朝から朝までふたりきり
朝から朝までふたりきり
シャッター音が思ったよりも大きく響いて、藍良が僕の顔を見た。
「珍しい。ヒロくんが食べる前に撮るの」
僕がスマホを構えて立ち止まるのは、今朝だけでもう三度目だった。さすがに藍良も違和感を覚えたようだ。肉まんを持ったまま首を傾げる仕草がかわいらしくて、もう一度シャッターを切る。
「あー、また撮った」
「ふふ、藍良がかわいくて、つい」
「いーけど。ヒロくんがちゃんと写真を撮るようになって、おれ嬉しいよォ」
普段、熱心に写真を撮ってSNSを更新している藍良。それを見ていると、僕の知らない藍良の表情をたくさん知ることができる。藍良は自分を魅力的に見せるための写真の撮り方を心得ている。それらを楽しませてもらう一方で、僕だって藍良のかわいい表情や仕草を知っているという対抗心も湧いてくる。僕がかわいいと思う藍良は、きっと僕が一番上手に撮れるはずだ。
今日は久しぶりに一日ゆっくりできる日。藍良と一日一緒に過ごせる日だ。僕たちは朝の散歩に出るように街へ繰り出し、コンビニで朝食代わりの肉まんを買った。
「今日は藍良の写真をたくさん撮りたい。いいかな?」
そう言うと、藍良の頬が染まった。
「いいけどォ、ヒロくんも一緒に写ってよねェ」
人通りの少ない道を、歩幅を合わせるように並んで歩く。
午前中は藍良のお目当てのCDショップへ行く計画だ。グッズショップが併設されているので、藍良はよくここでアイドルグッズをチェックしている。発売日がちょうどオフと重なっていたのもあって、僕はこうして藍良とデートができているというわけだ。
藍良が店の外で、早速購入したグッズを開封する。アイドルのランダムブロマイドと、缶バッジをいくつか買ったようだ。
藍良は銀色の袋の中から登場するアイドルひとりひとりについて、僕に解説してくれた。その表情がまたかわいくて、僕はまた写真を撮った。藍良に「ちゃんと聞いてる?」と時々怒られたけれど、それすら嬉しいと思ってしまうのは、僕が藍良に甘すぎだろうか。
藍良がSNS投稿用に、自分のグッズを持って自撮りをする。そして僕がその様子を写真に撮る。後で「自撮りをする藍良だよ!」とコメントを添えて投稿したらいいと、藍良がアドバイスをくれた。僕たちが休日を一緒に過ごしていることを知ると、ファンの皆も喜んでくれるのだ。
CDショップの次に立ち寄ったのは本屋だ。藍良が毎週買っている雑誌を僕が先に見つけて手渡す。毎週欠かさず読むなら、定期購読という自宅に届けてもらえるサービスが便利だと聞く。けれど藍良は、雑誌を買うついでにグッズショップを巡るのを習慣にしているようだ。
お昼が近くなると、僕たちはカフェに立ち寄った。最近、僕は藍良とよくカフェ巡りをしていて、その様子をSNSや配信で紹介することも多い。
いつもは藍良がチェックするカフェに行くのだけれど、今回は僕が提案したカフェに行くことになっていた。ここはハート型のオムライスが有名なお店だから、藍良も喜んでくれると思ったのだ。「またオムライス?」とは言われたけれど。
店の内装はシンプルな木造で、所々に飾られた観葉植物が穏やかな雰囲気を演出していた。控えめに流れる音楽と、客の話し声と食器の音が適度に響いて心地よい。
僕たちはもちろん、この店の看板メニューであるハートのオムライスを注文する。サラダとスープと一緒に運ばれてきたそれは、写真で見たとおりのハート型をしていた。「お好みでどうぞ」とケチャップのボトルが置かれたので、藍良が僕と自分のオムライスに、それぞれ「ひいろ」「あいら」と器用にかいてくれた。名前のあとにスペードとハートのマークを描くのも忘れない。
僕はスマホを構えて、あらゆる角度でオムライスを撮影する。あとでSNSに投稿するための写真を選ぶためだ。選択肢は多い方がいい。僕の場合は、下手な鉄砲も数を撃てば当たるというだけのことだけれど。
「ヒロくんが食べる前に写真を撮るようになって、おれ感心しちゃったよォ」
藍良も慣れた様子で撮影しながら言う。スマホ本体の角度を何度も変えたり、画面上で指を動かしたりしている。多分僕の知らない写真の機能を、使いこなしているんだろう。
