【本編】今夜もウサギの夢をみる

 僕は、『あいら』のいるコンセプトバーに通うようになった。大学の講義や、塾の講師のバイトが終わった夜に立ち寄った。
 好きにお金が使えるわけではないから自制しながら細々と通う。何度目かのある日、『あいら』とすっかり打ち解けて仲良くなったからか、僕は少し浮かれていた。
「あいら、写真を送ってくれてありがとう。今日の衣装もかわいらしいね」
「ありがとォ」
 今日の『あいら』は、いつもと雰囲気の違う色合いの衣装を着ていた。衣装の形は同じなのだけれど、生地の色が白い。照明を落としている店内では、少しの灯りをも反射してぼんやりと薄紫色に光って見えた。その存在感に、思わず見惚れる。
「写真を見て来てくれたんでしょ? 今日は新しい衣装をおろしてもらったからねェ」
 そう言って、『あいら』が僕が注文したレモンサワーを飲む。ここに来るときは一緒にレモンサワーを飲むのが定番になっていた。
「でもヒロくんは写真送ってくれなかったでしょォ」
「えっ、これは僕も写真を返信するのがマナーなのかい?」
「マナーとかじゃないけどォ、おれもヒロくんの写真欲しいなァ」
 甘えた声でねだられると弱いのは、もう見透かされていそうだ。
 僕は手元にあるスマホを起動させて、『あいら』とのメッセージ履歴を開いた。僕は来店2回目で『あいら』の名前入りのスタンプカードをもらって、3回目の来店で連絡先を交換していた。もちろん、店用のスマホでのやりとりだけれど。それ以来、店に行けない日でも『あいら』と連絡をとれるのが嬉しくてほとんど毎日連絡をとっていた。僕が遠慮して連絡をやめた日も、僕の気持ちを見透かしたように、『あいら』から連絡がくるのだ。

 『あいら』が今日、新しい衣装を着ていることは、事前に送られてきた写真で知っていた。顔を隠した写真だったけれど、直接会って衣装の全容をこの目で見たくなるような写真に焦らされた。
 メッセージに画像を添付するためのアイコンをタップすると、端末に保存されている写真が一覧で表示される。大学の情報ポータルサイトや、ニュースサイト、調べもので訪れたホームページのスクリーンショットで溢れた一覧に少し恥ずかしくなる。時々食べたものや友人の写真があるけれど、自分の写真は意外と無い。
「うーん、でも僕は送れるような写真が無いよ」
「じゃあおれが撮ってあげる。スマホ貸して」
「え、いいよ……」
 『あいら』が僕の写真を本当に欲しいと思ってくれているのなら悪い気はしないのだけれど。
「いいからァ、ほら笑って」
 いつの間にか僕からスマホを取り上げた『あいら』は、僕に向かってカメラを構えた。僕はずれた眼鏡を直して笑顔を作る。
「撮れたよォ、おれに送信してね」
 渡されたスマホの画面を見ると、ぎこちなく笑う僕が写っていた。こんな写真、僕だけが持っていても仕方がないので、そのまま『あいら』に送信する。
「せっかくなら君を撮りたいよ、あいら」
 僕の端末には、『あいら』の顔が写っている写真は一枚もない。SNSにアップされている写真も顔が写らないようになっているのだから当然だけれど、『あいら』の顔を見るには店に来るしかないのだ。
 君の写真を撮りたい。ダメもとで言ったそれは案の定、すぐには肯定されなかった。
「あ、ごめん。説明してなかったね。……写真はオプションなんだァ」
 キャストのプライバシーを守るため、顔のはっきり写った写真はSNSに載せないことを徹底的に指導されているのだと、『あいら』が説明してくれた。そして、撮影をするならオプション料金を払わなければならないことと、撮影はスマホではなくポラロイドカメラということも。いつ誰がネットに顔写真を流出させるか分からないこの時代、そのあたりは徹底しているようだ。
 しかし、キャストが配る写真入りの名刺と、客とのツーショット写真などの印刷されるものについてはキャスト自身が許容している場合もあるという。
「……ごめん、軽率なことを言って」
「んもォ、謝ってばっかり。一緒に撮ってくれないのォ?」
「いいのかい?」
「おれ、写真NGじゃないから。じゃあボーイさん呼ぶねェ」
 僕が何か言う前に、『あいら』がボーイさんを読んで何か合図をした。そしてすぐに、ボーイさんがポラロイドカメラを持ってやってくる。オプション料金とやらは写真を一枚撮るにしては高いと感じたけれど、『あいら』の写真が手に入るのなら安いものだった。
 ボーイさんが僕たちに向かってカメラを構えると、『あいら』が僕の腕をぎゅっと引き寄せてきて驚いた。その瞬間、シャッターが切られる音がする。……僕、絶対変な顔をしていたと思うのだけれど。「もう1枚撮りますよ~」と言われるまでに、気を取りなおすこともできなかった。

