ミルクにスミレ
藍良は今日の分の仕事を問題なく終え、ホテルのベッドに倒れ込んだ。程よい弾力のマットレスに、洗いたてのシーツの匂いについうとうとしてしまう。仕事はとても楽しい。普段は着ないテイストの衣装や、歌って踊っているだけではお目にかかれないセットでの撮影はいい経験になった。
食事も美味しい。ムック本の出版を企画してくれている出版社の好意で、普段のロケでは泊まらないような豪華なホテルを予約してもらえた。ゆえに部屋の内装や設備も最高だった。
ただひとつ気がかりがあるとすれば、ESに残してきた一彩のことだ。ずっと頭から離れない。一彩はあの日、藍良のことを抱きしめて、好きだと言った。紛れもない、愛の告白だった。今までそんな素振りは無かったのに。いや、あるにはあったのだろうか。ただ一彩はもともとスキンシップなどの愛情表現が大げさだから気づかなかった。あるいは、藍良が無意識に気づかないふりをしていただけか。
「ヒロくんが、おれのことを、好き」
声に出して呟いてみると、かぁっと顔が熱くなる。抱きしめられた時の、一彩の腕の力強さや体温が肌に蘇ってくる。
一彩が大好きだと言ってくることはよくあった。スキンシップに慣れていない藍良はその都度恥ずかしくなっていたが、いつの間にか慣れてしまっていたようだ。あの夜の一彩は、いつものハグやスキンシップから感じられる、子どものような無邪気さは無かった。今まで何度も言われた「好き」という言葉だけれど、あんなに切羽詰まって、絞り出すような声で言われる「好き」は初めてだった。一彩に自覚があるのかは知らないが、あの時一彩は間違いなく藍良を「欲しい」と思って抱きしめていた。あのままじっとしていたら、心にまで深く踏み込まれてしまっていたかもしれない。藍良はどう感じていいか分からずに、ベッドの枕を抱きしめた。一人で何もせずに静かにしていると、すぐ頭に一彩のことが浮かんでしまう。
「なんで、今なの?」
あの時一彩に投げかけた質問を呟いてみる。声は枕の中に籠って響かなかった。あの時はこれ以外の言葉が出なかった。大事な仕事に出かける前日に、藍良の心を乱すことを言うなんて信じられなかったから、咄嗟に返事を保留にしてしまった。この問題については、藍良が無事に撮影の仕事を終えてESに帰るまでは触れることはできない。これ以上動揺してしまうと、仕事に支障が出かねない。
一彩に質問したいことはもうひとつある。
「ヒロくんは、おれの何がそんなに好きなの?」
口にすれば誰かが答えてくれるわけではないが、声に出さなければ心によくないものが溜まりそうだった。
自分のことを好きだと言ってくる相手にはどうしても身構えてしまう。それはけして一彩のせいではなく、藍良の記憶にこびりついて消えない、苦い経験のせいだ。
想いを馳せている間に眠ってしまいそうだったので、藍良は枕を持ったまま、鏡台の前に座った。帰ってきてそのままだからメイクはまだ落としていないし、髪のセットは先ほど寝転がった時に少し崩れただけ。鏡に映っているのは、アイドル「白鳥藍良」だ。
どうやら自分の顔などの見た目が「かわいい」という評価を受けるらしいと知ったのは子どもの頃だった。小学校に上がったくらいだろうか。異国の血が流れている藍良は、人と少しだけ見た目が違うらしく、色んな人から「かわいいね」「かっこいいね」と持てはやされた。容姿を褒められるのは嬉しかった。自分で自分のことをかわいいと思ったのではない。周りがそうだと何度も肯定したのだ。だから藍良は自分の容姿に多少の自信を持つに至った。しかし、その自信が良い方向へと作用することはあまりなかった。周りの者は皆、藍良の見た目のみに興味をもって近づいてきて、ちやほやして、クォーターであることをそれだけで「すごい」と言った。そうやって藍良の機嫌をとったあとで、日本語しか話せないことや、アイドルオタクであることが分かると露骨にがっかりした表情をした。勝手に期待して、勝手に幻滅したのだ。友達だと思っていた人が離れていくことが繰り返されて、このかわいらしい見た目は、自身にとって生きづらさを感じさせる原因となってしまった。
いつしか、かわいいと言われることが煩わしくなって、藍良はどんどん内向的になっていき、前髪を長く伸ばして俯くようになった。それから、友達はほとんど出来なくなっていった。
ネットの世界の顔の見えない友達と交流するようになったのはこの頃からだった。そして、見ているだけだったアイドルに強く憧れるようになって夢ノ咲学院への入学を決め、苦労の末アイドルになり、ALKALOIDと出会った。アイドル業界は、かわいい見た目が武器になる世界。「変」が個性として愛される世界。周りに強烈な個性を持っている人が多すぎて、案外自分は普通なのではないかと思うほどだった。
だから忘れていた。かわいい、かわいいと連呼して、ちやほやと甘やかしてくる人のことが、かつて苦手だったことを。それらを思い出してしまったのは一彩のせいだ。あんな目で見つめられて、抱きしめられて、あんな声で好きだと言われたら戸惑う。自分はまだ、人から好意を向けられることに慣れていないようだ。
どうせ一彩だって、藍良の中身を知ったら幻滅する。近づけば近づくほど色んなことを知って、それから。
そこまで考えて、気づいた。
「……ヒロくん、おれの中身知ってるじゃん」
藍良は普段の自由時間は一彩と過ごしていることが多い。だから一彩は、藍良がアイドルオタクであることも、日本語しか話せないことも、勉強が苦手だということも、全部知っている。一彩があまり言い返さないのを良いことに、遠慮無く強い言葉をぶつけたことだってある。はしたないと怒られたこともあるし、年下のくせに生意気を言ったりもしてきた。一彩が許してくれるから調子に乗って、随分ひどい物言いもした。
「え、ウソ……」
それでも一彩は、藍良のことが好きだと言った。考えれば考えるほど言い訳する隙がなくなっていって、どんどん体温が上がっていく。
「ヒロくん、ほんとにほんとに、おれのこと好きなの?」
急に告白された実感が湧いてきて、藍良は思わず枕を投げる。ビジネスホテルよりも数段良いホテルなので控えめに暴れてから、ベッドに倒れて天井を仰いだ。
「はぁぁ……なんなの、ほんとに」
一彩に会えるのは、三日後。それまでにこなさないといけない仕事は山ほどある。今は、考えたって仕方がない。
「メイク落とそ……」
藍良は声にならない声で、ぼそぼそと呟いた。帰るまでは、このことについての思考は一時停止しておこうと思った。
◇◇◇
平均よりも長い時間画面を見ていますと、スマホに内臓されている節電アプリが警告してきた。言われなくても分かっている。
ドラマの撮影に使う移動式のメイクルーム。その中で、一彩は休憩をとっていた。ケータリングは既に完食し、先ほどスタッフが空箱を回収していった。時刻は夕方。昼食には遅く、夕食には早い弁当だった。
「藍良……」
トラックのコンテナ内を丸ごと楽屋にしたそれには、今は一彩しかいない。だから思わず溜め息とともに口にした名前は、誰にも聞かれることはなかった。
今日はドラマの撮影のためにロケに来ているが、一彩の登場シーンの撮影は本日分をもう終えており、現在は同行している役者たちの撮影が終わるのを待っている状況だった。
周辺で買い物をしてきてもいいと言われたが、一彩はなんとなく楽屋で休んでいた。手にはスマホを持っており、その画面にはいつも通りSNSが表示されている。
日課である藍良の投稿のチェック。藍良は長期ロケ中も変わらずまめに更新しており、会えない間の藍良の様子が綴られていた。フォトブックの撮影があることはまだ告知してはいけないようで、どこにどんな用事で滞在しているのかは細かく書かれていなかった。コメント欄ではファンたちが「藍良くんどこにいるの?」「何かの撮影?」とわくわくしながら推理していた。本人のページには、まるでプライベートを楽しんでいるかのような楽しそうな写真が並んでいる。そのうちの一つ、ビードロと一緒に写っている画像を見て心が揺れた。ビー玉を膨らませたような、丸いガラスの一輪挿しが並ぶ棚を背に、振り返って微笑む藍良。スタッフに撮ってもらったのだろう。一枚の絵のような写真で、とても美しかった。
その写真に「いいね」のボタンをタップしようとして、思い留まる。藍良には、帰ってくるまでお互い連絡をとらず、「あの話」を保留にすることや、お互いちゃんと仕事に集中することをマヨイを通して伝えられていた。藍良のいない間、連絡を取り合わないだけでなく、SNSにコメントをしないことも約束した。「いいね」を禁止されているわけではないが、何となくボタンを押せない。
藍良は昨日出発したばかりだ。帰ってくるのは明明後日。まだ、しばらくは会えない。顔を合わせない日は無かったから、昨日の今日でもう既に寂しい。
『お前がそんなんだから、アイツも不安で逃げるんじゃねーの』
不意にかかった声に顔を上げると、葵ゆうたが立っていた。いつもの無邪気で明るい雰囲気はなく、目を細めて一彩を少し睨んでいる。その表情に覚えのある一彩は、同じように目を据わらせた。
『どういう意味だ?』
『アイツの可能性を、お前が潰してるってことにいい加減気づけよ』
ドラマの台詞のはずなのに、やけに心に刺さる。一彩がはぁっと息を吐くと、ゆうたはニッと双子の兄によく似た笑顔を見せた。
「なーんてね。一彩くん、今日の演技は一段と役に入ってたね?」
「そうだった?」
ゆうたはコンビニの袋をテーブルに置く。中にはサンドイッチが入っているようだ。主演二人の次に出番の多い役であるゆうたも、今日は撮影をこなさねばならないシーンが多かったはずだ。ケータリングだけでは足りなかったのだろう。
「うん。アンニュイな表情が心に迫るというか、こっちまで引き込まれちゃったもん」
ゆうたが演じているのは一彩が演じる少年の、親友役だ。
「ありがとう。ゆうたくんが合わせてくれるから、僕はとても演りやすいよ」
「合わせるのは得意だからね~」
ゆうたはサンドイッチを食べ始める。マヨネーズの、塩気のあるつんとした香りがした。
「ねぇ一彩くん、最近何かあった?」
「え、どうして?」
「最近ドラマのことで一緒にいるもん。今日の調子がいつもと違うことくらい、分かるよ」
やはり、先ほどドラマの台詞に乗せて話しかけてきたのには意図があったようだ。
「話を、聞いてもらえるだろうか」
一彩はゆうたに、最近あったことをほとんど話した。藍良のことが大切なのに、その想いが上手く伝わらないこと。自分の想いは、どうやら空回っているらしいこと。藍良をしっかり捕まえていないと、どこかへ飛んで行ってしまいそうで不安なこと。
ゆうたは一通り話を聴いた後、スナック菓子の袋を一彩にも近づけて言う。
「一彩くんはさ、藍良くんにこうあって欲しいとか、自分にこうさせて欲しいとかって押し付けちゃってない?」
ひとつ貰うよ、と断ってそのスナック菓子をひとつもらうが、一彩には辛すぎてすぐにお茶で流し込んだ。
「こうあって、欲しい?」
