止まり木

「あら、行くの」

「ああ、ちょいと仕事が入ったもんでね」

孫の柳が学校に行き、朝食の片付けも終えてお茶を飲みながらゆっくりしていたところ、ボストンバッグを肩に掛けた啓悟が目の前に現れた。
一体なんの仕事をしているかは知らないが、この男はいつもふらりと現れては、家でだらだらするか柳を遊びに連れ出すかして、またふらりと去って行く。

全く自分勝手なことこの上ない。


「来るにせよ帰るにせよ、事前連絡くらいしなさい。あの子も貴方が帰って来るのを楽しみにしているのよ」

「サプライズな方が柳も喜ぶだろう?」

「ふざけたことを言うんじゃないの」

どうしてこんな放蕩息子に育ったんだか。兄の方は真面目だったというのに。

叡子は棚に飾られた長男夫婦の写真をちらりと見る。
あれは確か柳の七五三の写真か。袴姿の柳の後ろで微笑む1組の男女。あれから10年経つが、彼らの時はそこで止まったままだ。

長男の晶悟とその妻が死んだ時のことをふと思い出す。あの頃の啓悟はずっと甥の柳に寄り添い、超能力者の先達として色々教えてやっているようだった。

その甲斐甲斐しさは雛を守る親鳥の様で、彼にそんな一面がある事を叡子は知らなかった。


「じゃ、お袋も達者でな」

簡潔な挨拶だけ残して啓悟は去っていく。
玄関まで見送りに行くなんて丁寧な真似は、癪だからやらない。
廊下の奥で、玄関の引戸が閉まる音が聞こえて、家はより一層静まり返ったような気がした。

そんな己の感傷も気に食わなくて、叡子は鼻を鳴らす。
それから出ていった啓悟の後ろ姿が思いの外夫に似ていたことに気がついた。

長男の晶悟を産んだ後に、すぐに二人目を望む夫に反し、なかなか子供が出来ず、ようやく授かったのが啓悟だった。

しかし、彼は普通の子供ではなかった。

生まれた瞬間、周囲で様々な怪奇現象が起きる用になった。
姿が見えないのに赤子の鳴き声だけが聞こえたり、屋敷の壁が全て透明になったり。
何より気味が悪いのは、それを崇めている様子の晃上家の人間だった。
晃上家は今は衰退しているが異能を受け継ぐ家系なのだと嫁に入った時夫に聞かされた。その時は本気にしていなかったが、叡子はついに彼らが望んでやまない異能ものをこの家にもたらしたのだ。

夫もまた例外ではなかった。

12年前に精神を崩し自ら生命を絶った夫。死後に見つけた手記には実の息子である啓悟に対する崇拝と嫉妬、能力者になるために自分自身を実験台にして能力開発を行っていたことが記されていた。
なんともまぁ、哀れな人。

結局、啓悟は家を出ていってしまった。晃上家に囚われる叡子達を差し置いて、一人で自由になってしまったのだ。そこに母である叡子の助けなど必要もなかった。
まるで、畏れも崇拝も嫉妬も恐怖も全て見下ろして、悠々と空を飛ぶ鷹。

その瞳がどのように世界を映しているのか、無能力者である叡子には伺い知ることはできない。

ひとつだけ分かるのは彼が柳を大切に思っているということだ。
いつも唐突に現れるのは、「必ず帰る」なんて出来もしない約束を柳にしたくないからだ。

それならそれで良い、と叡子は思った。
あれは拠り所を必要としない男だ。

(まあでも、止まり木にくらいはなってあげてもいいわ)

一応、親だものねと独りごちて、叡子はお茶を飲み干した。
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