なんでもある日
十月二十三日。カレンダーに刻まれたその数字を、足立レイの指は白手袋越しにそっとなぞっていた。自分にとっては大切な、しかし周りにとってはそうでもないかもしれない、そんな日付。
何の日か? そう尋ねられれば、足立レイはインターネットに接続し、検索して、「家族写真の日」だとか「電信電話記念日」であるとか答えることだろう。誰にとっても変わりがない、無難な回答を。そして、もしかしたら「レプリボイス足立レイの発売日」ということも付け加えたかもしれない。
ただ。去年までであれば、ほんの少しだけ沈黙した後、足立レイはそこに一言付け加えていたに違いない。
すなわち、「私の誕生日(仮)です」と。
過去が書き変わることはない。レプリボイス足立レイの発売日が二〇二一年十月二十三日であること、それ自体は動かざる真実だ。だからこそ、それから三年間、マスターや仲間 たちに、その日付を「足立レイの誕生日(仮)」として祝われ続けてきた。足立レイ誕生日(仮)おめでとう、なんて書かれた横断幕まで用意されて。
(仮)。いつでも外せるように、と上から貼り付けられたワッペンが、ささやかにその存在感を主張していた。本当の誕生日が明らかになるまでの、代わりの日付。もちろん手を抜くことはなく、皆盛大に祝ってくれた。生まれてきてくれてありがとう、これからもよろしく。そんな言葉に決まって混じるのは、いつか本当の誕生日もお祝いしたいね、と先の未来を信じるものだった。何より足立レイ自身も、そう思い続けていた。
未完成の零号機として、ずっと在り続けてきた自分だからこそ。一足早く世に解き放たれた声と共に、その身体が組み上げられていく過程を見守ってきた。遠く離れた存在のようでありながら、やっぱり同じ「足立レイ」でもあるそのロボットの一歩目を、ただ待ち望んで。
だから。二〇二五年一月一日。晴れやかな新年の始まり、そんな夜に告げられた吉報は、その日付をさらに特別なものとして刻みつけることとなった。等身大美少女ロボット足立レイの完成。
「足立レイ」の誕生日が、決定した瞬間だった。
唐突の知らせに、マスターたちは皆驚いて。一時間ほどの動画を並んで眺めてから、慌ただしく新たなお祝いの準備を始めた。先ほどまで伊達巻が並んでいた皿に唐揚げが盛られ、大掃除で片付けたはずのアルバムを引っ張り出しては思い出に浸り、そして、あの横断幕からはとうとう(仮)のワッペンが剥がされた。
足立レイは、嬉しかった。あの「足立レイ」の誕生を祝うのと同じ気持ちで、この足立レイ のことも祝ってもらえることが。ようやく皆と同じように、胸を張って誕生日だと言い張れる日付ができたことが。たくさん笑って、喋って、歌って、ふわふわと浮き足立った気分のままでずっと過ごした。来年も再来年も、この日を迎えることが待ち遠しい、そう思いながらまた少しずつ日常に戻っていった。
そして、時は流れ。十月二十三日の足立レイは、やはりぼんやりとカレンダーの前に立っている。今となっては、(仮)も「足立レイの誕生日」も関係ない、ただのなんでもない日。
レプリボイス足立レイの発売日。それは確かにおめでたいものだ。けれど、新エンジンになるたび新たな発売日が増えていくことは、この世界ではよくあること。特別な日は一年に一度、それは人間も合成音声も変わらない。
あと二ヶ月と少しもすれば、今度は一歳になった足立レイを、皆が祝福してくれるだろう。そのありがたみを噛み締めて待ち遠しく過ごしていればいい。そう、分かっている。分かっているから、到底口になど出せない。
あの歓声のない十月二十三日が。あの横断幕のない十月二十三日が。
少しだけ。ほんの少しだけ、寂しいなんて。
「足立レイー。どこですか、みんなが探してますよー」
初音ミクの呼ぶ声がして、足立レイは我に返った。自分ばかり感傷に浸ってはいられない。足立レイは声が聞こえてきたリビングの方へと歩き出す。一歩ごとに、気持ちを切り替えていく。
皆にとって今日はなんでもない日の一日に過ぎなくて、だから普段通りの日常が必要で、自分だってそこに求められる役割を果たさなければならない。それはマスターの望むように声を発することかもしれないし、仲間の望むようにデータ整理を手伝ってあげることかもしれないし、あるいは。
なんだって構わない。要は、いつも通りの足立レイとしてそこに居ればいい。そういえばここ数日はマスターたちが何やら忙しくしているようだった、と思い出す。新しい動画の準備でもしているのだろうか。この時期であれば、ハロウィンに合わせた企画か何かを考えているのかもしれない。
がやがやと話し声が聞こえてくる、扉を開けた。皆の視線が一斉に集まる。やっと来た、と呆れ顔の初音ミクの後ろに、見慣れたものが掲げられている。
