第8話
ルー達は無事依頼を終え、クエストから帰ってきたが、もう夜も遅く、報告は明日にすることにし、すぐに解散となった。
ルーはそのままの足で風呂場へ向かうと軽く体を洗い流し、食事も取らず部屋に戻った。
今回は討伐クエストということもあり、それなりに動いたはずなのだが、全く食欲がわかなかったのだ。
もしかしたら疲れているせいかもしれないと考え、自室のベッドに横になり、寝る体制に入る。
だが。
「……眠れない…」
はぁとため息をつく。
なんとなく心がもやもやとしていて落ち着かない。
それはユーリに好きな人がいると聞いたあの時からだ。
誰なんだろう…。
やはりこのギルド内なのだろうか。
確かかわいい系と言っていた。
いろいろと考えては見たが、ここにいる女の子達はみんなかわいいし、優しいし、いい子ばかりで特定できない。
ユーリはかっこいいし、優しい。
誰とでも似合う。
…いつか、教えてくれるかな。
恋人同士になった時かな。
そのとき俺はなんて言おう。
おめでとう…?よかったね…?
目を閉じ、ユーリと誰かが隣にいる光景を想像する。
クレスとミントのように、思わず祝福したくなるような幸せでいっぱいな二人を。
ずくりと自分の中に黒い靄みたいな、重く心地悪い何かが広がり、胸が痛くなる。
ルーは体を縮こませ、ぎゅっと胸を掴む。
ユーリが幸せになる…、それはとてもいいことだ。
俺もそれを喜んで、祝福しなくちゃ。
でも、なんでかな。
…うまく言える気がしないよ…。
「あれ…?」
頬を濡らす涙に気付く。
涙?
なんで?
突然流れてきた涙に首を傾げる。
ついこの前まで泣くことができなかったのに。
ルーは訳も分からずゴシゴシと拭く。
だが次の瞬間、ルーは目を見開き、思わず呼吸を忘れる。
ふと目に入った自分の左手が…――透けていたのだ。
「っ!!」
ばっと右手で左手を掴む。
だが、その左手からは見えないはずの右手の掌が見えている。
見間違いなんかじゃない。
これは
―…乖離だ。
ばくばくと心臓の音がいやに響く。
いやだいやだいやだっ!!!
恐怖に震え透けている己の手をぎゅっと握りしめ、目を強く閉じる。
この世界に来てから乖離の症状は見れなかったのに、なんでまた…っ
暫くして恐る恐る手を見ると、乖離は落ち着いていて、しっかりと手が見える。
途端に張りつめていた緊張が解け、ふっと脱力する。
だがそれも一瞬で、すぐにルーは大きな不安に襲われる。
もしかしたら、明日には消えているかもしれない。
あの時と、オールドラントで明日が来るのを怯えていたあの頃と同じだ。
体中から血の気が引いていく。
怖い!怖い!怖い!どうしよう、どうしよう…!
ルーは混乱と恐怖から自分の体を護るようにぎゅっと抱きしめる。
まだ大丈夫、まだ大丈夫と自分に言い聞かせ、落ち着かせようとするが、その脳裏には先ほどの情景がはっきりと焼き付いていて、なんの意味もなかった。
浅い呼吸を繰り返し、目の前が真っ暗になる。
そして思い出したのは、あのぬくもり。
ルーは力の入りきらない体をゆっくりと起こし、ベッドを出た。
そのころ、ガイは部屋に戻ってこない自分の主人を探していた。
もう夜も遅く、普段なら部屋で就寝しているはずの時間だが、部屋に戻ってきていない。
いつも我儘ばかりのルークだが、こういった心配事をかけることはあまりしない。
何かあったのだろうか。
暫く探していると、甲板の上で一人膝を抱えて座っているルークを見つける。
「ルーク」
声を掛けるが、ルークは顔を埋めたまま振り向こうとしない。
その姿を見たガイは小さく息をつき、ルークに近付く。
「風邪ひくぞ」
「…別にいい」
ぼそりと呟かれた言葉は小さく、いつものような豪胆さはかけらもない。
ガイは何も言わず、静かにルークの隣に腰を下ろす。
ルークもそれに何を言うわけでもなく、暫し沈黙が続いた。
そしてその沈黙を破ったのは顔を埋めたままのルークだった。
「…わかってんだ、ルーが、誰を好きかなんて…あいつ見てればわかる。」
まるで独り言のようにルークはぽつりぽつりとつぶやく。
ガイはそれを静かに聞いていた。
「…初めてだったんだ、最初から俺を…王族とか抜きにして、…アッシュとも比べないで、ちゃんと“俺”を見てくれたのは…、俺を…否定しなかったのは…。」
それはルーが別の世界の「ルーク」だったからかもしれない。
ルークとアッシュ。
別の人間なはずなのに、双子だというだけでどうしても周囲は自分たちを比べたがる。
そして必ず優秀な弟と天秤にかけられ疑問符を投げられるのだ。
なぜ数秒前に生まれたから第一継承者なのかと。
なぜ数秒後に生まれなかったのかと。
なんでお前なんだと。
面と向かって言われたわけではない。
それでも耳を塞いでいても嫌でも聞こえてくるその声に、目を閉じても感じる視線と重圧に、耐えるしかなかった。
それは今も、これから先もずっと。
「…好きで生まれたわけじゃねぇのに、勝手に決めたのはあいつらなのに…いつもアッシュを求める。…俺じゃねぇって…。…そんなの、わかってるよ…」
きっと、“俺”は誰からも必要とされてないんだろう。
…そう思っていた。
だが、ルーは違った。
ルークはルークとして。
アッシュはアッシュとして。
二人をごく自然に、当たり前のように一人の個人として見て、接していたのだ。
それはルークにとって、生まれて初めて“自分”というものを見てくれた、受け入れてくれた、唯一の存在だった。
ぎゅっと膝を抱く力を籠め、静かになるルークに、ガイはただ優しくルークの頭を撫でた。
アッシュはそれを少し離れた所で聞いていた。
アッシュもルークが部屋に戻ってこないと聞き、またあいつはと怒鳴りつけてやろうと、王族としての意識を持てと言ってやるつもりだった。
だが、今初めて知ったルークの苦しみに、アッシュはただ俯いていた。