本編
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立春を迎えても空には冬雲が点々と浮かび、冷たい空気にまだ春の気配は混じらない。
お陰で送迎車から降りて5分も経たないというのに鼻先がツンと痛み出した。
腕時計の針は間もなく約束の時刻に辿り着くから門前のインターフォンを鳴らして問題無いタイミングだろう。
しかし右手は動かず、私は目の前にある『進藤』の表札に向き合っていた。
彼にまだ肝心の部分を秘しているせいだろう。一挙手一投足のすべてが鉛のように、ずんと重い。
今日、私は何も知らない少年の笑顔を濁らせるような真似をしてしまうかもしれない。
左手に下げた紙袋。それが指の腹にぎちりと食い込む痛みに集中して罪悪感を暈すことに意識を注いでみる。
(真弦?もう約束の刻限ではありませんか?)
暗雲立ち込める私の心に相反し、期待と歓喜を隠し切れない声色が左隣の彼女から流れてきた。
いつもは儚げな筈の横顔を伺うと、恋人に逢える事への高揚で何もかもが色付いている。
特に頬紅をのせたように上気した頬は、彼女が既に命無き者だと忘れてしまう程に瑞々しい。
千年の恋に無粋な言葉をかける程野暮ではないけれど、こちらの身にもなって欲しい。つい溜息が漏れた。
なのに憎めないのは、恋焦がれる潤んだ瞳が美しいからだろうか。
佐為の君と邂逅を果たしたあの日からふた月。壱が天へ上る事は無かった。
長年の悲願を遂げたというのに、今も目映い隣人は淡く佇んでいる。
勿論その理由を問うたが、彼女は申し訳なさそうに「わからない」と頭を垂れるだけ。今迄と変わらない日々が続いたまま今日に至る。
『呪い』は解けないのだろうか。
それとも何か足りないものがあるのか。
私は明日に繋がる道を選べているのか。
未だ誰にも吐露できぬ重圧がじわりじわりと胃を握り締める。
考えれば考えるほど沈む気持ちに蓋をして、長く躊躇っていた指先でようやくインターフォンに触れた。やけに慎重に押し込んだ気がする。
チャイム音から少しの間があって、スピーカーから僅かなノイズ音が走った。続いて「はい」と女性の声が続く。
「錫代真弦と申します。ヒカル君は御在宅でしょうか?」
13【彼女達のティータイム】
「お口に合うかしら……」
アールグレイのミルクティーから甘やかな芳香が漂う。
すっかり冷え切った肌には刺激の強い蒸気が立ち上り、紅茶を一口含むと同時に瞼が震えた。熱が喉から胸を通り、体が芯から温まっていく。
「とても、美味しいです」
「良かった。またいらっしゃるとの事だったからヒカルに好みを聞いたのだけども、紅茶とコーヒーどっちが好きかなんて知らないって言うものだから迷ってて。もう、あの子どこ行ってるのかしら!本当にごめんなさいね」
私をリビングへ迎えて入れてからというもの、ヒカルくんのお母様は息継ぎも疎らに早口で喋り続けている。明らかに落ち着かない様子が見て取れた。
こちらは至って友好的な態度で接しているつもりだけれど、それで丸く収まるほど彼女は楽観的な保護者では無いらしい。
当たり前か。
ヒカル君が私の事をどのように話したのか想像できないけれど、碁という唯一の接点だけでは素性の知れない年上の異性を「友達」と紹介されても保護者の立場上、すんなり納得はできないというものだ。
ならば自己開示する事から始めてみるべきだろうかと思い立ち、改めて名や年齢、学校名、出身や今の住まい等、つらつらと挙げ連ねてみた。
唐突過ぎた話題は彼女に面を食らわせてしまったようだったけれど、こちらの意図に気付いたのか進んで自己紹介を返してくれた。
「私は進藤美津子です。美しいに、さんずいの…津軽の津、子供の子で、美津子」
「凛とした響きの良いお名前ですね。美津子さんとお呼びしてもよろしいですか?」
