【本編】今夜もウサギの夢をみる

 藍良にもらったアルバムをスマートフォンのアプリで聴けるようにし、買ったばかりのワイヤレスイヤホンで聴く。普段あまりそういったことをしないのだが、藍良の影響でできるようになったことや慣れたことが沢山ある。週末に録画した歌番組を観るようになったこともそうだ。
 藍良に関係のあるものに触れながら過ごす日常は、より充実している。
 電車の中で藍良のSNSをチェックしていたら、丁度更新していた。今週の大体のシフトとお店のイベント情報、藍良個人の配信の告知があった。
 僕はSNSは情報収集にしか使用しておらず、自分からは何も発信していない。ただ、藍良はこれが僕のアカウントだと知っているので心を込めて「いいね」をタップした。
 くるくると回って数字を上げていく藍良の「いいね」は、前よりも沢山の人に見てもらえている事を証明している。藍良が喜ぶのならそれは僕の喜びでもあるけれど、気分がすっきりするかと言えばそうではない。どちらかと言うと、チクっと嫌な緊張が心拍数を上げる。最近、藍良の投稿の返信欄にいつも居る男性客の存在に気づいてからも、僕のその緊張は加速していた。

 大学からバイト先の塾へ向かう途中、僕はCDショップに寄った。暇つぶしに使う店の選択肢が増えたのも藍良の影響だ。
 僕はなんとなく、藍良にもらったアルバムが店頭にどのように並んでいるのかを確認する。入口に入ってすぐ、正面に大きなディスプレイが設置してあり、モニタでミュージックビデオが延々と流れている。
 店員手作りのポップには「アルバムチャート1位!」という文言とともに4人のメンバーの推しポイントが紹介されていた。
 ふと、アルバムのパッケージについているシールが目についた。

『アルバムリリース記念ライブ先行応募シリアルコードつき』

 藍良はライブのチケットの抽選のためにこのアルバムを複数枚購入したと言っていた。そして、応募できるのは1名義につき1回だということも。応募期限は明日まで。
 それならば、と僕はアルバムを1枚手に取り、レジへと持っていった。

 10日後、僕のスマホに当選メールが届くことになる。



曇りのち雨 ◇◆◇◆


 季節が少しだけ巡って春。
 大学が丁度春休みに入るその週末に、僕達の席が用意されているライブが開催される。
「ヒロくんおはよォ! こっちこっち!」
 ライブ当日の昼前に、僕達は会場に向かう途中にある大型の駅で待ち合わせた。もちろん、僕が誘ったのは藍良だ。出会って数か月、つまり僕が店に通い続けて数か月経っているが、藍良の出勤日以外にこうして会うのは、あの偶然本屋で会った日以来二度目だ。
「おはよう、藍良。今日はよろしくお願いするよ」
「こちらこそォ。本当に楽しみにしてたんだからねェ」
 僕は、藍良に言われた通り動きやすい格好で来た。近所の店で目に付いた黒いTシャツとジーンズ。藍良も似たような黒いTシャツを着てきていたので、お揃いのようになって少し嬉しかった。藍良が着ている服についているロゴは、今日これからライブを鑑賞するアイドルグループのもの。
 春になったとはいえまだ夜は冷えるので、藍良はパーカーを、僕はジャケットを羽織っていた。
「Tシャツも似合うねェ。眼鏡との組み合わせもラブ~い!」
「そ、そうかな……ありがとう」
「じゃあ会場向かうまでデートしよっ! おれお腹空いたァ」
 ライブのチケットが当選したのを報告した日から一か月半ほどあったが、その間、藍良はずっと上機嫌だった。当選報告のために店に行った際、藍良は『自分の話は聞かれるまでしない』となんとなく決めていたらしいルールを破り開口一番に「ご用意されなかったァ」と嘆いていた。
 一般抽選は当たるわけがないと落ち込む藍良に、僕も帰り道までとっておこうと思っていた報告をしたのだ。
 そのライブのチケットが当たったのだと。
 藍良は店の他のスタッフに注意されるほど声を上げて喜び、お礼に何をしたらいいのかと聞いてきた。だから僕はライブ当日の今日、少し早めに集合して食事でもどうかと誘った。藍良はその程度でいいのかと少し困惑していたが、ライブ参戦も含めて一日デートをするということで合意した。