「藍良が教えてくれたからね。僕も思い出を写真に残すことの良さが分かったんだ」
「ふふゥ、よろしい。後で新しい加工アプリの使い方、教えてあげるねェ」
写真撮影が終わると、いよいよオムライスにありつける。僕は藍良がかいてくれた僕の名前を少しずつ崩して、じっくり味わう。柔らかい卵の香りと、チキンライスとケチャップの酸味が口に広がる。最初の一口が一番美味しい。それをスプーンに盛って口に含む藍良の表情を、僕は写真に撮り損ねてしまった。
午後はおしゃべりをしながら公園を散歩した。僕たちは最近、空気や景色が綺麗なところを、目的なく歩くのにハマっている。僕は普段、朝のランニングで公園まで行くことはあるけれど、ゆっくり歩くことはないので新鮮だ。藍良は藍良で、レッスンや買い物以外で出歩く理由になっていいと、よく散歩に行きたがった。人が少ない時は歌を歌ったり、芝生の上で踊ったりしながらのんびりと過ごす。たまに、巽先輩やマヨイ先輩がお弁当を持たせてくれることもある。
そして僕は、ここでも藍良の写真を撮った。
隣を歩く横顔。前髪が長い睫毛に引っかかっているところ。気持ちよさそうに歌っているところ。広場を見つけてくるくると踊り出すところ。どんな場面もなるべく逃さないように、僕はスマホを構えていた。けれど。
「ヒロくんも踊ろ!」
そう言って僕の目の前に飛び込んできた満面の笑顔の藍良が、一番かわいいと思った。写真に切り取られた藍良よりも、この目で直接見る藍良が、この手で直接触れられる藍良が一番だ。でも、そのひとつひとつを全て覚えておけるか不安だから、なるべく一瞬一瞬を写真に撮りたい。
「もォ、ヒロくん撮りすぎ!」
噴水横のベンチでもシャッターチャンスを狙っていたら、藍良に怒られてしまった。気づいたら藍良よりも頻繁にスマホをいじっていたようだ。それを持つ手を掴まれる。
「何を熱心に撮ってたのォ?」
藍良の声が無邪気で、それが逆に心臓に悪かった。
「え?」
「一緒に写真選んであげる」
「あっ、えっと……」
藍良が僕の肩に頭を乗せるようにして、手元を覗き込んでくる。断れる気がしなくて、僕は観念してカメラロールを開いた。見られて困るわけじゃないけれど、スマホを持つ手がわずかに汗ばむのが分かった。
朝から何度も切り取った、いろいろな表情の藍良が、いくつもの小さな正方形になって画面いっぱいに並んでいる。肉まんを食べて頬が膨らんでいる藍良、オムライスにケチャップで名前をかいてくれる藍良、一緒に散歩をしているときの横顔、楽しそうに踊っている藍良に、僕に笑いかけてくれる藍良。
「思ったより、おればっかりだった……」
数秒固まった後、藍良が顔を真っ赤にしてスマホを押し返してきた。藍良がどんな顔をするかまでは想像していなかった。その様子を見て、自分がどれだけ同じ人ばかりを追いかけていたかを自覚させられた。
「ご、ごめん……つい」
「別にいいけど、恥ずかしいなァ」
僕たちは木陰のベンチに座って、一緒に写真を眺める。正方形の中の藍良はどれも少しずつ違っていて、どれもが愛おしい。
「かわいく撮れてるの、何枚かちょうだい」
「全部、かわいいと思うけれど……」
「特別かわいいと思うやつ!」
藍良の横顔を盗み見ながら、またひとつ撮り損ねたなと思った。
僕は藍良に、SNSにアップしても問題なさそうな写真をいくつか選んでもらった。僕は藍良ほどSNSを頻繁に更新しないので、新着の一覧が藍良ばっかりにならないようにと釘を刺された。
「ヒロくんばっかり得しててずるいから、おれにもヒロくんを撮らせてよ」
僕がじっと写真を眺めていたら、気まずくなったのか藍良が立ち上がった。ぽんぽんとお尻を払って伸びをする。
「え、構わないけれど……」
「よーし、人いないし動画撮ろ!」
藍良は鞄からスマホ用の三脚を取り出し、慣れた手つきでそれをセッティングする。
ALKALOIDの皆との企画で動画の撮影は何度かしたことがあるし、藍良はプライベートでもよく動画を撮っている。流行っているダンスの振り付けをやってみたり、仲の良いアイドルに簡単なインタビューをしたり。
