堕ちよ花乙女
熱い。体の中から焼け落ちるみたい。からからに乾いた口を動かして、どうにか発声しようとする。
「ニコ、ラ……お願い……」
苦しい呼吸のすきまから兄を呼ぶ。シーツをぎゅっと握りしめても、苦痛は全然ましにならない。命が文字通り枯れて行くみたい。いやだ、死にたくない、アリアがあんな……花魂を、盗るなんて!このまま終わるなんていや!
「――ベル!?」
願いが届いたのか、廊下から音がする。ニコラは杖も忘れた脚を扉にぶつけながら、転がるように入ってきた。
「ベル、何があったんだ!」
ニコラは私の顔に触れて、あまりの熱さに驚いた。とっさに離された手が、かさついた髪に触れる。やわらかい花弁の感触がないのに、ニコラは何もかも気付いたみたいだった。
「……アリアか?」
うなずこうとしたけど、もう動けない。どうにか瞬きで答える。ニコラはよろめき、膝を付く。私の手を取って、深くため息を吐く。
「ごめん。……僕は知っていたのに。アリアが盗みの花魂だって。でも、こんな罪深いことをするなんて、思いたくなかった」
「いいよ……あなたのせい、じゃない」
ニコラは首をふって、しばらく考える。その瞳に、不思議な迷いが揺れた。……悪い予感がした。兄がとても、取り返しのつかないことを……考えているような。私たちはずっと一緒だったから、分かった。彼は私の手をしっかりと握り、目を合わせる。白くにごった目は、いつも通り優しかった。
「ずっと、考えてたんだ……僕はどうすれば、君を幸せに……いつも助けてくれるお前に、兄らしいことを、してやれるだろう……って」
「ニコラ」
私の胸に、不安がむくむくと影を作る。ニコラは私の髪を撫で、ゆっくりと顔を近付ける。
「恐くはないよ。僕は、君の中で生き続ける……だから、約束してくれ。これから、たくさん……素晴らしい、楽しいものを見せてくれるって」
「やめて、ニコラ……」
「幸せになってくれ、メリーベル――僕の可愛い妹」
視界が少しずつ暗くなる中、ニコラは自分の髪に咲くスズランの花をむしり取った。唇にやわらかいものが触れる。ニコラの唇を通して、甘い香りの花弁と、温かいものが流れこんでくる。それは私の体の隅々まで行き渡り、心臓にまた命を吹きこむ。徐々に遠ざかる意識の中、最後に見たのは、ニコラの泣きそうな微笑みだった。
+++
眠りの底から、ゆっくりと浮かび上がる。窓から入ったやわらかい朝の陽射しが、部屋を照らし出し、やけに平和な明るさだった。
「んっ……」
微かにうめき、目を瞬かせる。意識がはっきりするにつれて、腹にのしかかる重みがより強く感じられた。恐ろしい記憶が、じわじわと蘇ってくる――「メリーベル!……っ、ニコラ!」ネリじいさんが叫び、扉を叩く音。
「ありゃなんだ!?アリアが立派な馬車で村を出ていったぞ!髪がっ……赤で、……何があった!?」
私はそっと体を起こす。びっくりするほど体が軽くて、あの痛みも熱もなくなっていた。ぱさりと揺れた金色の前髪が、視界を半分隠す。シーツに落ちて散らばった、紫色のスズランの花。ニコラは膝を付き、ベッドにぐったりと胸を乗せていた。頭が不自然なほど横を向いてる。
「……ニコラ」
読んでも返事がない。そっと頭に触れても、いつもみたいにびくっと震えたりしない。薄く閉じた目。最後まで微笑みのままの顔。でもニコラはもう、命をなくした殻だった。
――その時、私の世界はまっ暗になった。
+++
ネリじいさんは入ってきて、ニコラと私を見て。何もかも察した。
「……アリアが、やったんだな?」
黙ってうなずくと、じいさんは自分の白髪をぐしゃりと握りしめ、荒い呼吸をしながらせまい寝室を歩き回って、どうにか心を落ち着ける。
「アリアの花魂は“盗み”なの。アリアは……ママが私に教えてたことを知らない」
「そうか、それであいつの髪に白百合が咲いてたんだな……」
「ニコラはどうして動かないの?」
じいさんは座ろうとして、アリアのベッドを嫌悪感をにじませた表情で見る。椅子を出して腰かけると、指をこすり合わせながら「自分の花魂を、お前にやったんだ」と言った。
「花魂は、魂そのものじゃない。わしらの“生命の形”……つまり、生きている限り燃え続ける炎のようなものだ。誰でも与えられるわけじゃない。記録にはいくつかあるが……花弁を与えること。それと、心から自分の犠牲を受け入れ、相手の生を願う……それが花魂を譲る条件だ」
ネリじいさんは王宮に暮らしていたから、私たちが知らない魔塔の研究結果を知っていたみたい。胸に手を当てると、温かい中に鼓動を感じる。これが……ニコラのくれた命なんだ。――ニコラは私を愛していた。愛していたんだ。死んでもいいと、一瞬で命を譲る選択ができるくらいに!
