【荼毘轟】別に2人きりでも。

「燈矢兄、燈矢兄」
ゆさゆさと身体を揺さぶる。
「起きろって」
燈矢はパチリと目を開けた。
「んー……もう夜か」
「ゆっくり寝られたなら良かった」
「あぁ。焦凍は今帰ってきたのか?おかえり」
「ただいま」
薄暗い部屋の中を難なく歩き、仄かな明かりを点ける。
それでも燈矢は眩しそうな顔をした。
「ふわあああ……眠ぃ」
「血、足りてねぇならやるけど?」
「それは嬉しい提案だな」
ククッと笑った燈矢は尖ったキバを怪しく光らせた。
自分よりもずっと鋭いそれを見て焦凍は小さく笑う。
「遠慮なんていらねぇって言っただろ」
「んー、サンキュ」
燈矢は怠そうに起き上がり頭をかいた。
もう一度欠伸をしてから焦凍に目を向ける。
「随分顔色いいな。良い獲物にでも出会えたのか?」
「あぁ。お陰ですごく調子がいい。くれた人間に感謝しねぇと」
「ククッ……奪った人間にな」
燈矢と焦凍は吸血鬼の兄弟だ。
後天的ではなく吸血鬼と吸血鬼の間に生まれた純血の吸血鬼だった。
兄の燈矢は吸血鬼としての力が強い代わりにデメリットが多い。
光にも匂いにも弱く、極めつけには人間の血を受け付けない。
弟の焦凍は真逆だった。あまり強い力を持ち合わせていない代わりに弱点が少ない。
だから焦凍は太陽の下でもある程度動くことが出来るし、夜になれば堂々と街に出て人間の血を奪うことが出来た。
とはいえ人間を襲うことがあまり好きではない焦凍はシンプルに血を吸ってすぐにその場を去る。
最後に人間の記憶から自分の存在を抹消しておくことも忘れない。
吸われた人間は多少血がなくなり、首筋に2つの穴が開く。その程度ならあまり人間に影響はないだろうと燈矢に教えてもらってから焦凍はそうやって血を貰うようにしていた。
昼は人間に混じって生活している焦凍からすれば人間は獲物であると同時に共存すべき相手だ。
だから被害は最小限に抑えたいと思っている。
なるべく生活圏から離れた場所で襲うようにしているのも足がつかないようにする為だ。
今の時代、吸血鬼が楽に生きるのは難しい。
少しでも噂が流れればネットを介してどんどん広がってしまう。
吸血鬼ネタなど現代人には美味しい話題でしかない。
一度でも匂わせてしまったら終わりに等しい。
焦凍はここでひっそりと兄である燈矢と暮らせればそれで良かった。
ある程度人間との関係性を築き、至って普通の存在だと思わせることでやっとここに馴染むことが出来たのだ。
少しのミスでその生活を失うことなどあってはならない。
険しい顔をする焦凍の額を燈矢が指で弾いた。
「痛っ……」
「何考えてんだ?」
「大したことじゃねぇ。このまま問題なく過ごせたらいいって思ってただけだ」
「問題なんて起きねぇよ。もし起きたら俺が何とかしてやる。力業なら任せとけ」
ニッと笑う燈矢を見て焦凍はほっとする。
いつでも自分を安心させてくれるのは兄だ。
「ありがとう。なら大丈夫だ」
「そういうこと。お前は少し心配し過ぎだぜ」
もう一度額を指で弾かれた焦凍は額を押さえて軽く頬を膨らませた。
「何回もやるなよ」
「ちょっと怒ってるお前が見たくなってな」
「何でだ?」
「焦凍のこと好きだから色んな表情見てぇの。お前、滅多に怒らねぇだろ?」
「……やっぱり燈矢兄って変だよな」
マイペースな兄には溜息をつくしかない。
ふわあ、とゆるく欠伸をした燈矢は突然焦凍の両肩を掴んだ。
「うわっ!」
「話してたら腹減ってきた」
そう言って妖しげに瞳を光らせる。
思えば燈矢は1週間近く血を吸っていないはずだ。
「燈矢兄、我慢し過ぎじゃねぇか?」
「んー……今回は結構耐えた方かもな」
「だから我慢しなくていいって。倒れられた方が困る」
「それは言えてる。んじゃお言葉に甘えてそろそろ戴くかな」
ニイッと笑い燈矢は焦凍に身体を近付ける。
そしてワイシャツを引っ張って首筋を露わにさせてから舌を這わせた。
「んっ…… 」
くすぐったいような心地良いような感触に思わず声が出てしまう。
燈矢にはこれまで何度も同じことをされているがどうしても慣れなかった。
「焦凍のその声、すげぇ好き」
「……っ!そういうこといちいち言わなくていいって」
「言うに決まってんだろ。照れさせてぇんだから」
