堕ちよ花乙女

――なによ、なによ!あの野暮ったい、ブサイクのメリーベルが、伯爵令嬢!?

窓から離れ、思わずよろめく。こっそりと倉庫の影に入って、髪をかきむしった。叫びたいのを、必死でこらえる。あんな野良仕事しかできない、うすのろのメリーベル!そばかすまみれの顔も、ぼさぼさの赤毛!見るだけで嫌ってほどうちの貧しさを思い知らせて来る、あいつが!?

私は苛だった時の癖で爪をかじり、影の中にしゃがみこんだ。そういえば、あいつだけ花魂が白百合のだったわ。あいつの花息吹は……なんだったかしら。きっとサンレード伯爵家と同じものだったのね。村を眺める。泥煉瓦で造られた藁ぶき屋根の家が、ぽつぽつと。白い雪原に、角砂糖みたいに建ち並んでいる。となりに住むボケかけた絵描きのじいさんは、ガローニほど美しい村はないとかほざいてた。思わず鼻で笑っちゃったわ。貧乏で汚らしい奴らしか住んでない村!私にはふさわしくない場所よ。

『アリアはどうして、あんなに怠け者なんだろう』『身分ってものが分かってないよ。ちょっと綺麗だからって偉そうに』『いくら美人でも、働かなきゃ何の役にもたたないのにね』

――うるさい、うるさい!黙れ、食べるために働いて、みじめに死んでいくしか能がない奴ら!メリーベルだってそうよ!平民の子が三年通って生活魔法を勉強する花術院を、たった一年で辞めたじゃない!なのに村の見る目がない奴らは、汚らしい身なりで荷車を引いたり、土を耕したりするメリーベルばかり褒めてる。私は温室に生まれるべき薔薇だったのよ。こんなに綺麗な、白魚みたいな指が泥にまみれるのがふさわしいと思う?

――そうだわ。メリーベルはこのみっともない村がお似合いよ。あの子は荒野に咲くべき花だったんだわ。赤毛にぽつぽつと咲いた白百合の花を思い出すと、あれは私の花であるべきだという思いが、むくむくと沸き起こる。爪をかじるのを止めて、灰色の空を見上げる。雲が切れて、隙間からやわらかい光が降り注ぐ。私にはそれが、福音に見えた。

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こっそり窓から部屋に入る。夜遊びで覚えたスキルは、メリーベルを起こさなかった。だいぶ熱は下がってるみたいだけど……明日には動けるようになっちゃうだろうから。今夜しかチャンスはない。自分の杖をポケットに入れて、ついでにベッドの下を覗きこんで、メリーベルが隠しておいた袋を引っぱり出す。開けてみると、銀貨がいくらか入ってたのを、全部つかみ取った。ママの形見のネックレスや指輪も全部、トランクに突っこむ。馬鹿なメリーベル。早く売らなきゃ時代遅れになるのよ。ニコラを治療できないってぼやく前に、金にすればよかったのに。ああ、ほんとに嫌だった。うんざりしてた。こんな脳足りんの妹。目が見えない、使えない兄。こんな奴らの世話をして人生が腐ってしまうなんて、我慢できなかったわ!

髪を整えて、いつもはうざったいボンネットをちゃんとかぶる。丈の合わないドレスの短すぎる袖は、染みの付いたレースの袖止めをすればちょっとマシになった。鏡を見ると、ちょっと『いい子ちゃん』な自分が映ってる……。我慢よ、アリア。お前は貴族になるの。自分にふさわしい所で咲くんだからね。

私はベッドに膝を付き、眠る妹に顔を近付ける。誰にも言ったことはないけど……私の花魂は『盗み』の魔法を持っている。普段はちょっとキザな紳士のポケットからお財布をくすねるか、シケたバーテンダーの持つ酒瓶から、バタービールを自分のグラスに移すくらいしか、役にたたなかったけど。まさか私の人生を変えてくれるなんてね。起こさないように髪を耳にかけて、かさついた唇に口付けた。