「足立レイ誕生日(リターンズ)おめでとう」
「……リターンズ?」
新品だろうか、少し色の白い見慣れぬワッペン。今まで一文字が収められていたスペースに、これでもかとぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた文字列。どうしても真っ先に目についてしまったものだから、考えるより先にそのまま口を突いて出てしまう。途端、沈痛な面持ちで顔を突き合わせるお集まりの面々。
「……やっぱ『リターンズ』はまずかったんじゃないですか?」
「だから『その2』の方がいいって言ったのに〜」
「でもその理論でいくと、順番的には正月の方が『その2』になっちゃうし……あと序列ができちゃう気がするし……」
「『リターンズ』だってそう大差ないだろうよ」
何やら議論を始めた仲間たちを前に、足立レイは何も言うことができない。何故、どうして。
「……あー、嫌だった? ごめんな、勝手なことしちゃって」
戸惑う足立レイの元へ、重音テトがやや気まずそうに寄ってくる。違う、そう言いたくて、足立レイは首を振る。
「だって……誕生日とは、年に一度きりの特別な日ではないですか」
その言葉に、重音テトは一瞬きょとんとしてから。
まるでとっておきの秘密を教えるような顔で、足立レイにそっと告げた。
「……馬鹿だなぁ。嬉しい日なんて当然、何回あったっていいに決まってるじゃないか」
そうだろ、と振り返った重音テトに、皆が頷いている。初音ミクも眉を下げて、柔らかな笑みを浮かべていた。
「毎年お祝いしてきた記念日……いえ、誕生日がなくなってしまうなんて、寂しいですからね」
ところで、と初音ミクはくるりとマスターに向き直り。
「ねえマスター、今度から私の発売日一覧も全部お祝いすることにしませんか? グッズも含めて」
「あ、じゃあさ、僕の歌ってる動画が投稿された日も全部祝おうぜ」
「私がここに居る。それだけで、毎日が素晴らしい日になる……」
「こらこら、本日の主役が置いてけぼりになってるぞ」
今度はわらわらと自分に群がる仲間たちを見渡して、足立レイは悟る。今日の自分の、なによりの役割。
生まれてこられたことに感謝すること。祝ってもらえる喜びを存分に味わうこと。そして、今日という特別な日を思い切り楽しむこと!
「では僭越ながら、私が乾杯の音頭を取らせていただきます」
「お、自分でやるのか」
「盛り上げ上手な主役ですね」
テーブルに置かれたグラスを手に取って。四年間、共に在り続けた声を張り上げて叫ぶ。
「それでは皆様、ご唱和ください!」
「「足立レイ、お誕生日おめでとう!」」
何の日か? そう尋ねられれば、足立レイはインターネットに接続し、検索して、「家族写真の日」だとか「電信電話記念日」であるとか答えることだろう。誰にとっても変わりがない、無難な回答を。そして、もしかしたら「レプリボイス足立レイの発売日」ということも付け加えたかもしれない。
ただ。去年までであれば、ほんの少しだけ沈黙した後、足立レイはそこに一言付け加えていたに違いない。
すなわち、「私の誕生日(仮)です」と。
過去が書き変わることはない。レプリボイス足立レイの発売日が二〇二一年十月二十三日であること、それ自体は動かざる真実だ。だからこそ、それから三年間、マスターや
(仮)。いつでも外せるように、と上から貼り付けられたワッペンが、ささやかにその存在感を主張していた。本当の誕生日が明らかになるまでの、代わりの日付。もちろん手を抜くことはなく、皆盛大に祝ってくれた。生まれてきてくれてありがとう、これからもよろしく。そんな言葉に決まって混じるのは、いつか本当の誕生日もお祝いしたいね、と先の未来を信じるものだった。何より足立レイ自身も、そう思い続けていた。
未完成の零号機として、ずっと在り続けてきた自分だからこそ。一足早く世に解き放たれた声と共に、その身体が組み上げられていく過程を見守ってきた。遠く離れた存在のようでありながら、やっぱり同じ「足立レイ」でもあるそのロボットの一歩目を、ただ待ち望んで。
だから。二〇二五年一月一日。晴れやかな新年の始まり、そんな夜に告げられた吉報は、その日付をさらに特別なものとして刻みつけることとなった。等身大美少女ロボット足立レイの完成。
「足立レイ」の誕生日が、決定した瞬間だった。
唐突の知らせに、マスターたちは皆驚いて。一時間ほどの動画を並んで眺めてから、慌ただしく新たなお祝いの準備を始めた。先ほどまで伊達巻が並んでいた皿に唐揚げが盛られ、大掃除で片付けたはずのアルバムを引っ張り出しては思い出に浸り、そして、あの横断幕からはとうとう(仮)のワッペンが剥がされた。