「ヒロくんに流行のダンス教えてみた! って感じで、ね?」
そう言われて、僕はカメラの前で藍良の真似をして一緒に踊った。
三脚のついたカメラが目の前にあると、空気が仕事用に切り替わる。藍良が覚えたダンスをいくつか教えてくれて、それを続けて撮影した。振り付けを真似する僕を見て、藍良が声を出して笑う。その音を聴いていたら、僕は画面の自分よりも隣の藍良が気になってしまった。
「次はっ、ヒロくんに突撃インタビュー!」
今度は藍良が手持ちにしたスマホを僕に向けた。僕は慌てて「アイドル・天城一彩」としての自分を呼び起こす。けれど、今はそれが上手くできなかった。カメラに向かって一緒に手を振るのも楽しいけれど。胸の奥から藍良に対する甘えが顔を出す。
「あ、藍良」
「なァに?」
言葉を選んでいる間に、時間だけが先に進んでいくようで焦る。
「せっかく今日は休日なんだから、その……仕事用の動画はこれくらいにしようよ」
スマホのカメラを見つめてそう懇願すると、その向こうで藍良が眉を下げて笑った。
「それもそうだねェ、ごめん」
「ううん。今度また一緒に撮ろう」
藍良が三脚と自撮り棒を片付けて、もう一度ベンチに座り直す。僕の機嫌を伺うように、手を握ってくれた。
「次は何するゥ?」
「えっと……」
「ん?」
喉まで出かかった言葉を、何度も飲み込んでから、ようやく形にする。
「今日、部屋は僕ひとりなんだけど、良かったら来ない?」
思わず、藍良の手を強く握り返していた。今日を終わらせたくない、という気持ちだけがはっきりしていた。
星奏館へ一緒に帰って、食堂で夕食を食べたあと、僕は大急ぎで自分の部屋へ戻った。藍良が泊まりの準備と、お風呂を済ませるために自室へ行くというので、その間に僕も自分の準備をすることにしたのだ。
今日は椎名さんもひなたくんも不在だ。椎名さんは泊まりのロケで、ひなたくんも遅くまで仕事だ。事情を話したら「今日は外泊にするから、藍良くんとゆっくりしなよ」と提案された。一通りからかわれたけれど、理解のあるルームメイトの存在はありがたい。
部屋を簡単に片付けてから僕もシャワーを浴びて、頭にバスタオルを被ったまま、部屋になにも問題がないかを確認して回った。スマホに「今から行く」とメッセージが来ているのに気づいた時には、部屋のインターホンが鳴った。
「お世話になりまーす」
そう言って藍良が入ってきて、部屋の扉が閉まると僕にぶつかってきた。そのままぎゅうと抱きしめられた時に、藍良の髪からいい匂いがした。見下ろせばかわいらしいつむじの形がよく分かる。あとで写真に撮らせてもらおうと、こっそり思った。
「ヒロくん髪ちゃんと乾かしてないじゃん。やってあげる」
待ちきれず構おうとしたら、藍良が僕の抱擁をするりと抜ける。洗面所の椅子に誘導されて、ドライヤーのスイッチが入るまでほんの数秒だった。藍良が上機嫌で僕の髪に触れるのを、鏡越しに眺める。風の音でおしゃべりができないのは残念だけれど、藍良が優しく髪に触れてくれるこの時間が僕は好きだ。今日はたまたまだけれど、わざと髪を乾かさないで待っていたこともある。
髪を乾かした後、今度こそ僕のベッドに藍良が座る。藍良の動きに合わせて、シーツのしわが形を変えるのがやけに気になった。
「藍良のこと、撮ってもいい?」
「え、まだ撮るのォ?」
文句を言いながらも、藍良はベッドの端に腰を落ち着けたままだった。逃げる気はないらしい。
僕は寝間着姿の藍良を写真に撮った。藍良も油断しているところを撮られるわけにはいかないのか、ちゃんと表情を作ったりポーズをとったりしてくれる。けれど、僕が撮りたいのは自然体の藍良だから、あまりカメラを意識しなくてもいいんだけど。
僕は藍良の手をとって、小さな指先を撫でたり、つまんだりする。触れるたび、藍良がほんの少しだけ肩をすくめる。その反応すら、僕のものみたいに思えてしまって、胸の奥が落ち着かなくなる。よく手入れされた爪がかわいくて、僕はそれもスマホで撮った。
「初めてカメラを持った子どもみたい」
否定できなくて、僕は小さく息をついた。返す言葉を探して、視線を落とす。
