「ありがとう。じゃあこれ買ってくるから待っていて」
 僕は藍良に店の出口で待ってもらって、もう一度レジの列に並びなおした。


 思いがけず藍良に会えた嬉しさで、僕は頭の中で今日に関わるあらゆることに感謝した。今日塾のバイトが休みなことも、冬休み最終日で今日買い物をするしか無かったことも、わざわざ少し遠い駅まで足を伸ばしたことも、最初に本屋に入ったことも、全部だ。
 藍良に何を食べたいか聞いたら、少し考えた後にこう答えた。
「ファミレスでもいい?」
「もちろん。藍良の食べたいものを食べよう」
「今日は自分のぶんは自分で払う」
 藍良が少し強い口調でそう言った。いつもの僕ならここで食い下がって、意地でも奢らせてもらおうとしたかもしれないが、藍良はお店とは関係ないところで僕に借りを作りたくないのだろうと思い至ることができた。冷静に、思い上がらないように。兄に言われたことを頭の中で反芻する。
 藍良に予定にない出費をさせるのは申し訳なかったけれど、それでも僕との食事を受け入れてくれたのが嬉しかった。

 藍良が選んだのは、夜に二人で入ったこともあるファミリーレストラン。藍良は学校が終わってからお店に入るまでの時間、ここで腹ごしらえをしたり、大学の課題をしたりして過ごしているらしい。
 明るいファミリーレストランの店内。家族連れやカップル、高校生のグループなどが作り出す昼間の喧噪。日の光を感じられる時間と空間で藍良と向かい合っていることに、僕は内心で舞い上がっていた。
 料理を注文して、僕はドリンクバーで藍良の分も飲み物を注ぐ。藍良のリクエストはメロンソーダ。いつもは僕に合わせてレモンサワーやレモンスカッシュを飲んでくれているから、本当は何が好きなのかを知りたいと思った。メロンソーダ、好きなのかな。
 僕は自分のグラスにも同じものを注いだ。
「藍良の大学はこのあたりなの?」
「ううん。ここからだと結構遠い。大学から遠い店、選んだから」
 大学の人に店のことがバレないように、また店の常連に大学がバレないように、買い物はいつもこのあたりで済ませるらしい。賢明だ。当然だが、僕はそれ以上藍良の大学については聞かなかった。
 藍良が注文したカルボナーラと、僕が注文したオムライスが届く。「お好みでどうぞ」とケチャップのミニボトルが置かれたので、藍良が「おれにやらせて」とケチャップで何か描いてくれた。
「見て、ラブ~い!」
 そう言って藍良が見せてくれたのは、ケチャップでオムライスに描かれた眼鏡のイラストと「ヒロくん♡」の文字。僕の心が痺れたみたいに高鳴る。なんてことを。
「こ、こんなに上手に描いてもらったら、もったいなくて食べられないよ」
 はしゃいでいる藍良も、僕のことを描いてくれたことも、全部がかわいくてどうしたらいいか分からない。
「写真にでも撮ってさっさと食べなよォ」
 喜んでくれて嬉しいけどさ、と藍良が笑う。僕は鞄からスマホを取り出して、藍良が描いてくれたイラストをフレームに収める。
「藍良も一緒に撮っていいかな」
「写真は有料でーす」
「も、もちろん払うよ!」
「冗談だってば!」
 また、藍良が笑ってくれた。そうだ、藍良と僕はあくまでキャストとその客。こうしてプライベートで食事をしているからといって、特別な関係なんかじゃない。でもこの状況、浮かれるなというほうが無理じゃないか。
「しょうがないなァ、誰にも見せないでよね」
 呆れたように優しく笑って、藍良が僕のオムライスを両手で持ってこちらを見る。かわいらしく首をかしげて笑う藍良を、僕は自分のスマホのカメラに収めた。

