第20話
「ん…」
固く閉じられていたルーの瞼がピクリと反応するなり、すっと開かれる。
「…あれ…こ、こは…?」
ゆっくりと体を起こし、未だぼんやりとしていて働かない頭で辺りを見回す。
薄暗くはっきりとはみえないが、ここは豪華な造りをした部屋のようで、多数の調度品があるように見えた。
そしてルーがいるのはその部屋にある大きなベッドの上だ。
一体ここはどこなのだろうか。
訳が分からずただ呆然としていたが、ふと自分の服が目に入る。
それはいつも着ている服ではなく、レストランのウェイトレスの服。
「!そうだ、俺…っ!?」
ハッと我に返ったルーは思わず立ち上がろうとしたが、突如何かに足を引っ張られ、その勢いのままその場で躓いた。
全く想定外ことに困惑を隠せないルーは、一体何がと足の方を見ると、そこには思わず目を瞠はる光景があった。
それは自分の両足首に金属の枷がつけられていて、枷の鎖の先はベッドの両足に取り付けられていた。
ルーはすぐさまその枷を外そうとしたが、鍵がかかっていて外すことができない。
その事実にぞっと顔を青くさせる。
「な、なんだよ、これ…っ」
ルーはなんとかして外そうと試みるが、びくともしないそれに焦りだけが募っていく。
それでも諦めずに必死に外そうとしていると、静かだった部屋にガチャリと扉が開く音が響く。
びくっと体を震わせたルーは、その音のする方をバッとみると、そこにいたのはガルバンゾの下町で対峙したあの貴族の男だった。
「先日はいろいろと世話になったな。」
「!お前は…っ!!」
ルーは咄嗟に身構えると相変わらず人を見下したような目を向けながら、わざとらしく優雅にお辞儀をする。
「ああ、申し遅れた、私はアルンプルトだ。して、お前の名は?」
「教えねぇ!そんなことよりこれ外せよ!」
睨みつけ、威嚇するルーに男は余裕の表情でゆっくりと近づく。
そして手にしていたランプをルーに翳した。
「…まるで聖なる焔のように朱く金色を帯びた髪に翡翠色の目…それはライマ国のある王族で見られる特徴だと言う」
ライマ国の王族という単語を聞いたルーは、思わず目を見開き息を呑む。
その反応をみた男はにやりと笑みを浮かべる。
「やはりそうか、…その特徴を持つのは双子の兄弟の兄にあると聞いていたが…まさか女もいたとはな。お前はその妹か何かか?」
目をぎらつかせ悠長に話す男をルーはキッと睨みつける。
男がルークの事を指しているのは明らかで、同時にこの男にルークの事は言ってはいけないと思った。
「俺はライマと関係ねえ!」
「関係ないはずがないだろう。あの時のお前の立ち振る舞いは王族そのもの。そして…」
男は手にしていたランプをベッドのサイドテーブルに置くなり、ルーの手首をぐっと掴み引き寄せると、もう片方の手でぐいっとルーの顎を上げ顔を近づけた。
「この他では見られない特徴的な髪と目、言い逃れはできない。」
「っ何すんだ!離せっ!!」
拘束されていない手で男を払う様に振るうと、男は舌打ちをし、その手首を掴み力を入れる。
ルーはその痛みに動きが鈍る。
「っ!」
「とんだじゃじゃ馬だな。王族としての気品のなさよ。ああ、だからあの低俗な連中のいる汚らしい下町にいられるのか。」
男の侮辱する言葉にルーは怒りを露わにする。
「バカにするな!あそこに暮らす人達は皆優しくて、明るくて、とてもあたたかいんだ!それにあの場所は全然汚くなんかない!」
「はっ!本当にお前は王族の気質が欠如しているようだ。お前の近くにいたあの野蛮な黒髪の奴と一緒にいるだけある。」
「っ野蛮なのはお前だ!お前なんかにユーリの何が分かるんだよ!!」
一層に怒りが込み上げ、噛みつくように怒鳴ると男は口角を上げる。
「なんだ?もしかしてお前、あれが好きなのか。」
ルーはビクッと体を震わせる。
そんなルーの姿を見て、愉快そうに笑った。
「お前たちの関係など知ったことか。…だがまぁ、もしこのままお前がいなくなったとしても、最初こそは気を揉むかもしれんがその内忘れる。あんな野蛮人でも女受けはいいだろう。お前の代わりなどいくらでもいる。」
そう見下したように吐き捨てられた言葉は、ルーはずきりと心に突き刺さる。
レストランで手伝っている時にみた、可愛らしい女の子たち。
どの子もとてもキラキラと輝いていて、綺麗で。
一方でもう拭いきることができないほどに手も心も汚れきっている自分。
天秤にかけなくとも、代わりなどいくらでもいることなんて、そんなこと。
「そんなの…っわかってるよ!」
いつも真っ直ぐで、自分の意志を曲げたりしないユーリ。
それはとても綺麗で輝いていて、自分なんかには到底相応しくないことも、勿体ないことなんて百も承知だ。
「けど…っそれでも、俺は…っ!」
だからせめて、ユーリの気持ちを言葉を信じたい。
それが唯一自分に出来ることだから。
そう自分に言い聞かせるが、ずきっと鈍い痛みが中で広がるのを感じ、ぎゅっと口を結ぶ。
そんなルーに男は見下した笑みを見せる。
「お前は運がいい、何せ私に拾われたのだから。」
そう言いながら徐々に近づいてくる男にルーは咄嗟に男を蹴ろうとするが、鎖が邪魔して上手くできない。