「えっ、ええ、でも…なんだか照れるわ。ええと、私は──」
彼女の語る過ぎ来し方を傾聴し、私は丁寧な相槌を返した。
そうして言葉を重ねていくと、ヒカル君のお母様こと美津子さんの人となりが僅かながらも見えてくる。
真面目で保守的。温和で忍耐強い。
途中、美津子さんは謙遜のつもりか自身をごく普通の主婦と称したけれど、"普通"には並々ならぬ努力が必要であり、それこそが貴重なものだと知っていたから、気恥ずかしそうな微笑みに敬愛の念を抱く私が居た。
20分ほど過ごした頃には、はじめは年長者に相対するかのようだった美津子さんの遜った姿勢や語尾の堅さも落ち着き、幾分かリラックスした風に感じ取れた。
今後も顔を合わせるかもしれない訪問者側としては一安心。
その後の話題が何故かヒカル君の進路について流れ着いてしまったのは謎だけれど。
私がO高校だと知り、母親として受験や学習内容についてリサーチしたくなったというところだろうか。
「真弦さんはどんな風に勉強してた?迷惑でなかったら、ヒカルにアドバイスしてもらえないかしら」
美津子さん曰く、一人息子は無鉄砲で、奔放。ムラっ気があり、勉強には集中しない。
成績優秀になって欲しいなんて無茶を願いはしないけれど、4月から中学の勉強にきちんと付いていけるのか、いずれは来たる高校、大学受験にまともに臨めるのか、とのことだった。
「社会の成績だけはなんでか12月から急激に伸びたけど、他は相変わらずだし…」
のびのびやらせてやりたい気持ちと、先を見据えて行動することを学ばせたい気持ちに挟まれつつ日々過ごしていると吐き出して、彼女はテーブルの上で組まれた指に大きな溜息を落とした。
親でも無く、まして未成年の私が答えてよい問題なのか思案したが、ここまで聞いておいてお茶を濁すのも不誠実だろう。
一頻り相槌を返した後、正解がわからないなりに、彼女を傷付けない言葉を選び取りながら紡ぐ。
「美津子さんは…素敵なお母様ですね。不安を抱えながらヒカル君の意志を尊重していらっしゃる。大丈夫ですよ、なんて月並みですがヒカル君は自分の事は自分で決められる子だと感じます。目標を見つければ努力を重ねていけますよ」
「そう、かしら……」
「出会って間もない間柄ですが、私にはそう見えます。それはきっと美津子さんが見守ってあげていたからこそ培われた部分だと思いますよ。勿論、ご不安なら私の出来る範囲で協力は惜しみませんから」
「どうもありがとう…なんだかごめんなさいね、真弦さんが聴き上手だからつい甘えちゃって。良い歳して恥ずかしい」
「とんでもない。私なんかがお役に立てるなら、それはとても嬉しい事です」
「あの子私の話なんて聞きやしないから、真弦さんから上手く伝えてくれると助かるわ」
頬に手を当て、美津子さんは再びありがとうと繰り返してくれる。
人生経験の乏しい立場から語れる言葉は多くない。けれど少しでも『母』として悩む彼女の心が晴れる返答になっていれば良いと願う。
母親とはこうやって杞憂を繰り返し、子供が痛い目に遭わぬよう少しでも障害を取り除いてやりたい生き物なのだだろう。
それが子供の為になるか否かは誰にもわからないけれど、子供の未来が輝くものであるようにと常に願っている。
それは母の記憶が日毎薄らいでゆく私にとって、とても尊く、眩しい。
この気持ちが何なのか、知りたくなくて目を伏せる。
「あ〜さみぃっ!」
玄関から響いた煩雑な開閉音と快活な声。反射的に顔を上げると、黙りこくっていた壱が目をきらきらと瞬かせるのが見えた。
「あっ!帰ってきたかしら。ヒカルーっ?」
立ち上がった美津子さんが声を投げると、気怠げな少年の声がドアの向こうから返って来た。
これはひょっとしなくても約束を忘れられている。