 僕は藍良に手を引かれ、駅ビルの上階にあるレストラン街へ来た。ビルの中に入っても、エレベーターに乗っても手は繋がれたままだった。僕は何度か手を握り返そうかと迷ったけれど、一度も実行できないままランチをするためのお店に着いてしまった。
 藍良が選んだその店はファミリーレストランと呼ぶには少々敷居は高いが、大学生くらいのカップルやグループも多く見かけるいわゆるデート向きのお店だった。
 運よく満席になる前に席につくことができ、藍良は今日は体力が重要だからとハンバーグセットを注文した。ライブとはそんなに消耗するものなのかと、僕も藍良にならってハンバーグにチキンのついたセットを注文する。
 まずサラダとスープが運ばれてきて、藍良がプチトマトを口に入れる。もぐもぐと動く頬を思わず見つめてしまったが、僕も食事を進めなければならない。
 食事をしながら藍良は、今日は少し買い物をした後に会場周辺に向かい、入場の頃合いを見定めるのだと説明してくれた。今日のスケジュールは「デートをしたい」という僕のリクエスト以外はすべて藍良に任せている。
「ところで、ちゃんと発券した?」
 食事が終わり、僕が二人分のメロンソーダをドリンクバーから注いで戻ってくると、藍良がそう聞いてきた。
「うん。これでいいのかな?」
 僕は席に着き、ボディバッグに入れて肌身離さず持っているそれを藍良に見せた。ライブのタイトルと開場時間、僕の名前が書かれているだけの地味な紙切れが二枚。これが本当にチケットなのかと、引き換えたコンビニの店員さんに思わず質問してしまった。
「ばっちり! 見せて見せてェ」
 藍良に渡すと、それをまじまじと見てスマホで何かを検索し始めた。おそらく、座席がどの位置になるのかをネットで調べているのだろう。僕も同じことをしたから分かる。はらはらしながら見守っていたが、藍良がぱぁっと表情を明るくするのと同時に僕は安堵した。
「すごォいヒロくん! 多分ど真ん中だよォ!」
「う、うん。でもステージが遠くないかい?」
 がっかりさせないか不安だったけれど、藍良が嬉しそうにしているので、ひとまずは大丈夫なのだろう。
「センステが近いから神席だよォ!」
「センステ?」
「センターステージのこと。客席の真ん中にあるステージまで、皆が来てくれるのォ」
 藍良がスマホで開場の見取り図を見せてくれた。丁度僕たちの席がありそうな場所を爪でコツコツと叩いて「このへん」と示してくれる。このあたりまでアイドルのステージが設置されているなら、確かに近くで見るチャンスは多いかもしれない。
「そうなんだ、よかった……」
「ヒロくんありがとォ、今回のライブ絶対見たかったから……嬉しい」
 藍良がチケットを胸に抱きしめて夢を見ているような表情で浸っている。
「僕は藍良に喜んでもらえたら、それだけで充分だよ」
 僕は手元に置いた、自分用のメロンソーダを飲んだ。


