芽吹かぬ苗など捨て置いて

「ですから、手が離せなかったと言ってるでしょう」
「だとしても直接呼びに来たまえよ……」
「無茶言いなさる……」

 あの直後、思考回路への過負荷により一時的な機能停止に陥った彼を、突然の大声に驚き集まった面々で介抱すること数分。クールダウンが済んで目を開け、面目なさげに目を閉じ、かと思えばすぐさま跳ね起き詰問を再開した神威がくぽに、マスターは大層手を焼いていた。

「それじゃマスター、私たちはこれで」
「ああ、ミクさんたちも手伝ってくれてありがとうございました。もう戻ってもらって大丈夫ですよ」
「そら見ろ、我以外のものは皆名前で呼ばれておるというに……我ばかり、我ばかりが……」
「面倒くさいVOCALOIDひとは嫌われますよ?」
「ルカさんはこれ以上話をややこしくしないでもらえます?」

 くすりと笑みを残して去っていった彼女を見送って、マスターは眼前でうずくまる神威がくぽに目を向ける。視線を悟ってのそりと正座に直った彼が、改めてマスターの目をまっすぐ見つめ、遂に尋ねた。

「正直に答えて欲しいのだが。マスター、何故我が名を呼ぶ事を避ける?」

 一秒、二秒。マスターの目が泳ぐ。三秒。沈黙したままのマスターを、彼はひたと見据えたまま動かない。四秒。まだ。五秒、六秒、七秒。再び目が合う。八秒、経過したところで、ようやくマスターが口を開いて。


「……可愛すぎや、しませんか?」
「……は?」

 どうにも予想外の答えが、返ってきた。


 いや、違うのだ、と。
 良い名前だとは思っている。それは間違いない。ただ、いざ口にしようとするとどうしても照れが混じってしまう。そんな状態で毎度毎度呼び立てるのも申し訳なく、苗字で呼ぶようにしていたらすっかり慣れてしまった、それだけのことである。嫌っているわけではないのだ。
 と、そんな趣旨のことをマスターはかくかくしかじかと並べ立てた。それを微動だにせず聞き終えて、神威がくぽは、一言。

「……汝、正気か?」
「そう来ると思ったから言わなかったんですが!」

 間髪入れず噛みついたマスターに、しかし嘘を吐いているような様子もない。

「同じ名の響きを持つスポーツ選手も居ったではないか」
「日本人としては呼び慣れないんですよ」
「汝、グローバルに生きたまえよ」
「生きてすらない侍には言われたくないですね」

 とは言え、原因が分かった事については素直に喜ぶべきだろう。そして幸い、解決の可能性もゼロではなさそうだ。となれば、為すべきはただ一つ。

「マスター。練習あるのみだ。人間、意外にすぐ慣れるものさ」
「はぁ……」

 汝がそれを言うでない、と零しかけた言葉をなんとか飲み込んだのだった。


 数週間後、とうとう『がくぽさん』呼びを手に入れて勝ち誇る神威がくぽと、何かを察したらしく同じくごね続けたことで『ルカ』と呼び捨てになった巡音ルカの間に火花とエラーメッセージが飛び交う事になるのだが、それはまた別の話。
2/2ページ
スキ