聞こえてくる暢気な返答には、最早呆れを通り越して笑いが漏れてしまう。
お陰であれほど緊張してやってきた自分がなんだか馬鹿馬鹿しく、背負っていた重みが軽くなったのは現金過ぎるだろうか。
そんな私の胸中を知る事もなく、美津子さんはすまなそうに目礼すると、小走りでフローリングを駆けて行く。
「本当にごめんなさい。今呼んでくるわ」
パタンとドアが閉じた直後、扉の向こうでヒカル君を叱る美津子さんの一声に肩が震えたのは黙っておこう。
母子のやりとりはリビングまで筒抜けで、ストレートに交わされる応酬に吹き出しそうになった。
ちなみに、予想通りヒカル君は約束を忘れて漫画を買いに出掛けていたらしい。
「だいたいお客さんが来るのをどうしてお母さんに教えないの?この間送って頂いた御礼だって用意したかったのに!」
「いちいち言わなくてもいーじゃん!あかりが来る時だってそうだし。見栄張らなくてもじーちゃんから貰った煎餅あげれば?」
「もおーー!幼馴染のあかりちゃんと真弦さんじゃ全然違うでしょう!」
ヒートアップしてしまっている美津子さんの声から察するに話はまだ終わらないだろうと再びティーカップに手を掛けて、鎮火を待つ事にする。
ひとりきりのリビング。無作法ながら改めて室内をぐるりと見渡すと、進藤家の空気がそこかしこに漂っていた。
棚に飾られた家族写真、子供向けと邦画・洋画が混在するビデオ棚、窓辺の青々とした観葉植物。レースカーテンの向こうで庭に揺れる家族の洗濯物。
温かさと生活が視界に溢れる。
嗚呼、この家には団欒があるのだ。
胸にこみ上げたものを温くなったお茶で流し込んだ頃、ドアの隙間からすまなさそうに顔を出したヒカル君と目が合った。
彼を責める気は毛頭無かったのに、叱られてへの字を描く口元に反し、小動物のようにしょんぼりした目があんまり可笑しくて、私はわざとらしく腕組みして片眉を上げて見せた。
「もう会えないかと思ったよ、ヒカル君?」
【彼女達のティータイム】
お陰で送迎車から降りて5分も経たないというのに鼻先がツンと痛み出した。
腕時計の針は間もなく約束の時刻に辿り着くから門前のインターフォンを鳴らして問題無いタイミングだろう。
しかし右手は動かず、私は目の前にある『進藤』の表札に向き合っていた。
彼にまだ肝心の部分を秘しているせいだろう。一挙手一投足のすべてが鉛のように、ずんと重い。
今日、私は何も知らない少年の笑顔を濁らせるような真似をしてしまうかもしれない。
左手に下げた紙袋。それが指の腹にぎちりと食い込む痛みに集中して罪悪感を暈すことに意識を注いでみる。
(真弦?もう約束の刻限ではありませんか?)
暗雲立ち込める私の心に相反し、期待と歓喜を隠し切れない声色が左隣の彼女から流れてきた。
いつもは儚げな筈の横顔を伺うと、恋人に逢える事への高揚で何もかもが色付いている。
特に頬紅をのせたように上気した頬は、彼女が既に命無き者だと忘れてしまう程に瑞々しい。
千年の恋に無粋な言葉をかける程野暮ではないけれど、こちらの身にもなって欲しい。つい溜息が漏れた。
なのに憎めないのは、恋焦がれる潤んだ瞳が美しいからだろうか。
佐為の君と邂逅を果たしたあの日からふた月。壱が天へ上る事は無かった。
長年の悲願を遂げたというのに、今も目映い隣人は淡く佇んでいる。
勿論その理由を問うたが、彼女は申し訳なさそうに「わからない」と頭を垂れるだけ。今迄と変わらない日々が続いたまま今日に至る。
『呪い』は解けないのだろうか。
それとも何か足りないものがあるのか。
私は明日に繋がる道を選べているのか。
未だ誰にも吐露できぬ重圧がじわりじわりと胃を握り締める。
考えれば考えるほど沈む気持ちに蓋をして、長く躊躇っていた指先でようやくインターフォンに触れた。やけに慎重に押し込んだ気がする。
