時をこえた願いを(前編)
魔王ウルノーガを倒し、世界に平和が戻った。
人々は心に傷を負いながらも、ようやく訪れが平穏な日々に安堵し喜びに浸る。
イレブン達はラムダでベロニカの墓前で報告を済ませた後、各地の様子を回ることにした。
これまでの旅で知り合った人たちに会い、皆の顔にも笑顔が浮かぶ。
会いたい人達に会い終えた後、ケトスで移動中にカミュが見つけたキラリと光った何かを探しにグロッタの南を目指した。
そこにあったのは恐らく神の民ものと思われる建物や石像の瓦礫たち。
何度見ても独特なそれらを調べていると、そこである書物を見つけた。
そこに記載されていたのは、失ったものを取り戻すことができる可能性を秘めた伝承だった。
書物に書かれていることが本当であれば、ベロニカを生き返らせることができるかもしれない。
そんな僅かな希望に藁にも縋る思いで、書物に記されている忘却の塔を目指した。
だが…。
なんとか見つけ出した忘却の塔にいた時の番人から告げられた事実を受け、失ったものを取り戻すということの過酷さと厳しさを思い知らされた。
沢山の物が奪われ、運命が狂ってしまったあの時に戻るには、この世界ごと過去に戻すことになること。
そして過去に戻ることが出来るのは、勇者の力を持つ者だけ。
あまりに衝撃的な内容に、僕達は言葉を失った。
時のオーブを壊せば、過去へいける。
但し代償として大切な皆とこの世界との別れを告げなければならない。
お母さんやエマ、イシの村の人々やこれまで出会ってきた沢山の人達。
そして今この場にいる大切な仲間と過ごしてきた日々が全てなくなる。
その事実に僕は目の前が真っ暗になるのを感じた。
けれどそんな中、ふと脳裏を過ぎったのは、ベロニカの姿とあの時の光景だった。
手をぎゅっと握り締め、自分を奮い立たせる。
このまま、終わらせたくなんてない。
希望が僅かでもあるのであれば…僕は。
そう一歩前に足を出そうとした時、すっと僕の前に出てきたのはカミュだった。
「…少し、ここから離れて考えた方がいい」
声に抑揚はないがハッキリと言ったカミュの表情は真剣そのもので、それまで俯いていた仲間達も顔を上げ力強く頷く。
僕はそれに否定することは出来なくて、皆の言うように塔を離れることにした。
どこに行こうかと思ったが、その場所から比較的近いクレイモランへと向かう。
クレイモランまでの道中、まるでお葬式のように静まり返っていた。
きっと僕の中の答えに気付いているんだろうと思った。
クレイモランの城下町につくと、突然ぐいっと右腕を掴まれ引かれる。
驚いて引かれた方を見るとカミュが僕の腕を掴んでいた。
「カミュ?」
「………………」
問いかけたがカミュは無言のままスタスタと歩き出す。
僕は腕をしっかりと掴まれているためついて行くしかない。
それに、この手を振り払うことなんて出来なかった。
チラリと仲間達を見ると皆一様に頷き、僕らを見送った。
雪に慣れていない僕は少しよろけそうになりながら、前を歩くカミュの背中を見る。
あれ以来一言も発しないカミュ。
その姿に胸が締め付けられる。
カミュはとても頼りになる相棒で、とても大切な仲間で、とても大好きな恋人。
僕は恋愛とかそういうものにとても疎くて、幼馴染みのエマも最初は怒っていたが最終的に呆れてしまうほどダメだった。
そんな僕でも、彼と出会って、一緒に旅をして、色んな経験を積んで、その想いを知ることができたのだ。
最初それに気づいたときは驚いたし、困惑もして、持ってはいけない感情を持ってしまった自分自身に絶望感もあった。
けれどそんな自分に奇跡が起きたのか、カミュからの告白を受け、恋人同士になることができたのだ。