「ひっく……ニコラ、……うぅっ」
兄の心を感じて、熱い涙があふれる。私の肩に、じいさんは手をそえて「ニコラはここにいる」と優しく言った。
「それで、メリーベル。これからどうする?」
「どう……って?」
私の手は、ニコラの冷たくなった背中を撫でることしかできない。
「このまま諦めて、昨日と同じように生きてくのか?牛の世話をして、野菜を作って、わしのアトリエも手伝う」
昨日までの私。秒針が正確に刻んでいた私。でもそこにニコラがいないのに、同じことをしてどうなるの?
「たくさんの人間を騙すアリアを放って、ここで暮らす。それもいい。一つの選択だ。ニコラはお前が生きることしか望んでなかったんだからな」
私はニコラの体を、さらに強くかき抱く。花魂を盗まれなければ、私が伯爵家に行って、ニコラの傷付いた花魂も治してあげられた。目も見えるようになったろう。ニコラにあげるはずだった、たくさんの幸福。それをアリアは踏みにじり、奪ったんだ。……許せない。のうのうと生きるなんて、許せない!私の中で、ふつふつと怒りが沸き起こる。自分がこんなに激しく人を憎めるなんて、初めて知った。
「……だめ。アリアを放っておくなんて、絶対に許さない」
ニコラを死に追いやったあなたを、絶対に逃さない。
「復讐する。……偽物の皮を剥いでやる!!」
ネリじいさんの目を、まっすぐに見つめる。じいさんは一瞬だけ気圧されて。でもすぐに「分かった」と重々しくうなずく。
「それなら、わしも行くよ。二人の方が、知恵も出るだろう」
「でも、ラスブロアには近付きたくないんじゃ……」
「……ニコラを死なせたことは、わしも赦せん。……あれほど心の綺麗な子はいなかった」
じいさんは白髪を後ろで結って、ニコラの体をそっと私から取った。細い体のどこにそんな力があるのか、長身のニコラを軽々と抱き上げる。
「さあ、まず一つ目の仕事だ。ニコラの体を休ませてやろう」
「うん」
私もごしごしと目元をぬぐって、じいさんの後に続いて部屋を出た。
+++
数日後。私は大きな門の前に立って、遠くにそびえる立派な館を見ている。トランクを地面に下ろし、守衛室の男に名前を告げる。
「ギルドから派遣されてまいりました。リリィ・スミール・ネリです」
彼らは私の赤毛とスズランの花を確かめる。花魂は偽れないからね。男はすぐに「ようこそ」と壁の取っ手を引き、重い門を開けてくれた。ここから始まるんだ……さすがに脚が震えそう。肩に、ネリじいさんがぽん、と手をのせる。
「大丈夫だ、リリィ。わしもついとる」
じいさんの声に、肩からほっと力が抜けた。屋敷まで歩いていると、下手くそなピアノの音がする。音の出どころを探ると、三階の角にあるサンルームだった。窓ごしに、苦労してピアノを奏でる赤毛がちらりと覗く。私はふっと口角をゆるめ、顔をそむける。まずは執事長のマドリックに挨拶だ。
「ニコ、ラ……お願い……」
苦しい呼吸のすきまから兄を呼ぶ。シーツをぎゅっと握りしめても、苦痛は全然ましにならない。命が文字通り枯れて行くみたい。いやだ、死にたくない、アリアがあんな……花魂を、盗るなんて!このまま終わるなんていや!
