第12話
音譜帯が浮かぶ美しい星空と穏やかな夜の海、そして地上一面に咲き誇る白い光を帯びたセレニアの花。
ルミナシアの空に浮かぶ譜陣から映し出されたオールドラントの幻想的な景色に誰もが目を奪われる。
だが、そのセレニアの花の中にぽつりとある紅にルーは目を見開く。
「!…アッシュ…」
「!」
徐々に映像はアッシュに近づき、その姿をはっきりと捉える。
そこに現れたのは白いコートと黒いマントのようなものを身に纏い、前髪を下ろし青年となったアッシュの姿。
「これは私が見てきた記憶だ」
「記憶…?」
「そう…私はここに来る前、アッシュに呼び起されたのだ。」
映し出されたアッシュは以前よりも大人びており、雰囲気も落ち着いているように見える。
こちらのアッシュとの年齢差を感じてしまう。
「ようやくお目覚めか」
ローレライに話しかけるオールドラントのアッシュ。
淡々とした様子だが、うっすら額に汗が浮かんでいるのがわかる。
それに気付いたルーは、アッシュがローレライを呼び出すのに力を使ったのだと確信し、息を飲む。
「…何の用だ、アッシュよ」
ローレライの冷たい言葉に、アッシュは怯むことはなくじっと見据えながら答える。
「…あいつを探している。」
アッシュの答えにその場がシンと静まり返り、聞こえてくるのは穏やかな波の音。
その静寂が暫し続いた。
「…眼鏡からは聞いている、なぜあいつがいなくなったのかも…なぜ俺が生きているのかも。…だが」
ぎゅっと拳を握りしめ、そして強い眼差しでローレライを見る。
「俺にはあいつが使えた第二超振動が使えない。…それはあいつが“ここ”にいないからだ」
握りしめた拳を自分の心臓の辺りに当てる。
アッシュが言わんとすることをルーは理解する。
“第二超振動”はルーとアッシュ、二人の力が合わさらないと発動できない、超振動をも超えた力。
本来なら音素のコントロールが得意なアッシュが、自分が使えた第二超振動を使えないはずがない。
使えないということは、必要なモノが不足しているということ。
「…お前なら知っているはずだ。あいつと同位体のお前なら。あいつと俺が大爆発を起こしていないことを…あいつをどこに隠しやがった!」
強い怒りを抑えることなく、アッシュはローレライに怒鳴りつける。
だが、ローレライは特に臆する様子はなく淡々とした調子で返す。
「…言えぬと言ったら?」
ローレライの言葉の受けたアッシュは目をすっと細め、纏う空気を変える。
アッシュは自らの前に手を翳すと何もないところに光が集まり、ローレライの鍵が現れる。
そしてそれを手に取ると、その切っ先をローレライへと向けた。
「…力づくでも口を割らせてやる」
その目には強い意志と殺気を宿しており、見ていた誰もが思わず息を飲む。
これが映像だとわかっていても怯んでしまうほど迫力があった。
そんなアッシュの姿を見たルーはアッシュの名を弱弱しく呟く。
「私に敵うと思うのか?」
「…普通にやり合えば敵わねぇな。」
アッシュはローレライの鍵を握り直し、構えるとその鍵に共鳴するように音素が集結し始めた。そして徐々に光を帯び始めるそれは、画面越しから見てもとてつもないエネルギーの塊であることを容易に想像できる。
そんな中、オールドラントのアッシュは不敵に笑みを浮かべた。
「俺は第二超振動は使えねぇが…超振動ならあいつより使いこなせるんだよ!」
【超振動】
その言葉を聞いて、皆が反応する。
それは先ほどローレライから告げられたルーの持つ力。
その強大さを予め聞いていたからこそ、皆は思わず構えてしまう。
皆が画面にくぎ付けになる中、ユーリはちらりと背後に目配りし、顔を青ざめ僅かに震えているルーを肩を抱き、引き寄せた。
緊迫した空気の中、ローレライは暫し口を噤んでいたが、徐に話し始める。
「…お前とルークは対立していたはずだ。なぜそこまでルークに固執する。」
ローレライの言葉にピクリと反応したアッシュは、それまで集めていた第七音素を解き、ローレライの鍵をおろす。
「…確かに俺はあいつが憎かった。あいつは俺のすべてを奪った、俺の偽物だと…そう思っていたからな。だが…」
「…ルークの記憶を見たのか」
「…」
アッシュはルーの音素が入りこむとき、その音素に干渉し、僅かに見えたそれは、暖かな陽だまりではなかった。
閉ざされた鳥籠の世界。
その中で向けられるのは【ルーク】の記憶を心待ちにする人々の目。
だがそれもほんの僅かで【ルーク】になれない子供として人々は徐々にルーから離れていく。
寂しいのだと、自分を見て欲しいと訴える相手が存在しない孤独の世界。
その代わりに近づいてきたのは、偽りの優しさの仮面をかぶったヴァンの姿。
これは紛れもないルーの記憶。
アッシュはぎゅっと手を握りしめ、俯く。
「…今となってはただの言い訳にしかならない。俺には時間がなかった。いつ死んでもおかしくないと、自分の死期が限りなく近いことがわかっていた。エルドラントに入る前、俺はあいつに後始末を託そうと思った。…だがあいつはあの時まで自分がレプリカだということに縛られ、オリジナルの俺に託そうとした。…そうさせたのは、俺だったのかもしれない。だがあの時俺は、それが許せなかった」
アッシュはゆっくりと顔を上げ、ローレライの方を見据える。
「だからあの馬鹿でもわかるように剣を向けた。もはや、オリジナルでもレプリカでも関係ないことをわからせるためにもな」