はあ、と溜息をつく焦凍を気にした様子もない燈矢はもう一度焦凍の首を舐め、それから口を大きく開けた。
尖った2つの歯が焦凍の首筋にグサリと突き刺さる。
突き刺さった歯は鋭く、まるで凶器のようだ。
噛み付かれた箇所に痛みを感じて焦凍は顔を顰めた。
「くっ……!」
けれど痛みはすぐに快楽へと変わっていく。
そして傷口から血液を啜られる──その感覚が堪らなく好きだった。
ゾワッとして、ゾクッとして。
こんな感覚は「この時」しか得られない。
「んんっ……」
最初は痛かったはずなのに今はもう気持ち良さしか感じない。
血が吸われていく感覚に思わず身体が震える。
もっと吸って欲しいと思ってしまうのは焦凍が燈矢に対して兄弟以上の気持ちを持っているからに他ならない。
一緒に暮らして200年以上経つが自分の気持ちを伝えたことはなかった。
それでもきっと燈矢は気付いているだろう。
「あっ……んん」
抑えようとしても声が出てしまう。
傷に吸い付いたり、口を離してペロリと舐めとったりと燈矢は焦凍の反応を楽しんでいるようだった。
「んっ、」
長々と血を吸う燈矢は間違いなくワザとやっている。
焦凍の時間感覚は麻痺していたが10分以上経過しているように思う。
燈矢の口が離れた時にはもうぐったりとしていた。
「はあ、はあ……」
「あー、美味ぇ」
そう言ってペロリと自分の唇を舐める燈矢を見て焦凍は再びゾクッと身体を震わせた。
沢山吸われた所為で確実に血が足りていないのに、頭の中がぼんやりしているのに、もっとして欲しいと願ってしまう。
口にすることはないが顔には出てしまっているかもしれない。
「ククッ……お前って本当俺に食われるの好きな」
「……否定はしねぇけど」
「ついでにこういう時素直になるから可愛い」
「燈矢兄っていつも言わなくていいことまで言うよな」
はぁはぁ、と息を整えつつ言う焦凍の頭を燈矢はぽんぽんと優しく叩いた。
「まぁな。それより身体大丈夫か?久しぶりの食事だったから貰い過ぎたかもしんねぇ」
「んー……まぁ、大丈夫だと思う」
「嘘つくな。顔色良くねぇぞ」
言われて初めて思ったよりも頭がぼんやりしていることに気付く。
想像以上に体調は良くないらしい。
燈矢は焦凍を軽く持ち上げ、ベッドに横たわらせる。
「ありがとな」
「いや。……悪かった」
「やめろよ。俺は燈矢兄の役に立てるなら嬉しいと思ってるし、むしろ飲んでくれねぇ方が嫌だ」
「そうか。分かった。じゃ、これからも遠慮なく貰うぜ」
ちゅ、と焦凍の頬にキスをした燈矢は部屋を出て行った。
焦凍は額に手の甲を当てながら見送った後、目を閉じた。
燈矢に血を吸われることは気を失いそうなぐらい気持ちが良い。
その感覚が好きで何度も吸って欲しいと思ってしまう。
けれど多めに吸われれば今みたいにぼんやりとする。そして燈矢に心配を掛ける。
「……それは駄目なんだよな」
分かっている、そんなことは。
それでも快楽に溺れたくなる。2人で生きるようになってからずっとそうだ。
昔は焦凍以外にも複数の吸血鬼がいて、燈矢は色んな吸血鬼に血を分けて貰っていた。
本音を言えばその頃から嫉妬心を抱いていた。
(俺だけにしてくれればいいのに)
そう思い始めてから焦凍は闇堕ちしていった。
吸血鬼の血しか受け付けない燈矢なのだから自分以外の吸血鬼がいなくなればどうなるか──自ずと答えは見えてくる。
だから焦凍は自分たちの近くにいた吸血鬼を消すことにした。
吸血鬼の力が強くない焦凍が吸血鬼を殺すのは不可能のようにも思えたが、逆に吸血鬼の弱点を突くことが可能という意味でもあった。
力で吸血鬼を倒すのは難しい。
だから焦凍は頭を使った。
ほとんどの吸血鬼は太陽の光が苦手だ。
ならば光を作り出せばいい。
別に恨みなどなかった。ただ自分に歪んだ感情が渦巻いただけだ。
そして焦凍は少しずつ吸血鬼を消していった。
燈矢が眠っている時に、1人、2人と順番に。
自分たち以外の吸血鬼が滅んだのは100年程前だ。
それから100年間燈矢は焦凍の血だけを食糧に生きている。
自分は200年前から燈矢以外に興味がなく、燈矢に依存していた。
そして100年前から燈矢は自分に依存してくれるようになった。
その共依存のような関係が焦凍にとってすごく──心地良かった。