「――ベル!?」
願いが届いたのか、廊下から音がする。ニコラは杖も忘れた脚を扉にぶつけながら、転がるように入ってきた。
「ベル、何があったんだ!」
ニコラは私の顔に触れて、あまりの熱さに驚いた。とっさに離された手が、かさついた髪に触れる。やわらかい花弁の感触がないのに、ニコラは何もかも気付いたみたいだった。
「……アリアか?」
うなずこうとしたけど、もう動けない。どうにか瞬きで答える。ニコラはよろめき、膝を付く。私の手を取って、深くため息を吐く。
「ごめん。……僕は知っていたのに。アリアが盗みの花魂だって。でも、こんな罪深いことをするなんて、思いたくなかった」
「いいよ……あなたのせい、じゃない」
ニコラは首をふって、しばらく考える。その瞳に、不思議な迷いが揺れた。……悪い予感がした。兄がとても、取り返しのつかないことを……考えているような。私たちはずっと一緒だったから、分かった。彼は私の手をしっかりと握り、目を合わせる。白くにごった目は、いつも通り優しかった。
「ずっと、考えてたんだ……僕はどうすれば、君を幸せに……いつも助けてくれるお前に、兄らしいことを、してやれるだろう……って」
「ニコラ」
私の胸に、不安がむくむくと影を作る。ニコラは私の髪を撫で、ゆっくりと顔を近付ける。
「恐くはないよ。僕は、君の中で生き続ける……だから、約束してくれ。これから、たくさん……素晴らしい、楽しいものを見せてくれるって」
「やめて、ニコラ……」
「幸せになってくれ、メリーベル――僕の可愛い妹」
視界が少しずつ暗くなる中、ニコラは自分の髪に咲くスズランの花をむしり取った。唇にやわらかいものが触れる。ニコラの唇を通して、甘い香りの花弁と、温かいものが流れこんでくる。それは私の体の隅々まで行き渡り、心臓にまた命を吹きこむ。徐々に遠ざかる意識の中、最後に見たのは、ニコラの泣きそうな微笑みだった。
+++
眠りの底から、ゆっくりと浮かび上がる。窓から入ったやわらかい朝の陽射しが、部屋を照らし出し、やけに平和な明るさだった。
「んっ……」
微かにうめき、目を瞬かせる。意識がはっきりするにつれて、腹にのしかかる重みがより強く感じられた。恐ろしい記憶が、じわじわと蘇ってくる――「メリーベル!……っ、ニコラ!」ネリじいさんが叫び、扉を叩く音。
「ありゃなんだ!?アリアが立派な馬車で村を出ていったぞ!髪がっ……赤で、……何があった!?」
私はそっと体を起こす。びっくりするほど体が軽くて、あの痛みも熱もなくなっていた。ぱさりと揺れた金色の前髪が、視界を半分隠す。シーツに落ちて散らばった、紫色のスズランの花。ニコラは膝を付き、ベッドにぐったりと胸を乗せていた。頭が不自然なほど横を向いてる。
「……ニコラ」
読んでも返事がない。そっと頭に触れても、いつもみたいにびくっと震えたりしない。薄く閉じた目。最後まで微笑みのままの顔。でもニコラはもう、命をなくした殻だった。
――その時、私の世界はまっ暗になった。
+++
ネリじいさんは入ってきて、ニコラと私を見て。何もかも察した。
「……アリアが、やったんだな?」
黙ってうなずくと、じいさんは自分の白髪をぐしゃりと握りしめ、荒い呼吸をしながらせまい寝室を歩き回って、どうにか心を落ち着ける。
「アリアの花魂は“盗み”なの。アリアは……ママが私に教えてたことを知らない」
「そうか、それであいつの髪に白百合が咲いてたんだな……」
「ニコラはどうして動かないの?」
じいさんは座ろうとして、アリアのベッドを嫌悪感をにじませた表情で見る。椅子を出して腰かけると、指をこすり合わせながら「自分の花魂を、お前にやったんだ」と言った。
「花魂は、魂そのものじゃない。わしらの“生命の形”……つまり、生きている限り燃え続ける炎のようなものだ。誰でも与えられるわけじゃない。記録にはいくつかあるが……花弁を与えること。それと、心から自分の犠牲を受け入れ、相手の生を願う……それが花魂を譲る条件だ」
ネリじいさんは王宮に暮らしていたから、私たちが知らない魔塔の研究結果を知っていたみたい。胸に手を当てると、温かい中に鼓動を感じる。これが……ニコラのくれた命なんだ。――ニコラは私を愛していた。愛していたんだ。死んでもいいと、一瞬で命を譲る選択ができるくらいに!
