第二章
名前変換
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取り調べ室の窓は板で打ちつけられているにも関わらず、吹雪く音と冷気がひしひしと伝わってくる。
夜になっても部屋の中は殆ど温まっていない。
薪の灯りが揺れるたび、壁に映った影も揺れる。
苗字は、椅子に座ったまま動けなかった。
膝の上で震える手を握りしめ、何度も溜息を吐いている。
部屋の隅では、男が腕を組んで立っている。
逃げないように監視するため――
それが表向きの理由。
その目は苗字の一挙手一投足を逃さず追いながらも、どこか暗い影を落としていた。
(苗字…何故お前は昔と同じ容姿のままでいる)
胸に渦巻くのは、再会の喜びではなく“時の断絶”だった。
男はゆっくりと煙草を取り出し、口に咥える。
火をつける音に反応して、苗字が再び肩を震わせた。
(怯えすぎだ)
男の胸に僅かな痛みが走る。
(本来、苗字の年齢は目の前の女と同じだったはずだ。
しかし俺だけが歳を取り、この女だけが“あの日のまま”時を止めている)
理由もなく、思い出もなく、まるで初めて会ったかのように…
警戒し、怯えや不安から距離を作る。
(初対面なら当然か…だが、思ったより堪えるな)
静かな部屋に、煙草の煙だけが漂う。
苗字は意を決して小さな声で話し掛けた。
「あ、あの…」
男は視線だけで返す。
「…」
「…あの…まだ取り調は続きますか?」
「当たり前だ
逃がすわけにはいかん」
晶は小さく身を縮め、うつむいた。
小柄で童顔なせいか、沈む姿はまるで怯えた子供のようだ。
男はその様子に胸がざわついた。
(本当に何も覚えていないのか)
血の匂いをまとった俺に対して、決して怯えを表に出さなかった。
むしろ俺の身を案じていた。
だが今の苗字はどうだ。
俺が近づこうとするだけで息を詰め、言葉を発しただけで涙ぐむ。
(時の流れが違えば、こうも変わるのか。
いや、変わったのは苗字ではなく俺のほうか)
男はは自嘲気味に唇を歪めた。
自分の時だけが進み、
苗字だけが取り残され、その距離は出会う前よりも遠くなった。
そんな現実に、胸の奥が締めつけられる。
「眠りたければ眠ればいい、監視は続ける」
「…」
「眠って構わん」
少しだけ語気が強くなると、苗字は身体を小さく震わせた。
男は息を止めたように動きを止め、次の瞬間、静かに目を伏せた。
(本気で怯えているのか)
胸の奥が強く痛む。
苗字は、仕方なく男の言葉を信じて眠るしかなかった。
机に伏せるようにして、ゆっくりと目を閉じる。
時折、寒さと不安で身じろぎしながらも、少しずつ深い呼吸に変わっていく。
男はその様子を見つめながら、誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
「…俺だけが置いていかれたのか」
その声は夜に溶け、薪の音だけが微かに響いていた。
夜は深く、冷たい空気が取り調べ室を満たしてる。
薪の火は殆ど消え、部屋の中は冷え込んでいた。
苗字は椅子の上で身体を縮め、寒さで眠る事ができずにいた。
まぶたを閉じても、緊張と恐怖が胸を締めつける。
男は部屋の隅で腕を組み、視線を逸らすことなく苗字を見ていた。
監視…それは建前だが、目を離す気がなかったのは事実だった。
苗字がふと体勢を変えたとき、小さく震えながら言った。
「あの…」
「藤田五郎だ」
名乗るとゆっくり目線を向ける。
藤田は深く息を吐き、灰皿から煙草を一本取り出した。
火をつけると、薄暗い室内に温かな色が浮かび上がる。
その瞬間苗字の表情がわずかに強張った。
(煙が苦手か…)
苗字はさり気なく顔をそむけたが、その仕草は無意識の拒絶だった。
(同じ年齢で、同じ顔…だが違う女のようだ)
藤田は煙草を灰皿に押しつけ、小さく火を消した。
「嫌なら言え」
乾いた声でそう言うと、苗字は慌てて首を振った。
「すみません…」
藤田は目を伏せる。
肯定の謝罪が鋭く胸に刺さった。
“昔の苗字”を思い出すたび、
“今の苗字”との距離が広がる。
深い溝のように。
近づこうとするほど広がる距離。
藤田は無言のまま立ち上がった。
「ここは冷えすぎる、奥の座敷で眠れ」
「え?」
「ここでは眠れんだろう」
苗字はためらうように藤田を見上げる。
藤田が背を向け奥の戸を開けると、そこに座敷が現れた。
「逃げ道はない、俺はここで見張っている
安心して眠れ」
安心…その言葉は優しさではなく、“監視”を言い換えただけ。
それでも苗字は、小さな安堵と不安を滲ませながら座敷へ足を踏み入れた。
藤田は入り口に座って苗字の動きを見張り続ける。
苗字は横になり身体を丸めたが眠くならない。
もぞもぞと動く苗字に藤田は目を細める。
その体は弱く震えていた。
藤田はストーブに薪をくべるとマッチを擦り、中に放り投げる。
ゆっくりと回ってゆく炎。
そう簡単に部屋が温まる事はない。
このストーブすら急場しのぎで無いよりはマシ程度の物。
藤田はは夜の冷気に耐えながら震える苗字を見守った。
そして夜は静かに長く続くのだった。
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