「何笑ってんだ?」
声を掛けられ、焦凍は目を開けた。
燈矢から差し出されたミネラルウォーターを受け取りながら答える。
「いや。幸せだなと思って」
「ふぅん。食われて痛ぇし血も足りねぇのに。やっぱりお前は俺のこと好き過ぎるよな」
「あぁ。本当にそう思う」
水を飲んでから燈矢の腕を引っ張る。
甘えるような焦凍の態度に燈矢はニイッと笑って乗ってきた。
寝転がる焦凍の隣に燈矢は肘をついて寝転がった。
距離が近くなったことに焦凍は心の中だけで喜ぶ。
燈矢が思っている以上に愛していることなどバラすつもりはない。
だから次に言われた燈矢の台詞に焦凍は言葉を失うしかなかった。

「知ってるぜ?お前が吸血鬼滅ぼしたことぐらい」

「何で……?」
燈矢にはバレていないと思っていた。
100年以上前から人間の所為で吸血鬼は少なくなり始めていたし、それに便乗するように少しずつ消していったのだ。
現にこの100年間燈矢はそんなこと気にした素振りもなかった。
『まぁ、人間と共存してくのも難しいしな。最近は夜も明るくて辛ぇし。吸血鬼が滅んでいくのも仕方ねぇか』
100年前、消えていった同族のことをそう言って軽く流していた。
それなのに本当は──気付いていたなんて。
「最初はお前の言う通りだと思ってた。実際、年を追うごとに吸血鬼の数は減少してたからな。人間が幅利かせてることも分かってたし。けどお前の気持ち考えてもしかしてって思い始めた」
燈矢は焦凍を責めた様子もなく続けた。
その顔には笑みさえ浮かんでいる。
「お前が俺のことどれだけ好きか分かってるつもりだ。だから焦凍、俺に自分だけを食わせる為にやったんだろ?」
「……」
「年々嫉妬深くなってることにも気付いてたぜ。それに関しては俺の方がお前のこと分かってるかもな」
「……何でずっと言わなかったのに今更言うんだ?」
気付いていたとはいえこれまで100年間言わなかったのだ。それなのに今言われる意味が分からなかった。
焦凍の問いに燈矢は「んー」と少し考えた素振りを見せてから言った。
「何となく。戻ってきたらお前がそのこと考えてそうだったからそろそろ驚かせてやろうかなって」
「そのこと考えてるってよく分かったな」
「お前は俺のこと好き過ぎて俺の気持ちが見えてねぇんだよ」
「え?……うわっ!」
突然身体の上に身体を乗せられ驚く焦凍の顎を掴み、燈矢はニイッと笑った。
その歪んだ笑みに焦凍はドキッとしてしまう。
視線が交わった瞬間、燈矢が言った。
「俺も焦凍と同じぐらい──愛してんだぜ?」
「んんっ!」
押し付けられた唇は強く、痛かった。
息が詰まる程激しいキスは十数秒続いて唐突に離された。
「んっ……はぁはぁ……」
「お前が同族を滅ぼしたこと、俺が知ったら幻滅するとでも思ったか?」
瞳を爛々と輝かせ、燈矢は笑った。
「んなわけねぇんだよ。昔から俺は別に2人きりでも構わねぇって思ってた。お前さえいればいいから」
「燈矢兄……」
燈矢の気持ちを全く理解していなかったのだと焦凍は思い知った。
自分の愛が一方的で、あまりにも重過ぎると思っていたから。
けれど現実はそうでもなかったらしい。
「もっと早く言っても良かったけど、俺たちは1000年先まで生きるんだ。これぐらいでちょうどいいだろ?」
「……あぁ、そうだな」
焦凍の上に乗ったまま燈矢は鋭い牙を見せて笑う。
「だからさ、この先も宜しくな……焦凍」
「宜しく、燈矢兄」
笑顔を見せた燈矢の唇に焦凍はキスをする。
思った以上に強いキスになったのは血が足りずに頭がぼんやりとしていた所為かもしれない。
きっと全部、その所為だ。
燈矢の口内に舌を入れたのも。
その舌で鋭い牙をなぞったのも。
「……んっ」
そんな声を漏らす燈矢は初めてで、焦凍は嬉しくなった。
こんなにも長い間一緒にいたのに知らないことがまだあるのだと。
唇を離して焦凍は言った。
「燈矢兄のこと、やっぱり大好きだ」
「俺も好きだぜ。お前と同じぐらいな」
薄暗い部屋の中、2人の吸血鬼は同じような笑みを浮かべたのだった。

──いつかこの世に2人きりになっても構わない。
だから一生、この日々が続きますように。
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