「ひっく……ニコラ、……うぅっ」
兄の心を感じて、熱い涙があふれる。私の肩に、じいさんは手をそえて「ニコラはここにいる」と優しく言った。
「それで、メリーベル。これからどうする?」
「どう……って?」
私の手は、ニコラの冷たくなった背中を撫でることしかできない。
「このまま諦めて、昨日と同じように生きてくのか?牛の世話をして、野菜を作って、わしのアトリエも手伝う」
昨日までの私。秒針が正確に刻んでいた私。でもそこにニコラがいないのに、同じことをしてどうなるの?
「たくさんの人間を騙すアリアを放って、ここで暮らす。それもいい。一つの選択だ。ニコラはお前が生きることしか望んでなかったんだからな」
私はニコラの体を、さらに強くかき抱く。花魂を盗まれなければ、私が伯爵家に行って、ニコラの傷付いた花魂も治してあげられた。目も見えるようになったろう。ニコラにあげるはずだった、たくさんの幸福。それをアリアは踏みにじり、奪ったんだ。……許せない。のうのうと生きるなんて、許せない!私の中で、ふつふつと怒りが沸き起こる。自分がこんなに激しく人を憎めるなんて、初めて知った。
「……だめ。アリアを放っておくなんて、絶対に許さない」
ニコラを死に追いやったあなたを、絶対に逃さない。
「復讐する。……偽物の皮を剥いでやる!!」
ネリじいさんの目を、まっすぐに見つめる。じいさんは一瞬だけ気圧されて。でもすぐに「分かった」と重々しくうなずく。
「それなら、わしも行くよ。二人の方が、知恵も出るだろう」
「でも、ラスブロアには近付きたくないんじゃ……」
「……ニコラを死なせたことは、わしも赦せん。……あれほど心の綺麗な子はいなかった」
じいさんは白髪を後ろで結って、ニコラの体をそっと私から取った。細い体のどこにそんな力があるのか、長身のニコラを軽々と抱き上げる。
「さあ、まず一つ目の仕事だ。ニコラの体を休ませてやろう」
「うん」
私もごしごしと目元をぬぐって、じいさんの後に続いて部屋を出た。
+++
数日後。私は大きな門の前に立って、遠くにそびえる立派な館を見ている。トランクを地面に下ろし、守衛室の男に名前を告げる。
「ギルドから派遣されてまいりました。リリィ・スミール・ネリです」
彼らは私の赤毛とスズランの花を確かめる。花魂は偽れないからね。男はすぐに「ようこそ」と壁の取っ手を引き、重い門を開けてくれた。ここから始まるんだ……さすがに脚が震えそう。肩に、ネリじいさんがぽん、と手をのせる。
「大丈夫だ、リリィ。わしもついとる」
じいさんの声に、肩からほっと力が抜けた。屋敷まで歩いていると、下手くそなピアノの音がする。音の出どころを探ると、三階の角にあるサンルームだった。窓ごしに、苦労してピアノを奏でる赤毛がちらりと覗く。私はふっと口角をゆるめ、顔をそむける。まずは執事長のマドリックに挨拶だ。
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