「似たようなものかもしれないよ」
「ん?」
首を傾げて、僕の言葉を待つ藍良。どこから話したものかと、探すように目が泳いでしまう。
僕は藍良に、SNSで発信することの大切さを聞いてから、藍良のアカウントをよくチェックするようにしていた。それで藍良の写真を眺めていたら、僕の知らない藍良の表情がいっぱいあることに気づいた。それを見るのがとても楽しみな反面、心がモヤモヤするようになったんだ。
一度言葉に出てしまえば、あとは吐き出すように次から次へと口が回る。半ば投げやりのような気持ちで、僕は白状した。
「僕のほうが藍良を知ってるのに。僕しか知らない藍良の表情がいっぱいあるはずなんだって。どうしてか対抗意識が……」
「それ、オタクが推しのプライベートを想像して、勝手に病む時のやつだから!」
藍良の声が跳ねて、空気が変わるのを感じた。僕は同じベッドに体重を預けている藍良の存在を、強く意識する。息を吸って、覚悟を決めた。
「だから今日は藍良を独り占めしたいんだ。いいかな」
言いながら、身体はもう藍良のほうへと傾いていた。
「部屋に連れ込んでおいて今更?」
藍良が呆れたように笑う。その声は軽くて、さっきより少し柔らかい。同時に、距離が縮まる気配がした。
「ふふ、そうだね」
目が合う。藍良は僕を受け入れてくれると決めた時に静かになる。その沈黙の意味を知っているのは僕だけだ。藍良が何かを許すとき、決まってこうして言葉を手放すことも。藍良のまつ毛が何度か瞬く。そしてそれが閉じるのと同時に、抱きしめて唇を重ねた。
甘いお菓子を乗せるみたいに、大事にベッドの上に寝かせる。目が合うと笑い合って、また自然に唇が重なった。何度か触れるだけのキスをして、そのまま頬や鼻、おでこ、余すことなく全部僕のものにしたくて、夢中で口づけた。
「もう、ヒロくんくすぐったい」
「かわいい、藍良」
写真では分からない藍良の柔らかな肌、におい、甘い声。やっぱり本物の藍良が一番いい。でもそれはそれとして、この瞬間の藍良の表情をずっと覚えていたいとも思ってしまう。僕に触れられて、のぼせたように真っ赤になっている藍良を一枚だけ写真に撮ったら枕で叩かれた。
「おれにも撮らせて」
藍良の手が伸びてきて、僕に振れる。撫でられているのは頬なのに、背中にぞくりとした感覚が走った。
「僕、情けない顔してない?」
「んーん、かわいい顔してるよォ」
冗談めかした笑顔に、何故か逃げ場を失った気がした。吸い込まれるように、惹かれる。
「ねえ、藍良のこと沢山撮りたい」
「……うん」
ベッドの上で重なる体温が、言葉よりも確かに答えを伝えていた。食むように口づけると、思考まで藍良のにおいで満たされた。
僕たちはキスをしたり、触れ合ったり、お互いを写真に撮り合った。見つめると肌が分かりやすく色づいて、戸惑うように身を捩る。
藍良の反応に僕はだんだんと物足りなくなって、少し意地の悪い気持ちが、胸の奥で膨らんできた。僕は自然とスマホを手放して、深くキスを押し付けながら、藍良を抱きしめていた。
今夜はもう、写真を撮る必要はないと思った。
朝、いつもの時間に目が覚めた僕は、隣で寝ている藍良を起こさないよう、慎重にベッドから出る。床に落ちていたシャツを拾って身につけてから、部屋の明かりをつけた。
昨夜のやりとりが、言葉にならないまま頭のなかでゆらゆらと溶けている。確かめる必要もないほど、静かに満ちていた。
眩しいのか、藍良がもぞもぞと寝返りを打つ。ブランケットを肩までかけてあげた。
すうすうと寝息を立てている様子がかわいくて、僕はそっとスマホを構えた。静かな部屋にカシャッという音が大きく響いて、藍良がゆっくりと目を開ける。
「……いま、撮ったでしょ」
藍良の低い声に、つい口元が緩む。
「気づいたかい?」
藍良はすぐには起き上がらない。眠気に引き戻されるみたいに、またブランケットに顔をうずめる。
「もォ……後で教えてあげるから、鍵付きのフォルダに入れてよねェ」
僕は返事をする代わりに、隠れきれていない藍良のおでこに、そっとキスをした。
おわり
