壱
「なあ、おチビ。」
座ったまま一歩、距離を詰められる。
「…なんですか」
翡翠を思わせる緑色の眼とボクの目が合った。
……その目は嬉しそうに細められる。
「此処から、生きて帰りたいか?」
「そんなの、当たり前じゃん。」
少なくとも、今のボクが帰る場所はコンパスの世界。
あそこには、アル兄貴や悪友のBugdollといった、大事な人達が居る。
──
どちらかと言えば、
アレを殴るだけじゃなくて、見返せるように、幸せになってやるというちょっと捻くれた目標もあるワケだし。
……こんな所で、終わるワケにはいかない。
「それなら、気を付ける事が幾つかある。」
そう言って、彼女の指がボクの唇に触れる。
「一つ、此処の食べ物は口にするな。」
つぅ…っとボクの唇をなぞり、彼女は言葉を続ける。
「二つ、名前を呼ばれても無暗に返事をするな。」
ボクを見つめる目から先程までの熱っぽさは感じられない。
どちらかと言えば……ボクを試すように、見極めようとしている目に見える。
「三つ、もし帰り道を見つけて──お前を呼び止める声がしても、決して振り返ってはならない。」
するり、と手の甲でボクの耳を撫でる。それが擽ったくて肩を竦めた。
……彼女が言う警告。
その手の話は色んな所で見聞きしたのでなんとなくは理解出来るものが多かった。
食べ物を口にするな、は恐らく
…海外にも、ギリシャ神話のペルセポネがザクロを口にした為、一年のうち四ヶ月は冥界で暮らさないといけなくなったという似たような話もある。
名前を呼ばれても返事をするな、というのもある意味「よくある話」ではある。
恐らく、返事をしてしまえばそのまま引き込まれてしまうとかいう類のタブー。
振り返ってはならない、というのも有名な話だろう。
ギリシャ神話のオルフェウスとエウリュディケ。
「冥界下り」でオルフェウスは最後、焦って振り返ってしまったからエウリュディケと離れ離れになってしまったという有名な話。
……こう言ってしまえば「よくある話」だ。
だがこれらは人間の常識が通用しない、こんな場所ではさぞ有効的なのだろう。
一つでも破ってしまえばきっと──
思わずそんな想像をしてゾワリ、と震える。血の気が引く。