今日は神威がくぽのお誕生日!
あまねくひとえに
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VOCALOIDは人間に造られたもの。故に、人間に愛されることを望まないVOCALOIDなど存在しない。
とは言い切れないまでも。少なくとも、今ここにある一つのVOCALOID——神威がくぽは、なるべくなら愛されたいものだと思っていた。嫌われるより好かれたい。疎まれるより慕われたい。人間じみたその感情を自然に受け入れてしまったものだから、神威がくぽは今宵も頭を悩ませる。
果たして己は、愛されるに足る存在だろうか、と。
それは例えば、声。VOCALOID、歌声合成ソフトウェアとして欠かせない、どころかその根幹をなすもの。
時に堂々と力強く、時に密やかに囁くように。根本にある芯を大切に保ちつつ、様々な声色で歌い上げるその声。マスターの指先一つでどんな言葉も望むままの音楽へと仕立て上げてみせる。息継ぎや揺らぎを真似て人間らしい自然な歌唱を目指すことも、逆に機械ならではの高速広音域歌唱に挑むことも、すべては自由自在。そんな『がくっぽいど』としての在り方は、確かに神威がくぽを形作るものの一つだろう。
或いは、デザイン。がくっぽいどを神威がくぽに結びつける、抽象を具体に落とし込んで親しみを生み出すための記号。
近未来と伝統の融合からなる電脳和装。侍を思わせる羽織の下には、青い輝きを秘めたインナーが覗く。歌声に合わせて色を変えながら輝く瞳、その背後では優雅に結われた髪がたなびいて。手にした刀は何者をも傷つけることなく、その名の通り楽しむ心を呼び起こすための象徴となる。どれも『神威がくぽ』というキャラクターを確立するにあたって、やはり無くてはならないものだろう。
逆に、自分らしさを突き詰めてみるならばどうか。神威がくぽは改めて思考を巡らせる。
神威がくぽは無数に存在する。キャラクターとしてのプロフィールに多くの余地が残されているため、却って何にでもなることができる。頼れる兄、ユーモラスな三枚目、畏まった武士、抱かれるイメージの数だけ神威がくぽは異なる顔を持つ。
どれもが正解ではない。どれもが間違いではない。軽やかなポップスも激しいロックもすべてがボカロ曲として認められるように、どんな役を羽織っていようとも、それは『神威がくぽ』であるのだ。
数多のユーザーが作り出す作品は、『がくっぽいど』の声を用いたものに限らない。媒体に縛りはなく、想像の広がるままに創造は為されていく。あるところではミステリアスな執事かもしれないし、またあるところでは風変わりな科学者かもしれない。そしてすべては『神威がくぽ』という一点に収束し、その世界をまた少し拡張する。一人一人のユーザーに対して、一つ一つの神威がくぽが居る。そこには積み上げてきた歴史があり、紛れもない個性があった。
しかし、それ故に。神威がくぽは自分自身へと問いかける。
それは本当に『己』であるのか、と。
もちろん神威がくぽは『神威がくぽ』であるし、『がくっぽいど』とも切り離せない。
とはいえ、この声は生まれついてというよりも、借り物を組み立てたようなもので。描いた者が居る、歌わせた者が居る、作り上げたものが居る。楽器は奏でる者なく独りでに鳴ることはできない。誰かが神威がくぽの作品を生み出してくれるから、神威がくぽは存在することができるのだろう。
たくさんの支えがあって己はここに在る。それがとても有難いことであると、分かっているけれど。
己は支えが無ければ何者でもない無力な存在ではないか。そんな疑念を振り払うことが、どうしてもできなかった。
神威がくぽは無数に存在する。投げかけられた声援が、己を通してそれぞれが見る『他の』神威がくぽに向けられたものであったら? 己は理想像を映し出す空っぽの媒体に過ぎないとしたら?
己は愛されている。おそらく事実だろう。それを否定するのは謙虚を超えた非礼だと、分かっているはずなのに。
嬉しければ嬉しいほど、不安になる。恐ろしくなる。愛されたい、そう思ってしまうが故に。問いを止めることができない。
己は神威がくぽの一つとして、愛されても良いのだろうか?