シャッター音が思ったよりも大きく響いて、藍良が僕の顔を見た。
「珍しい。ヒロくんが食べる前に撮るの」
僕がスマホを構えて立ち止まるのは、今朝だけでもう三度目だった。さすがに藍良も違和感を覚えたようだ。肉まんを持ったまま首を傾げる仕草がかわいらしくて、もう一度シャッターを切る。
「あー、また撮った」
「ふふ、藍良がかわいくて、つい」
「いーけど。ヒロくんがちゃんと写真を撮るようになって、おれ嬉しいよォ」
普段、熱心に写真を撮ってSNSを更新している藍良。それを見ていると、僕の知らない藍良の表情をたくさん知ることができる。藍良は自分を魅力的に見せるための写真の撮り方を心得ている。それらを楽しませてもらう一方で、僕だって藍良のかわいい表情や仕草を知っているという対抗心も湧いてくる。僕がかわいいと思う藍良は、きっと僕が一番上手に撮れるはずだ。
今日は久しぶりに一日ゆっくりできる日。藍良と一日一緒に過ごせる日だ。僕たちは朝の散歩に出るように街へ繰り出し、コンビニで朝食代わりの肉まんを買った。
「今日は藍良の写真をたくさん撮りたい。いいかな?」
そう言うと、藍良の頬が染まった。
「いいけどォ、ヒロくんも一緒に写ってよねェ」
人通りの少ない道を、歩幅を合わせるように並んで歩く。
午前中は藍良のお目当てのCDショップへ行く計画だ。グッズショップが併設されているので、藍良はよくここでアイドルグッズをチェックしている。発売日がちょうどオフと重なっていたのもあって、僕はこうして藍良とデートができているというわけだ。
藍良が店の外で、早速購入したグッズを開封する。アイドルのランダムブロマイドと、缶バッジをいくつか買ったようだ。
藍良は銀色の袋の中から登場するアイドルひとりひとりについて、僕に解説してくれた。その表情がまたかわいくて、僕はまた写真を撮った。藍良に「ちゃんと聞いてる?」と時々怒られたけれど、それすら嬉しいと思ってしまうのは、僕が藍良に甘すぎだろうか。
藍良がSNS投稿用に、自分のグッズを持って自撮りをする。そして僕がその様子を写真に撮る。後で「自撮りをする藍良だよ!」とコメントを添えて投稿したらいいと、藍良がアドバイスをくれた。僕たちが休日を一緒に過ごしていることを知ると、ファンの皆も喜んでくれるのだ。
CDショップの次に立ち寄ったのは本屋だ。藍良が毎週買っている雑誌を僕が先に見つけて手渡す。毎週欠かさず読むなら、定期購読という自宅に届けてもらえるサービスが便利だと聞く。けれど藍良は、雑誌を買うついでにグッズショップを巡るのを習慣にしているようだ。
お昼が近くなると、僕たちはカフェに立ち寄った。最近、僕は藍良とよくカフェ巡りをしていて、その様子をSNSや配信で紹介することも多い。
いつもは藍良がチェックするカフェに行くのだけれど、今回は僕が提案したカフェに行くことになっていた。ここはハート型のオムライスが有名なお店だから、藍良も喜んでくれると思ったのだ。「またオムライス?」とは言われたけれど。
店の内装はシンプルな木造で、所々に飾られた観葉植物が穏やかな雰囲気を演出していた。控えめに流れる音楽と、客の話し声と食器の音が適度に響いて心地よい。
僕たちはもちろん、この店の看板メニューであるハートのオムライスを注文する。サラダとスープと一緒に運ばれてきたそれは、写真で見たとおりのハート型をしていた。「お好みでどうぞ」とケチャップのボトルが置かれたので、藍良が僕と自分のオムライスに、それぞれ「ひいろ」「あいら」と器用にかいてくれた。名前のあとにスペードとハートのマークを描くのも忘れない。
僕はスマホを構えて、あらゆる角度でオムライスを撮影する。あとでSNSに投稿するための写真を選ぶためだ。選択肢は多い方がいい。僕の場合は、下手な鉄砲も数を撃てば当たるというだけのことだけれど。
「ヒロくんが食べる前に写真を撮るようになって、おれ感心しちゃったよォ」
藍良も慣れた様子で撮影しながら言う。スマホ本体の角度を何度も変えたり、画面上で指を動かしたりしている。多分僕の知らない写真の機能を、使いこなしているんだろう。