一彩は藍良に言われたことを思い出す。「おれにどうなって欲しいの」という言葉を。
「白鳥くんに理想を持ちすぎてないかってことだよ」
何か心当たりがあるのか、ゆうたの言葉は的を得ているような気がした。一彩は、あの夜のことを思い出す。藍良に言われた言葉は一言一句逃さず覚えていた。腕の中で、一番近くで聞いたから。
「藍良に、おれをどうしたいのか、おれにどうなって欲しいのかって、聞かれた」
「一彩くんはさ、藍良くんのどういう所が好きなの?」
「……かわいらしくて、何事にも全力で一生懸命で、いつも僕のそばで笑ったり怒ったりしてくれるところ……かな」
話しながら、一彩もなんだか汗をかいてきたような気がする。『藍良は今日もかわいいね』『見ていて、藍良』と自分が今まで藍良に向けて発した言葉や行動が、次々に脳裏に再生されていく。それはまるで、間違い探しのようだった。
「なるほどね。でもそれって、白鳥くんがそうありたいって思ってることなの?」
どくんと、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。藍良がかわいらしいのは事実だから、かわいいという言葉をかけて当然だと思っていた。
「白鳥くんにとって、かわいいねって言われるのは褒め言葉だと思うよ。言われて嬉しいとも思う。でも、もし白鳥くんがかっこよくなりたいって思ってたら?」
そういうことを、考えてあげたことはある? とゆうたは優しく問う。
「白鳥くんのなりたい姿を、一彩くんの言葉で押さえつけてない?」
自分は、愛情表現をしているつもりが、ただ自己満足に浸っていただけだということだろうか。
「うちのアニキがそうだったからね。お兄ちゃんに任せて! とか言って、ゆうたくんはそのままでいてって押さえつけてさ」
ゆうたはハバネロとパッケージに書かれたスナック菓子を、ぽいぽいと口に入れていく。見てるだけで口が辛くなりそうだ。
「アニキはどんどん先に行こうとするくせに、俺には変わるなって言う」
本当は、「俺も一緒に」がいいのに。
そう呟いて、ゆうたは目を伏せた。その表情は悲しそうにも、嬉しそうにも見えた。その表情が藍良にも重なる。自分は、藍良のことをちゃんと見ていたつもりで、全然見られていなかったのだろう。
「白鳥くんはさ、『ヒロくん』に引っ張ってもらいたいんじゃなくて、自分の力で一緒にアイドルしたいんだと思うよ」
自分の気持ちのことばかりで、藍良の気持ちを考えられていなかった。ああ、少しでも考えを巡らせることが出来ていれば、気づけたかもしれないのに。
「僕は気づかずに、藍良に僕の希望を押し付けていたのかもしれないね」
「俺も合わせるのは得意だけどさ、自分のやりたいことやりたいし、アニキと一緒に隣で頑張りたいんだよねぇ」
ゆうたはまた、スナック菓子を一彩にすすめた。一彩はもう一度だけ挑戦したが、やはり辛かった。
◇◇◇
今日の撮影はスタジオで行われた。テーマは『藍良のお気に入り』。次々に衣装を着替えて、色んなファッションをセットの中で撮影する。ファッション雑誌に載った時にこのような仕事をしたことがあるが、数ページの特集とは違い、一冊のムック本ができるほどの撮影なので、とにかく沢山撮った。
ALKALOIDのライブや仕事によく同行してくれるスタッフが何人か付いてきてくれているので、彼らの意見も聞きながら衣装を選んでいく。撮影は楽しくて、時間はあっという間に過ぎていった。
そして撮影の休憩中、手持無沙汰な藍良は選ばれなかった衣装たちを眺める。メイクルームのハンガーにかかっている衣装たちを順番に手繰り、気になるものは鏡の前に持って行ってみた。その中に一彩に似合いそうなジャケットを見つけた。藍良が着こなすには少しだけ身長が足りないかもしれない、藍良のファッションの引き出しにはまだ無いタイプのジャケットだった。そんな衣装が、一彩には似合うのが容易に想像できた。藍良の知る限り一彩は撮影の仕事でかわいい衣装も、綺麗な衣装も着こなしている。かっこいいなと思う瞬間があると思ったら、次の瞬間にはかわいいなと思わせることもある。ドラマの仕事も、キャラクターが憑依しているのかと思うくらい忠実に再現するし、そこに一彩独自の色も自然と混ぜ込んでいる。テレビで見る一彩は、自分のユニットのリーダーであることが誇らしくなるくらい、かっこいい。
普段はあんなに純粋でかわいいのにね、と藍良は笑った。一彩の色んな一面を、藍良は知っている。
藍良はそのジャケットをハンガーごと持ちあげて、鏡の前で胸にあてて合わせてみる。やはり、そのまま着ても似合わないなと思った。
一彩は、自分のことをかわいいと言ってくれる。一彩は藍良を否定しない。絶対に褒めてくれることが分かっているから、それに甘えていたのも事実だ。一彩の言葉は時にはすごく力になるけれど、それはある時には「かわいく在れ」と強制されているようで、複雑だった。
一彩に悪気がないのは分かっている。自分はその善意を利用していた自覚もある。でも、何をしても「かわいい」としか言われないのは悔しい。
かわいいだけじゃないってことを、一彩に見せてやりたいと思った。
◇◇◇
一彩は、空中庭園で台本の読み込みと、ダンスレッスンを行っていた。身体を動かしていないと落ち着かなかった。明日は、藍良が帰ってくる日だ。それを思い出す度にそわそわする。
会いたい。でも会うのが怖い。どんな顔をして会えば良いのだろう。
帰ったらちゃんと話そうって言われたけれど、一体どんな話をするんだろう。思えばあの夜以来、藍良の声を聞いていない。会いたい。声を聞きたい。しかし、何も心の準備をしていない。
切なく声をあげそうになる心をなんとか抑えるには、何か別のことに打ち込んでいるのがいい。集中するのは得意だ。一彩は何かに集中すると周りが見えなくなるくらいにのめり込む。
だから、マヨイがすぐそばまで近づいているのに、声を掛けられるまで気づかなかった。
「あ、あのぅ! 一彩さん!」
ダンス練習に没頭していた一彩は、マヨイが何度目かの呼びかけで声のボリュームを上げた時にようやく気づいた。
「マヨイ先輩、ごめんね。気づかなくて」
「いえ……ずっと練習していたんですか?」
「うん。丁度良かったよ。見て欲しいパートがあるんだ」
「え、えぇ……それは構いませんが、まずは夕食にしませんか? 巽さんも食堂で待っていますよ」
マヨイの方から声をかけてくれたのに、自分の用件を先に言ってしまったことを謝って、一彩はスマホから鳴り続けている音楽を止めた。
「そういえば、すごくお腹が空いているよ」
一彩は昼食後の勉強のあと、ずっと一人でレッスンをしていた。プロテインバーなどの軽食をとるのも忘れていた。マヨイはそんな一彩の個人練習の頑張りを労ってくれる。
一彩はマヨイに連れられて、ESの社員食堂へ向かった。既に夕食時のピークは過ぎており、人はまばらだった。巽が先に待っている席に一彩とマヨイも座る。四人掛けの席がひとつ埋まらないのを見て、一彩は気を落とした。
「明日は藍良さんが帰って来ますな」
一彩の気持ちを汲み取るように、巽が言う。一彩は藍良に教えてもらった手順でスマホを使ってオムライスを注文した。
「早く会いたいよ。やっぱり藍良が居ないと寂しいな」
「一彩さんは、藍良さんと連絡をとっていないんでしたな」
巽が確認のためか、マヨイの方をちらと見た。マヨイは頷く。
「帰ったらちゃんと話そうって、それまでは僕からは連絡をしないようにしているんだ。僕のことを考えると、仕事の邪魔になってしまうかもしれないしね」
その約束を一彩にさせるため、藍良との連絡を取り持ったのはマヨイだった。少し元気のない一彩を元気づけようと、マヨイはある物を用意する。
「ふふ、一彩さん、藍良さんにはナイショにしてくださいねぇ……」
そう言ってマヨイは、一彩に自分のスマホを差し出した。画面はメッセージアプリで、藍良の仕事の様子を写した画像が送られてきていた。窓の外に向かって手を振っている藍良の写真。カフェの向かいの席で藍良が微笑んでいる写真。ベッドに寝そべっている藍良が、甘えるようにこちらを見ている写真。この視線の先に居るのは自分だと、自然と思わせてくれるような写真たちだった。見ているだけでドキドキする。こういう写真が商品として販売されてしまうのか。そう思うと少し複雑だ。
「一彩さんにはまだ見せないように言われている写真なんですけど。ほら、ここ」
マヨイが画面をスクロールすると、そこにはマヨイあてのメッセージがあった。
『誰も真似できない、おれだけの写真集になる予定! ヒロくんをびっくりさせてやるんだからね』
それは一彩への挑戦状のようにも思えた。スマホの画面の大きさの、さらにサムネイルサイズにまで縮小された写真ですら、藍良の魅力が溢れている写真たち。この数枚も、たくさん撮った写真のうちの一部なのだろう。こんな写真が集められたムック本が販売されるという事実に、一彩は何とも言えないむず痒さを感じる。写真をよく見たいのに、見てしまったら色んな人に嫉妬してしまいそうだ。
「今回の仕事が、藍良さんにとって自信に繋がるといいですね」
「ふふ、藍良さんは一彩さんと張り合って、自分を奮わせているところがありますからねえ」
「僕と、張り合う?」
一彩がマヨイに聞き返すと、二人とも頷いた。巽がその話題の続きを語る。
「藍良さんは人より自分を卑下してしまうところがあります。一彩さんのような人がそばにいるということは、藍良さんにとって、良い影響を与えることもあれば、その逆もまた有り得ます。それを、理解してあげて欲しいですな」
巽の話を聞いて、一彩は初めて藍良を泣かせてしまった日のことを思い出した。あの日は、仲間として初めて一曲を通して歌い踊った日だった。同じ「できない子」だと思っていた一彩がそうではなかったと言って、藍良は泣いていた。あの時はどういうことか分からなかったけれど、今なら分かる気がする。
『白鳥くんのなりたい姿を、一彩くんの言葉で押さえつけてない?』
『アニキはどんどん先に行こうとするくせに、俺には変わるなって言う』
先日の、ゆうたの言葉を思い出す。そして、次に思い出すのは藍良の言葉だった。
『ヒロくんはさ、おれをどうしたいの』
『おれに、どうなってほしいの』
もう少し、もう少しで分かりそうな気がする。向き合えそうな気がする。そして、その最後の一歩は自分でたどり着かないといけないと思った。
「……ありがとう。巽先輩、マヨイ先輩。おかげで、気持ちの整理ができそうだよ」
席に着いてから、一彩はやっと笑えた。向かいの二人も、心配そうにしていた表情が綻ぶ。丁度その時、三人の目の前に料理が届いた。注文したのは、三人ともオムライスだった。
◇◇◇
ロケ先での買い物は、藍良の楽しみのひとつ。最後の撮影をこなした後、ホテルに帰る前に雑貨屋に寄った。帰りを待ってくれている皆への土産物を探すため、そしてホテルでの最後の夜を充実させる何かを探すためだ。
ここは観光地にもなっており、街並を歩いているだけで絵になる。撮影にも使用させてもらい、その時にいくつか気になる店を見つけておいた。
