第4話
その日、ユーリは食堂の厨房にいた。
このギルドの甘党派筆頭のユーリは、日々甘いものを摂取しているが、時折無性に大量の糖分を欲するときがある。
その時のお菓子の量は周囲の者達からしたら異常とも言える量で、親友で腐れ縁のフレンから将来が不安だと本気で心配されるほどだ。
ユーリ自身も自覚はしているが、それでも欲求には耐えられない。
その時の自分が満足できる程のお菓子を他の人に用意してもらうのは流石に気が引け、こういう時のユーリは必ず自ら準備することにしている。
今日目が覚めた瞬間から、デザートが頭をちらつき今日は食いつくすと心に決め、軽く身支度を済ませるなりすぐに厨房へ入った。のだが。
「…足んねぇ」
眉間に皺をよせ、唸るように低く呟く。
あろうことか今日に限って生クリームやチョコレートなどお菓子作りに欠かせない材料がなかった。
普段のユーリならそれらがなくともなんとか違うもので補えたが、今のユーリには致命的だ。
それらがないと思う存分デザートにありつくことができない。
今の自分はそれらを欲しているのだが、よりにもよってこういう時に材料が尽きているとは。
そういえば、今日はロックスも他のメンバー数名と買い出しに行くと言ってたな。
きっとその買い出しで今の自分に必要な材料は手に入りそうだけれど、この大所帯の買い出しは骨が折れるほどの重労働だということは、何度か経験した買い出しで学んでいた。
今は丁度お昼を過ぎたころで、当分帰ってこないだろう。
目のまえの現実に若干絶望感を感じ始めた時だった。
「あ、ユーリ」
反射的に呼ばれた方を見ると、ルーがいたが、一人だった。
今やギルドの人気者の彼の周囲には誰かしらいるイメージがついていただけに、それは珍しい光景だった。
「よお。珍しいな、一人か?」
「うん、皆クエスト行ってる。俺は休めって言われてさー。暇なんだ」
それを聞いて、なるほどと思った。
以前、剣の稽古としてルーとユーリは手合わせしたが、その際にルーはユーリに勝った。
実際にそれを見ていたロイド達が証人とばかりに話を広げ、あっという間にギルド内に知られることになった。
実力もあって、優しい人気者の彼は他のメンバーからも引っ張り凧状態で、ここ最近ルーは立て続けにクエストに出ていた。
それに対してさすがのアンジュが待ったをかけたのだろう。
実力があるからといって体を休めないのは良くない。
いつもいるライマのルークがいないことから、恐らくクエストに行っているんだろうと思われる。
ユーリもユーリで昨日まで少し長めのクエストを受けていたため、今日は久しぶりの休日だ。
だからこそ甘いものを欲しているのかもしれない。
「ユーリは何してんだ?」
首を傾げながら疑問符を飛ばすルーに、ユーリは肩を僅かに落とす。
「あー、これから菓子でも作ろうかと思ったんだが、材料が足りなくてな。」
「そっかー…ユーリのお菓子美味しいのに…」
何回かユーリの作ったお菓子を食べたことのあるルーは至極残念そうに眉を下げる。
ユーリの手作り菓子はギルド内でも好評で、その味はルーも感動したほどだ。
その反応が可愛くて、ユーリは作っては味見役という名分をつけてルーに食べさせていた。
折角ルーも一人だし、その幸せそうな姿を独占できる丁度いいチャンスであったのにと、材料が足りないことを改めて悔いていたが、ふと思いつく。
「なんなら買い出し行くか。付き合ってくれたら多めに作ってやるよ」
「!行く!!」
ユーリの提案にぱあっと笑顔を浮かべ、迷わず頷くルー。
それに思わず口がにやけそうになる。可愛いなおい。
「じゃあ決まりだな」
「うん」
にこにことご機嫌なルーに釣られて笑みが零れる。
さっきまでの後悔や絶望感が嘘のようになくなったのを感じた。
むしろ良い方へ事が転がった気がする。
恐らく今自分の顔は恐ろしく緩み切った顔をしているだろう。らしくない。
だがそれ以上に、この場に自分たち以外誰もいなくてよかったと心底思った。