「藍良が教えてくれたからね。僕も思い出を写真に残すことの良さが分かったんだ」
「ふふゥ、よろしい。後で新しい加工アプリの使い方、教えてあげるねェ」
写真撮影が終わると、いよいよオムライスにありつける。僕は藍良がかいてくれた僕の名前を少しずつ崩して、じっくり味わう。柔らかい卵の香りと、チキンライスとケチャップの酸味が口に広がる。最初の一口が一番美味しい。それをスプーンに盛って口に含む藍良の表情を、僕は写真に撮り損ねてしまった。
午後はおしゃべりをしながら公園を散歩した。僕たちは最近、空気や景色が綺麗なところを、目的なく歩くのにハマっている。僕は普段、朝のランニングで公園まで行くことはあるけれど、ゆっくり歩くことはないので新鮮だ。藍良は藍良で、レッスンや買い物以外で出歩く理由になっていいと、よく散歩に行きたがった。人が少ない時は歌を歌ったり、芝生の上で踊ったりしながらのんびりと過ごす。たまに、巽先輩やマヨイ先輩がお弁当を持たせてくれることもある。
そして僕は、ここでも藍良の写真を撮った。
隣を歩く横顔。前髪が長い睫毛に引っかかっているところ。気持ちよさそうに歌っているところ。広場を見つけてくるくると踊り出すところ。どんな場面もなるべく逃さないように、僕はスマホを構えていた。けれど。
「ヒロくんも踊ろ!」
そう言って僕の目の前に飛び込んできた満面の笑顔の藍良が、一番かわいいと思った。写真に切り取られた藍良よりも、この目で直接見る藍良が、この手で直接触れられる藍良が一番だ。でも、そのひとつひとつを全て覚えておけるか不安だから、なるべく一瞬一瞬を写真に撮りたい。
「もォ、ヒロくん撮りすぎ!」
噴水横のベンチでもシャッターチャンスを狙っていたら、藍良に怒られてしまった。気づいたら藍良よりも頻繁にスマホをいじっていたようだ。それを持つ手を掴まれる。
「何を熱心に撮ってたのォ?」
藍良の声が無邪気で、それが逆に心臓に悪かった。
「え?」
「一緒に写真選んであげる」
「あっ、えっと……」
藍良が僕の肩に頭を乗せるようにして、手元を覗き込んでくる。断れる気がしなくて、僕は観念してカメラロールを開いた。見られて困るわけじゃないけれど、スマホを持つ手がわずかに汗ばむのが分かった。
朝から何度も切り取った、いろいろな表情の藍良が、いくつもの小さな正方形になって画面いっぱいに並んでいる。肉まんを食べて頬が膨らんでいる藍良、オムライスにケチャップで名前をかいてくれる藍良、一緒に散歩をしているときの横顔、楽しそうに踊っている藍良に、僕に笑いかけてくれる藍良。
「思ったより、おればっかりだった……」
数秒固まった後、藍良が顔を真っ赤にしてスマホを押し返してきた。藍良がどんな顔をするかまでは想像していなかった。その様子を見て、自分がどれだけ同じ人ばかりを追いかけていたかを自覚させられた。
「ご、ごめん……つい」
「別にいいけど、恥ずかしいなァ」
僕たちは木陰のベンチに座って、一緒に写真を眺める。正方形の中の藍良はどれも少しずつ違っていて、どれもが愛おしい。
「かわいく撮れてるの、何枚かちょうだい」
「全部、かわいいと思うけれど……」
「特別かわいいと思うやつ!」
藍良の横顔を盗み見ながら、またひとつ撮り損ねたなと思った。
僕は藍良に、SNSにアップしても問題なさそうな写真をいくつか選んでもらった。僕は藍良ほどSNSを頻繁に更新しないので、新着の一覧が藍良ばっかりにならないようにと釘を刺された。
「ヒロくんばっかり得しててずるいから、おれにもヒロくんを撮らせてよ」
僕がじっと写真を眺めていたら、気まずくなったのか藍良が立ち上がった。ぽんぽんとお尻を払って伸びをする。
「え、構わないけれど……」
「よーし、人いないし動画撮ろ!」
藍良は鞄からスマホ用の三脚を取り出し、慣れた手つきでそれをセッティングする。
ALKALOIDの皆との企画で動画の撮影は何度かしたことがあるし、藍良はプライベートでもよく動画を撮っている。流行っているダンスの振り付けをやってみたり、仲の良いアイドルに簡単なインタビューをしたり。
「ヒロくんに流行のダンス教えてみた! って感じで、ね?」
