堕ちよ花乙女
ブリムを付けて、エプロンのリボンも背中でちゃんと結ぶ。制服のどこにも染みやシワがないのを確かめてから、箒を受け取った。
「まずはここの掃除を頼むよ。それが終わったらゴミを捨てに行くんだ」
マドリックは窓の外を指さして「あの通用門のそばにある木箱に入れたら、魔法でゴミが綺麗に消える」と説明してくれる。私が魔法のこと何も知らないと思ってるのかな。まあ使用人になるような子は、初等教育すらまともに受けてないから、簡単な呪文すら使えないことが多いけど。
「……ああ、もう一つ。貴族の命令は、言いつけられた仕事より優先される。まずはそちらを終わらせること。いいね?」
「かしこまりました」
つまり、アリアに近付く機会はあるわね!なんだかすごくやる気が出てきた。
「では、頼んだよ」
マドリックが出て行くと、部屋は急に静かになる。私はポケットから杖を出し、くるりと円を描く。部屋のホコリが一瞬で綺麗になり、床はぴかぴかと輝く。私は箒を壁に立てかけ、舞踏室と思われる小さめのホールを見回す。ここで開かれるパーティーに、ママは何回出させてもらえたんだろう。
『あの人はいつも、あたしを恥じてたんだよ』
結婚生活のことを聞くと、ママは悲しそうに目をふせた。ママにはできないこと、分からないことがたくさんあった。でもそれは育ちを考えれば、しかたないことだった。伯爵はそれを優しく教えてあげることも、なかったことにもしなかった。こうなることは分かっていて結婚したのに。そう考えると……やっぱり、冷たい人だ。
身分違いの結婚をしたせいで、何もかも合わなかった。苦労ばかりで、若くして死んだママ。伯爵は私を盗んでいったみたいに思ってるだろうけど。私は違うと思う。ママは私を愛していたから、どうしても離れたくなかっただけなんだ。冷たい人の所へ置いて行けなかったんだ。私には分かるよ。
(ママ……アリアもママの娘だけど、復讐は赦してくれるよね?だって、ママの大切なニコラを殺したんだよ)
きっといまごろ、天国でニコラと再会してるよね。息子がこんなに早く来るなんて、悲しむだろうな。
私は舞踏室を歩き回り、時間を潰す。あまり早すぎると怪しまれるからね。垂れ壁のアーチの向こうは物置になっていた。ここでの舞踏会はもう滅多に開かれないみたいだ。一角に、ビロードの布がかかった山がある。引っぱって剥がすと、イーゼルにかかった未完成の肖像画だった。ふくよかで、色白。猫みたいな形の目で、私と違う金髪。
「これ、ママだ……」
完成より早く離婚になったんだろうな。でも伯爵は、なんでママの絵を捨てなかったんだろう。……考えてもしょうがないか。私は布を戻して、舞踏室に戻った。なぜか、胸がむかむかして。すごく気分が悪かった。
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「なに書いてるのー?」
背中から声をかけられて、私はとっさに笑顔を作ってふり返る。
「書きとりよ。色々覚えなきゃいけないこと多くて」
「字がよく分からないんだ」
「うん。私、花術園に一年しか行けてないから」
平民なら別に珍しくない。同室の女の子もふーん、とだけ返事して、また毛布をかぶった。静かな寝息が聞こえてきた所で、日記の下に隠した小さな紙を出す。平民のお節介と探りぐせには、注意しなきゃね。羽ペンにまたちょん、とインクを浸けて。紙に計画を書き付ける。
やるべきこと。アリアを転落させ、彼女の罪を全て白日の下に晒すこと。そうすれば盗みの花魂のことだって、全部ばれるわ。……でも、そのあとは?本物の娘だと明かした後に、この家にいたい?昼に見たサンレード伯爵を思い出す。窓ふきをする私の横を、彼はすっと通りすぎた。まあ、会ったことはないけど。それでも何か……結びつきのようなものを感じない?ママにそっくりの瞳が分からない?……いいわ。ボンクラ伯爵のことは後回し。まずはアリアよ。
まずは……この屋敷で、アリアの評判を、下げられる限り、どん底まで下げるのよ。
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ニコラから受け継いだ花魂を、私はまだ使いこなせてない。たしかニコラは『操り』って言ってたけど……この数日で試してみたら、もっと多彩な使い方ができると分かった。