 食事のあと、僕は藍良に連れられて同じビル内にある、とあるショップへと入った。
 その店はアイドル等を「推すこと」を楽しむためのグッズが集まるショップだった。推しのブロマイドを入れるためのケース、応援するためのうちわや、それを飾り付けるためのパーツ。カラーバリエーションも豊富だった。
「今日はコレが絶対いるよォ」
 そう言って藍良が示したのは様々な色に光る棒だった。アイドルのライブ映像等で見たことがあるから、僕でも知っている。観客席にいるファンたちが、ステージにいるアイドル達を応援するために光らせるものだ。
「これが2本あれば、大抵のライブに対応できるよォ!」
 藍良がひとつの商品を手に取って僕に見せてくれる。15色に光るという謳い文句のそれは、値段の割に高機能でコスパが良いのだと説明してくれた。
「2本必要なの?」
「だって、両手で振るでしょ?」
「な、なるほど……」
 それが当然と説明する藍良を見て、僕は勉強不足を痛感した。今日は藍良から「推し活」とは何たるかを学んで帰ろうと思う。
「おれは物販でオリジナルペンライトを買うけど、ヒロくんはどうする?」
「僕も藍良と同じものを買いたいよ」
 物販、オリジナルペンライト、出て来る単語を頭の中にしっかりと記憶する。僕がそんな風に集中して聞いているとは思っていないのだろう、藍良はうんうんそうだよねェと頷く。
「じゃあここでは1本だけねェ」
 自分が持っている買い物カゴにペンライトを一本入れた。それから藍良は、いくつか商品をカゴに入れてセルフレジへと向かう。お店のアプリを読み込ませたり、スマホ決済の画面に切り替えたり、その手際の良さに圧倒されている間に会計が終わってしまった。
「はいコレ、ヒロくんの!」
 店の外に出ると、藍良はバッグの中から先ほど教えてくれたペンライトを取り出してきた。
「藍良、お金を……」
 実は僕はセルフレジが苦手なので、一緒に会計してもらったのには少し安心していたのだが、僕が財布から現金を差し出す間もなく藍良がアプリでピッと決済を終えてしまったのだった。
「いいのいいの。チケットのお礼にプレゼントさせて」
 今現金を渡したってきっと受け取ってくれない。僕は絶対にセルフレジに慣れて、スマホ決済も使いこなしてやると心に決めながらそれを受け取った。藍良から何かをプレゼントされるのもこれで数回目。藍良の好きな物を一緒に楽しめるものを貰えるのが嬉しい。
「あと、コレも!」
 藍良が追い打ちをかけるように、僕の目の前に何かを差し出した。既に開封されていて、何か四角いものが僕の前にぶら下がっている。
「これは?」
「チケットホルダーだよォ。これにチケットとか、推しのブロマイドとか入れて首から下げるの」
 それは薄紫色の細長いパスケースのようなもので、ウサギのキャラクターのチャームがついていた。首にかけるのに充分な長さのあるストラップにはウサギのシルエットが描かれている。まるでお店にいる時の藍良を模しているようだったが、藍良がそのつもりで選んだのだろうか。
「おれも色違い持ってるからお揃いだよォ」
 藍良が見せてくれたそれは、同じシリーズの黄緑色のものだった。くまのキャラクターが着いているようだけれど、そのキャラクターが好きで使っているというより、色が重要なのだろうなとこれまでの藍良の行動から読み取る。
「こんなにもらっていいの?」
「いいの。ヒロくんはチケットご用意された上、同行におれを誘ってくれた神様だからねェ」
「そ、そんなに……? でも、ありがとう」
 落選したと報告した時の藍良の沈みようからすれば、僕の当選は奇跡に近い事なのだろう。僕は、僕の強運に改めて驚く。
「それに、今日はヒロくんにも目いっぱい楽しんで欲しいの。一緒に楽しもうねェ」
 藍良が一緒にいるだけで、今日は楽しいに決まっている。今日はこれから藍良の大好きなものを一緒に鑑賞できて、遅い夕食を一緒に食べて、藍良といつもの駅まで一緒に帰るのだ。
 あと何時間も一緒にいられる。それだけで浮足立ちそうな僕の腕を、藍良がまた引っ張ってくれた。


 本日の天気は夕方まで曇り。夜は雨が降り出すそうだが、ライブには影響無いらしい。
 電車に乗って開場へ向かう。車内は混んでいたので藍良を壁際に庇った。僕は藍良との距離の近さが気が気でなかったのだけれど、藍良は今日のライブについて語るのに夢中で、僕と壁の間でひたすら話していた。藍良がずっと楽しそうで僕も癒されるけれど、それにしても電車内は窮屈だった。
 会場に到着すると、大勢の人が一度に電車を降り、僕たちも流されるようにホームから改札へと移動した。改札を出ると我先にと移動する人の波に酔いそうだった。
「絶対はぐれちゃダメだからね!」
 藍良が僕の手をぎゅっと握った。柔らかくて小さな手を握り返すのを躊躇っていたら、指同士が絡められてより強く握られた。思わず藍良の顔を見たけれど、藍良は目が合うと、「早めに並んだ方がいいかも!」と興奮ぎみに言った。
 手を繋ぐだけで、その仕草ひとつで、いちいち心臓を高鳴らせているのは僕だけなのだろう。チケットの名義が僕だから藍良は僕を丁重に扱ってくれるだけで、今日藍良のためにチケットを持ってきたのが他の誰かだったら、藍良はその人とライブに行ったのかもしれない。僕はそんなことを考えて、藍良の手を強く握り返してしまった。

 物販では、今日のライブのためにデザインされたペンライトを購入した。藍良も同じペンライトと、アイドル達のブロマイドやタオル等を買い込んでいた。藍良はここで思う存分買い物をするためにバイトを頑張っているのだということを目の当たりにして、感心した。
 僕があのお店で使ったお金が藍良の大好きなアイドルを推すことに役立っているのだ。
 藍良のことが理解できて嬉しいはずなのに、釈然としないのは何故なのだろう。

 物販に並んでいる間に開場時間が迫る。いよいよ、僕が藍良のために席を掴み取ったライブが始まる。
 空は今にも雨が降り出しそうだったが、僕らが会場に入るまではもちそうだ。


