本編
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かの人物がこども囲碁大会のチラシを受け取っていた事を市河さんのメールで知らされた私達は、来たるイベント当日に備えて計画を立てる事にした。
まずはソファに深く腰掛けて深呼吸し、壱をぬか喜びをさせないよう釘を刺す事にする。
敢えて言葉にする事で自分自身にも"解らせて"おきたかった。
「いい?その日に『進藤ヒカル』君が必ず来るとは限らない…これだけは念頭に置いてね壱」
(勿論です。けれど、佐為の君はよく童を可愛がる温和な方でしたから…そのような催しがあると知れば、必ず行きたいとヒカル君に進言する筈です)
「そう…わかった。私は私で期待を裏切らないよう精一杯努めるからね」
開催場所は勝手知ったる日本棋院。
先日のアキラ君との一局が初めての対局だったなら彼が棋院を訪れた事などはまず無いと言えるだろう。
地の利はこちらにある。
「今度こそ絶対見つけてみせる…進藤ヒカル君」
09【備えあれど憂あり】
まず思い至ったのは、普段通りの自分が乗り込んだのではプロとして注目を浴びてしまうし、運営に関わる棋士達にも声を掛けられてしまう。
もしもそのタイミングでターゲットを見失いでもしたら悔やんでも悔やみきれない。
当日は目立たず、一般観覧客を装うのが最も効率的に『進藤ヒカル』を探す事に集中できるだろう。
(あの…そんな事ができるのですか?碁を嗜む者達の間では真弦は有名人なのでしょう?)
首を傾げた壱は心なしかソワソワして見える。
1000年恋い焦がれた人との再会に光明が見えたとあれば、浮き足立つのは当然だろう。
今朝調達してきた紙袋の中身を覗き込み、これが、作戦に必要なものなのですね…!?と好奇心たっぷりの眼で壱は呟いた。
昔は泣いてばかりだったのに、今は悲哀を孕む表情はどこにもない。その明るさに生前の彼女を見たような気がして私の胸はじんわりと温められる。
「ようは私だとわからなければいいの。というわけで!初めて買ってきてみたわ…私の世代向けファッション誌…!!」
紙袋から一挙に取り出したそれらをローテーブルにずらりと広げる。
雑誌によってファッションの傾向が大きく異なる旨を友人から教えられたものの、同年代の正しいオシャレは知らないので書店に並んでいたものはひととおり購入してみた。
ほうほうと中身を見つめる壱を真似て私もひとつ手に取ってぱらぱらとページをめくってみる。そこには見た事の無い文言が所狭しと並んでいた。
すべて日本語表記だけれど、うん、率直に言ってよく解らない。
情報量の多さに目を回していると壱が瞳を輝かせながら覗き込んでくる。
(こういう型が現代の…なるほど…確かにここに載っている女子達は普段の真弦とは随分装いが異なりますね?)
「うちは両親共にカジュアルな服を着るって習慣が無かったから…私も自然とこういう服しか手に取る機会が無くって…」
今着ている膝丈のAラインワンピースを含め、私のクローゼットには落ち着いたセミフォーマル寄りの服がズラリと詰まっている。
女子高生が着るには些か保守的過ぎる自覚はあったが、つい似たタイプの物ばかり選んでしまう。
(いつもの召物も似合っていますが、真弦はもっと華やかな色合いの着物を選んでも良いと思いますよ。平安の時代と比べるのもおかしいかもしれませんが、いつも白や黒、紺など…季節感や若々しさに欠けるような…)
「急に痛い所を…。ピ…ピンクとか恥ずかしくって着られないんだもの」
(まあ!乙女が桃色を避けて通るなど勿体無いことです。ほら、ここに載っている装いなんてどうですか?)