「トイレ行ってくるね」
下の寝台で寝てる子に声をかけて、寝室を出る。冷え切った厨房を抜けて、勝手口から庭へ出た。冬も深まって、靴がずぼっと雪に嵌まりこむ。
「Fluctus Estus熱よ、波うて」
杖をふると、白い雪面にぶわっ…と赤い波紋が広がって、あっという間に溶けた。現れた石畳を辿っていくと、サンレード伯爵の薔薇園に出る。大理石のガゼボに、伯爵がことさら愛する黄薔薇がからまっていた。ニコラは、花魂の力をめったに使わなかった。能力についてくわしく話すことも……優しい兄には、辛い力だったのかも。
(小さいころ、膝をすりむいた私から”痛み”を自分に移して……しばらく、脚を引きずっていたっけ)
ニコラはそのお返しは求めなかった。そんな無私の優しさがあった。目頭がつん、と痛くなる。私は首をふって、練習に集中した。
花魂の使い方は、とてもシンプル。まずは意識を集中させて、花魂に対応した『感情』を出すだけ。盗みたいなら、欲しい。癒したいなら、助けたい。操りたいなら――私は黄薔薇を見つめて、あの花に自分が『入りこむ』のを想像した。
風もないのに、薔薇がざわめく。ゆっくりと呼吸をして、雑念を払う。金色の髪が熱をもち、下に隠れたスズランの花が一瞬、ふわりと香る。集中力を高めて、胸の奥から黄薔薇に向かって透明な『糸』をのばしていくイメージ。
「……よし、繋がった!」
私はポケットから、くしゃくしゃに丸まった紙を出した。これにも糸をつなげて……びりっ、と大き目に裂く。破くのに合わせて、薔薇の花弁はひしゃげて、はらはらと落ちて。最後は花托からぽとりと地面に落ちた。――上手く行ったわ!『操り』を応用した移し身は、使えそうね。私はその後も実験をくり返して、黄薔薇を全部雪に落とす。寝室に帰る脚は、新発見の喜びでうきうきと弾んだ。
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新入りの私は雑用担当だ。空いた所に回される仕組みなので、屋敷の掃除とか、ゴミ出しばっかり。なかなかアリアに近付けない。だけど屋敷を歩き回れば、色々な人に出会うし。噂話だって聞ける。
「リリィ、知ってる?」
シーツを干すあいだ、先輩メイドがこっそり話しかけてきた。
「料理人のマックスだけど、酒場でいかさまして、出禁になったんだって」
「いかさま?」
「カードで勝ったら、そのお金で仲間たちに奢るのがルールなのに。自分の分だけ払って、さっさと逃げたの。あいつ、ケチな所あったからね。芋の皮とか、すっごくうすーっ……く剥くの!」
ふうん、料理人のマックスね……ちょうどいいから彼で試そうっと。
それからすぐ、厨房に牛乳を運ぶ用を言いつけられた。私は牛乳瓶を床に置いて、マックスを探す。……いた。パンを焼く石窯のそばで、のんびりタバコをふかしてる。みんな忙しく働いてるのに。自分には甘々なやつみたいね。彼をしっかり視界におさめて、糸をのばす。――脱げ。強く念じると、マックスの目が一瞬、赤く光った。彼はコック服の釦に指を引っかけ、勢いよく引きちぎる。ぶちぶちと破けた生地の下から、鍛えられた胸板が出た。そばでチーズを切っていたメイドが悲鳴をあげる。
「きゃぁーっ……!!変態!!」
「ち、違うんだ!手が勝手に……」
マックスは必死に言い訳したけど、もう遅い。力自慢の男たちは、頭がおかしくなったコックを叩き出した。
それから数日、使用人たちを操って試したおかげで、色々なことが分かった。
一つ目。糸をのばして操れるのは、一回につき一人だけ。
二つ目。操りの糸が繋がっているのは数分間。
花魂は、使うことで成長する。髪に咲いた花が枯れて、また咲くのをくり返すうちに強くなる。いまは、使いどころが大切ね。
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「――ちょっと!ドレスを手伝いなさいよ!」
廊下を歩いていると、アリアの声がした。一週間目にして、やっと巡ってきたチャンスかも。ドアをノックして入ると、アリアはまだネグリジェのまま、メイドに怒鳴りちらしていた。