チャイム音から少しの間があって、スピーカーから僅かなノイズ音が走った。続いて「はい」と女性の声が続く。
「錫代真弦と申します。ヒカル君は御在宅でしょうか?」
13【彼女達のティータイム】
「お口に合うかしら……」
アールグレイのミルクティーから甘やかな芳香が漂う。
すっかり冷え切った肌には刺激の強い蒸気が立ち上り、紅茶を一口含むと同時に瞼が震えた。熱が喉から胸を通り、体が芯から温まっていく。
「とても、美味しいです」
「良かった。またいらっしゃるとの事だったからヒカルに好みを聞いたのだけども、紅茶とコーヒーどっちが好きかなんて知らないって言うものだから迷ってて。もう、あの子どこ行ってるのかしら!本当にごめんなさいね」
私をリビングへ迎えて入れてからというもの、ヒカルくんのお母様は息継ぎも疎らに早口で喋り続けている。明らかに落ち着かない様子が見て取れた。
こちらは至って友好的な態度で接しているつもりだけれど、それで丸く収まるほど彼女は楽観的な保護者では無いらしい。
当たり前か。
ヒカル君が私の事をどのように話したのか想像できないけれど、碁という唯一の接点だけでは素性の知れない年上の異性を「友達」と紹介されても保護者の立場上、すんなり納得はできないというものだ。
ならば自己開示する事から始めてみるべきだろうかと思い立ち、改めて名や年齢、学校名、出身や今の住まい等、つらつらと挙げ連ねてみた。
唐突過ぎた話題は彼女に面を食らわせてしまったようだったけれど、こちらの意図に気付いたのか進んで自己紹介を返してくれた。
「私は進藤美津子です。美しいに、さんずいの…津軽の津、子供の子で、美津子」
「凛とした響きの良いお名前ですね。美津子さんとお呼びしてもよろしいですか?」
「えっ、ええ、でも…なんだか照れるわ。ええと、私は──」
彼女の語る過ぎ来し方を傾聴し、私は丁寧な相槌を返した。
そうして言葉を重ねていくと、ヒカル君のお母様こと美津子さんの人となりが僅かながらも見えてくる。
真面目で保守的。温和で忍耐強い。
途中、美津子さんは謙遜のつもりか自身をごく普通の主婦と称したけれど、"普通"には並々ならぬ努力が必要であり、それこそが貴重なものだと知っていたから、気恥ずかしそうな微笑みに敬愛の念を抱く私が居た。
20分ほど過ごした頃には、はじめは年長者に相対するかのようだった美津子さんの遜った姿勢や語尾の堅さも落ち着き、幾分かリラックスした風に感じ取れた。
今後も顔を合わせるかもしれない訪問者側としては一安心。
その後の話題が何故かヒカル君の進路について流れ着いてしまったのは謎だけれど。
私がO高校だと知り、母親として受験や学習内容についてリサーチしたくなったというところだろうか。
「真弦さんはどんな風に勉強してた?迷惑でなかったら、ヒカルにアドバイスしてもらえないかしら」
美津子さん曰く、一人息子は無鉄砲で、奔放。ムラっ気があり、勉強には集中しない。
成績優秀になって欲しいなんて無茶を願いはしないけれど、4月から中学の勉強にきちんと付いていけるのか、いずれは来たる高校、大学受験にまともに臨めるのか、とのことだった。
「社会の成績だけはなんでか12月から急激に伸びたけど、他は相変わらずだし…」
のびのびやらせてやりたい気持ちと、先を見据えて行動することを学ばせたい気持ちに挟まれつつ日々過ごしていると吐き出して、彼女はテーブルの上で組まれた指に大きな溜息を落とした。
親でも無く、まして未成年の私が答えてよい問題なのか思案したが、ここまで聞いておいてお茶を濁すのも不誠実だろう。
一頻り相槌を返した後、正解がわからないなりに、彼女を傷付けない言葉を選び取りながら紡ぐ。