「こっ…こんなフリフリしたのは私には…というか変装なのだから、目立たないようシンプルに!しましょう!!」
脱線しかけた流れを断ち切るため遮るようにページを閉じた。
名残惜しそうに表紙達を見つめる壱。
生前、平安貴族だった彼女は季節や行事に相応しい襲色目を試行錯誤し、その鮮やかさ、風流さを女官達と楽しんだという。
思い出を楽しげに語る壱の横顔は瑞々しく、美しかった。
こんな会話を彼女とするのは初めてで、気を引き締めなければならないと思う反面、どうしても笑みがこぼれる。
佐為の君を探し始めて6年…今迄手掛かりひとつ無かった私達にとって大きな転機だったから。
当日、私達は開場2時間前から棋院の正面玄関脇に控えていた。
出入りする子どもをしらみ潰しに確認し、ターゲットを待つ。
市河さんから聞いた通り個性的な髪色の男の子なら、これで見逃す事はない。
今回のイベント運営に塔矢一門も関わっている事を予め知っていたから、キャップを目深に被り、長い髪は結んで中へ入れ込んでおく。
用心を重ねて伊達眼鏡も追加してみた。
ファッションは自主的には絶対に袖を通さないビッグシルエットのパーカーにスキニーパンツ、ハイカットスニーカーという思い切りラフな服装で統一し、身内でも絶対に私だとはわからない姿を演出した
が
「真弦……?何してるんだ」
イベント開始まで30分を切った頃だった。
慣れた声が後方から聞こえて背中が反射的に丸まる。
覚えのある足音がコツコツと近付いてくる。
ふと風に漂う煙草の香り。
緊張が走る中、急拵えのワントーン低い声色、不慣れな口調を使って抗う事を試みる。
他人のフリ作戦、開始。
「人違いじゃない?…あ…あたし鈴木ですけどぉ…?」
半身だけ振り向くのが限界だった。
泳ぎそうになる視線を隠したくて顔を明後日な方へ向けてしまう。
付け焼き刃な恰好に自信は持てないが、こんな序盤で努力を水の泡にしたくない。
けれど…
うん、そうだった。
この男はとんでもなく勘が良いのだ。
「いや、何言ってるんだ。わざわざ来るなら運営の手伝いに参加すれば良かったろう」
「……だから、鈴木ですってば!」
「往生際の悪い奴だな、お前の手足の長さは一般人の中じゃ浮くんだよ」
緒方精次は呆れたように言い放ち、ぎらりと眼鏡の奥を光らせた。
なんなんだろうその理由は…。
相変わらず派手な白スーツを皺一つなく着こなしている兄弟子は腕組みし、最後のニラミを効かせて来た。
駄目だ、これ以上の誤魔化しは通用しない。
私は溜息と共に肩をがっくりと落とした。
「……わざわざ着ない服まで用意したのに…」
「確かに似合ってないな」
「自覚してますけどそうハッキリ言われると傷付くんですが…」
「はは、悪かった。しかしこれだけ雰囲気が違えば俺じゃなければ騙されてるな」
「と、とにかく!今日は私どうしても個人的に大会を見て回りたいのでこの事は他言無用でお願いします!」
「…まあいいだろう、俺がケチをつける話でも無いしな」
緒方さんはふむ、と納得したように頷く。
珍しく物分かりの良い姿に安堵したのも束の間、大きな手が伸びて来たかと思ったら、突然目の前が真っ暗になった。
キャップのつばをぐいと引き下げられたのだ。
伴って眼鏡もずれ、視界の暗さに慌てて身なりを整え直す。
キャップに詰め込んでいた髪もぴょんと飛び出してしまったじゃないか。
「あっ!ちょっ…いきなりなんなんですか!」
私が眼鏡を掛け直して顔を上げる頃には影は既に数歩先に逃れていた。
からかい好きの白スーツは後ろ手を振って去っていく。
「その眼鏡は悪くないかもな」
「もうっ!緒方さん!」
「貸しひとつ、だぞ」
不穏な言葉を残し、広い背中は正面玄関の向こうへ消えていく。
緒方さんに"貸し"って怖過ぎる…。
文句を言いそびれた不満でへの字口になるが、一先ず緒方さんが私の事を誰かに広める事は無いだろう(と信じたい)
注意が逸れていた僅かな時間の間に数名の視認を逃してしまったけれど…
(大丈夫ですよ、わたくししっかり見ていましたがそれらしい少年は現れていません)
(良かった、ありがとう)
壱のフォローにホッと胸を撫で下ろす。
腕時計を見ると後15分足らずで大会のスタートだ。
この時間にもなると正面玄関は応援にやってきたであろう父兄で賑わい出す。
考えてみれば『進藤ヒカル』は大会参加者ではないのだから開会時から来るつもりは無いのかもしれない。
…となると、対局会場内や閉会後の退出まで気を配る必要がある。
(人数はそこまでじゃないからすぐ気付けるとは思うけど……)
僅かな不安に小さく唸ると、壱が顔を覗き込んでくる。
きらきらと輝く瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
(一緒にヒカル君を見つけましょうね!真弦!)