「失礼します。シーツのお取りかえに参りました」
念のため声をかけたけど、アリアはふり向きもしない。ベッドを整える間、ずっと怒っている。寝癖まみれの髪をふり乱して怒鳴る様は、まるでお猿さんね。馬鹿らしい。
「私は仕事がありますので、失礼いたします」
メイドはぺこりとお辞儀をして、さっさと逃げ出す。ふーん……やっぱりアリアは軽んじられてるのね。まあ、無理もないわ。礼儀作法のれの字もない人になんか、仕える気にならないもんね。
「何よ、平民のくせに指図して!」
アリアは地団太を踏んで、悔しそうに怒鳴った。呼吸を整えてから、やっと私に気付く。
「あら?あんた……」
「リリィでございます」
「思い出した。新入りのメイドよね。ベッドが終わったんなら、ドレスを手伝いなさい」
「かしこまりました」
私があっさり従ったので、アリアはひとまず満足したみたい。化粧台の前に腰かけた彼女に聞く。
「お嬢様、どのドレスにいたしましょうか?私は貧しく知らないもので……」
「その紫にしてちょうだい」
「かしこまりました」
吹き出したいのをこらえて、紫色のベロア生地で作られたドレスを引っぱりだす。胸元が大きく開いたデザインで、黒いチュールレースが袖口にあしらわれている。年配の夫人が夜会にでも着て行くようなドレスだわ。いくら朝食が気楽な場とはいえ、伯爵令嬢が着る色じゃない。ほんとにおバカさんね。ドレスを着せて、コルセットを付ける。アリアは「ちょっと、」と息をつまらせた。
「息が苦しいわ。外してよ」
「髪はどうなさいますか?」
「テキトーに結って。貴族らしくね」
アリアは顎をつん、と上げた。豊かな赤毛を手に取り、怒りをおさえて櫛を通す。香油を付けなくても艶々で、全然引っかからない。……貴族の暮らしはやっぱりちがうのね。耳の後ろから髪をつかんで、編もうとする。
「いたたっ!」
アリアは悲鳴をあげて、のけぞった。
「何するのよ!」
「朝食のために髪を編もうと……」
「こんなに痛いものなの!?……っ、もういい、リボンだけつけなさい」
貴族は髪を下ろしたりなんかしないのよ!十六にもなって、ほんとにおバカさん。私はわざと、箱からまっ赤なリボンを選んだ。耳のあたりで一束取って、きゅっと結び付ける。そしてわざと『端を長く』垂らした。都の『踊り子』がする流行に、アリアは満足げだ。姿見に映してくるりと回った。
「いいじゃない。可愛いわ。手も速いし、明日からも私の着がえを手伝いなさい」
私はにっこりと微笑み「喜んで」とうなずいた。
+++
ネリじいさんは庭師として働きながら、情報を集めてくれている。私たちは祖父と孫、ということになっているので。仕事の合間に話していても不自然じゃない。じいさんは薔薇に水をやりながら「だいぶ使用人には嫌われとるな」と言った。
「アリアは貴族としての礼儀作法も学んどらん。伯爵は、ラスブロアにある王立アルド魔法学院へ行かせるはずだ」
「アルド魔法学院……アリアにそんな、専門的な勉強ができるの?」
「ま、婿探しだろう。早い所片付けておきたいからな」
たしかに……年を考えると、そろそろ婚約者がいるかもね。私もそこについて行くためには、専属メイドに任命してもらわないと。本格的に彼女を落とすのはそこからね。学院は小さな貴族社会。そこでアリアの評判を、下げるだけ下げて。そして最高のタイミングで、嘘を暴く。その計画は……じいさんと一緒に考えないと。
「わしの花魂は”聞き耳”でな。かなり色々なことを聞ける」
じいさんは白髪に咲いたツルコベアの花を撫でながら、ちょっと自慢げに微笑んだ。
「すごいね」
「画家には役にたたん花魂だったがな。たとえば伯爵の書斎には、マドリックしか開けられん抽斗があるそうだ。そこには大事なものが隠されとるだろう……」
「書斎の抽斗ね。操りで探させてみるわ」
「それと、伯爵はアリアの世話を押し付ける相手を考えとるようだぞ。かんしゃく持ちで厄介だからな」
なるほど。アリアの世話を嫌がらない私が目にとまるのは、時間の問題ね。
「ありがとう、また何か面白いことが分かったら教えて」
「ああ、仕事を頑張るんだぞ」