アッシュの思いもよらぬ告白にルーは目を大きく開き、息を飲む。
どちらが【ルーク】として相応しいのか。
どちらがヴァンの元へ行き、止めるのか。
そして同時にルーにとってはアッシュに自分という“一人の人間”を認めてもらう為の対決。
そう思っていた。
だが、今のアッシュの言葉から感じたものは、あの時にはもう既にアッシュはルーを【ルーク】という一人の人間であることを認めていたということ。
「結果、1対1で対峙したあの時、あいつが勝ち、俺が負けた。…そして、あいつは最期に俺に言ったんだ、『約束だ、必ず生き残れ』と」
ルーはあの時の事を鮮明に思い出す。
そう、確かに自分はアッシュに言った。
アッシュがいなくなったら、自分もナタリアも悲しむと。
覚えていてくれたんだ…。
「かつてユリアが詠んだ預言は絶対ではない。あれは数ある選択肢の中の一つに過ぎない。だが、それを認めず、誰よりも預言に縛られ踊らされ続けたのはヴァンだ。オリジナルを全て壊し、レプリカの世界に変える劇薬が必要だと狂気じみた考えしか信じなかった。だが、あいつは…最後までヴァンを助けようとしていた。あれだけ裏切りを受け、利用され、劣化だの捨て駒だの言われ続けた、あいつだけがな。」
アッシュの言葉に反応するようにビクリと体を震わせるルー。
その顔は思いつめた様子で、それは真実であることを物語っていた。
ユーリはぎりっと奥歯を噛みしめる。
「その差し出した手を振り払ったのはヴァンだ。…そして馬鹿にし続けたあいつに討たれた。」
そう言い切るなりアッシュはローレライの鍵をすっと持ち上げ、その切っ先を向ける。
「今、お前がそうしていられるのも、この世界が未だあるのも、あいつがいたからだ。…おかしいだろう、なぜ一度死んだはずの俺が生き返り、世界を救ったはずのあいつがいねぇ…っ!!」
怒りを露わにするアッシュにルーは息を飲む。
その怒りはルーの為の怒り。
緊迫した空気の中、暫し沈黙が続いたが、それを打ち破ったのはローレライだった。
「…ルークは今、この世界ではない、別の世界にいる」
「!別の世界、だと…?」
「そう。お前が死に、ルークと大爆発が起き始めたあの時、私がルークを別の世界に送ったのだ」
「…まさか、俺を生かしたのもお前か」
「そうだ」
「なぜ、そんなことをした…!」
噛みつくように怒鳴りつけるアッシュに、ローレライは静かに語る。
「…あの子は、ずっとお前に自分が奪ってしまった場所を返したいと…お前に生きて欲しいと心から願っていた。」
「!」
「だからあの子はお前に生きろと言ったのだろう。…私は、あの子の願いを叶えたかった。だが、お前が生き残ればあの子は死なねばならぬ。一度一つに戻りかけた音素同志の共鳴は、私にも止めることはできない。」
「…それがこの世界の理か」
「そうだ。…なぜあの子が死なねばならない。何も知ることができない周囲とは遮断され自由とは程遠い閉ざされた鳥籠の中で過ごしてきたあの子を。あの子は純真で心優しい子、それを利用したのは他ならぬこの世界そのもの。そんな世界の為になぜあの子が全てを捧げなければならないのだ」
淡々と、だが地を這うような怒気を含むローレライの言葉。
それにアッシュは怯むことなく、じっと見据え、口を開く。
「…だから他の世界に送ったというのか。あいつがそれを望むのか」
「では、この世界に居続けることはあの子を幸せにするのか。追い詰められ、自愛を失ってしまったあの子を、またこの世界は自分たちにとって都合の良い様に利用するのだろう。そしてそれが当たり前の様にあの子は己の心を殺してでも全うする。…これまでのようにそれしか選択肢がない様に仕立てられてな。」
「……」
「私は、あの子が心の底から笑っていられる、そんな環境で世界で自由に生きて欲しい、ただそれだけだ」
ローレライの言葉を受けたルーは驚き、そして自分の中でじわりと温かいものが広がる。
そんな風に思ってもらえるやつじゃないのに…。
ぎゅっと目を瞑り、溢れ出てくるものに耐えていると、画面の中のアッシュは、ローレライの鍵をおろす。
「…代わりに、俺が他の世界に行っても…、今のままではあいつは自由には生きられねぇ、か。…はっ、…どこまでも腐りきった世界だな」
嘲笑したように吐き捨てたアッシュは俯き何かに耐えるように拳を握りしめ、手を震わせる。
「…お前もルークとこの世界ではない他の同じ世界に運ぶことはできる。世界が変われば理も変わる。お互いが生きることができる道があるやもしれん。」
突然のローレライからの提案にぴくりと反応したアッシュだったが、少し考えた後、すっと顔を上げる。
「…いや。今の俺にはやるべきことがある。」
アッシュは背後に広がるセレニアと穏やかな海、そしてホドの方へ視線を移す。
「…こんな腐りきった世界でも、あいつが守り、残した世界だ。その世界中にあいつは種をまいた。俺にはできなかった大きな可能性の種を。…なら俺は、あいつができない分、俺がその種から花を咲かしてやる。それがどれだけの時間を要そうとも。それが全て咲いた時、貴族だろうが平民だろうが、オリジナルだろうがレプリカだろうが関係ねぇ、人も魔物も共存できる…あいつが願った、誰もが平和に暮らせる世界になる」
「…そんなことが実現できると…?」
「…言っただろ、あいつがまいた種だ。必ず実現させる。…俺たち人をなめんじゃねぇ」
ローレライへと向けたアッシュの目には強い意志が浮かんでいた。
そのアッシュの思いにルーは唇を噛む。