 写真は帰りにキャストから手渡しでもらえるらしい。写真を撮る時に強く引き寄せられてから、『あいら』の腕はずっと僕の腕に絡みついている。僕は心臓がどきどきして、どうにかなりそうだった。
「ねェ、ヒロくん。……連絡先、交換しない?」
 いつもより近い距離で、『あいら』が見つめて来る。そのことに気を取られ、彼が何を言っているのかを理解するまでしばらくフリーズしてしまった。
「え? それって……」
「そう。これ、おれのスマホ」
 『あいら』が見せて来たのは、さっきの写真のやりとりの時とは違う、かわいらしくデコレーションされたスマホだった。仕事用ではない、個人用のスマホということだろう。だからつまり、交換するのはプライベートの連絡先ということになる。
「い、いいの……?」
「禁止はされてないけど、他の人には内緒ね?」
「もちろん……!」
 僕は早速、もう一度自分のスマホを取り出した。QRコードを読み込むと、『あいら』のアカウントとは別に、新しいアカウントが追加される。

『白鳥藍良』

 僕は突然画面に現れたその名前を、しばらくじっと見つめてしまった。
「綺麗な名前だね」
 僕がやっとそれだけ言うと、藍良が少し頬を染めて、小さな声で呟いた。
「ありがと……」
 えへへ、と笑う藍良。本人の素の表情を見ることができたような、そんな気がした。

「じゃあお見送りしまァす」
 藍良が手を繋いで席を立ってくれて、僕の隣を歩いて店の出口まで案内してくれた。途中、ボーイさんから藍良に手渡されていた小さなカードを、出口で一緒に見た。
 それは、先ほど席で一緒に撮影したポラロイド写真だった。狼狽える僕と、僕に甘えてくれてる藍良がしっかりと写っている。2回目に撮影した写真も手渡されて、僕は首を傾げた。
「あれ、もらえる写真は1枚じゃなかった?」
「目を閉じちゃったときのために2回撮ることにしてるの。2回ともいい感じじゃん、ラッキーだねェ」
 これくらいで得した気分になるのは店の思惑にハマっているのだろうなと思ってしまうのだけれど、藍良にラッキーだと言われると素直にそうなんだと思ってしまう。
「よかったら、1枚はきみが持っていて、藍良」
 言われ慣れているかもしれないけれど、僕は2枚のうちの片方を藍良に差し出した。
「え……でも、もらったらまたヒロくんに会いたくなっちゃう」
 かわいらしく断るための常套句だろうって、後で考えればわかりそうなものなのに、藍良の思わせぶりな表情と言葉にいちいち動揺するのが僕だった。
 少し強引に写真を押し付けると、藍良は「大切にするね」と言ってその写真を胸の所で大事そうに持って手を振って見送ってくれた。
 僕は店の外でしばらく写真を眺めて、それを手帳に大切にしまった。
 今日は一緒に写真を撮って、連絡先を交換した特別な夜になった。少し浮かれた足取りで、駅まで向かう。街並みはすっかりクリスマスの装いで、ところどころイルミネーションが輝いていた。クリスマスはお店は忙しいだろうか。プライベートの連絡先を交換したということは、お店以外でも会うことができるようになるだろうか。
 そんな勝手なことを考えていたら、ポケットの中でスマホが震えた。藍良からメッセージを受信しているとの通知をみて、僕は慌ててアプリを開く。

『連絡先交換してくれてありがとォ! これでおれたち、友達だね!』

 その言葉に僕は嬉しくなるのと同時に、今までは友達ですらなかったのだという事実を思い知らされた。
 僕は駅のホームで電車を待ちながら、メッセージアプリで『白鳥藍良』のプロフィールページを眺める。
 藍良のプロフィール画像は、どこかの建物と一緒に写った藍良のものらしき手。その手にはカラフルに光る棒が握られていて、光るブレスレットが何本も腕に飾られていた。一言コメントには『人に迷惑をかけない』という目標のようなものが綴られている。
 藍良には、僕の知らない一面がまだまだたくさんあるのだと思い知るのと、これから藍良を知っていける喜びとが同時に襲ってきた。
『今日はありがとう。また近いうちにお店に行くからね』
 そうメッセージを返信して、僕は目の前に到着した電車に乗り込む。

 扉を開ければ、僕を夢の世界に誘う紫色。
 漂う甘い酒の香り誘われて顔上げれば、かわいらしいウサギさんが僕を出迎えてくれる。
 彼の素顔を知りたいような、もう少しだけ夢を見ていたいような。そんな複雑な感情が、僕を捕まえたまま放さない。



つづく
3/13ページ
スキ