カラフルな丸いビードロの並ぶ店に、藍良は入る。壁一面に並ぶビードロの一輪挿しは、バックライトに照らされてキラキラと輝いている。撮影で訪れた際、藍良はまずこの店で買い物をしようと決めていた。
一輪挿しは人に配るには少々高価なので、縁日の水風船のような模様のそれを実家にひとつ購入する。
配る用には、ビードロの美しさをぎゅっと閉じ込めたようなチャームのついた、ストラップやピアスなどを複数購入する。
それらを夢中で選んでいたら、藍良は土産用の紅茶のコーナーがあるのに気づいた。茶葉を差し入れて困る人はあまりいないだろうと考えそれらを眺めていると、カラフルなシュガーの並ぶコーナーの隅に、スミレの砂糖漬けを見つけた。昔、母親に紅茶に入れて飲ませてもらったのを思い出した懐かしさで、気づいたら手に取っていた。藍良はそれをいくつかと、一緒に紅茶も購入する。紅茶については、同室の先輩のおかげで多少の知識はあった。
予定に無かったものまで色々と買い込み、藍良はホテルへと戻る。
宿泊費に含まれている夕食用のレストランはしっかりと利用し、部屋では買い物の流れで買った入浴剤を使ってゆっくりバスタイムを満喫した。
そして、部屋に備え付けてあるポットで紅茶を一杯淹れてみる。それをガラスのソファテーブルへと置いて、土産物袋からスミレの砂糖漬けを出して紅茶に浮かべてみた。それを眺めながら砂糖が溶け出すのを待つ。くるくると紅茶の中で回るスミレが綺麗で、藍良はしっかりとスマホで写真を撮った。
ちょうどその時スマホの通知が鳴ったので確認すると、マヨイからメッセージが届いていた。
ALKALOIDの三人で夕食を食べている様子だった。口角を上げながらそれらをスクロールすると、最後の一枚に耳の垂れた子犬のような顔をしている一彩の写真があった。その写真には「藍良さんの写真を送ってもらえなくて拗ねている一彩さんです」と文言が添えらえていた。そして、一彩の言葉であろう「待っているよ」という言葉も。
藍良は吹き出して笑った。マヨイが一彩に写真を自慢したのだろうか。見せるなとは言ったが、一彩にとっていいお灸になったのならよかった。しかし、こんな風に誰かに好かれたことがないからくすぐったい。一彩は明日、自分が帰るのを心待ちにしてくれているんだろうか。
一彩の気持ちに、しっかり向き合わなくては。そして、自分の気持ちにも。それには「アイドル」として一緒にステージに立つのが一番良い。
マヨイに返信を打っていたら、ある人物からメッセージを受信した。藍良はそれに返信を打つ。
「週末、講堂の使用許可がおりたとのこと、ありがとうございますっと……送信!」
メールの返信のあと、藍良はALKALOIDのスケジュールを確認した。
◇◇◇
藍良はホテルをチェックアウトしたあと、観光などはせずにまっすぐ帰って来てくれた。一彩は、巽とマヨイと一緒に駅まで藍良を迎えに行った。会うのは四日ぶりだったが、ずいぶん雰囲気が変わって見えた。大人びたような、どこか吹っ切れたような、スッキリとした表情をしていた。巽の言う通り、今回の仕事が藍良の自信になれば良いと思う。
一彩は、藍良を自室まで送ろうと、荷物を運ぶ役目をかって出た。
藍良もそれを受け入れてくれて、巽とマヨイは気を遣ってくれたのかその役目を一彩に譲ってくれた。藍良の部屋に着くまで、仕事はどうだったとか、撮影はどうだったとか、藍良が話すのを聞いていた。部屋の前に到着すると一彩は荷物を藍良に引き渡す。何となく、部屋に入るのは気が引けた。藍良は一彩の表情を見て笑う。そんなに情けない顔をしていただろうか。
「はい、ヒロくんにお土産」
そう言って、藍良は鞄の中から包みを取り出した。薄紫色の不織布の袋に、濃い紫色のリボンのかかったラッピング。
「スミレの砂糖漬けが入ってるの。ロケ先で見つけてねェ」
スミレ。これは何の偶然だろうか。最近夢にスミレが出て来るので少し困惑した。
「スミレはね、薬にもなるし、毒になることもあるらしいよ」
「君がくれるものなら、僕は毒でも受け入れるよ」
藍良は少し驚いたような表情をしたが、すぐにまた笑顔に戻った。
「ねェ、ヒロくん。今度の週末はオフだよね?」
「う、うん」
「時間はある?」
藍良がいつか買い物に誘った時のように、廊下の壁に掛けられているカレンダーを見た。今週末の日付を指差す。
「あるよ。部活はあるけれど、調整可能だ」
藍良が言うなら、藍良の用事をできるだけ優先する。その想いを眼差しに乗せて見つめていたら、藍良が意外なことを言った。
「じゃあ、おれと二人でライブしよ!」
まるでデートに誘うように明るく、藍良は言った。一彩は訳がわからないまま頷く。藍良の誘いを断る理由は無い。藍良と一緒にステージに立てるのは嬉しいし、何より藍良に拒絶されていないことに安心した。
その日以来、一彩は藍良と一緒に二人でステージに立つためのレッスンをした。詳しいことは知らされないまま、マヨイもそのつもりで指導し、巽もそれに協力している。自分だけが何も知らされていないのか? 一体藍良は、二人でどこのどんなステージに立とうとしているのか。
ほどなくして、ライブが夢ノ咲学院の講堂でのドリフェス形式だと知った一彩は、何をどうするのが正解なのかと戸惑った。ドリフェスには勝ち負けがある。
藍良は自分に勝ちたいのだろうか? 勝たせてやるべきなのだろうか? しかし、勝負事で手を抜くのは相手への無礼だ。特にアイドルに関することでわざと手を抜くようなことをすれば、藍良のプライドを傷つけかねない。
何が正解なのかわからないまま、いよいよ週末が近づいてきた。
◇◇◇
一彩は藍良に言われるまま、楽屋で準備をしていた。今日は夢ノ咲で行う突発的なライブだから、衣装係もメイク係もいない。一彩と藍良の二人の名義で講堂の使用許可がとれたことだけでも奇跡だと藍良は言っていた。しかし、ESが出来てからは夢ノ咲の講堂でわざわざライブを行う生徒が減ってしまっているらしい。そこで藍良が生徒会の衣更真緒と姫宮桃李に話を通したらしく、ライブの開催に至れたという訳だ。
一彩のふたつ隣の席で藍良は機嫌よく自分にメイクを施している。一彩はいつも藍良にメイクや着替えを手伝ってもらっていたから、何もかも一人で準備しなければならないのは緊張する。しかし一彩だって成長している。一人でひと通りのことは問題なくできる。そう出来るようにしてくれたのは藍良だけれど。改めて、藍良に教えてもらったことが沢山あるなと思う。
今日のライブは、夢ノ咲学院の講堂を使ってのドリフェス。対戦形式のライブは初めてではないが、一体、藍良と何を勝負するのだろうとも思う。しかし、それを藍良に問うても「全力でぶつかり合えば何か見えるかも」としか言われなかった。そういう事なら、全力で応えたいと思う。
同じ楽屋を使っていたのに、待機する場所は別々だった。
藍良はステージの上手で、一彩は下手で出番を待つ。いつもなら袖から手を繋いでステージへ出て行くのだけれど、そばに仲間がいないのは心細い。そんなことを考えていたら、不意に後ろからポンと背中を叩かれた。振り返ると、ひなたとゆうたがいた。二人とも2winkの定番のライブ衣装を身に着けていた。
「やっほ、今日は天城一彩VS白鳥藍良くんのドリフェスを盛り上げるよ!」
ひなたがゆうたと並んでピースサインを一彩に向ける。一人で心細かったので一彩は安心した。
「ひなたくん、ゆうたくん。ごめんね、急なお願いをきいてもらって」
二人は今日、一彩と藍良が行うライブのMCをしてくれることになっている。藍良に言われて、一彩からひなたに頼んだのだ。
「いいよいいよ、ちゃんとALKALOIDから報酬を貰ってるしね~」
ひなたが言って、一彩が首を傾げた。
「そうなの?」
「うん。白鳥くんからそう聞いてるよ。送金もALKALOID名義だったし」
ゆうたが言うと、今度は一彩は面食らったが、納得もした。
「な、なるほど」
おそらく藍良が、巽とマヨイに了解を得て今回のドリフェスを企画したんだろう。一彩に黙って何を企んでいるのだろう。自分だけが何も知らずに仕掛けられているようで悔しい。それなら今日は絶対に勝ってやる。とにかく、勝負を仕掛けられておいそれと負けるわけにはいかない。
いよいよ、開演の時間となった。まず先にひなたとゆうたが飛び出す。講堂には、満員とはいかないが沢山の客が集まっている。突発的なライブとはいえ、週末なので他の科の生徒も沢山集まっているらしい。ひなたとゆうたが積極的に宣伝をしてくれたのも大きかった。
『皆集まってくれてありがとー! 今日は、天城一彩くんと白鳥藍良くんの、同ユニット対決~!』
最初にマイクを構えたのはひなた。それを合図に一彩と藍良もそれぞれの待機場所からステージへと出た。一彩は客席に手を振った後頭を下げ、藍良は両手をいっぱいに振って愛を振りまいていた。
二人の登壇が終わると、ゆうたも声をマイクに乗せる。
『何でこの二人がって? アイドル同士の喧嘩はステージで決着をつけるのが、夢ノ咲流ってやつだからね!』
『ちょっとォ! 別におれたちケンカしてませんからァ!』
ニコニコと客席のファンとコミュニケーションをとっていた藍良が、すかさずゆうたを振り向いてツッコミを入れる。ゆうたはにやにやと後輩のそばに寄って、その顔を覗き込んだ。
『そうなの~? どう見ても痴話喧嘩でしょ~?』
かぁっと顔を赤らめる藍良がスクリーンに映る。会場は和やかな笑いに包まれた。一体どうなるのかと緊張もしていたが、それもほどけて一彩もリラックスできた。本当に、この二人には世話になりっぱなしだなと思う。一彩は最前列にいる一彩のうちわを持った普通科の女子生徒グループに手を振った。その少女たちがきゃあと声を上げてうちわで口元を隠しながら手を振り返してくれる。一彩にも、そういうコミュニケーションを楽しむ余裕はあった。
『一彩くんの意気込みはどうですか?』
今度はひなたが一彩に絡みにきた。一彩は笑って見せると、マイクを構えてステージの反対側にいる藍良を見て言った。
『藍良の想いに、全力で応えるよ!』
『こらー! ヒロくん、紛らわしい言い方するなァ!』
また、会場に笑いが起こる。
ずっと雰囲気は和やかだが、実際藍良は一彩の気持ちと自分の気持ちを確かめるために、勝負を仕掛けてきている気がしている。その手段がドリフェスであるという事にはピンとこないが、それも始まれば分かるはずだ。
『ルールはいつも通り! まずはライブを楽しんで、投票タイムになったら手元のサイリウムで投票してね!』
ゆうたがサイリウムを掲げながら簡単にルールを説明する。
『それでは早速始めるよ!』
ひなたがそう宣言し、曲紹介と同時にイントロがかかる。ALKALOIDの代名詞とも言える曲。この曲がかかると気分が高揚する。一彩は胸に拳をあてて深呼吸をする。問題なく歌えそうだ。
ALKALOIDは四人ユニット。楽曲も四人で歌い踊るよう構成されているが、二人でのステージを想定した構成も用意がある。これまであまり披露する機会がなかった分、一彩はまず『二人バージョン』のパフォーマンスを藍良とやれることを楽しもうと思った。
