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堕ちよ花乙女

「私の書斎に、勝手に入ったな!」
伯爵の怒声が、私のいる娯楽室までがんがん響いてる。お手伝いしていた掃除の手を止めて、開けた扉からそっと覗く。伯爵はそこが廊下なことも忘れて、アリアを怒鳴りつけていた。ふうん……三日前の『作戦』がさっそく功を奏したのね。こんな面白いもの、見逃すわけにいかないわ!

「わ、私は……ただ、化粧台にあった香水を、付けただけで……」
アリアは泣きそうだ。その髪から、粉っぽい白薔薇が香る。あまりに強い香りに、一緒に聞き耳をたてるクロエも「くさい」と顔をしかめた。貴族は扇子やドレスに染みこませて、上品に香らせるけど。ミュージックホールで遊んでたようなアリアには、正しい付け方が分からなかったみたいね。どうせ踊り子みたいに、髪にたっぷりふりかけたんでしょ。ほんとに下品なんだから。サンレード伯爵は、香水瓶にほとんど残ってないのを見て、ますます怒った。

「これは母の形見だぞ!机の抽斗にしまっておいたはずだ!」
「し、知らなくて……いつのまにか、あったんです」
アリアは両手で顔をおおって、めそめそ泣きだす。お得意の技は、伯爵の怒りをやわらげてくれなかった。
「ほう?では”いつのまにか”盗んだのか。習い性か!さすが”あの女の血”――」
その瞬間、私の顔がかっと熱くなった。あいつ……ママを馬鹿にした!鼓動が速まって、耳の中で血の流れる音が聞こえるくらい。怒りに手がふるえだす。
「ねえリリィ、そろそろお掃除しなきゃ」
のんびりしたクロエの声に、はっと我に返った。
「……そうね」
扉を閉めると、声が小さくなる。鼓動が静かになってくると、安心した。心のどこかでママを見下してたのね。むしろまだ『愛している』なんて言われたら。伯爵を本当に赦せなくなりそうだから。

+++

貴族って、食べるのと遊ぶのに忙しいみたい。私は皿を運ぶのを手伝いながら、アリアにちらりと目を向ける。ディナーでは華美な宝石を付けてはいけないのに。彼女の首には真珠のネックレスが輝いていた。給仕する使用人も、たまに吹き出しそうになってる。育ちが悪いから、ひけらかすことしか知らないのね。馬鹿な子。
「リリィ、もういいよ。壁ぎわで待ちなさい」
「はい、マドリックさん」
彼の声かけも、だいぶ優しくなったわ。この二週間で、私の働きぶりが評価されたみたいね。おとなしく壁ぎわに行くと、伯爵もテーブルについて、ディナーが始まった。今日は蟹のパスタに……野菜をそえたローストポークか。わりと質素ね。サンレード伯爵家は、代々癒しの花魂を使って、病院を経営している。伯爵の地位にしては贅沢じゃないから、アリアは不満みたい。三人で暮らしてた家より、ずっといい生活なんだけど……。欲望って果てしないわね。

「今日は陛下が主催したオペラ公演の日でな。我がサンレード家も寄付をしているので、楽しませていただいた。昼から観劇というのも、乙なものでね……」
伯爵はナプキンで口をふきながら、話しだす。珍しく自分にも分かる話だったからか、アリアの目が輝いた。
「私もオペラは観たことがありますわ」
「本当かね?」
伯爵は小さく汚い、牛小屋付きの家を覚えているからか、目を丸くした。
「はいっ!特に”嘘つき男のプリマドンナ”が好きでした♪もう何十回観たか……」
アリアはうっとりした顔で思い出す。伯爵の手からフォークがこぼれて、皿にかつんと落ちたのも気付かずに。
「お父様?」
芳しい返事がないからか、アリアは不思議そうだ。……伯爵が言うオペラは王立歌劇場で、ロイヤルボックスの中で観るものよ。洗練された悲劇や、ウィットに富んだ笑いがあるもの。あんたのオペラは酒場の舞台で、女たちがズロースを見せて踊る、下品で安っぽいメロドラマ。……ほら、壁ぎわの使用人たちも笑いをこらえてるわ。伯爵の顔がどんどん赤くなって、ディナーの席なことを思い出して、辛うじて我慢した。
「あ、アリア……次からは、昔観た劇の話はしないように。一緒に王立歌劇場へ行って、どういうものか教えよう」
伯爵はため息を吐いて、話を終わらせた。アリアは不満げに口をとがらせて食べる。静かになったテーブルに、気まずそうに体をもぞもぞさせてる。パスタをフォークで巻きとろうと頑張ってる。……これは、使えるかも。私はその手を視界におさめて、集中した。

――かつんっ。
フォークが落ちて、皿を叩く。アリアはまたフォークを取って、不器用にくるくると巻き始める。繋がった糸を、またくいっと引っぱるイメージ。言うことを聞かないフォークは、今度はドレスに落ちて。べちゃっとクリームをつけた。

