ぐるりんぐ
「マスター。これ、なんです?」
机に向かっていたマスターが振り返ると、凪乃ヒマワリが恐る恐るこちらを覗き込んでいた。様々な時を超えて旅をしている、という彼女にもまだまだ知らないことは沢山あるのだそうだ。
「あれ、知らないの?」
「も、もちろん知ってるです! ちょっと忘れちゃっただけ、で……うぅ……」
敢えて驚いたそぶりをしてみせれば、凪乃ヒマワリは慌ててぴょこぴょこと首を振った。大人ぶる様子がいじらしくてつい揶揄ってしまう。微笑んだマスターは、持っていたそれをそっと彼女に差し出した。
細長いプラスチック製の道具。二股に分かれた細い軸の先、片側には鋭く光る針が、もう片側にはやや先の丸まった鉛筆が備え付けられている。その針で指を傷つけないようにとおっかなびっくり、けれども興味津々に眺めている彼女に、マスターは優しく声をかけた。
「それはね、『コンパス』って言うんだよ」
「コンパス……? ヒマワリのこれと、同じです?」
凪乃ヒマワリはきょとりと首を傾げて、腰から下げた不思議な方位磁針と見比べる。いつも大事にしているそれのことを、マスターはよく知らない。彼女がよく口にする、時間の旅というのに関係があるのかな、なんて思っている程度だ。詳しいことは本人が教えてくれる気分になるまで気長に待っていよう、とも。
「そう、同じ名前。でも使い方は違いまーす」
「気になります、教えてです!」
「いいよ、やってみるから見ててね。こうやってしっかり固定して、ぐるんって回すと……」
「わぁ! まんまるです!」
紙の上に大きく描かれた円を見て、凪乃ヒマワリも目を輝かせる。ヒマワリもヒマワリも、とそのまませがむので、針に気をつけてと念を押した上でもう一度渡してあげた。
初めはやや難しそうに苦戦していた彼女もすぐにこつを掴み、大小様々な丸を次々と生み出していく。マスターの取り出した色鉛筆やクレヨンも握って、一つずつ、丁寧に描き込んで。
「これはおまんじゅうです。あ、こっちはヒマワリのコンパスにするです! ふふ、ヒマワリの大好きなものばっかりです!」
やがて、紙一面が丸を基調にした可愛らしい絵で埋め尽くされた。
「こっちのコンパス、使ったことなかった?」
「初めてでしたのです。でも前に、丸くかきたい〜って頭で思うと、ぐるぐる〜ってその通りに動いてくれるペンなら使ったことあるです」
「それは……多分だけどすごい未来だね」
完成したイラストを満足げに見下ろしつつ、凪乃ヒマワリはマスターに片付けられていくコンパスを名残惜しそうに見つめる。また貸してあげるから、と言われれば再度ぴょこん、と二つ角が跳ねた。
「うれしいです。ヒマワリ、まるいもの大好きです!」
頷きながら見守るマスターだったが、ふと心に浮かんだ疑問を問いかける。
「ヒマワリはさ、なんで丸いのが好きなの?」
「むむ……えと、えと……かわいいです、おいしそうです……ずうっと続いてうれしいです、同じところに帰ってくるです……あとあと、まだまだいっぱいあるです!」
指折り数え始めた凪乃ヒマワリをなだめつつ、マスターは彼女の返答を読み解こうとする。可愛い、美味しそうはいいとして、気になるものがもう二つ。
円は、ずっと続くもの。途切れないもの。そして、ぐるりと一周回って、必ず同じ場所へと辿り着くもの。
もしかしたら。ふと、マスターは考える。凪乃ヒマワリは、円のかたちに憧れているのではないだろうか。時間を跳躍し、断続的な旅に身を投じる彼女だから。自身の生まれた時代を、今も還り着きたいと探し続けている彼女だから。
もちろん、これは単なる憶測で。相変わらず謎の多い彼女がそんな思いを抱いているかどうか、なんて、知りっこないのだけれど。
「……いつでも、ここにも帰っておいでね」
零れた呟きに、目を丸く見開いて。
「もちろんです。ヒマワリのゆくえ、マスターにちゃんと見届けてほしい、です!」
この大輪の花のような笑顔を浮かべる彼女の旅路を、ずっと見守っていたい。そんな想いだけは、たしかな確証を持ってマスターの胸に感じられるのだった。
