番外編
name guide
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
日曜の午後、自宅に来客があった。
部屋で詰碁を楽しんだ後、指導碁をしてもらいたくて1階へ降りると父が見当たらない。
玄関を確認すると父の草履は残っている。
不在ではないことに安堵したのも束の間、見慣れない靴に気がついた。
形からして女の子のものなのは間違いない。
門下の人以外が訪ねて来るなんて久しぶりだ。
【いつかボクの隣で】
台所では母が普段は買わないケーキを鼻歌交じりに皿へ盛り付けていた。
ボクは緑茶とは違う嗅ぎ慣れないお茶の香りに鼻をスンと鳴らす。
「おかあさん?」
「ああ、アキラさん。真弦ちゃんにお茶を出したら貴方の分も用意しますからね」
「真弦ちゃん…?」
それが客人の名前らしい。
母曰く、父に弟子入りするためやってきたという。
男所帯の塔矢門下にもとうとう可愛い女の子が来てくれた!なんて嬉しそうにしている。
「ええ、6年生のおねえさんよ。仲良くしてもらえるといいわね」
滅多なことでは弟子を増やさない父が"子ども"を認めたとなるともう居ても立っても居られない。
周りの大人達はボクに敵う子どもなんて居やしないと笑うけれどそれじゃなんだか物足りない。
昔、父は碁を愛する才能がボクにはあると言ってくれた。
ならばボクより碁の才能に溢れる人もどこかにいるのかもしれない。
父はその可能性を『真弦ちゃん』に見出したのだろうか。
高まる期待を抑えれず、じっとできない足はお茶を運ぶ母の背にひっそり続いて廊下を進む。
「あなた、お茶をお持ちしましたよ」
「ああ」
父の声を待って母がすらりと客間の障子を開ける。
母と障子の隙間からひょっこりと室内を盗み見ると、そこに『真弦ちゃん』は居た。
窓から射すおひさまが天使の輪っかを長い髪に載せている。
まっすぐな背筋はこちらへゆったり振り向いた。
母の背に隠れている影に気がついたのか、日陰にひっそりと咲く花のような微笑みを向けてくれる。
その姿があまりに綺麗で、気恥ずかしさを抱えたボクは一歩後退った。
「奥様、お気遣いありがとうございます」
「いやだわ、気軽に明子って呼んでちょうだい。私、娘が出来たみたいで真弦ちゃんが来てくれたのがとても嬉しいの」
「そんな風に言っていただけて私も嬉しいです…えっと、明子さん」
はしゃぐ母に対し、ほんのり頬を染めて『真弦ちゃん』は相槌を打っている。
今迄会った事のある女の子達よりも随分と静かで儚げな佇まいが印象的な女の子だ。
(どんな人なのかな、ボクと碁を打ってくれるかな)
どきどきと想像を膨らませ、落ち着かないままに母が下がってくるのを黙って待っていると襖越しに父から呼びつけられた。
「アキラ、入って来なさい」
覗いていた事を叱られてしまうかと肩が跳ねる。
おずおずと顔を出し、客間の2人に向かって背筋を正す。
見慣れぬ瞳がボクを見つめたせいか、急に喉が渇く気がした。
「こんにちは、はじめまして塔矢アキラです」
「はじめまして、錫代真弦です」
「息子だ。8歳になる。以前話したが、迷惑でなければ手の空いた時に打ってやって欲しいんだ。親の立場から言うのも何だが、アキラには同年代に競い合えるような子がいなくてね……」
正座する父の隣へ進むと大きな手が頭へ伸びてきて緊張を解いてくれる。
ボクの事を誇ってくれているのが伝わり、むず痒くも頬がちょっぴり緩んだ。
『真弦ちゃん』はそんなボクらを見てまた微笑む。
「勿論です。アキラくん良かったら私と打ってくれるかな?」
「はい、おねがいします。あのっ、いまからうちますか?」
ちらと横目で父の顔を伺うと、構わないと頷いてくれた。
嬉しくて早速ボクは碁盤の前へ膝を落とす。
「あらあら、アキラさんたら碁の事になるとせっかちなんだから。じゃ、貴方のお茶もこちらへ運んできますからね」
くすりと笑みを残した母は襖の向こうへ消え、足音が遠ざかっていく。
年上の人達と対局をするのは慣れているけれど、同じ「子ども」の女の子と打つのは久しぶりのことだ。
「えっと…たがいせんでいいですか?」
「アキラ、真弦君は」
「いえ、先生。初めてだものね。互先で打ちましょう?お願いします」
ボクは父が制した意味を対局中理解することになる。
"錫代真弦"はそれ程の打ち手だということを。
「おねがします」
勿論、身の丈を知らず彼女に挑んだボクは惨敗した。
慣れない打ち筋にドキドキしてワクワクして、また打ってもらう約束をゆびきりで交わす。
「ボク、つぎはもっとつよくなってるから。真弦さんにかてるようにべんきょうします」
「うん、私も負けないように努力するね。今日はありがとうアキラくん」
夜、電気を消して布団に潜り込むとボクは最後に重ね合った小指をじっと見つめていた。
「はやく…はやくうちたいな」
高鳴る胸がボクに新しい目標を灯す。
手加減しなくていい、悔しいと思える相手。
ボクの碁の世界はもっと広がる、その歓びが全身に満ちていく。
でも、それだけじゃない。
父にも母にも言えない気持ちがあった。
「真弦、さん…」
夢の中、成長したボクは彼女よりずっと背が高くて、2人で肩を並べ歩いていた。