しかし、藍良との二人きりのステージを楽しんでいるだけではダメだ。これはドリフェス。アイドルとしての『戦闘力』を数値化したバトルなのだ。
それぞれのスートを名乗るソロパートは、今はステージにいない二人のところを、藍良と向かい合いながら、中央に手を翳して呼んだ。二人がここにいるていでのパフォーマンスだ。その時藍良と目が合ったが、とても楽しそうに笑っていて、眩しかった。
あわてて練習した二人用のセットリストだけれど、一曲目は問題なく踊り終えることができた。そして、あまり時間を空けずに二曲目がかかる。MCを挟まず踊り続けるのは藍良よりも自分のほうが得意だ。これならきっと勝てる。そう思って一彩は藍良を見た。そして、はっとした。藍良は一彩を見ていなかった。講堂の客席に向かって、全身をいっぱいに使って、愛を表現している。ファンのために精一杯、歌とダンスを披露していた。その笑顔はキラキラと輝いていて眩しいが、けして一彩を照らしているものでは無かった。
アイドルは沢山の人に愛されるために存在する。そのことを思い知らされた。
僕は、藍良しか見ていなかったのだ。
ALKALOIDのサイリウムの色はターコイズブルー。その光の海は藍良のために波を立てているような気がした。観客と目が合わない。いや、自分がまっすぐに客のことを見られていないだけか。パフォーマンスの合間にやっと藍良と目が合う。『楽しいね、ヒロくん!』と表情が語っていた。その顔が眩しい。
戸惑う間に二曲目が終わり、投票の時間になった。票を確認するまでもない。
「僕の、負けだ……」
マイクに入らない小さな声で、一彩は呟いた。
投票を促すひなた、ゆうたの声も頭に入ってこない。
いつのまにか集計が終わり、歓声とともに藍良がスポットライトに照らされた。ステージ上のモニターにはそれぞれの得票数が表示されているのかもしれないが、見ることはできなかった。
心のどこかで、藍良には負けないと思っていた。自分が藍良を引っ張って、支えて、『僕』のそばで輝いて。でもそれは思い違いだったのだ。藍良はひとりでも輝ける。隣で躍らせてもらっていたのは、自分の方だったんだろうか。
『第一ラウンドは、白鳥藍良くんの勝利でーす!』
ひなたの声が響く。
『やったァ! おれのラブ~いところが伝わったかなァ?』
藍良のパフォーマンスに、観客たちのサイリウムが呼応する。
好きと好きは共存できる。それは自分の言葉だが、今は違う。サイリウムは、どちらかの色しか示せない。
悔しい。そう思った。今まで生きてきて、誰かに対して強く悔しいと思ったことはなかった。兄のため、仲間のために生きてきた自分は、今は藍良のために行動しているつもりだった。なのに、その他でもない藍良が輝いているのに、悔しい。
僕だって、輝きたい。
『藍良!』
思わず名前を叫んでいた。会場が一瞬静まり返り、藍良がびくっと肩を飛び上がらせる。
『え?』
『藍良、もう一度、もう一度お願いするよ!』
藍良に、負けたくない。
『僕だって、アイドルだ!』
君の隣に立って、恥ずかしくないアイドルになりたい。
何がなんだか分からないまま叫んでいる一彩と、困惑してぽかんとしている藍良の間に、双子が入ってくれた。
『まぁまだ第一ラウンドだからね~、ステージはまだまだ続くよ!』
『なんか目が覚めたっぽい一彩くんの次のパフォーマンスにも注目だね~!』
二人がなんとか場をおさめてくれて、藍良もやっと何かに気づいたように一彩と目を合わせた。そして、頷いてくれた。
二回戦目。このライブでは三曲目となる曲がかかる。一彩はステージいっぱいに動き回り、観客席に歌で語りかけた。自分たちはアイドルだ。歌も、踊りも、ファンの皆のために存在している。それは藍良の隣に立つための道具ではなく、藍良に理想を押し付けるための手段ではない。
それなのに、一彩は藍良のことをかわいい、かわいいと言葉で押さえつけて、ダンスの技術で先を行くことで満足感を得ていた。藍良よりも優れているところが一つでもあると安心するのは、他が劣っているという事に他ならないのに。認めるのが怖かった。藍良には、ずっと自分を追いかけていて欲しかったのだ。だから藍良のソロの仕事が増えることで、追い抜かれるのではと無意識に焦ったのだ。その執着を愛情だと勘違いして、あの日君に好きだと言った。
どちらか一方の愛が大き過ぎては上手に重ならないのだと、今まで何度も歌い上げてきた歌詞の意味がようやく分かった。
藍良はファンの方を向いているのに、一彩がそうでないのならステージはちぐはぐになってしまう。藍良のことを好きだと思った日から、一彩の歌い踊る目的が藍良へと偏ってしまっていたように思う。そのことに、藍良が気づかせてくれたような気がした。
今なら、遠くの客席までみんなの表情が見える。皆、一彩と藍良のパフォーマンスに目を輝かせていた。ファンの顔を眺めていてようやく、席の一角に巽とマヨイがいるのを見つけた。目が合うと巽が微笑み、マヨイは涙を浮かべて顔を抑えた。
憑き物が落ちたように身体が軽くなって、心も晴れやかだった。楽しい。藍良と一緒に立つこのステージが楽しい。
もう勝敗などどうでも良かった。ただ目の前にいるファンたちを藍良と取り合って、時には二人のパフォーマンスで湧かせて盛り上げた。
『なーんかヒロくん調子出てきてない?』
『ウム! 藍良のおかげだよ!』
曲と曲の間にかけあう声もファンサービスだけれど、交わす言葉に嘘はない。藍良の笑顔はより輝いて見えて、心の底から楽しそうだった。その隣で踊っていると、こちらも一緒に高まる。
二回戦目は、一彩が勝利した。負けたのに藍良のほうが嬉しそうで、感極まって飛びついて来たのを一彩が受け止める。
アイドル「天城一彩」はファンのために存在する。そして、アイドル「白鳥藍良」はその得難い仲間で、ライバルで、パートナーなのだ。
藍良が確かめたかったのはきっとこのこと。そして、それを一彩にも解らせようとしていたのだ。
◇◇◇
互いに一勝一敗という成績から、藍良が突然開催したドリフェスは三回戦までもつれ込んだが、結果引き分けということで終わった。しかし、勝敗に関わらず大いに盛り上がったのは言うまでもない。
舞台袖に下がった今も興奮がおさまらない。今、舞台ではひなたとゆうたがエンディングトークをしてくれている。そのステージの賑やかさが、既に恋しい。もう一度、ステージに立ちたい。あのうるさいくらいに輝いているあの場所にもう一度。
「ヒロくん!」
藍良の表情を確かめる前に、その小さな身体が腕の中に飛び込んできた。
「あ、藍良?」
驚いて受け止めると、藍良が泣き声交じりの嬉しそうな声で、言った。
「おれ、ヒロくんとアイドルしてるときが一番好き。それを確かめたかったの」
「藍良……」
抱きしめ返そうか迷っていると、藍良が更にぎゅうと抱きしめてきた。心臓が高鳴るのは、ライブ後の興奮か、それとも。
「大好き。ヒロくんの隣を、誰にも譲りたくない。おれを、置いていかないで」
一彩は、込み上げそうになるものを、歯を食いしばって耐えた。置いて行かれると焦っていたのは、自分だけでは無かったのだ。
「僕だって……」
そして、そっと藍良のことを抱きしめ返す。身体は本当に小さくて細い。でも、自分と同じように熱かった。
「僕も、僕が一番好きな藍良は、アイドルとして輝く君だって気づいた。キラキラしている藍良を、ずっとそばで見ていたいよ」
ただ守り導くのではない。隣に立って、一緒に進んでいくのだ。
「藍良。今度は、間違えたくない。僕は君にふさわしい僕になりたい。僕を、君の一番近くに居させてくれないか」
見つめながら言う。舞台袖の暗がりでも、涙の溜まった藍良の瞳はキラキラと輝いていた。その涙を雫にして溢れさせながら、藍良が笑う。
「何言ってんの。ずっとそばにいて、放してくれないくせに」
藍良の指が、一彩の頬を撫でた。その時初めて、一彩は自分も泣いていることに気づいた。
「大好きだよ、藍良」
「……おれも、大好き。待たせてごめんね」
ステージの喧噪が止むまで、二人はしばらく抱きしめ合っていた。
◇◇◇
ドリフェスのあとは色々な意味で感極まって、帰寮してすぐに自室へと戻り、最低限のことだけを済ませて寝てしまった。夢も見ないほどにぐっすりと眠り、気が付いた時にはもう日が高く昇っていた。はっきりとしてきた意識でまず思うのは「藍良に会いたい」ということ。昨日のことが夢ではなかったと、早く確かめたい。
藍良にスマホでメッセージを送るのにもドキドキする。
『もう起きている?』
すぐに既読はつかなかった。一彩はいてもたっても居られず、藍良の返信を待たずにすぐに部屋を出た。
藍良の部屋の前まで来ると、丁度朔間零が部屋を出て来るところだった。一彩の姿を見ると、オートロックが掛からないよう、扉を手で押さえていてくれる。
「おぬしのかわいい子はまだ夢の中じゃよ」
「あ、ありがとう……」
一彩は零と入れ違いで部屋の中へ入る。英智はおらず、聞こえるのは一人分の寝息だけだった。
そっとベッドに近寄ると、パステルグリーンの布団にくるまって、藍良がすうすうと寝息を立てていた。かわいい。ベッドサイドには、先日一彩がプレゼントしたピアスが飾ってあった。
藍良はまだよく眠っているから、長いまつ毛がよく観察できた。自分がそばにいるというのに起きる気配がない。よほど昨日のことで疲れたのだろうか。
昨日のことを思い出すと、腕の中に藍良を抱きしめた時の感覚が蘇ってきた。このままだと寝ている藍良を前に変な気を起こしかねない。
そういえば、先日ホテルの同じ部屋に泊まった日は、藍良を上手に起こせなかったのだった。
「藍良、起きて」
「んぅ……」
そっと肩に触れて揺すると、枕をぎゅうと抱きしめて藍良がみじろぎをする。こういう時だけは枕になりたいと思う。
声をかけてしばらくして、藍良が目をぱちぱちと何度か瞬きさせたあと、目を覚ました。
「ヒロくん」
「うん、僕だよ」
ドキドキと心臓が鳴る。目が合うと、藍良が頬を染めて恥ずかしそうに枕に顔を埋めた。どうやら、昨日のことは夢ではなかったらしい。一彩も、つられて照れた。
藍良が布団の中からもぞもぞと、こちらに手を伸ばしてきた。一彩はそれを握り返す。柔らかくて、温かな体温が伝わって来た。たったそれだけで、幸せな時間だ。
「一緒に二度寝するゥ?」
藍良が、体温の籠った布団を捲ってそんな事を言った。捲れたパジャマからお腹とへそがちらと見えてしまい、一彩は慌ててぶんぶんと顔の前で両手を振る。
「そ、それはまだ遠慮しておくよ……」
おそらく真っ赤になっているであろう自分の顔を見て、藍良が満足そうに笑った。
「……意気地なし」
そう言って、藍良が気だるそうにベッドから出て、うーんと全身で伸びをした。そのしなやかな肢体に誘われて、一彩は思わず後ろから抱きしめた。
「ひゃんっ! ちょっと、ヒロくん」
「……おはよう、藍良」
何気ない、朝の挨拶を口にする。でもそれは、一彩にとって特別な挨拶だった。
