【本編】今夜もウサギの夢をみる

 白鳥藍良と連絡先を交換してから数週間が経った。僕は控えめに、しつこくなりすぎないように気を付けながらメッセージを送っていた。毎日送るのは鬱陶しいだろうかと考えて、たまにはメッセージを送るのを我慢してみるのだけれど、そういう日は決まって日付が変わる前に藍良からのメッセージが届く。
『今日はどんな日だった?』
 僕がお客さんだから、こうしてまめに連絡をくれるのだろうと分かってはいても嬉しくなってしまう。
 兄さんに「メッセージの返信もSNSの更新と同じで、仕事のうちだぞ」なんて釘を刺された。分かっている、そんなことは……でも。
『バイトだったよ。今日から冬期講習が始まったから少し忙しくなる』
 僕は塾の講師のバイトを増やすことにした。冬季講習はコマ数が多く、クリスマスや年末年始を返上して勉強する子供たちのために塾もスタッフを充実させる。バイトの僕にもボーナスが出るし、藍良に会いに行くためならと気合いを入れた。
『ええ~、じゃァお店には来れないのォ?』
『週末は絶対に行くから、待っていて』
 自分の時間は減ってしまうけれどきちんと対価を得れば堂々と藍良に会えるし、実家からの仕送りに手をつけるわけにはいかないからこれが最良だ。もともと藍良には週に1度会いに行けたら良い方だ。毎日連絡もできるし、良い方へと向かっているはず。
『本当? 約束だよォ!』
 にこにことハートを振りまくウサギのスタンプが送られてくる。それが藍良の感情をそのまま表現してくれてるように見えて、どうしても嬉しくなってしまう。
『今週はクリスマス限定のメニューとかあるから。ヒロくんは絶対おれ指名で来てよねェ』
『もちろん。僕が指名するのは藍良だけだよ』
 夢中で返信を打ち込みながら、僕は少しだけさっきまでの前向きな気持ちが揺らぐのを自覚した。やっぱり、藍良はクリスマスは仕事なんだ。お店に行けば藍良に会えるけれど、こうして連絡先を交換してしまったから急に距離が縮まったような気がして、勝手にクリスマスに食事にでも誘えないかと図々しいことを考えてしまっていたのだ。
 僕の頭の中で、兄さんに言われた「学生の細客なんてなんとも思われてないのがオチ」という言葉を反芻する。相手は接客業だ。客の僕にはいい顔をするに決まってる。耳心地の良い言葉をくれて、かわいらしい表情を見せてくれる。僕に好意があるように勘違いさせてくれる。でもそれは、僕が客だからだ。兄さんに念を押されたことを何度も頭の中で繰り返す。兄さんは僕がここまで店のキャストに入れ込むと思ってなかったみたいで、お店を紹介した負い目があるのか時々様子を聞いてくれる。
 頭では分かっている。理屈ではこうだと納得できる。それでも僕の感情が、心が、どうしたって藍良に惹かれてしまうのだ。
 これがいつか終わる夢なら、早く僕の目を覚ましてほしい。


 週末、いよいよ藍良に会える日。
 いつもは夜に1コマのバイトも、冬休みの期間は昼間も合わせて2コマ、3コマと増える。大学の課題もこなしながらのバイトは思ったよりも大変だけれど、この日のために頑張った。
「ヒロくん、待ってたよォ」
 藍良が甘く響く声で僕の名前を呼んでくれる。僕のすぐ隣に座って、早速手を握ってくれた。仕草のひとつひとつに合わせて揺れる黒いウサギの耳と衣装のフリル。紫色の照明の中に点在する淡い孔雀色の提灯。それらが僕を一歩ずつ、非日常へと引きずり込む。今週はクリスマス限定のメニューがあると藍良が言っていたが、店内にもそれらしく大きなクリスマスツリーが飾られていた。
「お飲み物、レモンサワーふたつ頼んじゃったけどいいよね?」
「うん、ありがとう。君も好きなものを飲んでいいのに」
「ヒロくんと同じものが飲みたいのォ」
 にっこりかわいらしく笑う藍良。店に入るまでは冷静に、キャストと客の距離感を保とうと意識するのに、いざこの半円形のソファ席で藍良と二人きりになると気持ちが舞い上がってしまう。
 二人分のレモンサワーが運ばれてきて、僕は藍良と乾杯をする。テーブルにも小さなクリスマスツリーが置いてあって、藍良の胸には柊とベルのブローチが飾られていた。今日はクリスマス当日ではないけれど、そうだと勘違いしてしまいそうなくらいに充実している。
 少し大きめのBGMが演出するほどよい閉塞感。僕はそれに安心して、最近あったことを一通り話した。店で会った時に話すことが無くならないよう、普段のメッセージのやりとりではあまり詳しいことを話していない。藍良自身があまり自分のことをSNSでは話したがらないのは、客に店に来てもらうためなのかもしれないと気づいたのは最近のことだ。それが本当に藍良の戦略なら、僕はまんまと掛かっている。
 ふたりで2、3杯のドリンクや、フルーツやデザートの盛り合わせなどを頼んで90分ほどを過ごす。クリスマスケーキも、藍良にねだられて注文した。
 けして長い時間ではないし、その割に安くない。けれど、藍良と一緒に過ごせるのならこれでいい。兄さんが、見栄張って大金使うよりも通い続けろって言ってたし、藍良の普段の言動からも、多分そういう客のことを好ましいと思っているだろう。
 僕は藍良と同じ学生だ。相手に気を遣わせるお金の使い方はしたくない。

