立とスターの神隠し

「『トリック・オア・トリート』……」





 帰宅したマスターがリビングに足を踏み入れれば、そこには真っ白いシーツを被った不思議な存在が待ち構えていた。やや雑に開けられた穴からは橙と黒の眼がきらりと輝き、天辺からはアンテナとライトらしきものが突き破って顔を覗かせている。


 マスターはその正体を知っていた。九割九分の確証をもって。


「ただいま、足立」

 だからその名を呼んで、シーツを捲ろうと手を伸ばす。人差し指と中指が滑らかな布の表面に触れようとしたところで、それはひらりと裾を翻して距離を取った。

「……私は、足立ではありません」
「バレバレだけど」

 くぐもった声ではあるが、マスターがその声を聞き間違える筈もなく。幽霊の正体見たり足立レイ、とはあまり情緒も無いが——などと、疲れた眼を擦りつつふと思う。
 しかし、彼女は尚も認める気にはならないようで。マスターが姿勢を整えるのを待ってから、不敵な笑い声に続けて名乗りを上げた。

「ふふふ……恐れ慄きなさい、哀れな人間。今日の私は足立レイではなく、『ダチレイ』なのです!」





「……なんて?」
「『ダチレイ』、です」

 シーツの中からにょきりと生えてきた腕が、『立(だち)レイ』と書かれた持ち運びサイズのホワイトボードを抱えている。ご丁寧にも大きなふりがな付きだ。

「私、『足立レイ』じゃないですか」
「そうだね」
「『レイ』なので、霊の仮装をしようと思い立ちまして。足立だけに」

 やかましいな、と思いつつ、マスターは黙ってその先を聞いてあげることにした。

「しかし気が付いてしまったのですよ」
「何にさ」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、彼女は纏ったシーツをこれ見よがしに見せびらかす。高めの身長すべてを足首まですっぽり覆い隠して、なお余りある大きめサイズ。

「ゴーストって、足、ないんです」



「たしかに、ひらひらしてるよね」
「というわけで、今日の私は足の無い『立レイ』なのです!」
「……。」

 足立レイ……改め立レイは、語るべきことは全て語ったと言わんばかりの誇らしげな顔をしている。年に一度、折角のイベントを心から楽しむ彼女にわざわざ水を差す必要はないだろう。そう判断を下したマスターは、ひとまず曖昧な笑顔でその言い分を受け入れることにした。

「でも立、生憎だけどここにお菓子はないよ」
「なるほど。ではまもなく、トリック開始となりますがよろしいですね」
「今はね、今は。どこかに何かしらはあると思うから……」
「問答無用です。いでよ、悪戯担当!」

 マスターの言葉を遮って、ぱんと手を鳴らす音が響き渡れば。

「……承知仕った」

 するすると音もなく扉が開き、後ろ手になにやら隠し持った神威がくぽが現れたのだった。



「悪戯担当なの?」
「らしいな」
「そして私がお菓子担当なのです!」

 どんな悪戯を企んでいるのやら、じわりじわりとにじり寄る両者からせめて時間を稼ごうと、マスターは必死に言葉を探す。イベントに浮かれる合成音声の一人や二人、簡単にあしらえぬようでは真のマスターは名乗れない。無論、諸説はあるが。

「あー……神威は本当にその割り振りでいいの?」
「其奴ほどには食物に心惹かれぬ故な。それに、今日の我が名は神威ではない」
「お前もか……それってどういう……」

 思わず脱力しかけたマスター。その隙を、彼らは見逃さなかった。

「そら、今だ。受け取れ」
「ナイスアシストです。その首貰った!」

 神威がくぽ(?)が放り投げたものは大きな弧を描いて、驚異的な跳躍力を見せた立レイの掌へ収まった。重力に従い着地に向かう、その勢いに任せて、ぶわりと衣装の裾を広げた彼女はマスターの頭へと『それ』を叩きつける——!