「おはよ、ヒロくん」
藍良が後ろ手に、一彩の頭を撫でてくれた。
より相手に甘えているのはどちらなのか。
それはこれから、分かっていくことだろう。
終
食事も美味しい。ムック本の出版を企画してくれている出版社の好意で、普段のロケでは泊まらないような豪華なホテルを予約してもらえた。ゆえに部屋の内装や設備も最高だった。
ただひとつ気がかりがあるとすれば、ESに残してきた一彩のことだ。ずっと頭から離れない。一彩はあの日、藍良のことを抱きしめて、好きだと言った。紛れもない、愛の告白だった。今までそんな素振りは無かったのに。いや、あるにはあったのだろうか。ただ一彩はもともとスキンシップなどの愛情表現が大げさだから気づかなかった。あるいは、藍良が無意識に気づかないふりをしていただけか。
「ヒロくんが、おれのことを、好き」
声に出して呟いてみると、かぁっと顔が熱くなる。抱きしめられた時の、一彩の腕の力強さや体温が肌に蘇ってくる。
一彩が大好きだと言ってくることはよくあった。スキンシップに慣れていない藍良はその都度恥ずかしくなっていたが、いつの間にか慣れてしまっていたようだ。あの夜の一彩は、いつものハグやスキンシップから感じられる、子どものような無邪気さは無かった。今まで何度も言われた「好き」という言葉だけれど、あんなに切羽詰まって、絞り出すような声で言われる「好き」は初めてだった。一彩に自覚があるのかは知らないが、あの時一彩は間違いなく藍良を「欲しい」と思って抱きしめていた。あのままじっとしていたら、心にまで深く踏み込まれてしまっていたかもしれない。藍良はどう感じていいか分からずに、ベッドの枕を抱きしめた。一人で何もせずに静かにしていると、すぐ頭に一彩のことが浮かんでしまう。
「なんで、今なの?」
あの時一彩に投げかけた質問を呟いてみる。声は枕の中に籠って響かなかった。あの時はこれ以外の言葉が出なかった。大事な仕事に出かける前日に、藍良の心を乱すことを言うなんて信じられなかったから、咄嗟に返事を保留にしてしまった。この問題については、藍良が無事に撮影の仕事を終えてESに帰るまでは触れることはできない。これ以上動揺してしまうと、仕事に支障が出かねない。
一彩に質問したいことはもうひとつある。
「ヒロくんは、おれの何がそんなに好きなの?」
口にすれば誰かが答えてくれるわけではないが、声に出さなければ心によくないものが溜まりそうだった。
自分のことを好きだと言ってくる相手にはどうしても身構えてしまう。それはけして一彩のせいではなく、藍良の記憶にこびりついて消えない、苦い経験のせいだ。
想いを馳せている間に眠ってしまいそうだったので、藍良は枕を持ったまま、鏡台の前に座った。帰ってきてそのままだからメイクはまだ落としていないし、髪のセットは先ほど寝転がった時に少し崩れただけ。鏡に映っているのは、アイドル「白鳥藍良」だ。
どうやら自分の顔などの見た目が「かわいい」という評価を受けるらしいと知ったのは子どもの頃だった。小学校に上がったくらいだろうか。異国の血が流れている藍良は、人と少しだけ見た目が違うらしく、色んな人から「かわいいね」「かっこいいね」と持てはやされた。容姿を褒められるのは嬉しかった。自分で自分のことをかわいいと思ったのではない。周りがそうだと何度も肯定したのだ。だから藍良は自分の容姿に多少の自信を持つに至った。しかし、その自信が良い方向へと作用することはあまりなかった。周りの者は皆、藍良の見た目のみに興味をもって近づいてきて、ちやほやして、クォーターであることをそれだけで「すごい」と言った。そうやって藍良の機嫌をとったあとで、日本語しか話せないことや、アイドルオタクであることが分かると露骨にがっかりした表情をした。勝手に期待して、勝手に幻滅したのだ。友達だと思っていた人が離れていくことが繰り返されて、このかわいらしい見た目は、自身にとって生きづらさを感じさせる原因となってしまった。
いつしか、かわいいと言われることが煩わしくなって、藍良はどんどん内向的になっていき、前髪を長く伸ばして俯くようになった。それから、友達はほとんど出来なくなっていった。
ネットの世界の顔の見えない友達と交流するようになったのはこの頃からだった。そして、見ているだけだったアイドルに強く憧れるようになって夢ノ咲学院への入学を決め、苦労の末アイドルになり、ALKALOIDと出会った。アイドル業界は、かわいい見た目が武器になる世界。「変」が個性として愛される世界。周りに強烈な個性を持っている人が多すぎて、案外自分は普通なのではないかと思うほどだった。
だから忘れていた。かわいい、かわいいと連呼して、ちやほやと甘やかしてくる人のことが、かつて苦手だったことを。それらを思い出してしまったのは一彩のせいだ。あんな目で見つめられて、抱きしめられて、あんな声で好きだと言われたら戸惑う。自分はまだ、人から好意を向けられることに慣れていないようだ。
どうせ一彩だって、藍良の中身を知ったら幻滅する。近づけば近づくほど色んなことを知って、それから。
そこまで考えて、気づいた。
「……ヒロくん、おれの中身知ってるじゃん」
藍良は普段の自由時間は一彩と過ごしていることが多い。だから一彩は、藍良がアイドルオタクであることも、日本語しか話せないことも、勉強が苦手だということも、全部知っている。一彩があまり言い返さないのを良いことに、遠慮無く強い言葉をぶつけたことだってある。はしたないと怒られたこともあるし、年下のくせに生意気を言ったりもしてきた。一彩が許してくれるから調子に乗って、随分ひどい物言いもした。
「え、ウソ……」
それでも一彩は、藍良のことが好きだと言った。考えれば考えるほど言い訳する隙がなくなっていって、どんどん体温が上がっていく。
「ヒロくん、ほんとにほんとに、おれのこと好きなの?」
急に告白された実感が湧いてきて、藍良は思わず枕を投げる。ビジネスホテルよりも数段良いホテルなので控えめに暴れてから、ベッドに倒れて天井を仰いだ。
「はぁぁ……なんなの、ほんとに」
一彩に会えるのは、三日後。それまでにこなさないといけない仕事は山ほどある。今は、考えたって仕方がない。
「メイク落とそ……」
藍良は声にならない声で、ぼそぼそと呟いた。帰るまでは、このことについての思考は一時停止しておこうと思った。
◇◇◇
平均よりも長い時間画面を見ていますと、スマホに内臓されている節電アプリが警告してきた。言われなくても分かっている。
ドラマの撮影に使う移動式のメイクルーム。その中で、一彩は休憩をとっていた。ケータリングは既に完食し、先ほどスタッフが空箱を回収していった。時刻は夕方。昼食には遅く、夕食には早い弁当だった。
「藍良……」
トラックのコンテナ内を丸ごと楽屋にしたそれには、今は一彩しかいない。だから思わず溜め息とともに口にした名前は、誰にも聞かれることはなかった。
今日はドラマの撮影のためにロケに来ているが、一彩の登場シーンの撮影は本日分をもう終えており、現在は同行している役者たちの撮影が終わるのを待っている状況だった。
周辺で買い物をしてきてもいいと言われたが、一彩はなんとなく楽屋で休んでいた。手にはスマホを持っており、その画面にはいつも通りSNSが表示されている。
日課である藍良の投稿のチェック。藍良は長期ロケ中も変わらずまめに更新しており、会えない間の藍良の様子が綴られていた。フォトブックの撮影があることはまだ告知してはいけないようで、どこにどんな用事で滞在しているのかは細かく書かれていなかった。コメント欄ではファンたちが「藍良くんどこにいるの?」「何かの撮影?」とわくわくしながら推理していた。本人のページには、まるでプライベートを楽しんでいるかのような楽しそうな写真が並んでいる。そのうちの一つ、ビードロと一緒に写っている画像を見て心が揺れた。ビー玉を膨らませたような、丸いガラスの一輪挿しが並ぶ棚を背に、振り返って微笑む藍良。スタッフに撮ってもらったのだろう。一枚の絵のような写真で、とても美しかった。
その写真に「いいね」のボタンをタップしようとして、思い留まる。藍良には、帰ってくるまでお互い連絡をとらず、「あの話」を保留にすることや、お互いちゃんと仕事に集中することをマヨイを通して伝えられていた。藍良のいない間、連絡を取り合わないだけでなく、SNSにコメントをしないことも約束した。「いいね」を禁止されているわけではないが、何となくボタンを押せない。
藍良は昨日出発したばかりだ。帰ってくるのは明明後日。まだ、しばらくは会えない。顔を合わせない日は無かったから、昨日の今日でもう既に寂しい。
『お前がそんなんだから、アイツも不安で逃げるんじゃねーの』
不意にかかった声に顔を上げると、葵ゆうたが立っていた。いつもの無邪気で明るい雰囲気はなく、目を細めて一彩を少し睨んでいる。その表情に覚えのある一彩は、同じように目を据わらせた。
『どういう意味だ?』
『アイツの可能性を、お前が潰してるってことにいい加減気づけよ』
ドラマの台詞のはずなのに、やけに心に刺さる。一彩がはぁっと息を吐くと、ゆうたはニッと双子の兄によく似た笑顔を見せた。
「なーんてね。一彩くん、今日の演技は一段と役に入ってたね?」
「そうだった?」
ゆうたはコンビニの袋をテーブルに置く。中にはサンドイッチが入っているようだ。主演二人の次に出番の多い役であるゆうたも、今日は撮影をこなさねばならないシーンが多かったはずだ。ケータリングだけでは足りなかったのだろう。
「うん。アンニュイな表情が心に迫るというか、こっちまで引き込まれちゃったもん」
ゆうたが演じているのは一彩が演じる少年の、親友役だ。
「ありがとう。ゆうたくんが合わせてくれるから、僕はとても演りやすいよ」
「合わせるのは得意だからね~」
ゆうたはサンドイッチを食べ始める。マヨネーズの、塩気のあるつんとした香りがした。
「ねぇ一彩くん、最近何かあった?」
「え、どうして?」
「最近ドラマのことで一緒にいるもん。今日の調子がいつもと違うことくらい、分かるよ」
やはり、先ほどドラマの台詞に乗せて話しかけてきたのには意図があったようだ。
「話を、聞いてもらえるだろうか」
一彩はゆうたに、最近あったことをほとんど話した。藍良のことが大切なのに、その想いが上手く伝わらないこと。自分の想いは、どうやら空回っているらしいこと。藍良をしっかり捕まえていないと、どこかへ飛んで行ってしまいそうで不安なこと。
ゆうたは一通り話を聴いた後、スナック菓子の袋を一彩にも近づけて言う。
「一彩くんはさ、藍良くんにこうあって欲しいとか、自分にこうさせて欲しいとかって押し付けちゃってない?」
ひとつ貰うよ、と断ってそのスナック菓子をひとつもらうが、一彩には辛すぎてすぐにお茶で流し込んだ。
「こうあって、欲しい?」
一彩は藍良に言われたことを思い出す。「おれにどうなって欲しいの」という言葉を。
「白鳥くんに理想を持ちすぎてないかってことだよ」
