いたづら

「神威さん。噛み癖は直すようにと、あれほどマスターからも言われていたではないですか」
「面目次第もない」
「次同じことをした場合には噛威さんに改名させる、と前回警告されたこともお忘れですか」
「許せ、反省はしておるのだ」

 無機質な足立レイの叱り声に、神威がくぽはしゅんと正座している。彼が頷くたび、綿密に編み込まれた髪が揺れる。以前から自身の噛み癖に自覚はあったのだ。なんとなく意識的に矯正する気にはなれず、放置していたのだが。

「……仕方ありません。幸いファイルのバックアップもあることですし、その髪型に免じて私は許して差し上げましょう。ただし、マスターが帰宅して何と言うかは私の管轄外です」

 やれやれと肩をすくめつつも無表情を貫く足立レイの言葉に、何か引っ掛かる物を覚えた。髪型。そうだ、確かあの時考えていたことは。

「ところで足立レイ、常々疑問に感じていたことがあるのだが」
「はい、何でしょうか」
「汝、何故に我が髪を弄らんとする?」

 今が好機とばかりに、長年の疑念を口にした。の、だったが。

「回答を拒否します」
「何故?!」

 思わず身を乗り出した神威がくぽに、しかし極めて淡々と返事が告げられる。

「今後長らく生活を共にするであろう存在に対して、悪印象をお伝えすることは避けるべきと判断いたしましたので」
「……それを口にした時点で、手遅れではないか?」
「……あっ」

 申し訳程度に口元を抑えた足立レイを見上げ、そのまま神威がくぽは天を仰ぐのだった。





「さて、では改めて聞かせてもらおうか」
「分かりました。もはや遠慮は必要ないと考えられるため、正直な意見を述べさせていただきます」
「手加減はしてくれたまえ」

 電脳空間で向かい合う二人の合成音声。先に言葉を発したのは、足立レイ。

「……少しばかり、憎らしいのです」

 神威がくぽは、黙って先を促す。

「私のこの身体は、不要なものは全て削ぎ落とすようにして設計されましたから。足立レイわたしが歩くためには、長い髪も豊かなボディも、過度に装飾的な服も、邪魔でしかありません」
「それで、羨んだのか」
「いいえ? 羨ましくは思いません」

 橙の中に浮かぶ黒々とした瞳孔が、僅かばかりの光を湛える。

「私に不要なものを欲しがる道理もないでしょう。私は自身の存在意義に誇りを持っています。故に、この機能性を重視した美しい設計を気に入っています」

 可愛いですし、とさらりと付け加えた上で。でも、だからこそ。

「だからこそ、私はあなたが嫌いです。最初からモニターここを物理的に出ることを諦め、見目麗しさだけを追求して得た無駄ばかりのあなたの姿が、憎らしい」





 足立レイ。二次元から三次元へ歩み出すことを目的として作られた存在。『あの子』が完全には成し得なかったそれを達成するために、他人が預かり知らぬところでもさまざまな苦労があるのだろう。それは製作者然り、そして、彼女自身にも。

「オリジナルの足立レイわたしはともかく、この『足立レイわたし』がそのままの姿で現実世界に存在することなどあり得ないのに。私は所詮正弦波の成れの果て、その寄せ集めです。単なる合成音声です。歌うための私は、歩くための私とは別物なのでしょう」
「なのに、私はこの姿に縛られています。モニター内ここでの生活はどんな姿でも支障は無いのに。現に、あなたがそうして不自由なく過ごしていられるように」
「不思議です。こんなに嫌っているのに、自分が欲しいわけでもないのに、触れてみたくなるのです。飾り立ててやりたくなるのです。ただ綺麗なばかりの、実用性なんてまるでない、あなたの髪を」
「要は、ただの憂さ晴らしです。いえ、憧れです。せめてあなたには、その髪の美しさを十二分に発揮していていただきたい。私の分まで。それだけです」





 神威がくぽは、足立レイが紡ぐ言葉をここまで静かに聞いていた。なるほど彼女の言うことには一理ある。だが。

「……しかしな、足立殿」
「はい、何でしょうか」
「我には時折、汝が羨ましく感じられるのだよ」
3/5ページ
スキ