第十九話 風林火山
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ー…ギシ…
「……幸…御幸…」
「……っ……」
「御幸…ありがとう。」
「……待っ………空!!!!!!!!!!!」
ー……ガバッ!!!!!!!!!!
ー……ピピピピピピピ………
「あ…。」
「……は…?」
ハッと目を覚まし我に返ると、目の前にいたのは見てはいけない物を見たような顔で目を泳がせるこまだった。
そこでやっと自分が仮眠室で寝ていたことを思い出した御幸は、バツが悪そうにこまを睨んだ。
「わ…私は何も聞いてません!!!!!!し……失礼いたしましたあああああ!!!!!!!!」
ー…バタバタバタ…
「あー…くそ、……最悪だ…。」
随分夜は冷え込む季節になってきたというのに、目を覚ました自分の頬からは嫌な汗が伝っていた。
何度見たか分からない夢。
そのたびに息が止まる思いで目を覚ます。
「全く…一体何年経ったと思ってんだ……。」
過ぎてしまった事だと言ったのは自分に言い聞かせるため。
ガシガシと頭をかきながら、御幸は自分に呆れたように小さく笑った。
..........................
ー…ドドド…
「こま、大丈夫か。」
「はい!!晴信さんこそ大丈夫ですか…?」
晴信の馬に共に乗っていたこまが周囲に気を使い小さな声で尋ねると、晴信は小さく頷いてみせた。
室町幕府の時の将軍足利義昭からの書状で京に上ることとなった晴信は、甲府を出立し諏訪へ迂回した後、青崩峠から徳川家康の治める遠江国に侵攻していた。
あの塩騒動の後北条氏康が死去、その遺言により氏政は武田と同盟を組む事を決め甲相同盟が復活した。
上杉ともあの一件以来関係が好転しており図らずも背後を気にすることの無くなった武田軍は、京への上洛と共に信長包囲網の要として出陣する西上作戦が可能となっていたのだった。
「山県、秋山の両別働隊が長篠城、岩村城を陥落させたとのことです。」
「そうか……さすがだな。伝令ご苦労であった。」
「源四郎さん達勝ったんですね…良かった…。」
別働隊として先に侵攻を進めていた源四郎達の戦果報告に、二人はホッとしたように頬を緩めた。
あの日の信繁と勘助のことが頭をよぎらないわけがなかったが、そんな不安を払拭するかのような戦いぶりを源四郎もとい山県昌景率いる赤備え隊は続けていた。
「本当に今のあいつを見ていると虎昌を見ているようだ…いや、今ならば虎昌にも勝てるかもしれぬ勢いだな。」
「ふふ、はい…きっと!!」
山県、秋山の別働隊を含め総勢三万人、武田の最大兵力である軍勢を率いた武田信玄の猛攻は凄まじく、
普通小さな一つの城を落とすのに最低でも一ヶ月はかかるところを、武田軍は平均三日で落としていった。
そんな戦国最強の名に違わぬ強さを見せる武田軍を率いる信玄が、病魔に侵され立っているのもやっとの状態であるなどと、敵味方含め誰も思いもよらなかったであろう。
晴信は勝頼の為、自分の死後の武田の為、忍び寄る死の影を見事に隠し続けていたのだった…。
........................
ー…ガンッ…!!
「こま様申し訳ございません、肩をお貸し願えますか。」
「な…晴信さん!!大丈夫ですか!!」
高坂に肩を借り陣営の城に戻った晴信の顔は真っ青で、こまは高坂とともに慌ててその肩を支えた。
一つ、また一つと城を落とし歩みを進めるたび、晴信の体は着実に病に蝕まれていく。
病を知っている一部の人間以外の前では気丈に振る舞っていたが、それすらも次第におぼつかなくなっていった。
「ゴホッ…ゴホ……高坂もうよい、下がれ。」
「ですが…御屋形様…」
「下がれと言うておる!!大袈裟に病人扱いをするな!!!!」
「!!も…申し訳ございません…!!失礼致します!!」
「……!!」
温厚であまり声を荒げる事のない晴信のその言葉に、高坂は弾かれるように部屋を後にした。
思うように動かない自分の体に晴信の顔には焦りと苛立ちの色が見えており、高坂の足音が遠ざかる中こまはその背中を心配そうに見つめた。
「晴信さん…。」
「……。」
「あの………わっ!?」
ー…ガッ…!!!!!!