そう言われて、僕はカメラの前で藍良の真似をして一緒に踊った。
三脚のついたカメラが目の前にあると、空気が仕事用に切り替わる。藍良が覚えたダンスをいくつか教えてくれて、それを続けて撮影した。振り付けを真似する僕を見て、藍良が声を出して笑う。その音を聴いていたら、僕は画面の自分よりも隣の藍良が気になってしまった。
「次はっ、ヒロくんに突撃インタビュー!」
今度は藍良が手持ちにしたスマホを僕に向けた。僕は慌てて「アイドル・天城一彩」としての自分を呼び起こす。けれど、今はそれが上手くできなかった。カメラに向かって一緒に手を振るのも楽しいけれど。胸の奥から藍良に対する甘えが顔を出す。
「あ、藍良」
「なァに?」
言葉を選んでいる間に、時間だけが先に進んでいくようで焦る。
「せっかく今日は休日なんだから、その……仕事用の動画はこれくらいにしようよ」
スマホのカメラを見つめてそう懇願すると、その向こうで藍良が眉を下げて笑った。
「それもそうだねェ、ごめん」
「ううん。今度また一緒に撮ろう」
藍良が三脚と自撮り棒を片付けて、もう一度ベンチに座り直す。僕の機嫌を伺うように、手を握ってくれた。
「次は何するゥ?」
「えっと……」
「ん?」
喉まで出かかった言葉を、何度も飲み込んでから、ようやく形にする。
「今日、部屋は僕ひとりなんだけど、良かったら来ない?」
思わず、藍良の手を強く握り返していた。今日を終わらせたくない、という気持ちだけがはっきりしていた。
星奏館へ一緒に帰って、食堂で夕食を食べたあと、僕は大急ぎで自分の部屋へ戻った。藍良が泊まりの準備と、お風呂を済ませるために自室へ行くというので、その間に僕も自分の準備をすることにしたのだ。
今日は椎名さんもひなたくんも不在だ。椎名さんは泊まりのロケで、ひなたくんも遅くまで仕事だ。事情を話したら「今日は外泊にするから、藍良くんとゆっくりしなよ」と提案された。一通りからかわれたけれど、理解のあるルームメイトの存在はありがたい。
部屋を簡単に片付けてから僕もシャワーを浴びて、頭にバスタオルを被ったまま、部屋になにも問題がないかを確認して回った。スマホに「今から行く」とメッセージが来ているのに気づいた時には、部屋のインターホンが鳴った。
「お世話になりまーす」
そう言って藍良が入ってきて、部屋の扉が閉まると僕にぶつかってきた。そのままぎゅうと抱きしめられた時に、藍良の髪からいい匂いがした。見下ろせばかわいらしいつむじの形がよく分かる。あとで写真に撮らせてもらおうと、こっそり思った。
「ヒロくん髪ちゃんと乾かしてないじゃん。やってあげる」
待ちきれず構おうとしたら、藍良が僕の抱擁をするりと抜ける。洗面所の椅子に誘導されて、ドライヤーのスイッチが入るまでほんの数秒だった。藍良が上機嫌で僕の髪に触れるのを、鏡越しに眺める。風の音でおしゃべりができないのは残念だけれど、藍良が優しく髪に触れてくれるこの時間が僕は好きだ。今日はたまたまだけれど、わざと髪を乾かさないで待っていたこともある。
髪を乾かした後、今度こそ僕のベッドに藍良が座る。藍良の動きに合わせて、シーツのしわが形を変えるのがやけに気になった。
「藍良のこと、撮ってもいい?」
「え、まだ撮るのォ?」
文句を言いながらも、藍良はベッドの端に腰を落ち着けたままだった。逃げる気はないらしい。
僕は寝間着姿の藍良を写真に撮った。藍良も油断しているところを撮られるわけにはいかないのか、ちゃんと表情を作ったりポーズをとったりしてくれる。けれど、僕が撮りたいのは自然体の藍良だから、あまりカメラを意識しなくてもいいんだけど。
僕は藍良の手をとって、小さな指先を撫でたり、つまんだりする。触れるたび、藍良がほんの少しだけ肩をすくめる。その反応すら、僕のものみたいに思えてしまって、胸の奥が落ち着かなくなる。よく手入れされた爪がかわいくて、僕はそれもスマホで撮った。
「初めてカメラを持った子どもみたい」
否定できなくて、僕は小さく息をついた。返す言葉を探して、視線を落とす。
「似たようなものかもしれないよ」
「ん?」