その瞬間、体の芯がかっと熱くなる。全身を駆け巡った熱が、脳天から吹き出す感覚。髪のスズランが焼けて、ぱらぱらと床に落ちた。金色の髪が、毛先からゆっくりと赤く染まって行く。
「うぅっ……く、っっ……」
苦しげな声に目を落とすと、メリーベルも同じようで。ネグリジェの胸をつかみ、身をよじっていた。熱をこらえるみたいに瞑っていた目が、薄く開いた。私を視界にとらえると、信じられない、という風に大きく瞠る。かさついた枝毛まみれの髪が、じわじわと金色に変わる。
「なん、で……アリア……」
髪に咲いていた白百合の花弁が、端からゆっくりと焦げて、ぱらりと落ちる。やがてすっかり花は落ちて、まくらには傷んだ金髪と、枯れた花弁だけが散らばる。私に向かって伸ばされていた手が、ぱたりとベッドに落ちた。

「はっ……」
私は唇をぬぐって、自分の両手を見つめる。興奮で高鳴る胸をおさえて、鏡に自分の顔を映す。燃えるような赤毛のあちこちに、白百合の花がちらりと覗いた。――やった。これで計画の一つ目はクリア!メリーベルは苦しげな呼吸をくり返し、虚ろな目は空中の一点を見つめてる。生命力の源とも呼べる花魂を盗んだんだから、どうせすぐに死ぬでしょ。興味ないわ。だって私には晴れやかな新生活が待ってるんだもの!伯爵令嬢になれば、何でも手に入るわ。馬車で街に出かけて、たくさんの平民が私に頭を下げる。私は自分の力で咲くべき温室を手に入れたのよ!

なだらかな丘を下る間、雪に何回も足が嵌まった。転びそうになるたび、必死で踏み止まる。畑の向こう、川べりには小さな教会がぽつんと建っていて、夜でも明かりが点いてる。あそこに伯爵が泊まってるのね。木の扉の前に立って、ごくりと喉を鳴らす。ここからは失敗が許されない。伯爵と執事をニコラにもう一回会わせず、私を連れてこのまま村を去らせるの。平気よ、もっとぎりぎりのこともあった。地下街でいかさまをしたって、屈強なごろつきどもに囲まれた時だって。ジェシーの恋人を盗んだって言いがかり(何でばれたのかしら?)を付けられた時も。このよく回る舌だけで、無傷で切り抜けたんだから。ニコラは私と仲が良かったから、見送るのが辛すぎる……とか?メリーベルを言い訳にするのもいいわね。妹のそばについていてあげたいから?頭の中にある、悪知恵の尽きない泉に感謝!

とん、とんと。控え目なノックをする。すぐに扉が開いて、背の高い初老の執事が顔を出す。てっきり司祭だと思ったけど、夜のお祈りでいないのね。執事は私の赤毛を見て。すぐにふり向いて「アルヘイス様!」と呼んだ。同じ赤毛の、がっしりした体型の男が出てくる。口髭は綺麗に整えられて、室内なのに毛皮のフードが付いたローブを着ている。この教会も貧しいから、寒いのね。そんな所に来るなんて、父の愛ってやつ?伯爵の顔を見ると、急に……緊張感が襲ってきた。喉元に、苦いものがせり上がる。からからに乾いた口を必死に動かそうとしても「あ……」とかすれた声しか出ない。伯爵は首をふって、私によろよろと近付き、しっかりと抱きすくめた。
「いいんだ、何も言わなくていい……会いたかった」
私の頭を撫でて、白百合の花が指先に触れたのに、とても嬉しそうに微笑む。私は伯爵の胸に頭をあずけて、同じ百合の香りを吸いこむ。段々と落ち着いてきて。生まれつきの悪知恵がまたよく回り始めた。
「愛する娘よ、名前を教えてくれるか?」
私はこっそりとほくそ笑む。――勝った。でも、まだ油断しちゃだめ。この嘘を全部本当にしなくちゃ。私は体を離し、まっすぐに伯爵の目を見つめる。不思議なことに、罪悪感がなくなった。自分の声がなるべく上品に聞こえるように願う。

「アリア。――アリア・フェルールです」
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