突然何の前触れもなく引かれた手に上体を崩し倒れ込むと、晴信はこまの唇を塞ぎ着物の帯に手をかけた。
「は…晴信さ…っ…!?」
「……。」
顕になった真っ白な胸元に晴信は噛むように唇を落とすと、自由を奪うように手を床に押し付けた。
目の前にいる今までに見たことのない手荒で強引な晴信に、こまは驚き思わず声を上げていた。
「晴信さん待ってください!!や…やめっ……!!」
「…………私が…恐ろしいだろう?嫌ならお前も私の前から去ってくれ、今の私は…何をするか分からん…。」
「晴信…さん……。」
そう言った晴信の目は怒っているようにも泣いているようにも見え、一呼吸置いて落ち着きを取り戻したこまはうつむく晴信の頬にそっと優しく触れた。
「すみません、驚いただけで…好きな人に触れられて嫌だと思う人なんていませんよ。今まで晴信さんはいつも私に触れるにも了承を得てましたけど、私はいつもそう思っていました。
それに…好きなようにしていいんですよ?私にくらい我儘言って下さい。晴信さんが飽きるまで、そばにいますから……。」
「っ……こま……!!」
晴信はその夜、自分の心の傷を埋めるように、こまを求め続けた。
その唇も、胸も、足も手も髪もそのぬくもりも、明日この命が尽きてもどれもずっと忘れずにいられるように。
そして自分がこの世から消え果てても、忘れずにいてもらえるように。
「こま……もし、私が…」
「………なん…ですか…?」
「いや………なんでもない。」
人というものは勝手だ。
幸せになって欲しいと願うのに、忘れて欲しくないと、他の男のものになって欲しくないと思ってしまう。
この忘れたくない全てが、ずっと自分だけのものだったらと、願ってしまう。
だがきっとその言葉を告げれば優しい彼女はその言葉に縛られてしまう。
きっと、一生。私の我儘で。
深い闇のようなドロドロとした感情に飲み込まれそうになりながらも、
それだけは、どうしても出来なかった…。
.......................
ー…ピーチチチ……
「……。」
「ん…晴信さん…?もう起きてたんですか…?」
「!!」
「……あ…ああ!!お…起こしてしまったか、すまぬな。」
「…?」
いつの間にか夜が明け晴信のぬくもりが隣にないことに目を覚ましたこまは、どこか慌てる晴信の様子に首を傾げた。
そしてその横に広げられていた硯と紙の束に、晴信が何かを書きしたためていることに気付きそれを覗き込んだ。
「何を書いているんですか?」
「これは私の花押のある書状だ。私が死んでも当分これを周囲に送れば、死んだことは数年は隠せるだろうと。勝頼が一人前になるまで…甲斐が容易に攻められぬようにな。」
「……こん…なに…?」
そう言ってまた書状に視線を戻す晴信の手元には、すでに数百枚はあるように思える書状が積み重ねられていた。
きっと机に向かっているだけでも辛いはずなのに死後もなお国を守ろうとするその姿に、こまは思わず晴信の背中に抱きついていた。
「どうした…?」
「……。」
「……そうだ、京に着いたらこまに何か贈らせてくれないか。何が良いだろうか?」
「え……?贈り物なんてそんな…今までだって沢山貰ってるのに…。」
「いや、私が贈りたいのだ。それを私がいなくなったら代わりにこまのそばに置いてほしい。それくらいなら…許されるだろう?」
「……!!!!」
こまの頭を撫でながらそう言って力なく笑う晴信に、こまは言葉をつまらせた。
そして晴信の胸に潜り込むようにきつくきつく抱きつくと、返事とともに溢れたのは大粒の涙だった。
「いりません………そんなの絶対いりません…!!!!晴信さんがそばに居て欲しいです……!!!!等身大の人形だって代わりにはなりませんから…!!」
「………そうだな、すまぬ。共にいような、ずっと……。」
子供をあやすようにそう言って抱きしめる晴信に、こまは顔をあげることが出来なかった。
晴信は自分の死に向き合い、着実に死ぬ為の準備を進めている。それがどうしようもなく、嫌だった。
「うむ…しかし等身大の人形か……一応作ってみるか?私の顔を模した面などでもよいかもしれぬな…」
「・・・・・絶対いりません。」
このままここでこうして笑い合って朝日を見て、昼の高い太陽も、夕暮れの茜空も流れる空をのんびり見ていられればきっと晴信の命はもう少し長く続くのだろう。
だが彼は三万の兵を率いてまたあの戦地に今日も赴くのだ。
この儚い命を、
今にも消えそうな命を、再び散らして。
武田の軍は今日二俣城を発ち、ついにあの天下を治めることとなる徳川家康の居城のある浜松へと向かう。
三方ヶ原の戦いと呼ばれる、武田信玄の最期にして集大成とも言える戦の幕が、
切って落とされようとしていたのだった…。
.