この事を公言したことは無かったけど、恐らく皆は気付いていた。
だから皆何も言わずにカミュと二人きりにさせてくれたのだと、仲間思いの皆の気持ちが痛いほど伝わった。
無言のまま着いたのは宿屋で、カミュは手際よく二人部屋を取り、その足で部屋へと向かった。
部屋につくと更にグイッと腕を引かれ、気づいたときには部屋に備え付けてあるベッドに体を預け、僕に覆い被さるカミュを見上げるような状態になっていた。
僕はカミュの顔が見れなくて目をそらしてしまう。
けれど、視線を泳がせているとカミュは僕の顎を掴むとグイッとその精悍な顔を近づけてきた。
目の前がカミュでいっぱいになり、いよいよ逃げられなくなった。
互いの瞳に自分たちが映っているのを感じながら、暫しの静寂が辺りを包み込む。
「お前は……行っちまうのか?」
こういう風に聞くのは卑怯だと思っているのだろう。
自分を制するように静かに問うカミュの表情はとても辛そうで悲し気な表情を見せていた。
その目は、行くなと…行かないでくれと強く訴えている。
そんなキミを前にして、少し決心が鈍る気がして、自然に視線をそらしてしまう。
いろんなことがあった。
投げ出してしまいたくなるほどの辛いことも。
このまま時が続けばいいのにと思うほど楽しかったことも。
僕の選ぼうとしている選択はその大切な時を一緒に過ごしたカミュや皆ともう二度と会えなくなるのが分かっている。
だからこそ、そんな顔をするキミに別れなんてしたくない。
……だけど……
「……今、僕がこうしていられるのは、ベロニカのおかげだ。それに…魔王はいなくなっても、あの時失った人たちは、命は帰ってこない」
「……………」
「…世界が崩壊してから…イシの村にある河辺の桟橋でずっと川を見つめてる小さい女の子がいてね、あの時、家も友達も、ご両親も…亡くしてしまったんだって…。今は、メダ女の先生の計らいで、メダ女で暮らしているけど…、あの時のあの子の姿がずっと焼き付いているんだ。」
泣くことも出来ないほどの強い悲しみと喪失感。
どれだけ願っても、あがいても、帰ってくることない命や場所。
大切なものを失ってしまった人の悲痛な姿は僕に現実を突きつける。
それは魔王がいなくなった今の世界でも。
どうしようもない胸の痛みにぎゅっと目を閉じてしまう。
こんな世界にしてしまった、その引き金を引いてしまったのは…世界を崩壊させてしまうきっかけを作ってしまったのは…。
「…あの子のように、大切なものを失ってしまった人はたくさん…」
「お前のせいじゃない」
言葉を遮るように、はっきりとした口調で否定される。
恐る恐る目を開けると、真っ直ぐに射抜く綺麗な海の瞳。
「…こう言うのはお前は望んでねえかもしれないが、お前だって犠牲者の一人だろ。全ての元凶も、世界を壊したのもウルノーガだ。なのに、なんでお前ひとりで背負う必要があるんだ。勇者だって、ただの人間だ。全部が全部、勇者がやらなきゃいけないわけじゃねぇだろ。……お前はずっと…ずっと、俺らの為に、世界の為に頑張ってきた。十分すぎるくらい頑張ったじゃねぇか。…誰が何と言おうとこの事実は譲らねぇぞ。例えお前自身が否定したとしてもな」
カミュの言葉が胸に刺さり、涙が出そうになる。
勇者の力を奪われ、世界崩壊を招いてしまった自分を僕はずっと責めていた。
それを見抜いているんだろう優しい言葉に、奥歯を噛み耐える。
カミュは本当にやさしい。
キミが居てくれてどれだけ救われたのか。
本当は別れたくなんてない。
この人の隣にいたい。
…それでも僕は、あの日に戻ってやり直したい。
ベロニカや沢山の人達を取り戻したい、助けたい。