「美津子さんは…素敵なお母様ですね。不安を抱えながらヒカル君の意志を尊重していらっしゃる。大丈夫ですよ、なんて月並みですがヒカル君は自分の事は自分で決められる子だと感じます。目標を見つければ努力を重ねていけますよ」
「そう、かしら……」
「出会って間もない間柄ですが、私にはそう見えます。それはきっと美津子さんが見守ってあげていたからこそ培われた部分だと思いますよ。勿論、ご不安なら私の出来る範囲で協力は惜しみませんから」
「どうもありがとう…なんだかごめんなさいね、真弦さんが聴き上手だからつい甘えちゃって。良い歳して恥ずかしい」
「とんでもない。私なんかがお役に立てるなら、それはとても嬉しい事です」
「あの子私の話なんて聞きやしないから、真弦さんから上手く伝えてくれると助かるわ」
頬に手を当て、美津子さんは再びありがとうと繰り返してくれる。
人生経験の乏しい立場から語れる言葉は多くない。けれど少しでも『母』として悩む彼女の心が晴れる返答になっていれば良いと願う。
母親とはこうやって杞憂を繰り返し、子供が痛い目に遭わぬよう少しでも障害を取り除いてやりたい生き物なのだだろう。
それが子供の為になるか否かは誰にもわからないけれど、子供の未来が輝くものであるようにと常に願っている。
それは母の記憶が日毎薄らいでゆく私にとって、とても尊く、眩しい。
この気持ちが何なのか、知りたくなくて目を伏せる。
「あ〜さみぃっ!」
玄関から響いた煩雑な開閉音と快活な声。反射的に顔を上げると、黙りこくっていた壱が目をきらきらと瞬かせるのが見えた。
「あっ!帰ってきたかしら。ヒカルーっ?」
立ち上がった美津子さんが声を投げると、気怠げな少年の声がドアの向こうから返って来た。
これはひょっとしなくても約束を忘れられている。
聞こえてくる暢気な返答には、最早呆れを通り越して笑いが漏れてしまう。
お陰であれほど緊張してやってきた自分がなんだか馬鹿馬鹿しく、背負っていた重みが軽くなったのは現金過ぎるだろうか。
そんな私の胸中を知る事もなく、美津子さんはすまなそうに目礼すると、小走りでフローリングを駆けて行く。
「本当にごめんなさい。今呼んでくるわ」
パタンとドアが閉じた直後、扉の向こうでヒカル君を叱る美津子さんの一声に肩が震えたのは黙っておこう。
母子のやりとりはリビングまで筒抜けで、ストレートに交わされる応酬に吹き出しそうになった。
ちなみに、予想通りヒカル君は約束を忘れて漫画を買いに出掛けていたらしい。
「だいたいお客さんが来るのをどうしてお母さんに教えないの?この間送って頂いた御礼だって用意したかったのに!」
「いちいち言わなくてもいーじゃん!あかりが来る時だってそうだし。見栄張らなくてもじーちゃんから貰った煎餅あげれば?」
「もおーー!幼馴染のあかりちゃんと真弦さんじゃ全然違うでしょう!」
ヒートアップしてしまっている美津子さんの声から察するに話はまだ終わらないだろうと再びティーカップに手を掛けて、鎮火を待つ事にする。
ひとりきりのリビング。無作法ながら改めて室内をぐるりと見渡すと、進藤家の空気がそこかしこに漂っていた。
棚に飾られた家族写真、子供向けと邦画・洋画が混在するビデオ棚、窓辺の青々とした観葉植物。レースカーテンの向こうで庭に揺れる家族の洗濯物。
温かさと生活が視界に溢れる。
嗚呼、この家には団欒があるのだ。
胸にこみ上げたものを温くなったお茶で流し込んだ頃、ドアの隙間からすまなさそうに顔を出したヒカル君と目が合った。
彼を責める気は毛頭無かったのに、叱られてへの字を描く口元に反し、小動物のようにしょんぼりした目があんまり可笑しくて、私はわざとらしく腕組みして片眉を上げて見せた。
「もう会えないかと思ったよ、ヒカル君?」
【彼女達のティータイム】