プロローグ
ローレライを解放し、俺は消えるはずだった。
それに後悔などない。
生きたいと願ったのは事実だが、それ以上に大切なものを護りたいものがあった。
最後に見た被験者の姿に、その想いは強くなる。
アッシュを還してほしい。
この護りたかった世界に。
こんな自分を認めてくれた大切な仲間の元へ。
俺が奪ってしまった場所へ。
それでいいのかと、暖かな光を帯びた存在-ローレライ―に問われても想いは変わらなかった。
既に乖離が始まった自分の体。
僅かなものしか残っていないが、これでアッシュが助かるなら。
自分自身は消滅したとしても記憶は残る。
髪や涙でさえ残すことができない劣化した自分でも。
みんなとの約束は守れなかったけれど。
それだけで、充分だと思った。
腕の中にいる冷たくなってしまった被験者をしっかりと見つめ、そしてルークはゆっくりと瞳を閉じた。
心地よいほどの風に柔らかな朱い髪がそよそよと揺れ、白い頬を撫でる。
その感触に固く閉じられていた瞼が開かれ翡翠の瞳を見せる。
その瞳に入ってきたものは何かの床のようなものだった。
「ん…、…こ、こは…」
朦朧とする頭に手を当て、うつ伏せの状態で倒れていた体を起こし周囲を見渡す。目のまえに広がるのは音譜帯がない真っ青な空と巨大な船のようなもの。
その見覚えのない風景にしばし茫然とするが、徐々に思考がクリアになっていく。
それに伴い、何とも言えない違和感を覚え始める。
そうだ、俺はローレライを解放してそのまま―…
不意に見つめたのはそこにある自分の両手。
なぜ存在しているのか。
なぜ意識があるのか。
自分は消えた、死んだはずだった。
だが、今目の前にあるのは…、今感じているこの感覚は。
ひゅっと息をのみ、背筋が凍る感覚に陥る。まさか失敗したのか。ローレライの解放を。
アッシュの帰還を。世界を救うことを。そんな…そんな…っ
「そんなはずは…っ」
顔を歪ませ、震えが止まらない。頭の中が【なんで】でいっぱいになる。
だって、自分の最期だというのは自分でそれを目の当たりにしたし、感じた。
それなのに、この状態は紛れもなく『存在している』。
まさかまた、自分は逃げ出してしまったのだろうか。あのレムの塔の時のように。
力なく、その場に蹲ることしかできないルークの元に、人の話し声が聞こえてくる。
その声が徐々に近づいてくる。その声は聞き覚えのある、馴染みのありすぎる声。
未だ思考が混濁していたルークだったが反射的にその声のする方へとゆっくりと顔を上げる。そして信じられないものを目の当たりにする。
「…え…」
ルークは目を疑った。そこにいたのは、少し前の自分と同じ姿があったからだ。
変わらなければと思ったあの時の、あまりにも無知だった自分の。
髪の長かった頃の自分がいた。
息をするのさえ忘れたよう思考は止まり、固まる。それは自分だけではなく、目の前のその存在も同じく目を見開き、驚愕に色を染めている。
「お…お前は…誰だっ!?」
声を荒げバッと距離を取り、威嚇するように睨む昔の自分の姿。ルークはただただ茫然とその存在を見つめることしかできなかった。
これは夢なのか。
幻なのか。
全く分からない。
頭がついてこない。
口を開くが声がうまく出ない。
「あ…」
なんとかして絞り出した声は弱弱しく震えていた。だが、すぐにその声さえもかき消すほどの衝撃が入る。それは長髪姿の自分の背後から見えた人物に目を見開く。
「ルーク!?どうし…え?」
「…が、い…」
そこにいたのは、自分の育ての親であり、唯一の親友であるガイだった。
続く
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