それが、僕にしかできないというのであれば…。
「……ごめん……」
なんとか絞り出した僕の答えは小さくて震えていて情けないものだった。
それにカミュがピクリと体を揺らし、苦渋な表情を見せた。胸が締め付けられる。
けれど、僕はここで引くわけにいかない。
押しつぶされそうになる心を奮い立たせて、悲し気に揺れる海の瞳を見つめた。
その場がしんと静まり返る。
どれくらいの時間だったかわからないが、暫くしてカミュは目を瞑り、はぁと小さい溜息をついた。
「…本当、お前は…頑固だよな」
ぽつりと言ったカミュは苦笑いを浮かべていた。
そして流れるように僕の目じりにキスを落とすと、ぺろりと舐められる。
そこで漸く自分が泣いていることに気づく。
いろいろと恥ずかしすぎてかぁっと赤くなると、カミュはフッと微笑み、こつんと額同士を合わせる。
「……わーったよ。お前が考えて決めたことなら、俺は受け入れる。…だから、せめて見送りくらいはさせてくれ」
「!カミュ…」
カミュは降参だと軽い口調でそう言ったけれど、よく見ると手は少しだけ震えていた。
ああ、僕はなんて酷い奴なのだろうか。
「そんな顔すんなよ。…もし俺がお前の立場だったら、お前と同じ道を選んでたさ。」
「…うん…」
小さく頷くとカミュはいい子だと優しく頭を撫でてくれた。
「俺はお前を信じてる。…勇者の奇跡ってやつもな。じゃなきゃお前を行かせたりなんかしねぇよ」
「…うん…」
「それに…勘違いしてっかもしれねぇが、俺の諦めの悪さをなめるなよ?」
「…ん?」
言葉の意味が分からず首を傾げていると、カミュは覆い被さっていた上半身を起こす。
なくなってしまった温もりに引かれるように僕も体を起こすと、カミュは自分の右耳に着けていたピアスを器用に取り外し、差し出してきた。
僕はそれを受け取りつつ、意図が掴めず何度もカミュと交互に見てしまう。
「カミュ?これは…」
「俺は必ずお前を迎えに行く」
ぴくっと体が反応してしまう。
“迎えに行く”とはどういうことなのか。
それはまた会うことができるということなのか。
けれど、それは決して叶うはずのない。
だってこれから僕が行こうとしているのは過去の世界だ。
探そうにも探せないし追いかけることなんてできやしない。
そう、わかっているはずなのに、“叶ってほしい”。
甘美すぎる願いと期待に、抗うことなんてできなくて、とめどもなく内側から溢れてくる切なくて苦しい気持ちに、目の前が涙で揺れる。
カミュは僕を引き寄せて抱きしめると、ゆっくり諭すように耳元で囁く。
「俺はお前の相棒だ。お前を一人きりになんてさせない。…だから、それまでの間、お前が預かっててくれ」
優しく、力強い言葉に僕は涙腺が壊れてしまったようにぼろぼろと涙が零れ、上手く話すことが出来なくなってしまった。
それでもカミュの言葉に応えたくて、何度も頷いた。
縋るように僕はカミュの背に腕を回し、ぎゅっと抱き着くとあやす様にポンポンと頭を撫でられる。
心地の良い香りと温もりに徐々に落ち着いてきた頃、ゆっくりとそのまま後ろへ体が倒される。
「カミュ…」
「ん?」
「…大好き」
なんとか絞り出した言葉は涙で震えていていた。
けれど、思いは伝わったようで、カミュは僅かに目を見張った後すぐに泣きそうな笑みを浮かべてキスをしてくれた。
そしてピアスを持っている僕の手に自分の手を絡ませ、密着させてくる。
「イレブン…愛してる」
見上げた先にある優しい微笑みに僕も自然と笑みが零れ、ゆっくりと目を閉じた。
翌日、僕の気持ちを尊重してくれた大切な仲間たちと共に再び忘れられた塔へと赴き、僕は仲間に見守られながら過去へと渡った。