 食事のあとはしばらく雑談をした。食べ終わってすぐに解散にならなくて少しほっとしていた。食事を共にすることを快諾してくれたこと、急かされないこと、用事が済んでも一緒にいてくれることなどから、迷惑がられてはいないことが分かって安心した。誘っておいてこう思うのは図々しいかもしれないのだけれど。
 店で色々な話をしているから、まだ話したことのない話題を探すのに苦労する。なるべく一緒にいたいから藍良を引き止める話題を探していると、藍良の席に立てかけてある本屋の袋が目に付いた。
「どんな雑誌を買ったのか聞いてもいい?」
「気になる?」
 2杯目にアップルジュースを選んだ藍良は、ストローから唇を離していたずらっぽく笑う。
「うん。君の好きな物のことなら知りたいな」
 僕が頷くと、藍良が雑誌の入った袋を持って僕の隣に移動する。思わず奥に詰める。藍良が触れそうな距離に肩を寄せて、雑誌を広げて見せてくれた。
 それはいわゆるエンタメ情報雑誌。テレビ番組や音楽、映画、タレントなどの特集が載っているものだ。僕にとっては馴染みのない分野のもので、表紙以外を見るのは初めてかもしれない。
「ヒロくんになら教えてもいいかなァ」
 雑誌をめくる藍良の手が、あるページで止まった。そこには僕たちと同じくらいの年齢の男子が4人、煌びやかな衣装を身に纏って大きく載っていた。「新曲がチャート1位に」「ライブツアー開催決定」など景気のいい言葉が並んでいる。
「おれの推しアイドル」
「アイドルって、テレビとかで歌ったり踊ったりしてる……」
「それ以外に何があるのォ?」
「いや、ごめん驚いてしまって。藍良に『推し』がいるのはなんとなく知っていたけど……彼らが好きなの?」
 藍良から今まで聞いた話を総合して、藍良が『推し活』のために時給の良いコンセプトバーで働いていることは掴んでいた。その『推し』が誰なのかようやく分かった。藍良のトークアプリのプロフィール欄の写真は、どこかのライブ会場で撮った写真なのだと今更気づく。
「そうそう! 歌もダンスも上手くて、カッコよくて、ほんとラブいの!」
 藍良が同じページを開いたまま饒舌に語る。彼らのこれまでの活躍、それぞれがどんな性格をしているか、好きな曲やエピソード、今日の夜の歌番組にも出演することなどなど。
 僕は途中から、雑誌の写真じゃなくて藍良の横顔を見ていた。好きな物について語る藍良はとても楽しそうで、きらきらしていた。本当に大好きなんだなあと、見せつけられた。
 藍良の大好きなものを教えてもらえた喜びと少しの嫉妬が心地よく襲ってくる。目と鼻の間が、つんと熱くなった。
「ねェ、聞いてる?」
「ご、ごめん!」
 途中から内容が頭に入ってきていない自覚はあったから、咄嗟に謝ってしまった。藍良の解説を受け取る能力が僕に足りていないのは事実だが、僕は藍良の話す内容よりもその姿に見惚れていた。
「君があまりにも楽しそうに話すから、つい……」
 その横顔を見つめてしまっていた。そこまでは言葉にできなかったけれど、視線で伝わってしまったらしい。
 藍良はかぁっと赤くなってそっぽを向いてしまった。その仕草もかわいいと思ってしまうのだから僕はどうしようもない。至近距離で目が合うと、藍良の瞳が輝いているのがより分かってしまうから。
「まァ、おれがオタクの早口で語っちゃったのも悪いけどォ」
「大好きなのは伝わったよ」
「そォ……?」
 藍良が少し恥ずかしそうにしている。沢山語ってしまった反動がきているのだろうか。普段は見られない藍良の表情が沢山見れて、今日はなんて良い日なんだろうと思う。
「藍良の好きな物、ずっと知りたかった。教えてくれてありがとう」
「そ、それならいいけどォ……」
 藍良が雑誌を持って向かいの席に戻る。すぐ隣にあった体温が離れてしまったのは少し残念だけれど、ボックス席の片側にくっついて座っていると目立つし、僕もソファの真ん中に座りなおした。
 藍良が何やら手早くスマホをいじって、直後に僕のスマホの通知が連続で数回鳴った。確認すると、それらは藍良から送られてきたアイドルの公式ホームページやミュージックビデオの動画のURLだった。
 顔を上げて藍良の顔を見ると、藍良が小さく舌を見せて笑う。

「今度お店に来るときまでに、勉強しておいてねェ」

 僕はその日、藍良が買ったものと同じ雑誌を買って帰った。



つづく
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