何か心当たりがあるのか、ゆうたの言葉は的を得ているような気がした。一彩は、あの夜のことを思い出す。藍良に言われた言葉は一言一句逃さず覚えていた。腕の中で、一番近くで聞いたから。
「藍良に、おれをどうしたいのか、おれにどうなって欲しいのかって、聞かれた」
「一彩くんはさ、藍良くんのどういう所が好きなの?」
「……かわいらしくて、何事にも全力で一生懸命で、いつも僕のそばで笑ったり怒ったりしてくれるところ……かな」
話しながら、一彩もなんだか汗をかいてきたような気がする。『藍良は今日もかわいいね』『見ていて、藍良』と自分が今まで藍良に向けて発した言葉や行動が、次々に脳裏に再生されていく。それはまるで、間違い探しのようだった。
「なるほどね。でもそれって、白鳥くんがそうありたいって思ってることなの?」
どくんと、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。藍良がかわいらしいのは事実だから、かわいいという言葉をかけて当然だと思っていた。
「白鳥くんにとって、かわいいねって言われるのは褒め言葉だと思うよ。言われて嬉しいとも思う。でも、もし白鳥くんがかっこよくなりたいって思ってたら?」
そういうことを、考えてあげたことはある? とゆうたは優しく問う。
「白鳥くんのなりたい姿を、一彩くんの言葉で押さえつけてない?」
自分は、愛情表現をしているつもりが、ただ自己満足に浸っていただけだということだろうか。
「うちのアニキがそうだったからね。お兄ちゃんに任せて! とか言って、ゆうたくんはそのままでいてって押さえつけてさ」
ゆうたはハバネロとパッケージに書かれたスナック菓子を、ぽいぽいと口に入れていく。見てるだけで口が辛くなりそうだ。
「アニキはどんどん先に行こうとするくせに、俺には変わるなって言う」
本当は、「俺も一緒に」がいいのに。
そう呟いて、ゆうたは目を伏せた。その表情は悲しそうにも、嬉しそうにも見えた。その表情が藍良にも重なる。自分は、藍良のことをちゃんと見ていたつもりで、全然見られていなかったのだろう。
「白鳥くんはさ、『ヒロくん』に引っ張ってもらいたいんじゃなくて、自分の力で一緒にアイドルしたいんだと思うよ」
自分の気持ちのことばかりで、藍良の気持ちを考えられていなかった。ああ、少しでも考えを巡らせることが出来ていれば、気づけたかもしれないのに。
「僕は気づかずに、藍良に僕の希望を押し付けていたのかもしれないね」
「俺も合わせるのは得意だけどさ、自分のやりたいことやりたいし、アニキと一緒に隣で頑張りたいんだよねぇ」
ゆうたはまた、スナック菓子を一彩にすすめた。一彩はもう一度だけ挑戦したが、やはり辛かった。
◇◇◇
今日の撮影はスタジオで行われた。テーマは『藍良のお気に入り』。次々に衣装を着替えて、色んなファッションをセットの中で撮影する。ファッション雑誌に載った時にこのような仕事をしたことがあるが、数ページの特集とは違い、一冊のムック本ができるほどの撮影なので、とにかく沢山撮った。
ALKALOIDのライブや仕事によく同行してくれるスタッフが何人か付いてきてくれているので、彼らの意見も聞きながら衣装を選んでいく。撮影は楽しくて、時間はあっという間に過ぎていった。
そして撮影の休憩中、手持無沙汰な藍良は選ばれなかった衣装たちを眺める。メイクルームのハンガーにかかっている衣装たちを順番に手繰り、気になるものは鏡の前に持って行ってみた。その中に一彩に似合いそうなジャケットを見つけた。藍良が着こなすには少しだけ身長が足りないかもしれない、藍良のファッションの引き出しにはまだ無いタイプのジャケットだった。そんな衣装が、一彩には似合うのが容易に想像できた。藍良の知る限り一彩は撮影の仕事でかわいい衣装も、綺麗な衣装も着こなしている。かっこいいなと思う瞬間があると思ったら、次の瞬間にはかわいいなと思わせることもある。ドラマの仕事も、キャラクターが憑依しているのかと思うくらい忠実に再現するし、そこに一彩独自の色も自然と混ぜ込んでいる。テレビで見る一彩は、自分のユニットのリーダーであることが誇らしくなるくらい、かっこいい。
普段はあんなに純粋でかわいいのにね、と藍良は笑った。一彩の色んな一面を、藍良は知っている。
藍良はそのジャケットをハンガーごと持ちあげて、鏡の前で胸にあてて合わせてみる。やはり、そのまま着ても似合わないなと思った。
一彩は、自分のことをかわいいと言ってくれる。一彩は藍良を否定しない。絶対に褒めてくれることが分かっているから、それに甘えていたのも事実だ。一彩の言葉は時にはすごく力になるけれど、それはある時には「かわいく在れ」と強制されているようで、複雑だった。
一彩に悪気がないのは分かっている。自分はその善意を利用していた自覚もある。でも、何をしても「かわいい」としか言われないのは悔しい。
かわいいだけじゃないってことを、一彩に見せてやりたいと思った。
◇◇◇
一彩は、空中庭園で台本の読み込みと、ダンスレッスンを行っていた。身体を動かしていないと落ち着かなかった。明日は、藍良が帰ってくる日だ。それを思い出す度にそわそわする。
会いたい。でも会うのが怖い。どんな顔をして会えば良いのだろう。
帰ったらちゃんと話そうって言われたけれど、一体どんな話をするんだろう。思えばあの夜以来、藍良の声を聞いていない。会いたい。声を聞きたい。しかし、何も心の準備をしていない。
切なく声をあげそうになる心をなんとか抑えるには、何か別のことに打ち込んでいるのがいい。集中するのは得意だ。一彩は何かに集中すると周りが見えなくなるくらいにのめり込む。
だから、マヨイがすぐそばまで近づいているのに、声を掛けられるまで気づかなかった。
「あ、あのぅ! 一彩さん!」
ダンス練習に没頭していた一彩は、マヨイが何度目かの呼びかけで声のボリュームを上げた時にようやく気づいた。
「マヨイ先輩、ごめんね。気づかなくて」
「いえ……ずっと練習していたんですか?」
「うん。丁度良かったよ。見て欲しいパートがあるんだ」
「え、えぇ……それは構いませんが、まずは夕食にしませんか? 巽さんも食堂で待っていますよ」
マヨイの方から声をかけてくれたのに、自分の用件を先に言ってしまったことを謝って、一彩はスマホから鳴り続けている音楽を止めた。
「そういえば、すごくお腹が空いているよ」
一彩は昼食後の勉強のあと、ずっと一人でレッスンをしていた。プロテインバーなどの軽食をとるのも忘れていた。マヨイはそんな一彩の個人練習の頑張りを労ってくれる。
一彩はマヨイに連れられて、ESの社員食堂へ向かった。既に夕食時のピークは過ぎており、人はまばらだった。巽が先に待っている席に一彩とマヨイも座る。四人掛けの席がひとつ埋まらないのを見て、一彩は気を落とした。
「明日は藍良さんが帰って来ますな」
一彩の気持ちを汲み取るように、巽が言う。一彩は藍良に教えてもらった手順でスマホを使ってオムライスを注文した。
「早く会いたいよ。やっぱり藍良が居ないと寂しいな」
「一彩さんは、藍良さんと連絡をとっていないんでしたな」
巽が確認のためか、マヨイの方をちらと見た。マヨイは頷く。
「帰ったらちゃんと話そうって、それまでは僕からは連絡をしないようにしているんだ。僕のことを考えると、仕事の邪魔になってしまうかもしれないしね」
その約束を一彩にさせるため、藍良との連絡を取り持ったのはマヨイだった。少し元気のない一彩を元気づけようと、マヨイはある物を用意する。
「ふふ、一彩さん、藍良さんにはナイショにしてくださいねぇ……」
そう言ってマヨイは、一彩に自分のスマホを差し出した。画面はメッセージアプリで、藍良の仕事の様子を写した画像が送られてきていた。窓の外に向かって手を振っている藍良の写真。カフェの向かいの席で藍良が微笑んでいる写真。ベッドに寝そべっている藍良が、甘えるようにこちらを見ている写真。この視線の先に居るのは自分だと、自然と思わせてくれるような写真たちだった。見ているだけでドキドキする。こういう写真が商品として販売されてしまうのか。そう思うと少し複雑だ。
「一彩さんにはまだ見せないように言われている写真なんですけど。ほら、ここ」
マヨイが画面をスクロールすると、そこにはマヨイあてのメッセージがあった。
『誰も真似できない、おれだけの写真集になる予定! ヒロくんをびっくりさせてやるんだからね』
それは一彩への挑戦状のようにも思えた。スマホの画面の大きさの、さらにサムネイルサイズにまで縮小された写真ですら、藍良の魅力が溢れている写真たち。この数枚も、たくさん撮った写真のうちの一部なのだろう。こんな写真が集められたムック本が販売されるという事実に、一彩は何とも言えないむず痒さを感じる。写真をよく見たいのに、見てしまったら色んな人に嫉妬してしまいそうだ。
「今回の仕事が、藍良さんにとって自信に繋がるといいですね」
「ふふ、藍良さんは一彩さんと張り合って、自分を奮わせているところがありますからねえ」
「僕と、張り合う?」
一彩がマヨイに聞き返すと、二人とも頷いた。巽がその話題の続きを語る。
「藍良さんは人より自分を卑下してしまうところがあります。一彩さんのような人がそばにいるということは、藍良さんにとって、良い影響を与えることもあれば、その逆もまた有り得ます。それを、理解してあげて欲しいですな」
巽の話を聞いて、一彩は初めて藍良を泣かせてしまった日のことを思い出した。あの日は、仲間として初めて一曲を通して歌い踊った日だった。同じ「できない子」だと思っていた一彩がそうではなかったと言って、藍良は泣いていた。あの時はどういうことか分からなかったけれど、今なら分かる気がする。
『白鳥くんのなりたい姿を、一彩くんの言葉で押さえつけてない?』
『アニキはどんどん先に行こうとするくせに、俺には変わるなって言う』
先日の、ゆうたの言葉を思い出す。そして、次に思い出すのは藍良の言葉だった。
『ヒロくんはさ、おれをどうしたいの』
『おれに、どうなってほしいの』
もう少し、もう少しで分かりそうな気がする。向き合えそうな気がする。そして、その最後の一歩は自分でたどり着かないといけないと思った。
「……ありがとう。巽先輩、マヨイ先輩。おかげで、気持ちの整理ができそうだよ」
席に着いてから、一彩はやっと笑えた。向かいの二人も、心配そうにしていた表情が綻ぶ。丁度その時、三人の目の前に料理が届いた。注文したのは、三人ともオムライスだった。
◇◇◇
ロケ先での買い物は、藍良の楽しみのひとつ。最後の撮影をこなした後、ホテルに帰る前に雑貨屋に寄った。帰りを待ってくれている皆への土産物を探すため、そしてホテルでの最後の夜を充実させる何かを探すためだ。
ここは観光地にもなっており、街並を歩いているだけで絵になる。撮影にも使用させてもらい、その時にいくつか気になる店を見つけておいた。
カラフルな丸いビードロの並ぶ店に、藍良は入る。壁一面に並ぶビードロの一輪挿しは、バックライトに照らされてキラキラと輝いている。撮影で訪れた際、藍良はまずこの店で買い物をしようと決めていた。
