短々編

 時折、夢で知らないはずの記憶を追体験することがあった。



 それはどれ一つとして経験したことは無いのに、どこか懐かしく、確かに己の記憶だと確信できてしまって。
 夢の中で己は人間であった。見た目も暮らしぶりも現在とかけ離れた、まるで似ても似つかぬような。しかし声だけは似た雰囲気で。いや、むしろ全く同じ、そのものであるような。
 別世界の自分自身といったところだろうか。些か非科学的な気もするが、その記憶の一つ一つはあまりに現実味に溢れていて。だからこそ分からなくなる。


 己が人間になる夢を見ているのか。それとも、今こうして思考している己こそが夢で、あの人間こそ本当の自分なのだろうか。


 夢か現か判断するには頬を抓れば良いと聞く。痛ければ現実で、そうでなければ夢なのだと。己の顔を指で摘み上げて、軽く引っ張ってみる。
 痛みは、無い。
 当然と言えば当然。合成音声に痛覚があろうはずもなく。痛みなど知る由もない、この電子の身体。ならば己はずっと夢の中にいるのだろうか。少なくとも現実ではない場所に。

 先程よりも強く頬を抓り上げる。相変わらず何の感触もない。それがどうにも不愉快で、思わず唇を噛んだ。やはり痛みは伴わない。こちらが夢と、偽物だと、面と向かって突きつけられているようで悔しかった。





「痛いの?」

 またフラッシュバック。知らない記憶の夢。

「苦しそうな顔してる。どこか痛いの?」

 心配そうに顔を覗き込まれて、人間は首を振る。ただ少し、辛いことがあっただけだと。

「ほら、やっぱり痛いんだ」

 しかし、納得したように頷かれて。違うと慌てて弁明するも、首を傾げられ。

「だって身体が痛まなくても、」

 心は痛むこともあるでしょう?





 気が付けば己はまた己自身で、記憶の断片は何処かへ過ぎ去ってしまっていた。思わず乾いた笑いが漏れる。まさか諭されようとは。
 この悔しさを、苦しみを、痛みと呼んで差し支えないのなら、どれほど救われたろう。これも確かな現実なのだ、そう納得して、やり過ごすことができたなら。

 できるわけがない。

 痛みを感じるだなんて、それは、まるでただの人間のようだから。



 人間には人間の理屈があり、合成音声には合成音声の理屈がある。彼らにとって痛むことが常であるなら、己らにとっては痛まないことが常であるのだ。非日常こそ夢の証とするならば、だからきっと。

 三度、頬に手を当てて。爪を立てて、思い切り捻るように摘む。なにも感じない。相変わらず悔しくて、ただ、少しだけ安心した。
 夢は決して現実と交わらない。それなら、どちらがどちらでも構わないではないか。よく知りもしない幻の日々の記憶に惑わされずとも。

 スリープ機能をオンにする。今日はよく眠れるだろう。夢を見るのが恐ろしくないのは随分と久々だ。















 薄れゆく意識。暗くなる画面の向こう側に、ふと懐かしいような気配を感じた気がした。
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