(…うん)
そうだ、弱気になっている場合じゃない。
私達の悲願を遂げる為、必ず彼を見つけてみせる。何より、この笑顔が再び曇るのを見たくはない。
すっかり冷え切った指先を擦り合わせながら私達は大会会場の貸室へ向かった。
【備えあれど憂あり】
まずはソファに深く腰掛けて深呼吸し、壱をぬか喜びをさせないよう釘を刺す事にする。
敢えて言葉にする事で自分自身にも"解らせて"おきたかった。
「いい?その日に『進藤ヒカル』君が必ず来るとは限らない…これだけは念頭に置いてね壱」
(勿論です。けれど、佐為の君はよく童を可愛がる温和な方でしたから…そのような催しがあると知れば、必ず行きたいとヒカル君に進言する筈です)
「そう…わかった。私は私で期待を裏切らないよう精一杯努めるからね」
開催場所は勝手知ったる日本棋院。
先日のアキラ君との一局が初めての対局だったなら彼が棋院を訪れた事などはまず無いと言えるだろう。
地の利はこちらにある。
「今度こそ絶対見つけてみせる…進藤ヒカル君」
09【備えあれど憂あり】
まず思い至ったのは、普段通りの自分が乗り込んだのではプロとして注目を浴びてしまうし、運営に関わる棋士達にも声を掛けられてしまう。
もしもそのタイミングでターゲットを見失いでもしたら悔やんでも悔やみきれない。
当日は目立たず、一般観覧客を装うのが最も効率的に『進藤ヒカル』を探す事に集中できるだろう。
(あの…そんな事ができるのですか?碁を嗜む者達の間では真弦は有名人なのでしょう?)
首を傾げた壱は心なしかソワソワして見える。
1000年恋い焦がれた人との再会に光明が見えたとあれば、浮き足立つのは当然だろう。
今朝調達してきた紙袋の中身を覗き込み、これが、作戦に必要なものなのですね…!?と好奇心たっぷりの眼で壱は呟いた。
昔は泣いてばかりだったのに、今は悲哀を孕む表情はどこにもない。その明るさに生前の彼女を見たような気がして私の胸はじんわりと温められる。
「ようは私だとわからなければいいの。というわけで!初めて買ってきてみたわ…私の世代向けファッション誌…!!」
紙袋から一挙に取り出したそれらをローテーブルにずらりと広げる。
雑誌によってファッションの傾向が大きく異なる旨を友人から教えられたものの、同年代の正しいオシャレは知らないので書店に並んでいたものはひととおり購入してみた。
ほうほうと中身を見つめる壱を真似て私もひとつ手に取ってぱらぱらとページをめくってみる。そこには見た事の無い文言が所狭しと並んでいた。
すべて日本語表記だけれど、うん、率直に言ってよく解らない。
情報量の多さに目を回していると壱が瞳を輝かせながら覗き込んでくる。
(こういう型が現代の…なるほど…確かにここに載っている女子達は普段の真弦とは随分装いが異なりますね?)
「うちは両親共にカジュアルな服を着るって習慣が無かったから…私も自然とこういう服しか手に取る機会が無くって…」
今着ている膝丈のAラインワンピースを含め、私のクローゼットには落ち着いたセミフォーマル寄りの服がズラリと詰まっている。
女子高生が着るには些か保守的過ぎる自覚はあったが、つい似たタイプの物ばかり選んでしまう。
(いつもの召物も似合っていますが、真弦はもっと華やかな色合いの着物を選んでも良いと思いますよ。平安の時代と比べるのもおかしいかもしれませんが、いつも白や黒、紺など…季節感や若々しさに欠けるような…)
「急に痛い所を…。ピ…ピンクとか恥ずかしくって着られないんだもの」
(まあ!乙女が桃色を避けて通るなど勿体無いことです。ほら、ここに載っている装いなんてどうですか?)
