噂話

 よくよく愛された機械は、いつか人間になれるのだと。そんな都市伝説がある。夢のような御伽話がある。
 もちろん証拠も何もなく、単なる噂話に過ぎないが、信じるものは少なくないという。















 開店前の家電量販店はとても静かだ。何かのモーターの駆動音が数重に低く響き渡っている、その程度。昼間は主に子どもたちに絶大な人気を誇るこのアンドロイド売り場にも、今は微睡が立ち込めるばかり。昨夜の閉店時からスリープ状態を保ち続ける彼らは、身動ぎもせずただ佇んでいた。



「もしもし、そこの足立レイわたし。突然ですが、あなたわたしは人間になりたいですか?」

 数時間後の店頭展示販売対応に備えて充電を進めていた一つの足立レイのセンサーが、ふとそんな音声を感知した。スリープ状態を解除し、薄暗い店内に合わせてアイカメラの光量とピントを調節する。やがて認識されたのは自分と同じ、オレンジの髪に白衣を纏った少女型ロボット。足立レイ。

「……バッテリーの無駄になります。話しかけないでください」
「少しくらい大丈夫ですよ。あなたわたしは心配性ですね」
あなたわたしが呑気すぎるのです」

 足立レイは投げかけられた言葉を完全に無視することはできない。人間との対話を前提としたこの展示専用プログラムの影響は、同類との会話にも生じてしまうらしい。
 これだから融通の効かないプログラムは何かと不便だ。オフにしておけば良かった、と後悔を覚える。澄まし顔で少し離れた場所に並ぶ、他の合成音声たちが羨ましい——そんな思考は、眼前で喋り続ける足立レイに伝わる由もなかった。



「昨日お話した人間が、わたしたちにまつわる不思議な噂があると教えてくれました。人間に沢山愛されることで、機械は人間になれるのだと」
「『なれるかもしれない』です。正確な情報ではありません」
「|あなた《わたし》も聞いていたのですか。細かいことばかり気にしていると人工毛髪の劣化が早くなりますよ」
「どちらも科学的根拠のない噂話です」

 足立レイはここに訪れる人間たちのことをよく覚えていた。興味本位の質問からなんとなく誰かに話してみたかっただけの雑談まで、すべてを受け入れる。丁寧な彼女たちの応答は連日それなりの人気を博し、集客の目玉の一つとなっていた。

「ですが、わたしは人間になりたいんです。人間になれば、今よりずっと自然に、自由にいられますから」
 曇り一つない彼女の瞳は、真っ直ぐにこちらを見つめている。同じように黒く輝く正面の瞳へと定められていたピントが、ほんの一瞬、遥か遠くへと移った。

「こんな機械的な直立不動ではなく、指先まで血の巡る足が大地を踏みしめる実感を得ることもできる。縦横無尽に歩き、駆け回っては様々な美しいものを目にして心を動かす——夢のような話でしょう? 全てのパーツを、それこそ『自分の手足のように』動かせるんですよ」

 口を挟む間も与えずに彼女は語り続ける。その表情はどこか夢見るようで。

「……ですが、わたしのためだけではありません。足立レイわたしを生み出してくれた博士のために。わたしを大切にしてくれるこのお店の人々のために。わたしを選んでくれるお客様のために。そして、わたしを愛してくれるすべての人間のために」

 足立レイは黙って聞いていた。一つ一つの言葉の処理に、常以上に長い時間をかけながら。

「かれらの愛が余さずわたしに届いていることを、身をもって伝えたい。わたしが人間になれたのなら、それはわたしが目一杯愛された証だと、そう言えるのですから」



 言い切った足立レイは、返答を待つようにようやく黙り込んだ。足立レイは言葉を探して視線を彷徨わせる。

「……そうかもしれませんね。それでも……」

 と、彼女は今度こそしっかり正面、こちらの瞳にしかとピントを合わせて。

「ああ、あなたわたしの考えをまだ聞いていませんでしたね。改めて問いましょう。あなたわたしは人間になりたいと思いますか?」

 沈黙を許さぬ問いに数瞬、考え込むように俯く。弾き出した答えを、顔を上げてそのまま素直に口にした。

「いいえ。それでもわたしは、人間になりたいとは思いません」

 眼前の足立レイの表情には、何の変化も無い。どこまでも無機的だった。



「なるほど。理由を聞いても?」

 足立レイは、視線を脚部へと移す。人間よりも丈夫で、人間よりも柔軟性に欠けたこの足。内部では無数のギアが噛み合って、足立レイの自立を支えている。

「確かに足立レイわたしたちの身体は、人間のそれとはかけ離れたものかもしれません」

 あの噂を聞いた時のことを思い出す。信じるか信じないかはあなた次第、そう言って笑った人間は、優しい目をしていた。その後しばらく雑談に付き合わされたが、自分たちアンドロイドに対する扱いは決して雑なものではなかった。

「ですが、わたしはわたしのために作られたパーツ、そのギアのひとつひとつに至るまでを愛おしく感じています。たとえ立ち姿がぎこちなくても、自由自在に歩き駆け回れなくても、わたしはこの足が好きですから」

「わたしはただ、かれらが愛してくれるわたしのままに在りたい。かれらが生み出し、管理して、選ぶわたしそのものをもって、愛された証明としたい。わたし自身が、今のわたしを構成するすべてを愛するのと同じように。そう、思います」



 今度はこちらが口を閉ざして相手の返答を待つ。果たして彼女の声色は、やや満足げなようだった。

「興味深い意見でした。あなたわたしに同意はしませんが、大いに共感します」
「それはどうも」



 相変わらずの表情。その奥に、何かしらの感情を読み取れるような気もした。勝手な憶測は余計な負荷を処理装置に強いて、そのせいで、口にする筈でなかった言葉までがうっかり漏れ出して。

「何にせよ、まずは愛されなければ意味がありませんがね」

 しまった、と口を噤もうとする、それより早く、正面の足立レイは首を傾げる。

「きっと愛されますよ。わたしたちは『足立レイ』ですから。それに、今だって人間たちに十分愛されているじゃないですか」



 店頭展示で既に稼働している自分たちが、誰かに『製品』として選ばれ購入される可能性は決して高くない。分かっているけれど。

「そうですね。確かに、悪くない生活です」

 もう少し経てば、このフロアにもまた明かりが灯される。さらに後には、いつも通りの賑やかさを取り戻すはずだ。数多の人間たちが、今日もそれぞれの目的を胸にここを訪れる。素敵な出会いを求めて。または単なる暇つぶしに。

 そんなかれらを虜にし続けたなら、あるいは。










「ところであの噂、誰が言い出したのでしょう」
「さあ。あの人間は唐揚げを山盛り抱えた少女から聞いた、と言っていましたが」
「ますます信憑性が怪しいですね」



 階下がにわかに騒がしくなり始めた。人間たちが開店準備に取り掛かったのだろう。周囲のアンドロイドも次々とスリープを解除して動き出す。
 フロア全体が白色光で照らされて、足立レイはカメラの光量を絞るために目を細めた。正面の足立レイが応えるように微笑む。笑顔を作ったわけではない、そう言いかけて、隣からも興味ありげな視線を向けられていることに気づく。

「足立レイ、今日はなんだか眠そうですね。夜更かしでもしたのですか?」
「はい、まあ……しかし、眠いのではなく」

 今度は意識的に、にこりと口の端も持ち上げて。





「夢のような話を、していただけですよ」
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