机に向かっていたマスターが振り返ると、凪乃ヒマワリが恐る恐るこちらを覗き込んでいた。様々な時を超えて旅をしている、という彼女にもまだまだ知らないことは沢山あるのだそうだ。
「あれ、知らないの?」
「も、もちろん知ってるです! ちょっと忘れちゃっただけ、で……うぅ……」
敢えて驚いたそぶりをしてみせれば、凪乃ヒマワリは慌ててぴょこぴょこと首を振った。大人ぶる様子がいじらしくてつい揶揄ってしまう。微笑んだマスターは、持っていたそれをそっと彼女に差し出した。
細長いプラスチック製の道具。二股に分かれた細い軸の先、片側には鋭く光る針が、もう片側にはやや先の丸まった鉛筆が備え付けられている。その針で指を傷つけないようにとおっかなびっくり、けれども興味津々に眺めている彼女に、マスターは優しく声をかけた。
「それはね、『コンパス』って言うんだよ」
「コンパス……? ヒマワリのこれと、同じです?」
凪乃ヒマワリはきょとりと首を傾げて、腰から下げた不思議な方位磁針と見比べる。いつも大事にしているそれのことを、マスターはよく知らない。彼女がよく口にする、時間の旅というのに関係があるのかな、なんて思っている程度だ。詳しいことは本人が教えてくれる気分になるまで気長に待っていよう、とも。
「そう、同じ名前。でも使い方は違いまーす」
「気になります、教えてです!」
「いいよ、やってみるから見ててね。こうやってしっかり固定して、ぐるんって回すと……」
「わぁ! まんまるです!」
紙の上に大きく描かれた円を見て、凪乃ヒマワリも目を輝かせる。ヒマワリもヒマワリも、とそのまませがむので、針に気をつけてと念を押した上でもう一度渡してあげた。
初めはやや難しそうに苦戦していた彼女もすぐにこつを掴み、大小様々な丸を次々と生み出していく。マスターの取り出した色鉛筆やクレヨンも握って、一つずつ、丁寧に描き込んで。
「これはおまんじゅうです。あ、こっちはヒマワリのコンパスにするです! ふふ、ヒマワリの大好きなものばっかりです!」
やがて、紙一面が丸を基調にした可愛らしい絵で埋め尽くされた。
「こっちのコンパス、使ったことなかった?」
「初めてでしたのです。でも前に、丸くかきたい〜って頭で思うと、ぐるぐる〜ってその通りに動いてくれるペンなら使ったことあるです」
「それは……多分だけどすごい未来だね」
完成したイラストを満足げに見下ろしつつ、凪乃ヒマワリはマスターに片付けられていくコンパスを名残惜しそうに見つめる。また貸してあげるから、と言われれば再度ぴょこん、と二つ角が跳ねた。
「うれしいです。ヒマワリ、まるいもの大好きです!」
頷きながら見守るマスターだったが、ふと心に浮かんだ疑問を問いかける。
「ヒマワリはさ、なんで丸いのが好きなの?」
「むむ……えと、えと……かわいいです、おいしそうです……ずうっと続いてうれしいです、同じところに帰ってくるです……あとあと、まだまだいっぱいあるです!」
指折り数え始めた凪乃ヒマワリをなだめつつ、マスターは彼女の返答を読み解こうとする。可愛い、美味しそうはいいとして、気になるものがもう二つ。
円は、ずっと続くもの。途切れないもの。そして、ぐるりと一周回って、必ず同じ場所へと辿り着くもの。
もしかしたら。ふと、マスターは考える。凪乃ヒマワリは、円のかたちに憧れているのではないだろうか。時間を跳躍し、断続的な旅に身を投じる彼女だから。自身の生まれた時代を、今も還り着きたいと探し続けている彼女だから。
もちろん、これは単なる憶測で。相変わらず謎の多い彼女がそんな思いを抱いているかどうか、なんて、知りっこないのだけれど。
「……いつでも、ここにも帰っておいでね」
零れた呟きに、目を丸く見開いて。
「もちろんです。ヒマワリのゆくえ、マスターにちゃんと見届けてほしい、です!」
この大輪の花のような笑顔を浮かべる彼女の旅路を、ずっと見守っていたい。そんな想いだけは、たしかな確証を持ってマスターの胸に感じられるのだった。
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