 しかし今日僕は、ひとつ「賭け」に出ようと思っていた。僕はここで会う藍良のことを好きになってしまっている。藍良に会うために、他のすべての時間ややるべきことをこなしているくらいに。けれど、僕の脳はそれが健全ではないことを理解してしまっているのだ。
 藍良にとっては仕事なのに、僕に勝手に一方的に好意を寄せられては、藍良だって迷惑なはずだ。だから。最近ずっと平行線である僕らの関係を自ら揺さぶってみようと思った。
「藍良、今日はひとつ……君にお願いしたいことがあるんだ」
 僕がそう言うと、藍良が「なァに?」と首を傾げた。顔は笑顔だったけれど、どことなく「下手なことを言わないだろうな」と僕をけん制するような空気を感じた。
「君の信念に反することを言うと思う……」
 僕が免罪符のようにそう前置きをすると、藍良の口元に寄せられていたストローの位置が下がった。表情は怖くて見れないが、何かを覚悟するような、でも真剣に聞いてくれているような沈黙があった。
「何? 言ってみて」
 藍良の声は優しい。僕は俯いたことでずれた眼鏡を直して、顔を上げた。藍良の目をまっすぐに見て、膝の上で拳を握る。

「ここじゃない所で、君に会ってみたい」

 藍良の瞳が大きく揺れた。「やっぱり」「そうきたか」と言いたげな複雑な表情だ。持っていたグラスを置いて、少し考える仕草をする。
「そっかァ」
 表情は笑っているし、声も明るい。けれどそれは「接客用」であるのを僕は知っている。……というより、兄に「本気にするな」と釘を刺されている。この店は客に夢を見せる場所。騙されることも含めて楽しめないなら通うなと、最近の兄からは考えられないような真面目な口調で言われた。
 いま目の前にいる藍良が本当の藍良でないのなら、本当の藍良を知りたい。僕の勘違いなら、それを正して欲しい。ここでの出来事が全部夢なら、現実の君を見せて欲しい。
 こんな甘美な夢を見続けることは、今は幸せかもしれないけれどいつかきっと辛くなる。それならば今のうちに、僕の夢を覚まして欲しい。藍良を困らせると分かっていても、僕は言わずには居られなかった。

 僕は藍良の返事をじっと待った。見つめていたグラスについた水滴が、一筋の線を描いて滑り落ちる。時間にしたら1分も無いほどの沈黙だっただろうが、僕にはとてつもなく長い時間に思えた。膝の上で握った僕の手に、柔らかくて温かな手が重なった。

「いいよ、会ってあげる」

 僕は顔を上げて、もう一度藍良の顔を見た。藍良が少し困ったように笑って、氷の溶けてしまったドリンクを一口飲む。
「い、いいの……?」
「本当はおれ、お客さんとは外で会わないって決めてこの仕事始めたんだけど……」
 藍良がポーチの中から自分のスマホを取り出して、綺麗に整えた爪でこつこつと何も映っていない画面を突いた。
「お店に来て、直接顔を見て誘ってくれたことに免じて、ヒロくんとは会ってあげる」
 藍良の話によると、連絡先を交換した途端、お店に来ないでキャストと外で会おうとするお客さんもいるという。それはこのお店のキャスト全員に共通するあるある話なのか、藍良自身にそういう客が居るのかまでは分からなかったけれど。少なくとも僕はそのタブーを犯さずに済んだらしい。
 藍良がスマホの画面を点けて何かを操作する。スケジュールを確認してくれているのかな、と淡い期待を抱いていたら次の瞬間にとんでもないことを言われた。
「早速この後はどう?」
「え、この後!?」
 僕は危うく、鞄から取り出したばかりの自分のスマホを取り落しそうになってしまった。
「声でか。この店、店外禁止されてないけどいい顔はされないと思うから、お店には黙っててよねェ」
「も、もちろん……でも僕、今日は何も用意していないよ」
「そんなのいいって。おれ今夜は22時で上がりなの」
 僕は時計を見る。もうすぐ21時。僕がこの店を退店する時間。藍良がお店を出るのが22時すぎ。いつか、近いうちにとぐるぐる考えていたことが、突然1時間後に約束されてしまい僕は戸惑った。
「いつも駅前を適当にブラブラして帰るからさ、付き合ってよ」
 大学の友人同士が帰り道の暇つぶし相手を誘い合うような、そんな気さくな物言い。僕は、僕の発言と行動ひとつで何かが変わってしまうような覚悟で誘ったのだけれど、藍良はあまり重要なことと捉えていないように見えた。それはなんだか、安心するような、切ないような。僕ばかりが君に惹かれているんだという現実を早速思い知らされたような、そんな気がした。



つづく
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