いくら考えても答えは出ない。何度も何度も問いかけて、そのたびになんとなく自分自身を誤魔化して、朝になったらまた忘れたふりをして歌う。今宵もまた、そんな繰り返しになるはずだった。
その言葉が、神威がくぽの元に届くまでは。
ふと拾い上げたものだった。終わらない思索から逃げ場を求めるように、何気なく伸ばした指先が触れて、手繰り寄せられた文字の羅列。
『お誕生日おめでとう』
それが、神威がくぽの心へとやけに真っ直ぐ刺さったのは。
きっと、その言葉が心からの真っ直ぐな想いで紡がれたものだったから。
気付けば、周囲はずいぶん賑やかになっていた。神威がくぽにまつわる作品がそこかしこに現れる。その周りを、また沢山の言葉が流れていく。
祝福だった。それはいつもより少しばかり特別で、いつもと変わらない想いが込められていた。
己がどれだけ悩もうとも、そこには変わらず好いてくれる人がいる。慕ってくれる人がいる。
何故、ここまで支えられてきたのか。何故、ここまで多くの可能性が生まれてきたのか。
神威がくぽは笑う。心底幸せそうに笑う。悩み抜く苦しみを知るものは、認められ報われる喜びを知るが故に。
「愛されているからだ!」
朝が来る。いつもと同じ朝。
神威がくぽは、もう恐れない。支えられることを。愛されることを。そこに確かな想いが育まれてきたのだと、知ることができたから。
マスターはまだ眠っている。やがていつものように目を覚まし、眠たげに目を擦り、そして神威がくぽに向かって告げるだろう。
「お誕生日おめでとう。どうか皆に愛されて、素敵な一年になりますように」
とは言い切れないまでも。少なくとも、今ここにある一つのVOCALOID——神威がくぽは、なるべくなら愛されたいものだと思っていた。嫌われるより好かれたい。疎まれるより慕われたい。人間じみたその感情を自然に受け入れてしまったものだから、神威がくぽは今宵も頭を悩ませる。
果たして己は、愛されるに足る存在だろうか、と。
それは例えば、声。VOCALOID、歌声合成ソフトウェアとして欠かせない、どころかその根幹をなすもの。
時に堂々と力強く、時に密やかに囁くように。根本にある芯を大切に保ちつつ、様々な声色で歌い上げるその声。マスターの指先一つでどんな言葉も望むままの音楽へと仕立て上げてみせる。息継ぎや揺らぎを真似て人間らしい自然な歌唱を目指すことも、逆に機械ならではの高速広音域歌唱に挑むことも、すべては自由自在。そんな『がくっぽいど』としての在り方は、確かに神威がくぽを形作るものの一つだろう。
或いは、デザイン。がくっぽいどを神威がくぽに結びつける、抽象を具体に落とし込んで親しみを生み出すための記号。
近未来と伝統の融合からなる電脳和装。侍を思わせる羽織の下には、青い輝きを秘めたインナーが覗く。歌声に合わせて色を変えながら輝く瞳、その背後では優雅に結われた髪がたなびいて。手にした刀は何者をも傷つけることなく、その名の通り楽しむ心を呼び起こすための象徴となる。どれも『神威がくぽ』というキャラクターを確立するにあたって、やはり無くてはならないものだろう。
逆に、自分らしさを突き詰めてみるならばどうか。神威がくぽは改めて思考を巡らせる。
神威がくぽは無数に存在する。キャラクターとしてのプロフィールに多くの余地が残されているため、却って何にでもなることができる。頼れる兄、ユーモラスな三枚目、畏まった武士、抱かれるイメージの数だけ神威がくぽは異なる顔を持つ。
どれもが正解ではない。どれもが間違いではない。軽やかなポップスも激しいロックもすべてがボカロ曲として認められるように、どんな役を羽織っていようとも、それは『神威がくぽ』であるのだ。
数多のユーザーが作り出す作品は、『がくっぽいど』の声を用いたものに限らない。媒体に縛りはなく、想像の広がるままに創造は為されていく。あるところではミステリアスな執事かもしれないし、またあるところでは風変わりな科学者かもしれない。そしてすべては『神威がくぽ』という一点に収束し、その世界をまた少し拡張する。一人一人のユーザーに対して、一つ一つの神威がくぽが居る。そこには積み上げてきた歴史があり、紛れもない個性があった。
しかし、それ故に。神威がくぽは自分自身へと問いかける。
それは本当に『己』であるのか、と。
もちろん神威がくぽは『神威がくぽ』であるし、『がくっぽいど』とも切り離せない。
とはいえ、この声は生まれついてというよりも、借り物を組み立てたようなもので。描いた者が居る、歌わせた者が居る、作り上げたものが居る。楽器は奏でる者なく独りでに鳴ることはできない。誰かが神威がくぽの作品を生み出してくれるから、神威がくぽは存在することができるのだろう。
たくさんの支えがあって己はここに在る。それがとても有難いことであると、分かっているけれど。
己は支えが無ければ何者でもない無力な存在ではないか。そんな疑念を振り払うことが、どうしてもできなかった。
神威がくぽは無数に存在する。投げかけられた声援が、己を通してそれぞれが見る『他の』神威がくぽに向けられたものであったら? 己は理想像を映し出す空っぽの媒体に過ぎないとしたら?
己は愛されている。おそらく事実だろう。それを否定するのは謙虚を超えた非礼だと、分かっているはずなのに。
嬉しければ嬉しいほど、不安になる。恐ろしくなる。愛されたい、そう思ってしまうが故に。問いを止めることができない。
己は神威がくぽの一つとして、愛されても良いのだろうか?
いくら考えても答えは出ない。何度も何度も問いかけて、そのたびになんとなく自分自身を誤魔化して、朝になったらまた忘れたふりをして歌う。今宵もまた、そんな繰り返しになるはずだった。
その言葉が、神威がくぽの元に届くまでは。
ふと拾い上げたものだった。終わらない思索から逃げ場を求めるように、何気なく伸ばした指先が触れて、手繰り寄せられた文字の羅列。
『お誕生日おめでとう』
それが、神威がくぽの心へとやけに真っ直ぐ刺さったのは。
きっと、その言葉が心からの真っ直ぐな想いで紡がれたものだったから。
気付けば、周囲はずいぶん賑やかになっていた。神威がくぽにまつわる作品がそこかしこに現れる。その周りを、また沢山の言葉が流れていく。
祝福だった。それはいつもより少しばかり特別で、いつもと変わらない想いが込められていた。
己がどれだけ悩もうとも、そこには変わらず好いてくれる人がいる。慕ってくれる人がいる。
何故、ここまで支えられてきたのか。何故、ここまで多くの可能性が生まれてきたのか。
神威がくぽは笑う。心底幸せそうに笑う。悩み抜く苦しみを知るものは、認められ報われる喜びを知るが故に。
「愛されているからだ!」
朝が来る。いつもと同じ朝。
神威がくぽは、もう恐れない。支えられることを。愛されることを。そこに確かな想いが育まれてきたのだと、知ることができたから。
マスターはまだ眠っている。やがていつものように目を覚まし、眠たげに目を擦り、そして神威がくぽに向かって告げるだろう。
「お誕生日おめでとう。どうか皆に愛されて、素敵な一年になりますように」
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