男はそれに気付くと、ルーの頬をパンと平手打ちする。
「っ!」
「少しは自分の立場を理解した方が良い。小国の王族が大国の権力者の敷地、中枢にいるということ、そして私にとってお前には充分に利用価値があるということを。」
「っ!?お前何するつもりだ!!」
ルーは噛みつくように問うと男は笑い出す。
そして向けられたその目は貴族とは思えない程にぎらついており、ルーは嫌悪感から身を震わせ、逃げようと暴れ出す。
「言ったはずだ、ここは私の敷地内、そして多くの騎士達が警備をしている。お前が騒いだところで、お前を助けになど誰も来ることはできない。例えあの男でもな。」
男がそう吐き捨てるが、それに対して圧倒的に不利なはずのルーは尚も反抗的に強く睨み付ける。
イラッとした男は手を挙げ勢いよく振り下ろした。
すると次の瞬間、ルーの全身が強く発光し、男を弾き飛ばす。
「「!?」」
ルーは目を見開き、咄嗟に自分の体を両腕で隠すように抱きしめた。
まるで自分を護ろうとするこのあたたかい光の正体に気付いたルーは困惑する。
これは、ローレラ…
「なんだ…?この力は…」
呆然と呟かれた言葉にハッと我に返ったルーは男の方に顔を向けると、自分を見る目が呆然としたものから徐々にぎらついていくのが分かる。
そこで思い出すのはユーリとジェイドの言葉。
『…音素の力を悪用する奴が現れるかもしれないってことか』
『残念ながら悪知恵を働かせる人もいますからね』
「っ!」
ルーは必死に内から溢れ出てくる音素をコントロールし、その光を掻き消した。
咄嗟に抑制した反動から息切れをするルーに男はゆらりと立ち上がり、近づく。
「これはいい、やはり私に追い風が吹いているようだ」
欲望の色に染まる男の目にルーはゾッとし、思わず後ろに後退りをする。
「お前がライマの王族であること、そしてその力…隅々まで調べてやろう」
「!?」
どこか下劣な笑みを浮かべた男は、ルーの腕を掴み拘束するなりその上に覆いかぶさる。
再び激しく抵抗し始めるルーに、男は舌打ちしながらもルーのシャツの胸元をぐっと掴むなり、思いっきり引っ張ると、着ていた服は破れボタンが弾き飛び散り、胸元の肌が露わになる。
そしてそのまま顔をそこに近づけた。
「っ!?やだっ!」
ルーは直ぐに振り払おうとするが、両手首を握られている力が強く、動きを封じられてしまう。
普段のルーならば、こんな男などいとも簡単に倒すことができるというのに、今の自分ではその差は圧倒的に不利で。
そんな不甲斐ない自分と男への激しい嫌悪と恐怖にルーは目に涙を溜める。
「っユーリ…っ」
徐々に近づいてくる顔に、ルーはぎゅっと目を瞑り絞り出すように大切な人の名を口にした。
その時だった。
突如バンッと物凄い大きい音が部屋中に響く。
ハッとした男はバッとその音の方を見ると、頑丈な鍵が掛けられていたはず扉が蹴り破られていて、そこにいたのは息を切らしたユーリとラピードの姿があった。
「なっ!?」
「…ユー…リ…?」
ユーリは部屋の奥から聞こえたルーの声にすぐさま反応し、そちらに目を向ける。
そしてルーに覆いかぶさるように上にいる男の姿を認識した瞬間、ユーリの中でプツンと何かがきれた。
ユーリは目にも止まらぬ速さで駆け、一瞬で間合いを詰めると男の顔面を全力で殴り飛ばした。
鈍い音とともに殴られた勢いで部屋の壁に叩きつけられ、その衝撃にうめき声を上げながら床に倒れる。
完全に頭に血が上っているユーリは纏う殺意を隠すことなく男へ向けながらゆらりと体を起こし見る。
そして己の剣に手を伸ばし鞘から抜こうとした。
「ユーリ…」
小さい声で呼ばれ、ぴくりと反応したユーリは無意識にそちらの方を見ると、呆然とした表情で僅かに体を震わせているルーの姿。
二人の目が合うと、ルーは次の瞬間顔をくしゃりと歪めた。
「ユーリ…っ」
ルーはポロリと涙を零し、飛びつくようにユーリに抱き着いた。
震えた手で離さないと言わんばかりにぎゅっと抱き着いてくるルーに、ユーリはそれまで赤く染まっていた視界がクリアになっていく。
そして正気を取り戻すと、その衝動のまま力強く抱きしめ返した。
「ゴホッゴホッ…っよくも…っ!!」
大きくダメージを負いつつも男は起き上がるなり、壁に掛けたてていた剣を手にする。そしてその剣先を向けようとした。
だが、それに対してラピードは唸り声を挙げながら男の手に思いっきり噛みつくと、男は悲鳴を上げる。
激しく身を振るいラピードを振り払い、その負傷した手を庇う様にしてその場に膝をつく。
すると複数の足音が聞こえてきた。
「ユーリ!」
部屋に駈け込んで来たのは、途中で合流したフレンとレイブン。
フレン達はその部屋の騒然とした状況と探していたルー、そしてユーリの姿を見るなり、何が起きたのか理解する。
フレンとレイブンは顔を見合わせ頷くと、レイブンはすぐさま男を取り押さえた。
涙を流しぎゅっとユーリにしがみ付くルーは、すぐ傍にあるユーリの存在感から徐々に安堵感が広がり緊張が解けていく。
来てくれた…。
その事実にじわっと嬉しさが広がる。
だが一方でルーの頭の中で先程みた夢…真っ黒な世界の光景がそれを覆うように広がっていった。
続く