「よくぞ成し遂げた」
「ふふん、大成功ですね」

 グータッチを交わす合成音声たちを恨めしげに見つめつつ、マスターは頭部の違和感を手で探り出す。上へと伸ばした指先が触れたものは、びよんびよんと揺れ動いて。
 そっと摘んで、持ち上げてみる。そのまま、顔の前まで持ってくる。
 ワイヤーにフェルト生地を巻きつけたような、シンプルな黒いカチューシャ。触角のように飛び出た二本のバネの先には、それぞれに可愛らしい金色の星がついていた。


「……もしかして?」
「お、察したか」

 その通り、と頷いた彼と共に、立レイがボードを書き替えるのを黙って見守る。手持ち無沙汰になった指が手元の星を弾くこと四回、ことさら大きくペンの音を響かせてから彼女は満面の笑みで振り返った。

「『ま』もなく、と言ったでしょう。私が足立から立になったのですから、マスターには『スター』になってもらいます!」


 真ん中に元気な筆跡で記された『スター』の文字を囲み、散りばめられた星々。果たしてこれは本当にスターの仮装なのか、宇宙人かなにかではないだろうか。そう首を傾げるマスター改めスターの頭には、いつのまにやら再び二つの星が揺れている。
 立レイがグッドサインを送る先には、神威がくぽ(?)が静かに微笑んでいた。どうやら、彼の悪戯担当の名も伊達ではないらしい。



「そうだ、結局神威は何の仮装を?」

 これまたなんとなく察していながらも、スターは念の為にと尋ねておく。自らの意思かどうかはともかく明らかな仮装を纏う二人に比べ、彼の格好に普段とのさしたる差異は見られない。強いて言うならば、胸元のディスプレイの輝きがいつもより少しだけ控えめであるような。
 きゅきゅきゅ、と三たびマーカーを走らせ始めた立レイを傍目に。

「マスター……ではなかった、スターよ。今日が何月か、ご存知か?」
「十月ですよね、十月三十一日」
「一昔前の日本風に言えば?」
「……神無月……」

 彼らの住む地より幾つか県を跨いだ場所にある大社。俗説とはいえ日本のすべての神々が集まると言うならば、彼の名が冠するその文字すらも例外ではないはずで、つまり。

「この『イガクポ』は今宵、神ならぬ人の身を模すと決めたのだ」

 ちょうど『威(い)がくぽ』と書き終えられたボードを指し示しながら、彼もまた笑みを浮かべて告げた。



「いつもと一緒じゃない?」
「ぶっちゃけサボりですよね」
「汝ら、あんまりなお言葉ではないか」

 よく考えてみたまえ、そもそも我は人ではないのだぞ、と言い訳を始めた威がくぽの話に半分耳を傾けつつ。スターの残り半分の耳は、立レイが零す呟きをかろうじて捉えていた。

「良いか汝ら。元々声だけの存在である我らは、人間の如きこの普段の立ち姿すらも仮装と言って差し支えないはずであり……」
「さて、お菓子が手に入るまでは悪戯を続けなくてはなりませんね。作戦三、六、十五、の辺りの準備を進めなくては……」

 二人はまだまだハロウィーンを終わらせるつもりはないらしい。これは自分も油断してはいられない、とスターは改めて覚悟を決める。

「……ところで、二人とも」

 意図的に軽い雰囲気を纏わせた呼び掛けは、警戒心を呼び起こさぬまま彼らを振り向かせることに成功する。お化けもどきと人間もどきから同時に訝しげな視線を浴びせられ、スターはにやりと笑って魔法の言葉を口にした。





「『トリック・オア・トリート』」





「ず、ずるいですよ! 私が先に言ったのに!」
「でもお菓子持ってないでしょ、目には目を悪戯には悪戯をだよ」
「かくなる上は、先に汝に間抜け面を晒させるような悪戯をもってして戦意喪失させてやらねばなるまいな」
「はいそこ、やり返されて失神するくらいは覚悟しておきなさい」
「私、私もまだまだ物足り無いです! 私も今から悪戯担当になります!」

 片や慌てて、片や余裕げにあれやこれやと策を巡らせ始めた合成音声たちに苦笑しつつ、隣の部屋に隠したお菓子の山をいつお披露目するかスターは考える。
 例え名前は変われども、『マスター』であるからには彼らに対する立場も威厳も保たねばならない。しかし、まだ夜は始まったばかり。

 これから訪れるであろう数多の試練を想像して、二つ星は不安げに、けれどもどこか楽しそうに揺れるのだった。
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