金曜日にキスするひいあい

⑥楽屋


「あれ、まだ誰もいない」
 藍良は楽屋の扉を空けて、照明のついていない室内と静かに並ぶ鏡と椅子を見て呟いた。部屋が無人で静かだからか、藍良の声もいつもより小さい。
「巽先輩はラジオの仕事が押しているらしいよ」
 共通のチャットグループにきていた連絡だから藍良も見ているはずだが、僕は確認のために口にする。マヨイ先輩とは一緒に学校を出てきたのだけれど、用事を済ませてから向かうと言って、ESビルに着いてすぐに一旦別れた。


 今日はこのあとスタジオを借りて、ALKALOIDのみんなで動画や写真を撮ろうという話になっている。僕たちは藍良の提案で、定期的にSNSに短い動画をアップしている。
 おしゃべりしたり、ファンの皆へのメッセージを発信したり、お仕事の告知をしたりと他愛のない内容だ。
 編集はスマホを使って藍良が器用にこなしてくれていて、ファンのみんなと一緒に僕もいつも楽しみにしている。


 照明と空調を点け、荷物を置き、僕たちは打ち合わせ用のソファセットに座る。
 僕のポケットのスマホが通知音を鳴らすのと同時に、隣でスマホを見ていた藍良が、ぱっと表情に花を咲かせた。
「マヨさんもうすぐ来るって! 先にメイク始めとこっか」
 今日はALKALOIDが自主的に動画を撮ろうという日で、事務所や企業から課せられた仕事ではない。そのためメイクさんは雇っておらず自前で施すことになる。メイク台へ行くために立ち上がろうとする藍良を、僕は片手で制した。
「待って藍良、その前に……」
「え、何? ちょっと!!」
 藍良がバランスを崩してソファに尻もちをつく。僕はそのまま藍良の手を握り、顔を近づけた。
「メイクする前にキスしたい」
「直球か!」
 身体が少し沈む素材のソファだから、僕に体重を傾けられたら藍良は逃げられない。目が合うと、藍良がかぁっと頬を染める。かわいい。
 こうやってすぐ形勢を制するところをこの間怒られたばかりなのを忘れていた。それはまた後で怒られてあげるからいい。
「人が来る前に少しだけ」
 背中に手を回して見つめると、藍良が言葉にならない小さな声を発しながら目を泳がせる。
「あうぅ……」
「ダメかい?」
 観念したのか、藍良がぎゅっと目を瞑ったのでそのままキスをした。唇から体温が伝わる瞬間に強張っていた藍良の身体から力が抜けて、僕に身をゆだねてくれているのを感じた。


 部屋が再び静かになって、お互いの服が擦れる音とキスの音がやけに響いた。






おわり
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