首を傾げて、僕の言葉を待つ藍良。どこから話したものかと、探すように目が泳いでしまう。
僕は藍良に、SNSで発信することの大切さを聞いてから、藍良のアカウントをよくチェックするようにしていた。それで藍良の写真を眺めていたら、僕の知らない藍良の表情がいっぱいあることに気づいた。それを見るのがとても楽しみな反面、心がモヤモヤするようになったんだ。
一度言葉に出てしまえば、あとは吐き出すように次から次へと口が回る。半ば投げやりのような気持ちで、僕は白状した。
「僕のほうが藍良を知ってるのに。僕しか知らない藍良の表情がいっぱいあるはずなんだって。どうしてか対抗意識が……」
「それ、オタクが推しのプライベートを想像して、勝手に病む時のやつだから!」
藍良の声が跳ねて、空気が変わるのを感じた。僕は同じベッドに体重を預けている藍良の存在を、強く意識する。息を吸って、覚悟を決めた。
「だから今日は藍良を独り占めしたいんだ。いいかな」
言いながら、身体はもう藍良のほうへと傾いていた。
「部屋に連れ込んでおいて今更?」
藍良が呆れたように笑う。その声は軽くて、さっきより少し柔らかい。同時に、距離が縮まる気配がした。
「ふふ、そうだね」
目が合う。藍良は僕を受け入れてくれると決めた時に静かになる。その沈黙の意味を知っているのは僕だけだ。藍良が何かを許すとき、決まってこうして言葉を手放すことも。藍良のまつ毛が何度か瞬く。そしてそれが閉じるのと同時に、抱きしめて唇を重ねた。
甘いお菓子を乗せるみたいに、大事にベッドの上に寝かせる。目が合うと笑い合って、また自然に唇が重なった。何度か触れるだけのキスをして、そのまま頬や鼻、おでこ、余すことなく全部僕のものにしたくて、夢中で口づけた。
「もう、ヒロくんくすぐったい」
「かわいい、藍良」
写真では分からない藍良の柔らかな肌、におい、甘い声。やっぱり本物の藍良が一番いい。でもそれはそれとして、この瞬間の藍良の表情をずっと覚えていたいとも思ってしまう。僕に触れられて、のぼせたように真っ赤になっている藍良を一枚だけ写真に撮ったら枕で叩かれた。
「おれにも撮らせて」
藍良の手が伸びてきて、僕に振れる。撫でられているのは頬なのに、背中にぞくりとした感覚が走った。
「僕、情けない顔してない?」
「んーん、かわいい顔してるよォ」
冗談めかした笑顔に、何故か逃げ場を失った気がした。吸い込まれるように、惹かれる。
「ねえ、藍良のこと沢山撮りたい」
「……うん」
ベッドの上で重なる体温が、言葉よりも確かに答えを伝えていた。食むように口づけると、思考まで藍良のにおいで満たされた。
僕たちはキスをしたり、触れ合ったり、お互いを写真に撮り合った。見つめると肌が分かりやすく色づいて、戸惑うように身を捩る。
藍良の反応に僕はだんだんと物足りなくなって、少し意地の悪い気持ちが、胸の奥で膨らんできた。僕は自然とスマホを手放して、深くキスを押し付けながら、藍良を抱きしめていた。
今夜はもう、写真を撮る必要はないと思った。
朝、いつもの時間に目が覚めた僕は、隣で寝ている藍良を起こさないよう、慎重にベッドから出る。床に落ちていたシャツを拾って身につけてから、部屋の明かりをつけた。
昨夜のやりとりが、言葉にならないまま頭のなかでゆらゆらと溶けている。確かめる必要もないほど、静かに満ちていた。
眩しいのか、藍良がもぞもぞと寝返りを打つ。ブランケットを肩までかけてあげた。
すうすうと寝息を立てている様子がかわいくて、僕はそっとスマホを構えた。静かな部屋にカシャッという音が大きく響いて、藍良がゆっくりと目を開ける。
「……いま、撮ったでしょ」
藍良の低い声に、つい口元が緩む。
「気づいたかい?」
藍良はすぐには起き上がらない。眠気に引き戻されるみたいに、またブランケットに顔をうずめる。
「もォ……後で教えてあげるから、鍵付きのフォルダに入れてよねェ」
僕は返事をする代わりに、隠れきれていない藍良のおでこに、そっとキスをした。
おわり
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