「……スプーンを持ってきなさい」
伯爵はそばのメイドに命じた。どうぞ、と差し出されて。アリアは恥で顔をまっ赤にする。ほら、だからネリじいさんが教えてくれた時、練習すればよかったのよ。貴族はスプーンの『お助け』なんて、子供のうちからいらないんだから。

「涎かけもいりますか?お嬢様」
メイドがこっそり囁くと、アリアは体をぶるぶると震わせて。彼女の顔を思い切り平手打ちした。
「きゃっ!」
「メイドのくせに、私を馬鹿にしてっ……!私に向かって、口をきくこと自体が無礼よ!」
「アリア、座りなさい!」
伯爵が止めても、アリアは床にうずくまったメイドを蹴り飛ばす。
「お嬢様、どうかお慈悲を……」
私は彼女の背中を抱きよせ、かばった。楽しい皮肉を聞かせてくれたのに、蹴るなんてひどいわ。笑いをこらえるのが大変だったわよ。アリアはさすがに分が悪くなったからか、ぐっ…と口をつぐんだ。

「アリア。人に手をあげるのは、家畜以下のすることだ。……君は、彼女の手当てをしなさい」
伯爵は厳かに言って、怪我をしたメイドと私を出て行かせた。むぅ……たしなめるだけか。まあ、しかたないよね。貴族はめったに怒れない。あの香水はそれだけ大切だった、弱みってわけか……。私たちは扉を押して、食堂を出た。厨房に入って、綺麗な布巾を探して冷たい水に浸す。

「大丈夫?歯は痛くない?」
「うん……」
「あとで薬をあげるから。これで腫れを冷やそうね」
「あ、ありがとう。リリィ……あなた、優しいのね。自分の仕事もあるのに……」
「いいのよ」
むかつくマドリックに疲労を押し付けているからね。これでまた点数が稼げたかな。『優しいリリィ』は大切よ。

+++

寝室に帰ると、アリアはむくれてベッドに潜りこんでいた。
「お嬢様?お体がどこか悪いんですか?」
「……分かんない?」
「もしかして……さっきのことですか?」
「そうよ。あいつ、私に失礼なこと言ったのに!何で手当なんかしたの!?」
命令したのは伯爵なんだけど。正論を言っても始まらないからね。私はベッドのそばに跪いて、なるべく優しい声で話す。
「申し訳ありません……私はただのメイドなので。旦那様に口をはさむことはできないんです。でも、手当てのついでにお願いしておきましたから。お部屋での謹慎はなしになりましたよ」
「ほんとに!?」
アリアはがばっと起き上がった。この部屋には退屈な魔法書とか、歴史の本ばかりだもの。三文小説が好きなあなたには地獄でしょうね。
「ああ、ありがとうリリィ……さっきまで苛々してたけど、元気が出たわ!でもお父様、すごく怒ってたのに……」
へえ、さすがにあの顔色は分かるのね。
「大丈夫ですよ。旦那様はお立場上、あの場では厳しくおっしゃるほかなかったんです」
「そうよね……私も分かってあげよっかな」

本当は操りの花魂で、マドリックに鍵を開けるよう命令させたんだけど。今回の伯爵は、いつもみたいに正気のまま、戸惑ってなかった。目はとろりとして、完全に命令に従ってるみたい。……花魂の成長が、速いのかな?
「リリィ、どうしたの?」
ブリムに手をやると、かさついた花が触れた。
「いえ、すみません。花がそろそろ枯れたようなので。洗面所で取ってきます」
「掃除すればいいじゃない」
アリアは私のまっ黒なスズランを見て、目をふせる。
「……スズランの花魂なのね」
あら、ニコラのことを思い出した?まっ白な穢れなきスズランのこと。あんた、ニコラのこと恥ずかしがってたもんね。彼氏にも絶対に紹介しなかった。いまさらちょっと妹みたいな面されたって、何とも思わないんだから。

ニコラの妹は一人だけ。命をかけて助けた妹だけよ。

+++

とっさに花瓶の影に隠れたのは正解だった。アリアがあんな風に鼻歌を歌ってる時は、面倒ごとを頼もうとしている合図よ。これでも妹だから、悪巧みの気配はよく分かるわ。
「あれ、リリィはどこに行ったの?」
アリアは扉から顔を出して、きょろきょろとあたりを見回す。たまたま通りがかった執事が「別の仕事でしょう」と答えた。
「私の専属なのに!生活魔法もろくに使えないやつらの尻ぬぐいなんか、させないでよ!」
かんしゃくを起こして床を踏み鳴らす彼女から、執事は思わず後ずさる。だけどもう遅かった。
「命令するわ。今夜はちょっと酔いたい気分なの。甘いロゼワインを持ってきて」
「えっ?し、しかし……当家のワインセラーは旦那様が管理なさっていて……」
「つべこべ言わずに、早くしなさい!」
クッションを投げつけられて、執事は大急ぎで走って行った。地下のワインセラーに行くのね。……これは、面白いことができそうだわ。扉が閉まってから、私もそっと影から出た。