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朝食が始まると、使用人たちは給仕に忙しい。マドリックは私に箒とちりとりを押し付けて、壁を指さした。食事が終わったら、この道具で床を綺麗にしろってことね。マドリックもだいぶ偉そうね。使用人たちの『旦那様』にでもなった気分?テーブルにはごちそうが運ばれてきた。厚切りのベーコンはまだ肉汁がじゅう、と音をさせる。ふわふわのスクランブル・エッグ。肉がぎっしりのパイ。たっぷりマーマレードが塗られたトースト。……うっぷ、見てるだけで胸焼けしそう。マドリックが鈴を鳴らすと、サンレード伯爵がやってきた。彼はテーブルについて、手袋を外す。そこで、向かいにもうアリアが座っていることに気付いて、ぎょっとした。
「アリア……もういたのか?」
「はい、お父様♪初めてご一緒に食事ができるので、楽しみで眠れませんでしたわ!」
うわっ、取って付けたみたいな敬語。伯爵はため息を吐いた。
「いいかね。私が座るのより遅くても、早くてもいけない。必ず同時に席につくんだ」
アリアは「はーい」と理解してない声で返した。なるほど……貴族は序列が大切だからってことね。もちろん、説教は終わらない。伯爵は彼女のドレスに、げっと顔をしかめる。
「何だ?そのドレスは。とても……」
その時、私は伯爵を視界におさめた。花魂が、どくんっと大きく脈打つ。私の体からのびた透明な糸が伯爵を絡め取り、唇を動かした。
「とても、美しいな!」
自分のこぼした言葉が信じられないのか、伯爵は大きく目を瞠った。
「そうでしょう?自分で選びましたの!」
「ああ!その髪もとても可憐だ、ずっと見ていたいほどだ!」
伯爵は口をぱっと両手で塞いだ。顔色がみるみる悪くなったけど、アリアはごきげんに笑ってる。給仕の使用人たちは眉をひそめたけど、もう人目もあるし、貴族は自分の言葉をなかったことにできない。
「明日からもその髪でいなさい」
「ほんと?お父様が好きなら、そうしますわ!」
マドリックの顔色が、赤を通りこして青くなる。私は操りの糸を切って、涼しい顔をする。壁ぎわから眺める気まずい朝食は、面白いわね。
朝食が終わると、私はテーブルの下に潜りこむ。こっそり杖を出して、床をなぞる。パンくずや肉の欠片が、さっと綺麗になった。
「終わりました」
「もう?サボってないだろうね……おや、ぴかぴかだよ!」
先輩メイドは、チリ一つ落ちてない床にびっくりした。身分を問わず、アルド王国民は花術園で三年間魔法を学ぶ法律だけど。平民では通わない人も多いし、生活魔法もおぼつかない人は多いからね。
+++
「アリアの専属になってくれないか?ええと……」
サンレード伯爵からお願いされたのは、翌朝だった。
「リリィと申します」
「あ、ああ。リリィ……あの子は、庶民の中で暮らしてきたから。どうも当家の使用人とは気風が合わないようで。君のような”新人”の方が、より気安くできるかもしれない」
「とても光栄なことですね。喜んでお引き受けいたします」
にっこりと微笑んで、お辞儀をする。伯爵は心からほっとしたようで、私に新しいドレスを出してきた。専属メイドは午前中だけ同じ黒の制服で、午後からは習い事やパーティーへの付き添いもあるので、華やかなドレスになる。やわらかい水色の花柄生地に触れた時。私が感じたのは、喜びじゃなくて……純粋な、苛だちだった。
「嬉しいです。がんばって働きますね」
私の百点満点の答えに、伯爵も満足げだった。
「あら、あんたが専属になったの?」
「はい。お部屋の掃除やお洗濯も、私が行いますので」
「すごく嬉しいわ!さっそくなんだけど。今夜のドレスに合わせてお化粧してちょうだい」
私は化粧台から、白粉を取った。均一に塗って、肌をまっ白にすると、アリアはとても満足したみたい。
「ルージュはどれになさいますか?」
「その桜色にして。ぷるぷるにするのよ」
「ふふっ、ストリートでの流行ですね」
「あんたも知ってるの?真面目そうなのに、意外」
目を丸くした彼女に、ルージュも濃い目に塗ってあげる。完成した化粧に、アリアは満足していたけど。まるですっぴんの肌みたいにするのが、貴族の化粧の流儀だと、彼女は知らない。あんな踊り子みたいな下品な化粧で舞踏会に出たら。息子のいる貴族は、誰も近付きたがらないでしょうね。……ふふっ、いい気味。
