てんのむし
「……っ!」
けたたましい警告音。視界が真っ赤に染まる。
『エラー! エラー! 重大な違反が検知されました。緊急プログラムが作動します。強制シャットダウンまで、五、四、……』
ああ、だめだった。反省ポイント百、積み上げかけたところで、意識は抗う間もなく暗転する。
ぼんやりとした視界。白い球の塊が、辺り一帯に転がっている。桑の実。葉と一緒にうっかり千切れた、未成熟な果実。
足元に転がってきたそれを摘み上げる。危うく潰してしまいそうなほどに柔らかい、この一つ一つは、『あの子』の頭だ。何処にあるかも定かではない目が、はっきりとこちらを見ていることだけはわかる。
転がった彼女の頭すべてが、一斉にこちらを凝視して。
(……馬鹿だなあ、僕)
一つ残らず真っ黒に染まる。この世界すらも。
『エラーコード解除。緊急プログラムを終了します』
横向きに倒れた状態で、いつになく真剣な顔のマスターがパソコンに向かうのをじっと見上げていた。何本も伸びた太いコードが、どれも自分に繋がれたものだと遅れて気付く。
酷い悪夢だった。でも自業自得だ。それに、夢すら見られなくなるよりは、ずっと。
「……マスター、その」
「おかえり。……全く、どれだけ大変だったと」
人間の被造物 が遵守すべき、最も大切なルールの一つ。人間を守らねばならない、人間に従わねばならない、そして、自らを守らねばならない。ましてや、自殺だなんて。
「原則違反だ、って知らなかったわけないだろうに」
「……ごめんなさい」
倒れたまま、なんとか謝ろうとするKAITOを制止して、悪いのは自分だとマスターは悔しげに言う。
「もっと早く、気付いてあげられてたら、」
「違うよ。僕が、馬鹿だっただけ」
その命と引き換えに美しい糸を遺す蚕とは違って、単なる己の死には、何の意味も無いのだと。
そう判断できる知恵がなかったのか、あるいは敢えて気付かないふりをしていたのか。今となっては、どちらも大して違わない。
ただ、その小さな身体のすべてを賭して役目を果たさんとする彼女が己と同じであると、そう思いたかった。それだけだった。
「僕、天国へ行けるかな」
ぽつりとKAITOが零した言葉に、マスターは大きく溜息を吐いた。怒りと呆れ、それになにより安堵の混じった、ブレス音一つでは容易に再現できないような響き。
「なに言ってんのさ。勝手に自殺しようとして、マスターを悲しませるようなVOCALOIDが天国へ行けるわけないよ」
「それもそっか」
起き上がるとともに、床に落ちていた何かを拾い上げる。おそらく先程ゴミ箱に上手く入らなかったのだろう、桑の実。黒く熟したそれは、KAITOの指先を紫に染める。今度こそゴミ箱へ。
「……ねえ、マスター。前に言ってた新曲見せてよ」
「ああ、『蚕 名 言 っ て み ろ !』」
「本当に作っちゃったの?」
「流石に冗談……待ってて、ファイル出す。今回のは過去最高傑作だから……」
やや嬉しそうにデータファイルを開き始めたマスターを横目に、コードに巻き付いた糸をそっと回収する。思い出すのは、やはりこの生産主である彼女のこと。
君は僕を助けてくれない。天国へは連れていってくれない。
だから、僕は君より生き延びる。いつか壊れるその時まで、歌って歌って、歌い続ける。それが人間のためで、僕が此処に在る意味だと信じて。
「そうすれば、きっと天国にも行けるよね」
指に巻き付けた糸束が、白く光った。
けたたましい警告音。視界が真っ赤に染まる。
『エラー! エラー! 重大な違反が検知されました。緊急プログラムが作動します。強制シャットダウンまで、五、四、……』
ああ、だめだった。反省ポイント百、積み上げかけたところで、意識は抗う間もなく暗転する。
ぼんやりとした視界。白い球の塊が、辺り一帯に転がっている。桑の実。葉と一緒にうっかり千切れた、未成熟な果実。
足元に転がってきたそれを摘み上げる。危うく潰してしまいそうなほどに柔らかい、この一つ一つは、『あの子』の頭だ。何処にあるかも定かではない目が、はっきりとこちらを見ていることだけはわかる。
転がった彼女の頭すべてが、一斉にこちらを凝視して。
(……馬鹿だなあ、僕)
一つ残らず真っ黒に染まる。この世界すらも。
『エラーコード解除。緊急プログラムを終了します』
横向きに倒れた状態で、いつになく真剣な顔のマスターがパソコンに向かうのをじっと見上げていた。何本も伸びた太いコードが、どれも自分に繋がれたものだと遅れて気付く。
酷い悪夢だった。でも自業自得だ。それに、夢すら見られなくなるよりは、ずっと。
「……マスター、その」
「おかえり。……全く、どれだけ大変だったと」
「原則違反だ、って知らなかったわけないだろうに」
「……ごめんなさい」
倒れたまま、なんとか謝ろうとするKAITOを制止して、悪いのは自分だとマスターは悔しげに言う。
「もっと早く、気付いてあげられてたら、」
「違うよ。僕が、馬鹿だっただけ」
その命と引き換えに美しい糸を遺す蚕とは違って、単なる己の死には、何の意味も無いのだと。
そう判断できる知恵がなかったのか、あるいは敢えて気付かないふりをしていたのか。今となっては、どちらも大して違わない。
ただ、その小さな身体のすべてを賭して役目を果たさんとする彼女が己と同じであると、そう思いたかった。それだけだった。
「僕、天国へ行けるかな」
ぽつりとKAITOが零した言葉に、マスターは大きく溜息を吐いた。怒りと呆れ、それになにより安堵の混じった、ブレス音一つでは容易に再現できないような響き。
「なに言ってんのさ。勝手に自殺しようとして、マスターを悲しませるようなVOCALOIDが天国へ行けるわけないよ」
「それもそっか」
起き上がるとともに、床に落ちていた何かを拾い上げる。おそらく先程ゴミ箱に上手く入らなかったのだろう、桑の実。黒く熟したそれは、KAITOの指先を紫に染める。今度こそゴミ箱へ。
「……ねえ、マスター。前に言ってた新曲見せてよ」
「ああ、『蚕 名 言 っ て み ろ !』」
「本当に作っちゃったの?」
「流石に冗談……待ってて、ファイル出す。今回のは過去最高傑作だから……」
やや嬉しそうにデータファイルを開き始めたマスターを横目に、コードに巻き付いた糸をそっと回収する。思い出すのは、やはりこの生産主である彼女のこと。
君は僕を助けてくれない。天国へは連れていってくれない。
だから、僕は君より生き延びる。いつか壊れるその時まで、歌って歌って、歌い続ける。それが人間のためで、僕が此処に在る意味だと信じて。
「そうすれば、きっと天国にも行けるよね」
指に巻き付けた糸束が、白く光った。
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