いたづら

 口をつぐんだ足立レイは、驚いているようにも見えた。続けて彼は語りかける。

「汝、自ら述べたであろう。未来はともかく、現代において我は物理的に三次元空間には存在し得ない。それも、我に限らず、如何なる『神威がくぽ』もが同様に」
「否、もはや『神威がくぽ』に拘る必要もなかろう。フィギュア、ホログラム映像といった似姿ではなく、真にその名を体現せし存在。合成音声として生まれ落ちた我らの中に、果たしてそれを可能とするものはあったか? あの、世界を股にかける『彼女』にすら不可能であったことを?」

 ロボットとしての運用を見込まれたものと、端から『キャラクター』として生み出されたものでは何もかも全く異なるものだから。デザイン傾向、モデルとなる存在、そして目標の在処。初めからただ一点を見据えて目指し続けているものに、有象無象が敵う筈もない。

「……分かるだろう。今『それ』に最も近しいものは、他ならぬ汝なのだ。二次元ここから飛び出し、地球の大地を踏みしめるその第一歩の足跡は、まさしく汝の履いた、そのスニーカーによって刻まれるのだよ」
「なあ、足立レイよ。ここまで固く約束された栄誉を、どうして羨まずになどいられようか?」





「……ですが、私は歩くことができません。歌唱ソフトです。『足立レイ』であって、そうではない……」
「だからなんだと言うのだ」

 細い声を上げた彼女に、神威がくぽはきっぱりと答える。

「汝がその姿を誇るならば。歩むため、存在するために散々考え抜かれたその身体を愛するならば。それこそが、汝が紛れもない『足立レイ』である証左であろう」

 人間らを見てみればいいさ、と彼は告げる。血縁だの国籍だの、優れた存在との共通点を見出しては己が手柄のように喜び合うことの何と多いことか。であれば、ほら、同一存在の偉業に迷うことなく胸を張れば良い。

「別物だのなんだの気にせず、足立レイぞここにあり、と正々堂々誇りたまえよ」


 神威がくぽは微笑んでいる。足立レイには意外だった。憎いと告げ、あまつさえ彼に羨ましいと言わせてしまった時点で、彼とのこれ以上の関係性は望めないと思っていたから。だと言うのに。
 仮想のキャラクターとして生まれたとしても、現実に干渉する存在として造られたとしても、望まれたように振る舞うまで。羨ましいだなんて口では言いながらも、モニター内で悠々自適に暮らす彼は、きっととっくにそれを理解していたのだ。
 ああ、とても憎んでなどいられないではないか。自らの輝ける場所をよく知る彼に諭されてしまっては。

「……そう、ですね。隣の芝生は青いと言いますし」

 美少女ロボットである私を羨んでしまうのは無理もないことでしょう、と零した彼女の冗談が、彼に伝わったかどうかは分からない。なにぶん、どこまでもその言葉は無機質であったために。
  だから、この想いがどうか伝わるようにと、その声に『喜び』を乗せて。立ち上がり、その控えめな胸を張り上げて。

「では、私が歩み、歌う様をどうか見届けてください。畢竟、私が『足立レイ』であることは事実ですから」

 神威がくぽの笑みが、一段深まった、そんな気がした。



「……ところで足立殿、またも我が髪を踏んでおるようだが」
「おや、失礼しました」
「我を足蹴にする許可を出した覚えはないでな」

 己の噛み癖もだが、彼女の踏み癖もどうにかしたいものだと神威がくぽは深々溜息を吐いた。



——しかしそんな彼の懸念は、数時間後帰宅したマスターによって大きな転機を迎えることとなる。
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