アンジュに頼んで降ろしてもらったのは比較的大きめの街だ。ここにはほぼ毎日のように開かれているマーケットがあり、ここなら欲しかった生クリームやチョコレートも手に入る。
また偶に掘り出し物もあったりすることから、何度か訪れたことのある場所だった。
今日も広場を中心にマーケットが開かれており、活気に溢れていた。
「すげー人いっぱいだな!!店もいっぱいあるし!!」
興奮状態のルーは、人一倍目を輝かせて辺りをきょろきょろと忙しなく見渡す。
その子供のような姿に思わず苦笑する。
「そんなに珍しいか?」
「珍しいつーか、あんまり俺買い物したことないから。新鮮な感じ?」
「ふーん?やっぱり貴族だとこういう場所での買い物に縁がないのかねぇ」
冗談半分で言ったユーリの言葉にルーは困ったように首を捻る。
「んーどうだろ?俺はちょっと前まで屋敷から出してもらえなかったからなぁ」
「は?」
「それに屋敷出るまで金なんて見たことなかったんだよ」
「出してもらえなかったって…それどれくらいの間だ?」
その問いにルーは“生まれてから旅に出るまでずっと”と言いかけて止めた。
「えっと…7年くらい、かな」
「はぁ!?」
迷った末に、正直に伝えた年数にユーリは驚愕する。
まぁそうなるよなと思う。
預言の為、死ぬ為にあの鳥籠の世界にいた。
その事実に気付くことなく、気付かせないように周囲から遮断された世界。
退屈で退屈でしょうがなかった、それでもあれがあの頃のルーにとっては全てだった。
今思えばあまりにも異常で狭すぎる世界。
その世界でさえ、アッシュから奪い取った陽だまりで。
もし、あの時の自分が他の世界を知ろうとしていれば、何か変わっていただろうか。
“もし”という言葉に、今更意味はないのに考えてしまう。
「本当俺馬鹿でさ、外出たときにいろいろ失敗して…一人で買い物もできなかったんだ。あ、でも旅に出てからはちゃんと買い物できるようになったんだぞ!つっても、旅の途中で立ち寄った街にもこういうところはあったけど、それ所じゃなかったからな」
ケセドニアやグランコクマ等大きい街も活気ある場所もよく立ち寄ってはいたが、基本的には旅に必要なグミや食材、武器等の調達や情報収集がメインで、しっかりと見たことがない。
それでも初めて見た世界はとても広くて新しいことばかりで。
毎日が新鮮で、愛しくて、精一杯だった。
それは乖離が深刻化していけばいくほどに。
耳を傾けていたユーリはとんでもない話にあっけにとられる。
7年間屋敷から出してもらえないって随分と度のすぎた箱入りじゃないか。
というか、年単位で出してもらえないなんてそれはもう軟禁…いや監禁状態に近いのでは。
もしそれが自分なら絶対耐えられない。
「ユーリはこういうところ慣れてそうだよな」
少し俯きがちだったルーが顔を上げるとキラキラした目でユーリを見る。
それは純粋な憧れのようなもので、ユーリは苦虫を噛み潰したような気持ちになる。
普通の人間なら普通にできることができない世界で生きてきたのだろう。
自分からしたらなんてことはないことでも、ルーにとってはきっと特別なものに感じているんだろうなと思う。
それならば。
「なんなら少し見てまわるか?」
「へ?」
「ここのマーケットは掘り出し物や珍しいものも多いし、退屈はしないだろ」
にっと笑って見せるとルーは期待に満ちた目を見せる。
「見たい!あ、でも、いいのか?ユーリお菓子作るんだろ?時間ないんじゃ…」
「明日もクエストねぇし、今日は買い物だけは済ませて、菓子は明日作ればいい」
どうする?と続けるユーリの問いに今度こそぱぁっと笑顔になる。
「うん!ありがとうユーリ!」
「んじゃ、ま、適当に。迷子になるなよ?」
「なっ子ども扱いすんなっ!」
にこにこ顔から一転してぷくっと不貞腐れる姿を見て、思わず笑ってしまう。
「ほら、行くぞ」
ぶつぶつ何か文句を言いつつも、促すと頷いて素直に後をついてくるルーにまた笑ってしまった。