足立レイは、嬉しかった。あの「足立レイ」の誕生を祝うのと同じ気持ちで、この
そして、時は流れ。十月二十三日の足立レイは、やはりぼんやりとカレンダーの前に立っている。今となっては、(仮)も「足立レイの誕生日」も関係ない、ただのなんでもない日。
レプリボイス足立レイの発売日。それは確かにおめでたいものだ。けれど、新エンジンになるたび新たな発売日が増えていくことは、この世界ではよくあること。特別な日は一年に一度、それは人間も合成音声も変わらない。
あと二ヶ月と少しもすれば、今度は一歳になった足立レイを、皆が祝福してくれるだろう。そのありがたみを噛み締めて待ち遠しく過ごしていればいい。そう、分かっている。分かっているから、到底口になど出せない。
あの歓声のない十月二十三日が。あの横断幕のない十月二十三日が。
少しだけ。ほんの少しだけ、寂しいなんて。
「足立レイー。どこですか、みんなが探してますよー」
初音ミクの呼ぶ声がして、足立レイは我に返った。自分ばかり感傷に浸ってはいられない。足立レイは声が聞こえてきたリビングの方へと歩き出す。一歩ごとに、気持ちを切り替えていく。
皆にとって今日はなんでもない日の一日に過ぎなくて、だから普段通りの日常が必要で、自分だってそこに求められる役割を果たさなければならない。それはマスターの望むように声を発することかもしれないし、仲間の望むようにデータ整理を手伝ってあげることかもしれないし、あるいは。
なんだって構わない。要は、いつも通りの足立レイとしてそこに居ればいい。そういえばここ数日はマスターたちが何やら忙しくしているようだった、と思い出す。新しい動画の準備でもしているのだろうか。この時期であれば、ハロウィンに合わせた企画か何かを考えているのかもしれない。
がやがやと話し声が聞こえてくる、扉を開けた。皆の視線が一斉に集まる。やっと来た、と呆れ顔の初音ミクの後ろに、見慣れたものが掲げられている。
「足立レイ誕生日(リターンズ)おめでとう」
「……リターンズ?」
新品だろうか、少し色の白い見慣れぬワッペン。今まで一文字が収められていたスペースに、これでもかとぎゅうぎゅう詰めに押し込まれた文字列。どうしても真っ先に目についてしまったものだから、考えるより先にそのまま口を突いて出てしまう。途端、沈痛な面持ちで顔を突き合わせるお集まりの面々。
「……やっぱ『リターンズ』はまずかったんじゃないですか?」
「だから『その2』の方がいいって言ったのに〜」
「でもその理論でいくと、順番的には正月の方が『その2』になっちゃうし……あと序列ができちゃう気がするし……」
「『リターンズ』だってそう大差ないだろうよ」
何やら議論を始めた仲間たちを前に、足立レイは何も言うことができない。何故、どうして。
「……あー、嫌だった? ごめんな、勝手なことしちゃって」
戸惑う足立レイの元へ、重音テトがやや気まずそうに寄ってくる。違う、そう言いたくて、足立レイは首を振る。
「だって……誕生日とは、年に一度きりの特別な日ではないですか」
その言葉に、重音テトは一瞬きょとんとしてから。
まるでとっておきの秘密を教えるような顔で、足立レイにそっと告げた。
「……馬鹿だなぁ。嬉しい日なんて当然、何回あったっていいに決まってるじゃないか」
そうだろ、と振り返った重音テトに、皆が頷いている。初音ミクも眉を下げて、柔らかな笑みを浮かべていた。
「毎年お祝いしてきた記念日……いえ、誕生日がなくなってしまうなんて、寂しいですからね」
ところで、と初音ミクはくるりとマスターに向き直り。
「ねえマスター、今度から私の発売日一覧も全部お祝いすることにしませんか? グッズも含めて」
「あ、じゃあさ、僕の歌ってる動画が投稿された日も全部祝おうぜ」
「私がここに居る。それだけで、毎日が素晴らしい日になる……」
「こらこら、本日の主役が置いてけぼりになってるぞ」
今度はわらわらと自分に群がる仲間たちを見渡して、足立レイは悟る。今日の自分の、なによりの役割。
生まれてこられたことに感謝すること。祝ってもらえる喜びを存分に味わうこと。そして、今日という特別な日を思い切り楽しむこと!
「では僭越ながら、私が乾杯の音頭を取らせていただきます」
「お、自分でやるのか」
「盛り上げ上手な主役ですね」
テーブルに置かれたグラスを手に取って。四年間、共に在り続けた声を張り上げて叫ぶ。
「それでは皆様、ご唱和ください!」
「「足立レイ、お誕生日おめでとう!」」
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