一輪挿しは人に配るには少々高価なので、縁日の水風船のような模様のそれを実家にひとつ購入する。
配る用には、ビードロの美しさをぎゅっと閉じ込めたようなチャームのついた、ストラップやピアスなどを複数購入する。
それらを夢中で選んでいたら、藍良は土産用の紅茶のコーナーがあるのに気づいた。茶葉を差し入れて困る人はあまりいないだろうと考えそれらを眺めていると、カラフルなシュガーの並ぶコーナーの隅に、スミレの砂糖漬けを見つけた。昔、母親に紅茶に入れて飲ませてもらったのを思い出した懐かしさで、気づいたら手に取っていた。藍良はそれをいくつかと、一緒に紅茶も購入する。紅茶については、同室の先輩のおかげで多少の知識はあった。
予定に無かったものまで色々と買い込み、藍良はホテルへと戻る。
宿泊費に含まれている夕食用のレストランはしっかりと利用し、部屋では買い物の流れで買った入浴剤を使ってゆっくりバスタイムを満喫した。
そして、部屋に備え付けてあるポットで紅茶を一杯淹れてみる。それをガラスのソファテーブルへと置いて、土産物袋からスミレの砂糖漬けを出して紅茶に浮かべてみた。それを眺めながら砂糖が溶け出すのを待つ。くるくると紅茶の中で回るスミレが綺麗で、藍良はしっかりとスマホで写真を撮った。
ちょうどその時スマホの通知が鳴ったので確認すると、マヨイからメッセージが届いていた。
ALKALOIDの三人で夕食を食べている様子だった。口角を上げながらそれらをスクロールすると、最後の一枚に耳の垂れた子犬のような顔をしている一彩の写真があった。その写真には「藍良さんの写真を送ってもらえなくて拗ねている一彩さんです」と文言が添えらえていた。そして、一彩の言葉であろう「待っているよ」という言葉も。
藍良は吹き出して笑った。マヨイが一彩に写真を自慢したのだろうか。見せるなとは言ったが、一彩にとっていいお灸になったのならよかった。しかし、こんな風に誰かに好かれたことがないからくすぐったい。一彩は明日、自分が帰るのを心待ちにしてくれているんだろうか。
一彩の気持ちに、しっかり向き合わなくては。そして、自分の気持ちにも。それには「アイドル」として一緒にステージに立つのが一番良い。
マヨイに返信を打っていたら、ある人物からメッセージを受信した。藍良はそれに返信を打つ。
「週末、講堂の使用許可がおりたとのこと、ありがとうございますっと……送信!」
メールの返信のあと、藍良はALKALOIDのスケジュールを確認した。
◇◇◇
藍良はホテルをチェックアウトしたあと、観光などはせずにまっすぐ帰って来てくれた。一彩は、巽とマヨイと一緒に駅まで藍良を迎えに行った。会うのは四日ぶりだったが、ずいぶん雰囲気が変わって見えた。大人びたような、どこか吹っ切れたような、スッキリとした表情をしていた。巽の言う通り、今回の仕事が藍良の自信になれば良いと思う。
一彩は、藍良を自室まで送ろうと、荷物を運ぶ役目をかって出た。
藍良もそれを受け入れてくれて、巽とマヨイは気を遣ってくれたのかその役目を一彩に譲ってくれた。藍良の部屋に着くまで、仕事はどうだったとか、撮影はどうだったとか、藍良が話すのを聞いていた。部屋の前に到着すると一彩は荷物を藍良に引き渡す。何となく、部屋に入るのは気が引けた。藍良は一彩の表情を見て笑う。そんなに情けない顔をしていただろうか。
「はい、ヒロくんにお土産」
そう言って、藍良は鞄の中から包みを取り出した。薄紫色の不織布の袋に、濃い紫色のリボンのかかったラッピング。
「スミレの砂糖漬けが入ってるの。ロケ先で見つけてねェ」
スミレ。これは何の偶然だろうか。最近夢にスミレが出て来るので少し困惑した。
「スミレはね、薬にもなるし、毒になることもあるらしいよ」
「君がくれるものなら、僕は毒でも受け入れるよ」
藍良は少し驚いたような表情をしたが、すぐにまた笑顔に戻った。
「ねェ、ヒロくん。今度の週末はオフだよね?」
「う、うん」
「時間はある?」
藍良がいつか買い物に誘った時のように、廊下の壁に掛けられているカレンダーを見た。今週末の日付を指差す。
「あるよ。部活はあるけれど、調整可能だ」
藍良が言うなら、藍良の用事をできるだけ優先する。その想いを眼差しに乗せて見つめていたら、藍良が意外なことを言った。
「じゃあ、おれと二人でライブしよ!」
まるでデートに誘うように明るく、藍良は言った。一彩は訳がわからないまま頷く。藍良の誘いを断る理由は無い。藍良と一緒にステージに立てるのは嬉しいし、何より藍良に拒絶されていないことに安心した。
その日以来、一彩は藍良と一緒に二人でステージに立つためのレッスンをした。詳しいことは知らされないまま、マヨイもそのつもりで指導し、巽もそれに協力している。自分だけが何も知らされていないのか? 一体藍良は、二人でどこのどんなステージに立とうとしているのか。
ほどなくして、ライブが夢ノ咲学院の講堂でのドリフェス形式だと知った一彩は、何をどうするのが正解なのかと戸惑った。ドリフェスには勝ち負けがある。
藍良は自分に勝ちたいのだろうか? 勝たせてやるべきなのだろうか? しかし、勝負事で手を抜くのは相手への無礼だ。特にアイドルに関することでわざと手を抜くようなことをすれば、藍良のプライドを傷つけかねない。
何が正解なのかわからないまま、いよいよ週末が近づいてきた。
◇◇◇
一彩は藍良に言われるまま、楽屋で準備をしていた。今日は夢ノ咲で行う突発的なライブだから、衣装係もメイク係もいない。一彩と藍良の二人の名義で講堂の使用許可がとれたことだけでも奇跡だと藍良は言っていた。しかし、ESが出来てからは夢ノ咲の講堂でわざわざライブを行う生徒が減ってしまっているらしい。そこで藍良が生徒会の衣更真緒と姫宮桃李に話を通したらしく、ライブの開催に至れたという訳だ。
一彩のふたつ隣の席で藍良は機嫌よく自分にメイクを施している。一彩はいつも藍良にメイクや着替えを手伝ってもらっていたから、何もかも一人で準備しなければならないのは緊張する。しかし一彩だって成長している。一人でひと通りのことは問題なくできる。そう出来るようにしてくれたのは藍良だけれど。改めて、藍良に教えてもらったことが沢山あるなと思う。
今日のライブは、夢ノ咲学院の講堂を使ってのドリフェス。対戦形式のライブは初めてではないが、一体、藍良と何を勝負するのだろうとも思う。しかし、それを藍良に問うても「全力でぶつかり合えば何か見えるかも」としか言われなかった。そういう事なら、全力で応えたいと思う。
同じ楽屋を使っていたのに、待機する場所は別々だった。
藍良はステージの上手で、一彩は下手で出番を待つ。いつもなら袖から手を繋いでステージへ出て行くのだけれど、そばに仲間がいないのは心細い。そんなことを考えていたら、不意に後ろからポンと背中を叩かれた。振り返ると、ひなたとゆうたがいた。二人とも2winkの定番のライブ衣装を身に着けていた。
「やっほ、今日は天城一彩VS白鳥藍良くんのドリフェスを盛り上げるよ!」
ひなたがゆうたと並んでピースサインを一彩に向ける。一人で心細かったので一彩は安心した。
「ひなたくん、ゆうたくん。ごめんね、急なお願いをきいてもらって」
二人は今日、一彩と藍良が行うライブのMCをしてくれることになっている。藍良に言われて、一彩からひなたに頼んだのだ。
「いいよいいよ、ちゃんとALKALOIDから報酬を貰ってるしね~」
ひなたが言って、一彩が首を傾げた。
「そうなの?」
「うん。白鳥くんからそう聞いてるよ。送金もALKALOID名義だったし」
ゆうたが言うと、今度は一彩は面食らったが、納得もした。
「な、なるほど」
おそらく藍良が、巽とマヨイに了解を得て今回のドリフェスを企画したんだろう。一彩に黙って何を企んでいるのだろう。自分だけが何も知らずに仕掛けられているようで悔しい。それなら今日は絶対に勝ってやる。とにかく、勝負を仕掛けられておいそれと負けるわけにはいかない。
いよいよ、開演の時間となった。まず先にひなたとゆうたが飛び出す。講堂には、満員とはいかないが沢山の客が集まっている。突発的なライブとはいえ、週末なので他の科の生徒も沢山集まっているらしい。ひなたとゆうたが積極的に宣伝をしてくれたのも大きかった。
『皆集まってくれてありがとー! 今日は、天城一彩くんと白鳥藍良くんの、同ユニット対決~!』
最初にマイクを構えたのはひなた。それを合図に一彩と藍良もそれぞれの待機場所からステージへと出た。一彩は客席に手を振った後頭を下げ、藍良は両手をいっぱいに振って愛を振りまいていた。
二人の登壇が終わると、ゆうたも声をマイクに乗せる。
『何でこの二人がって? アイドル同士の喧嘩はステージで決着をつけるのが、夢ノ咲流ってやつだからね!』
『ちょっとォ! 別におれたちケンカしてませんからァ!』
ニコニコと客席のファンとコミュニケーションをとっていた藍良が、すかさずゆうたを振り向いてツッコミを入れる。ゆうたはにやにやと後輩のそばに寄って、その顔を覗き込んだ。
『そうなの~? どう見ても痴話喧嘩でしょ~?』
かぁっと顔を赤らめる藍良がスクリーンに映る。会場は和やかな笑いに包まれた。一体どうなるのかと緊張もしていたが、それもほどけて一彩もリラックスできた。本当に、この二人には世話になりっぱなしだなと思う。一彩は最前列にいる一彩のうちわを持った普通科の女子生徒グループに手を振った。その少女たちがきゃあと声を上げてうちわで口元を隠しながら手を振り返してくれる。一彩にも、そういうコミュニケーションを楽しむ余裕はあった。
『一彩くんの意気込みはどうですか?』
今度はひなたが一彩に絡みにきた。一彩は笑って見せると、マイクを構えてステージの反対側にいる藍良を見て言った。
『藍良の想いに、全力で応えるよ!』
『こらー! ヒロくん、紛らわしい言い方するなァ!』
また、会場に笑いが起こる。
ずっと雰囲気は和やかだが、実際藍良は一彩の気持ちと自分の気持ちを確かめるために、勝負を仕掛けてきている気がしている。その手段がドリフェスであるという事にはピンとこないが、それも始まれば分かるはずだ。
『ルールはいつも通り! まずはライブを楽しんで、投票タイムになったら手元のサイリウムで投票してね!』
ゆうたがサイリウムを掲げながら簡単にルールを説明する。
『それでは早速始めるよ!』
ひなたがそう宣言し、曲紹介と同時にイントロがかかる。ALKALOIDの代名詞とも言える曲。この曲がかかると気分が高揚する。一彩は胸に拳をあてて深呼吸をする。問題なく歌えそうだ。
ALKALOIDは四人ユニット。楽曲も四人で歌い踊るよう構成されているが、二人でのステージを想定した構成も用意がある。これまであまり披露する機会がなかった分、一彩はまず『二人バージョン』のパフォーマンスを藍良とやれることを楽しもうと思った。
しかし、藍良との二人きりのステージを楽しんでいるだけではダメだ。これはドリフェス。アイドルとしての『戦闘力』を数値化したバトルなのだ。
