30.一億人の人質
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『和泉さん…和泉さん…!!』
「…。」
佐奈の幾度にも渡る呼びかけに、相変わらず何の反応も示さない和泉。
呼吸すらしているのか分からない状態の和泉に、佐奈達は一刻も早く和泉を連れ出せないかと機を伺っていた。
「皆さん、ここは私が引き受けます。ですから若を連れてお逃げ下さい。」
『な…何言ってるんですか高虎さん!!一緒に帰りましょう!!』
「…若の状態は恐らく薬物の多量摂取状態、同じ状況の人間を私は見たことがあります。死にはしなくとも恐らく早く処置をしないと普通に生活することは出来ない体になってしまいます。」
『そ…そんな…。』
高虎の残酷な言葉に、佐奈は震える手で和泉の赤く染まった手を握り締めた。
高虎一人を置いて行くことなど出来ない、だがこのまま和泉を放っておくことも当然出来ない、皆が一触即発の膠着状態を続ける中、佐奈の背後から小さな聞き覚えのある声が響いた。
「佐奈さん。」
『……ち…千咲ちゃん…!?』
「……!!」
突然佐奈の背後に現れた千咲の姿に、佐奈と九条は反射的に和泉をかばうように身構えた。
だが千咲はそんな二人の態度を気にすること無く、なりふり構わず必死な様子で二人に言葉を続けた。
「私達がいつも使っている裏出口の扉の鍵を開けました、今ならそこからすぐに外に出られます…だからこっちに…早く…逃げて下さい…!!」
『……!!?』
「佐奈さん、耳を貸さないでください。その女は敵です……!!」
「九条さん…。」
千咲の必死の申し出に当然ながら受け入れる素振りを見せない九条達に、千咲はギリッと歯を食いしばりながら額を地につけ頭を下げた。
「私の言うことが信じられないのも、私があなた達にしたことの重大さも解ってる、でもどうか今だけは私を信じて下さい…!!和泉さんはこんな私達の事も助け出そうとしてくれた…絶対に死んで欲しくないんです…!!」
『千咲ちゃ……』
ー…ジャキッ…
「あちらこちらへとまあ、よく裏切る女だ。」
『なっ……!!!!』
瀬尾が千咲の存在に気づき、そう言葉を漏らした瞬間、
突如千咲の背後からは瀬尾達の増援部隊と思われる集団が姿を現し、千咲はあっという間に拘束され、四人には銃口が向けられた。
「はっ…離せ!!!!」
「あなたの処分は後でとしましょう、こいつらを片付ける方が今は先決です。」
「…もう増援が…!!」
「…どうやらさっきのが逃げられる最後のチャンスだったようですね…。」
『……千咲…ちゃん…』
現れた増援の数は、和泉と高虎で倒した数十人とほぼ同等の人数。
いつの間にか状況は、高虎が特攻で身を切ろうとも覆る程度ではなくなってしまっていた。
「おや、さっきまでの強気はどこへやら…残念だったね。」
「瀬尾……。」
「ふふふ…そう睨むなよ、天才ハッカーさん。」
瀬尾はこの圧倒的に有利な状況に自分の勝利を確信すると、
絶望的に追い詰められた五人をどう料理しようかと考えているようで、ニヤニヤと笑いながら饒舌に喋り始めた。
「だいたいさ、君がワクチンなんて開発せずにさっさと死んでくれてれば良かったんだよ~?朝比奈了さん。」
『ワ…ワクチン…?』
「……。」
突然の瀬尾の言葉に戸惑ったように佐奈はヒナを見上げると、ヒナは表情を変えること無く瀬尾を睨みつけていた。
状況が理解できていない様子の佐奈に瀬尾は呆れたように笑うと、小馬鹿にしたように佐奈に尋ね返した。
「バベルのことを知ったお前らを…どうして我々がバベルで殺せなかったのか不思議に思わなかったのかい?」
『……あ……。』
「実はね、何度も試みたんだよ。だがその時には既に朝比奈に事務所の人間関連の電子機器全てにバベルを無効にするワクチンを仕込まれてしまっていてね…
お陰でこちらは証拠の残る馬鹿を差し向けるはめになったってわけ。全くこれには恐れ入ったよ!!」
『……!!!!』
バベルはネットに繋がっている機械を通じて視覚、いわゆる画面から脳を壊す信号を発生させて人を死に至らしめる。証拠は残らない。
ヒナはそのバベルに対抗できるウイルスをこの短期間で独自に作成し、周囲の人間のパソコンや携帯に潜ませていたのだ。
人知れず一人で戦い皆の命を守っていたヒナ。
佐奈はそんなヒナの事実を知り、目の前のヒナを潤んだ瞳で見上げた。
『ヒナさん…。』
「まったく君の頭脳には驚かされてばかりだよ。
バベルを作りだした研究所ですらワクチンを作るのに数年を掛けたというのに…だがまあそれも想定内だよ。」
「…。」
「やはりバベルの存在を知った君の存在は私のビジネスに最高に邪魔な存在だ。ワクチンなど作られては商売上がったりだからね。」
「人殺しが…"ビジネス"ですか。」
「当然さ、バベルは僕のローリスク・ハイリターンの商売道具、桁違いだった購入金額の回収まではあと十人ほど殺せば完了する。これからが稼ぎ時なんだ、邪魔なんてさせてなるものか。」
瀬尾の私欲にまみれ気の触れたとしか思えない発言に、その場にいた誰もが静まり返った。
よりにもよってバベルは一番渡ってはいけない人間に、一番まずい状況で渡ってしまったのだと皆が痛感した。
だがそんな勝ち誇った様子の瀬尾に、九条は怯むこと無く言葉を返した。
「先程も言った通り、あなたにもうそんな金は一銭も入ってきませんよ。」
「得意のハッタリですか?詐欺師さん。それともただの強がりかな?」
「……そう、見えますか?」
「………?」
九条のブレない表情に瀬尾は不思議そうに首を傾げながらも、何かにハッと気付き顔を上げた。
そんな瀬尾を見ながら九条は、絶望的と思われる状況の中静かにニコリと笑ってみせた。
「あなたに多額の出資をしていた方々に手を引いて頂きました。バベルのことが公になることを告げると皆それはもう迅速な対応で助かりました。
そしてあなたの隠れ蓑としている警備会社の役員の方もこちらに付いて頂けましたので、不渡りにより潰れるのが時間の問題かと思われます。」
「は…?貴様何を言って……」
「嘘だと思うなら出資先、子会社の役員に連絡を取ってみたら如何ですか?」
九条の言葉に瀬尾は信じられないと怪訝な顔を見せつつも、奥に控えていた秘書にすぐさま指示を出した。
だが指示を受けた秘書がどこにも電話が繋がらないことを瀬尾に告げると、瀬尾はわなわなと怒りに震えながら九条を睨み返した。
「貴様…一体何をした……!?」
「保身欲の強い社員の多いとても素晴らしい会社ですね、あなたを守ろうとするような方は一人もいませんでしたよ。」
「……!!」
「あなたの持っていた大量の武器は和泉がほとんど使い物にならなくしてくれました、恐らくはなから和泉はそれが狙いだったのでしょう。
これでもうあなたには会社も資金も戦力もなくなりました、バベルもワクチンがある以上意味を成さない……諦めて出頭しなさい…!!」
「出頭…だと…?」
これから多額のお金が舞い込んでくると思っていた瀬尾は、事の成り行きが理解できないようで一時その場に立ちすくんでいた。
だがすぐに瀬尾はクククと異様な笑顔で笑い始めると、馬鹿にしたような目で九条を見下した。
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