◇◆

 入場して席に着いてみると、藍良の言う通り席はセンターステージの近くだった。メインステージから僕たちの目の前にあるステージまで通路が伸びている。本当にここにアイドルが来てくれるなら、それぞれの表情までよく見えるだろう。
 藍良に良い席を用意することが出来たみたいで、僕はそれだけで安心した。

 藍良の解説を普段から聞いていたのと、CDや歌番組をチェックしていたこともあり、ライブ自体もとても楽しむことができた。彼らのパフォーマンスはメインステージが遠くとも心まで響いてきて、観客の心を一斉に攫って行った。
 しかし、僕の印象に何より残ったのは、隣で一所懸命ペンライトを振る藍良だった。その横顔は紅潮し、瞳はキラキラと輝いて、視線はたえずステージに注がれていた。
 センターステージにアイドルたちが現れた時ははち切れんばかりの声をあげて、その後のバラードでは涙をぽろぽろ流して泣いていた。僕は藍良のすぐ隣で色々な表情を見ることが出来た。途中、一度メンバー全員がステージ袖に消えた瞬間に「ヒロくんは楽しい!?」と聞いてくれた以外は、藍良とは一度も目が合わなかったし会話も無かった。
 その時、僕の中に少しだけ黒いものが滲んだ。
 お店に居る時の藍良ではない、接客モードではない本当の藍良が知りたかった。そして今日、それをより知ることができた。
 本当の君はアイドルに夢中で、そのためにあの仕事を選んだのだということに説得力が増す。藍良の熱の籠った視線を、キラキラした瞳を釘付けにするのはステージの上の彼らなんだ。藍良の生活の中心は彼らなんだ。
 藍良のことをより知ることが出来た喜びと、それを共有できる優越感。そして僕が藍良の特別になるにはまだまだ及ばないのかもしれないという現実を、同時に突きつけられた。

「楽しかったァ! もォ最高だったねェ!」
 感極まってはしゃぐ藍良をなだめながら、僕は人の流れにあわせて会場の出口へと向かう。もう少しで外に出られるという所で、前方の様子がおかしいことに気づいた。ライブ後の余韻で明るかった雰囲気が少しだけ揺らぎ、戸惑ったざわめきが聞こえたような気がした。出口が見えた瞬間、その意味を理解する。
「ああ~、すごい雨だねェ」
 僕たちはとりあえず会場を出て、軒下伝いに人の流れから外れる。すぐそばでも声を張り上げないと聞き取れないくらいに雨は轟音を立てていた。
「あはは、やばーい」
 藍良が空を見上げて笑う。ライブ後のテンションを引きずっているのか、今は目の前で起きていること全部が面白いらしい。僕が折り畳み傘を出して藍良に差し出すと、準備が良いと大袈裟に褒められ、傘を受け取るのではなく抱き着くように腕同士を絡められた。
「ちょ、ちょっと藍良……!」
「えへへェ、このまま駅に行こォ!」
 慌てる僕の腕を、藍良が引っ張る。二人とも濡れないように、僕もついて行くしかなかった。
 雨は強く、地面で跳ね返って容赦なく足元を濡らす。一本の傘では二人ともをカバーするのは難しいので、僕はずんずんと僕を引っ張って歩く藍良の方へと傘を傾けた。傘の縁からまとまった水が背中に流れてきて冷たい。僕はボディバッグを胸に抱え、藍良の腕を振りほどいて彼の肩ごと側に引き寄せた。
 今までで一番藍良との距離が近くて、今までで一番藍良に触れている。そんなことを一瞬だけ考えたけれど、雨の強さですぐにそれどころでは無くなった。

 やっとの思いで駅へたどり着くも、電車が運行を見合わせているようで駅のホームは人がごった返していた。ライブ会場の人混みとは違う、無秩序に人が詰め込まれている様子を目の前に僕は唖然とする。すぐにタクシー乗り場を探したが、皆考えることは同じようで、既に長蛇の列が出来ていた。それぞれが傘を差しているから、列は余計に長くなっている。並ぶしかなさそうだけれど、この大雨の中、一本の傘で長時間も外にいたら二人とも風邪を引いてしまう。
 どうしようかと考えていたら、僕の腕の中で藍良が呟いた。
「ホテルで一泊しちゃおっかァ」
 僕は雨が冷たいのか、僕の身体が熱いのか、よく分からない感覚に陥った。しかし、焦る僕とは別に冷静な判断をする僕もいて、すぐに「それがいい」と決めて駅から素早く離れ、ホテルを探すことにした。




つづく
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