ワインセラーの鍵は、執事長のマドリックが肌身離さず持っている。彼は時計みたいに、屋敷の中を決まったルート、決まった時間で巡回している。この時間帯なら、中庭ね。二階の窓を開けて、花魂を発動する。背中で手を組んで歩く彼に、操りの糸をつないで、鍵を芝生に落とさせた。
Steig empor上がれ
杖をふり、古語の呪文を唱える。杖はふわりと浮き上がり、私の手のひらに落ちた。さて……ここから厨房までは、全速力なら三分。あの執事もそろそろワインセラーに辿りつくころだから、早く行かなきゃね。

厨房のそばにあるワインセラーの所で、執事はもだもだしていた。
「ど、どうしよう……鍵がかかってるぞ」
私は彼の足元に、そっと鍵を投げた。後ずさった拍子に、靴底が固いものに当たる。しゃがみこんだ執事は、金色に輝く鍵に目を瞠った。
「すごい、こんな所に落ちていた!これはきっと、女神エソラのお導きだ!」
執事はうきうきと鍵を回し、ワインを盗みだした。
「おぉ、こいつはいいぞ……月光百合を浸けこんである。こっちは三十年モノか……俺がもう一本くらい、お駄賃代わりにもらってもいいよな?」
ほんとにお馬鹿ね。たくさんの酒を見て、気が大きくなったの?酒好きが仇になったみたいね。まあいいわ、どうせいつか、自滅したでしょ。うきうきと酒を選ぶ執事から、そっと距離を取った。

「――この愚か者が!ワインを盗んだな!?」
泥棒は、翌朝にはあっさり捕まった。サンレード伯爵の怒鳴り声が、厨房中にがんがん響く。私とアリアは戸口から覗きこんで、あの執事が殴られるのを見た。アリアは「ひっ……」と口をおさえて、かたかた震えている。微かにぶどうの香りがする。貴族の令嬢はお酒なんて知らないって顔しなきゃだめなのよ。はしたないからね。飲めるのは女同士のサロンだけ。これで学んだでしょう?
「いいか、当家に泥棒がいることは赦さん!たとえ身内同然の使用人でもな!すぐに出て行け、そして二度と、どこの屋敷にも勤められると思うな!!」
伯爵は執事の尻を蹴って、その日のうちに叩き出した。アリアは顔をまっ青にして、うつむいている。
「お嬢様?お顔色が優れないようですが……」
何も知らない顔で聞くと、アリアは体をこわばらせた。サンレード伯爵が私の声でこちらに顔を向けたから。
「り、リリィ……部屋に行きましょ」
めずらしく弱気なアリアが見られたから、いいか。

「ねえ……友達を呼びたいわ。何だか、ぱーっと騒ぎたい気分」
「かしこまりました。ふくろうを飛ばしますね」
部屋に帰ると、アリアはアドレス帳を出してきた。ふくろうの脚に手紙を結び付け、ぱっと窓から飛ばす。名前は全部見覚えのあるものだったけど、わざと柄の悪い、騒ぎたがりを選んだわ。昨日のワインも部屋に残っているのは確認ずみ。……さあ、どうなるかな?

予定にないお客様が、たくさん押しかけたので。屋敷のタイムスケジュールが乱れて、マドリックはおかんむりだ。私が毎日疲労を移してるせいで、毎日イライラしているみたいね。
「お嬢様!もっと自覚を持っていただかないと困ります!お客様の来訪はまず、数日前に旦那様に許可を取って下さい!」
マドリックに説教されて、アリアはすっかりしょげていた。伯爵の書斎に呼び出されるのは、この屋敷でも最上級の『やらかし』だ。もうネリじいさんに聞いてたから、私はわくわくしてる。
「とにかく、外出禁止。一週間は下の食堂にも下りないこと。いいな?」
伯爵は厳しく言い渡した。
「そんな……」
「その間、聖典を読むこと。ちゃんとページをめくって、音読するんだ。魔法で記録されるから、ずるをするとすぐに分かる。この一週間で、心を見つめ直しなさい」
伯爵って、自分には甘いけど。家には規律を求めるタイプなのね。もっと嫌いになりそう。アリアはがっかりして、とぼとぼと部屋に帰る。
「ねえ……楽しみがないとやる気が出ないわ。ドレスを作ってくれる?もうすぐお父様の誕生日だもの。その時にはさすがに部屋から出してもらえると思うし……」
「もちろんです、お嬢様。どんなものになさいますか?」
「思いっきり豪華なのにして!お小遣いの半分出すから!」
ふーん。『令嬢らしいもの』じゃないんだ。じゃあ遠慮なく、派手で下品できっついものを作ってあげるわね。マドリックがそろそろ体を壊すかもしれないから。あの厨房のむかつくおばさんにでも疲れと眠気は移しておこうっと。
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