それぞれのスートを名乗るソロパートは、今はステージにいない二人のところを、藍良と向かい合いながら、中央に手を翳して呼んだ。二人がここにいるていでのパフォーマンスだ。その時藍良と目が合ったが、とても楽しそうに笑っていて、眩しかった。
あわてて練習した二人用のセットリストだけれど、一曲目は問題なく踊り終えることができた。そして、あまり時間を空けずに二曲目がかかる。MCを挟まず踊り続けるのは藍良よりも自分のほうが得意だ。これならきっと勝てる。そう思って一彩は藍良を見た。そして、はっとした。藍良は一彩を見ていなかった。講堂の客席に向かって、全身をいっぱいに使って、愛を表現している。ファンのために精一杯、歌とダンスを披露していた。その笑顔はキラキラと輝いていて眩しいが、けして一彩を照らしているものでは無かった。
アイドルは沢山の人に愛されるために存在する。そのことを思い知らされた。
僕は、藍良しか見ていなかったのだ。
ALKALOIDのサイリウムの色はターコイズブルー。その光の海は藍良のために波を立てているような気がした。観客と目が合わない。いや、自分がまっすぐに客のことを見られていないだけか。パフォーマンスの合間にやっと藍良と目が合う。『楽しいね、ヒロくん!』と表情が語っていた。その顔が眩しい。
戸惑う間に二曲目が終わり、投票の時間になった。票を確認するまでもない。
「僕の、負けだ……」
マイクに入らない小さな声で、一彩は呟いた。
投票を促すひなた、ゆうたの声も頭に入ってこない。
いつのまにか集計が終わり、歓声とともに藍良がスポットライトに照らされた。ステージ上のモニターにはそれぞれの得票数が表示されているのかもしれないが、見ることはできなかった。
心のどこかで、藍良には負けないと思っていた。自分が藍良を引っ張って、支えて、『僕』のそばで輝いて。でもそれは思い違いだったのだ。藍良はひとりでも輝ける。隣で躍らせてもらっていたのは、自分の方だったんだろうか。
『第一ラウンドは、白鳥藍良くんの勝利でーす!』
ひなたの声が響く。
『やったァ! おれのラブ~いところが伝わったかなァ?』
藍良のパフォーマンスに、観客たちのサイリウムが呼応する。
好きと好きは共存できる。それは自分の言葉だが、今は違う。サイリウムは、どちらかの色しか示せない。
悔しい。そう思った。今まで生きてきて、誰かに対して強く悔しいと思ったことはなかった。兄のため、仲間のために生きてきた自分は、今は藍良のために行動しているつもりだった。なのに、その他でもない藍良が輝いているのに、悔しい。
僕だって、輝きたい。
『藍良!』
思わず名前を叫んでいた。会場が一瞬静まり返り、藍良がびくっと肩を飛び上がらせる。
『え?』
『藍良、もう一度、もう一度お願いするよ!』
藍良に、負けたくない。
『僕だって、アイドルだ!』
君の隣に立って、恥ずかしくないアイドルになりたい。
何がなんだか分からないまま叫んでいる一彩と、困惑してぽかんとしている藍良の間に、双子が入ってくれた。
『まぁまだ第一ラウンドだからね~、ステージはまだまだ続くよ!』
『なんか目が覚めたっぽい一彩くんの次のパフォーマンスにも注目だね~!』
二人がなんとか場をおさめてくれて、藍良もやっと何かに気づいたように一彩と目を合わせた。そして、頷いてくれた。
二回戦目。このライブでは三曲目となる曲がかかる。一彩はステージいっぱいに動き回り、観客席に歌で語りかけた。自分たちはアイドルだ。歌も、踊りも、ファンの皆のために存在している。それは藍良の隣に立つための道具ではなく、藍良に理想を押し付けるための手段ではない。
それなのに、一彩は藍良のことをかわいい、かわいいと言葉で押さえつけて、ダンスの技術で先を行くことで満足感を得ていた。藍良よりも優れているところが一つでもあると安心するのは、他が劣っているという事に他ならないのに。認めるのが怖かった。藍良には、ずっと自分を追いかけていて欲しかったのだ。だから藍良のソロの仕事が増えることで、追い抜かれるのではと無意識に焦ったのだ。その執着を愛情だと勘違いして、あの日君に好きだと言った。
どちらか一方の愛が大き過ぎては上手に重ならないのだと、今まで何度も歌い上げてきた歌詞の意味がようやく分かった。
藍良はファンの方を向いているのに、一彩がそうでないのならステージはちぐはぐになってしまう。藍良のことを好きだと思った日から、一彩の歌い踊る目的が藍良へと偏ってしまっていたように思う。そのことに、藍良が気づかせてくれたような気がした。
今なら、遠くの客席までみんなの表情が見える。皆、一彩と藍良のパフォーマンスに目を輝かせていた。ファンの顔を眺めていてようやく、席の一角に巽とマヨイがいるのを見つけた。目が合うと巽が微笑み、マヨイは涙を浮かべて顔を抑えた。
憑き物が落ちたように身体が軽くなって、心も晴れやかだった。楽しい。藍良と一緒に立つこのステージが楽しい。
もう勝敗などどうでも良かった。ただ目の前にいるファンたちを藍良と取り合って、時には二人のパフォーマンスで湧かせて盛り上げた。
『なーんかヒロくん調子出てきてない?』
『ウム! 藍良のおかげだよ!』
曲と曲の間にかけあう声もファンサービスだけれど、交わす言葉に嘘はない。藍良の笑顔はより輝いて見えて、心の底から楽しそうだった。その隣で踊っていると、こちらも一緒に高まる。
二回戦目は、一彩が勝利した。負けたのに藍良のほうが嬉しそうで、感極まって飛びついて来たのを一彩が受け止める。
アイドル「天城一彩」はファンのために存在する。そして、アイドル「白鳥藍良」はその得難い仲間で、ライバルで、パートナーなのだ。
藍良が確かめたかったのはきっとこのこと。そして、それを一彩にも解らせようとしていたのだ。
◇◇◇
互いに一勝一敗という成績から、藍良が突然開催したドリフェスは三回戦までもつれ込んだが、結果引き分けということで終わった。しかし、勝敗に関わらず大いに盛り上がったのは言うまでもない。
舞台袖に下がった今も興奮がおさまらない。今、舞台ではひなたとゆうたがエンディングトークをしてくれている。そのステージの賑やかさが、既に恋しい。もう一度、ステージに立ちたい。あのうるさいくらいに輝いているあの場所にもう一度。
「ヒロくん!」
藍良の表情を確かめる前に、その小さな身体が腕の中に飛び込んできた。
「あ、藍良?」
驚いて受け止めると、藍良が泣き声交じりの嬉しそうな声で、言った。
「おれ、ヒロくんとアイドルしてるときが一番好き。それを確かめたかったの」
「藍良……」
抱きしめ返そうか迷っていると、藍良が更にぎゅうと抱きしめてきた。心臓が高鳴るのは、ライブ後の興奮か、それとも。
「大好き。ヒロくんの隣を、誰にも譲りたくない。おれを、置いていかないで」
一彩は、込み上げそうになるものを、歯を食いしばって耐えた。置いて行かれると焦っていたのは、自分だけでは無かったのだ。
「僕だって……」
そして、そっと藍良のことを抱きしめ返す。身体は本当に小さくて細い。でも、自分と同じように熱かった。
「僕も、僕が一番好きな藍良は、アイドルとして輝く君だって気づいた。キラキラしている藍良を、ずっとそばで見ていたいよ」
ただ守り導くのではない。隣に立って、一緒に進んでいくのだ。
「藍良。今度は、間違えたくない。僕は君にふさわしい僕になりたい。僕を、君の一番近くに居させてくれないか」
見つめながら言う。舞台袖の暗がりでも、涙の溜まった藍良の瞳はキラキラと輝いていた。その涙を雫にして溢れさせながら、藍良が笑う。
「何言ってんの。ずっとそばにいて、放してくれないくせに」
藍良の指が、一彩の頬を撫でた。その時初めて、一彩は自分も泣いていることに気づいた。
「大好きだよ、藍良」
「……おれも、大好き。待たせてごめんね」
ステージの喧噪が止むまで、二人はしばらく抱きしめ合っていた。
◇◇◇
ドリフェスのあとは色々な意味で感極まって、帰寮してすぐに自室へと戻り、最低限のことだけを済ませて寝てしまった。夢も見ないほどにぐっすりと眠り、気が付いた時にはもう日が高く昇っていた。はっきりとしてきた意識でまず思うのは「藍良に会いたい」ということ。昨日のことが夢ではなかったと、早く確かめたい。
藍良にスマホでメッセージを送るのにもドキドキする。
『もう起きている?』
すぐに既読はつかなかった。一彩はいてもたっても居られず、藍良の返信を待たずにすぐに部屋を出た。
藍良の部屋の前まで来ると、丁度朔間零が部屋を出て来るところだった。一彩の姿を見ると、オートロックが掛からないよう、扉を手で押さえていてくれる。
「おぬしのかわいい子はまだ夢の中じゃよ」
「あ、ありがとう……」
一彩は零と入れ違いで部屋の中へ入る。英智はおらず、聞こえるのは一人分の寝息だけだった。
そっとベッドに近寄ると、パステルグリーンの布団にくるまって、藍良がすうすうと寝息を立てていた。かわいい。ベッドサイドには、先日一彩がプレゼントしたピアスが飾ってあった。
藍良はまだよく眠っているから、長いまつ毛がよく観察できた。自分がそばにいるというのに起きる気配がない。よほど昨日のことで疲れたのだろうか。
昨日のことを思い出すと、腕の中に藍良を抱きしめた時の感覚が蘇ってきた。このままだと寝ている藍良を前に変な気を起こしかねない。
そういえば、先日ホテルの同じ部屋に泊まった日は、藍良を上手に起こせなかったのだった。
「藍良、起きて」
「んぅ……」
そっと肩に触れて揺すると、枕をぎゅうと抱きしめて藍良がみじろぎをする。こういう時だけは枕になりたいと思う。
声をかけてしばらくして、藍良が目をぱちぱちと何度か瞬きさせたあと、目を覚ました。
「ヒロくん」
「うん、僕だよ」
ドキドキと心臓が鳴る。目が合うと、藍良が頬を染めて恥ずかしそうに枕に顔を埋めた。どうやら、昨日のことは夢ではなかったらしい。一彩も、つられて照れた。
藍良が布団の中からもぞもぞと、こちらに手を伸ばしてきた。一彩はそれを握り返す。柔らかくて、温かな体温が伝わって来た。たったそれだけで、幸せな時間だ。
「一緒に二度寝するゥ?」
藍良が、体温の籠った布団を捲ってそんな事を言った。捲れたパジャマからお腹とへそがちらと見えてしまい、一彩は慌ててぶんぶんと顔の前で両手を振る。
「そ、それはまだ遠慮しておくよ……」
おそらく真っ赤になっているであろう自分の顔を見て、藍良が満足そうに笑った。
「……意気地なし」
そう言って、藍良が気だるそうにベッドから出て、うーんと全身で伸びをした。そのしなやかな肢体に誘われて、一彩は思わず後ろから抱きしめた。
「ひゃんっ! ちょっと、ヒロくん」
「……おはよう、藍良」
何気ない、朝の挨拶を口にする。でもそれは、一彩にとって特別な挨拶だった。
「おはよ、ヒロくん」
藍良が後ろ手に、一彩の頭を撫でてくれた。
より相手に甘えているのはどちらなのか。
それはこれから、分かっていくことだろう。
終