「こっ…こんなフリフリしたのは私には…というか変装なのだから、目立たないようシンプルに!しましょう!!」
脱線しかけた流れを断ち切るため遮るようにページを閉じた。
名残惜しそうに表紙達を見つめる壱。
生前、平安貴族だった彼女は季節や行事に相応しい襲色目を試行錯誤し、その鮮やかさ、風流さを女官達と楽しんだという。
思い出を楽しげに語る壱の横顔は瑞々しく、美しかった。
こんな会話を彼女とするのは初めてで、気を引き締めなければならないと思う反面、どうしても笑みがこぼれる。
佐為の君を探し始めて6年…今迄手掛かりひとつ無かった私達にとって大きな転機だったから。
当日、私達は開場2時間前から棋院の正面玄関脇に控えていた。
出入りする子どもをしらみ潰しに確認し、ターゲットを待つ。
市河さんから聞いた通り個性的な髪色の男の子なら、これで見逃す事はない。
今回のイベント運営に塔矢一門も関わっている事を予め知っていたから、キャップを目深に被り、長い髪は結んで中へ入れ込んでおく。
用心を重ねて伊達眼鏡も追加してみた。
ファッションは自主的には絶対に袖を通さないビッグシルエットのパーカーにスキニーパンツ、ハイカットスニーカーという思い切りラフな服装で統一し、身内でも絶対に私だとはわからない姿を演出した
が
「真弦……?何してるんだ」
イベント開始まで30分を切った頃だった。
慣れた声が後方から聞こえて背中が反射的に丸まる。
覚えのある足音がコツコツと近付いてくる。
ふと風に漂う煙草の香り。
緊張が走る中、急拵えのワントーン低い声色、不慣れな口調を使って抗う事を試みる。
他人のフリ作戦、開始。
「人違いじゃない?…あ…あたし鈴木ですけどぉ…?」
半身だけ振り向くのが限界だった。
泳ぎそうになる視線を隠したくて顔を明後日な方へ向けてしまう。
付け焼き刃な恰好に自信は持てないが、こんな序盤で努力を水の泡にしたくない。
けれど…
うん、そうだった。
この男はとんでもなく勘が良いのだ。
「いや、何言ってるんだ。わざわざ来るなら運営の手伝いに参加すれば良かったろう」
「……だから、鈴木ですってば!」
「往生際の悪い奴だな、お前の手足の長さは一般人の中じゃ浮くんだよ」
緒方精次は呆れたように言い放ち、ぎらりと眼鏡の奥を光らせた。
なんなんだろうその理由は…。
相変わらず派手な白スーツを皺一つなく着こなしている兄弟子は腕組みし、最後のニラミを効かせて来た。
駄目だ、これ以上の誤魔化しは通用しない。
私は溜息と共に肩をがっくりと落とした。
「……わざわざ着ない服まで用意したのに…」
「確かに似合ってないな」
「自覚してますけどそうハッキリ言われると傷付くんですが…」
「はは、悪かった。しかしこれだけ雰囲気が違えば俺じゃなければ騙されてるな」
「と、とにかく!今日は私どうしても個人的に大会を見て回りたいのでこの事は他言無用でお願いします!」
「…まあいいだろう、俺がケチをつける話でも無いしな」
緒方さんはふむ、と納得したように頷く。
珍しく物分かりの良い姿に安堵したのも束の間、大きな手が伸びて来たかと思ったら、突然目の前が真っ暗になった。
キャップのつばをぐいと引き下げられたのだ。
伴って眼鏡もずれ、視界の暗さに慌てて身なりを整え直す。
キャップに詰め込んでいた髪もぴょんと飛び出してしまったじゃないか。
「あっ!ちょっ…いきなりなんなんですか!」
私が眼鏡を掛け直して顔を上げる頃には影は既に数歩先に逃れていた。
からかい好きの白スーツは後ろ手を振って去っていく。
「その眼鏡は悪くないかもな」
「もうっ!緒方さん!」
「貸しひとつ、だぞ」
不穏な言葉を残し、広い背中は正面玄関の向こうへ消えていく。
緒方さんに"貸し"って怖過ぎる…。
文句を言いそびれた不満でへの字口になるが、一先ず緒方さんが私の事を誰かに広める事は無いだろう(と信じたい)
注意が逸れていた僅かな時間の間に数名の視認を逃してしまったけれど…
(大丈夫ですよ、わたくししっかり見ていましたがそれらしい少年は現れていません)
(良かった、ありがとう)
壱のフォローにホッと胸を撫で下ろす。
腕時計を見ると後15分足らずで大会のスタートだ。
この時間にもなると正面玄関は応援にやってきたであろう父兄で賑わい出す。
考えてみれば『進藤ヒカル』は大会参加者ではないのだから開会時から来るつもりは無いのかもしれない。
…となると、対局会場内や閉会後の退出まで気を配る必要がある。
(人数はそこまでじゃないからすぐ気付けるとは思うけど……)
僅かな不安に小さく唸ると、壱が顔を覗き込んでくる。
きらきらと輝く瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
(一緒にヒカル君を見つけましょうね!真弦!)
(…うん)
そうだ、弱気になっている場合じゃない。
私達の悲願を遂げる為、必ず彼を見つけてみせる。何より、この笑顔が再び曇るのを見たくはない。
すっかり冷え切った指先を擦り合わせながら私達は大会会場の貸室へ向かった。
【備えあれど憂あり】