白い頬を見下ろすと初めて見たあの寂しげな表情はどこにも無く、春の陽射しのようにあたたかな笑顔でボクを照らしていた。
【いつかボクの隣で】
部屋で詰碁を楽しんだ後、指導碁をしてもらいたくて1階へ降りると父が見当たらない。
玄関を確認すると父の草履は残っている。
不在ではないことに安堵したのも束の間、見慣れない靴に気がついた。
形からして女の子のものなのは間違いない。
門下の人以外が訪ねて来るなんて久しぶりだ。
【いつかボクの隣で】
台所では母が普段は買わないケーキを鼻歌交じりに皿へ盛り付けていた。
ボクは緑茶とは違う嗅ぎ慣れないお茶の香りに鼻をスンと鳴らす。
「おかあさん?」
「ああ、アキラさん。真弦ちゃんにお茶を出したら貴方の分も用意しますからね」
「真弦ちゃん…?」
それが客人の名前らしい。
母曰く、父に弟子入りするためやってきたという。
男所帯の塔矢門下にもとうとう可愛い女の子が来てくれた!なんて嬉しそうにしている。
「ええ、6年生のおねえさんよ。仲良くしてもらえるといいわね」
滅多なことでは弟子を増やさない父が"子ども"を認めたとなるともう居ても立っても居られない。
周りの大人達はボクに敵う子どもなんて居やしないと笑うけれどそれじゃなんだか物足りない。
昔、父は碁を愛する才能がボクにはあると言ってくれた。
ならばボクより碁の才能に溢れる人もどこかにいるのかもしれない。
父はその可能性を『真弦ちゃん』に見出したのだろうか。
高まる期待を抑えれず、じっとできない足はお茶を運ぶ母の背にひっそり続いて廊下を進む。
「あなた、お茶をお持ちしましたよ」
「ああ」
父の声を待って母がすらりと客間の障子を開ける。
母と障子の隙間からひょっこりと室内を盗み見ると、そこに『真弦ちゃん』は居た。
窓から射すおひさまが天使の輪っかを長い髪に載せている。
まっすぐな背筋はこちらへゆったり振り向いた。
母の背に隠れている影に気がついたのか、日陰にひっそりと咲く花のような微笑みを向けてくれる。
その姿があまりに綺麗で、気恥ずかしさを抱えたボクは一歩後退った。
「奥様、お気遣いありがとうございます」
「いやだわ、気軽に明子って呼んでちょうだい。私、娘が出来たみたいで真弦ちゃんが来てくれたのがとても嬉しいの」
「そんな風に言っていただけて私も嬉しいです…えっと、明子さん」
はしゃぐ母に対し、ほんのり頬を染めて『真弦ちゃん』は相槌を打っている。
今迄会った事のある女の子達よりも随分と静かで儚げな佇まいが印象的な女の子だ。
(どんな人なのかな、ボクと碁を打ってくれるかな)
どきどきと想像を膨らませ、落ち着かないままに母が下がってくるのを黙って待っていると襖越しに父から呼びつけられた。
「アキラ、入って来なさい」
覗いていた事を叱られてしまうかと肩が跳ねる。
おずおずと顔を出し、客間の2人に向かって背筋を正す。
見慣れぬ瞳がボクを見つめたせいか、急に喉が渇く気がした。
「こんにちは、はじめまして塔矢アキラです」
「はじめまして、錫代真弦です」
「息子だ。8歳になる。以前話したが、迷惑でなければ手の空いた時に打ってやって欲しいんだ。親の立場から言うのも何だが、アキラには同年代に競い合えるような子がいなくてね……」
正座する父の隣へ進むと大きな手が頭へ伸びてきて緊張を解いてくれる。
ボクの事を誇ってくれているのが伝わり、むず痒くも頬がちょっぴり緩んだ。
『真弦ちゃん』はそんなボクらを見てまた微笑む。
「勿論です。アキラくん良かったら私と打ってくれるかな?」
「はい、おねがいします。あのっ、いまからうちますか?」
ちらと横目で父の顔を伺うと、構わないと頷いてくれた。
嬉しくて早速ボクは碁盤の前へ膝を落とす。
「あらあら、アキラさんたら碁の事になるとせっかちなんだから。じゃ、貴方のお茶もこちらへ運んできますからね」
くすりと笑みを残した母は襖の向こうへ消え、足音が遠ざかっていく。
年上の人達と対局をするのは慣れているけれど、同じ「子ども」の女の子と打つのは久しぶりのことだ。
「えっと…たがいせんでいいですか?」
「アキラ、真弦君は」
「いえ、先生。初めてだものね。互先で打ちましょう?お願いします」
ボクは父が制した意味を対局中理解することになる。
"錫代真弦"はそれ程の打ち手だということを。
「おねがします」
勿論、身の丈を知らず彼女に挑んだボクは惨敗した。
慣れない打ち筋にドキドキしてワクワクして、また打ってもらう約束をゆびきりで交わす。
「ボク、つぎはもっとつよくなってるから。真弦さんにかてるようにべんきょうします」
「うん、私も負けないように努力するね。今日はありがとうアキラくん」
夜、電気を消して布団に潜り込むとボクは最後に重ね合った小指をじっと見つめていた。
「はやく…はやくうちたいな」
高鳴る胸がボクに新しい目標を灯す。
手加減しなくていい、悔しいと思える相手。
ボクの碁の世界はもっと広がる、その歓びが全身に満ちていく。
でも、それだけじゃない。
父にも母にも言えない気持ちがあった。
「真弦、さん…」
夢の中、成長したボクは彼女よりずっと背が高くて、2人で肩を並べ歩いていた。
白い頬を見下ろすと初めて見たあの寂しげな表情はどこにも無く、春の陽射しのようにあたたかな笑顔でボクを照らしていた。
【いつかボクの隣で】
1/1ページ