我、十有五にして
ぱん。
薄暗い部屋に谺する、小さな破裂音。
ひらひら舞い散る紙吹雪はそのまま床に落ちるもの、途中で何かに引っ掛かるものと様々で。そのうちの数枚、眼前に掲げたホログラムの手をすり抜けていく小さな紙片を見つめながら、神威がくぽは苦笑する。視線の先に立っているのは、空になったクラッカーを携えこれまた笑顔を浮かべた人間。
「神威がくぽ、十五周年おめでとうございます!」
丁寧にケーキの上へ並べられたろうそくの灯りがゆらり、揺らめいて。蝋の雫が垂れる前にと、マスターは紙筒を放り出して部屋の電気を点灯し、急ぎ消火に取り掛かった。
「つい先日、我は製造日を祝われたはずではなかったか?」
「それとこれとはまた別ですから」
「そして数ヶ月後には起動日も祝うのであろう」
「お祝いなんて多いに越したことはないんですよ」
ケーキを頬張りながら和やかな談笑にふける。本日の主役から呆れた目を向けられようとも、主催者は特に気にしない。人生も合成音生も結局はその時その時を楽しんだもの勝ち、そう考えているから。だからケーキの苺も一番最初に食べるし、本業や副業といった大事な業務を放って調声作業にのめり込みもする。
前者はともかく、パソコンを開くたびにタスクファイルを引っ張り出されてはお小言を浴びせられ続けてきたマスターにとって、この程度の視線の冷たさは苦にもならないのだろう。神威がくぽもどうやら悟ってしまっているようで、生活に悪影響が出ない範囲ではこの奔放さを見逃すことにしているらしい。その状況下で果たして彼が本当に合成音生を楽しめているのかどうかはまた別の話。
「十五周年ってことは、つまり神威さんは今年で十五歳ってことですよね」
「さて、どうであろうか」
フォークの先で苺のへたをつつきながら話を振るマスター。物理的には干渉できない神威がくぽも、マスターが事前に用意しておいたコピー映像を口に運ぶ素振りを見せつつ応じる。
「でもあなた、公式年齢無いですし」
「幾つか説はあろう、酒くらいは飲めるやもしれん」
「酔えないでしょうに……四百歳超えとも言われてましたっけ?」
「中の人 の年齢を参考にして真に良いのか?」
まあそんなことより、とマスターは手を打ち鳴らして場を改める。ここからが本題、大事な話。と言っても、重苦しいような種類のものではなく。
「折角の誕生日……みたいなもの、ですし。欲しいもの、やりたい事など、なにかありませんか?」
今宵ばかりは特別サービス、じゃじゃんと願いを叶えてあげましょう。両腕を広げ、そんな風に格好つけてみせたマスターに、神威がくぽは暫し考える仕草をとる。
「なんでもいいですよ。もちろん世界征服とかは無理ですが」
金銭事情などを汲んでのものならと、ある程度の保険はかけた上で。しかし現状さしたる不満も無しと悩みこむ彼を、マスターは急かすつもりもない。
新たなソフトウェアか、はたまた楽曲か。記念日なのだ、何を言われたとしてもなるべくは叶えてあげたい。そう心の中で思いつつ、考えをまとめさせるために少しの間放っておくことにして。
今すぐじゃなくても構いませんし、と言い残してそっとその場を離れ、調声作業でもとパソコンを開く。当のVOCALOIDが取り込み中であったことに気付いて、閉じる。その寸前、副業先の学習塾から割り当てられたテキスト課題の存在を思い出し、すんでのところで開き直す。数秒起動を待ってからパスワードを打ち込み、慌てて該当ファイルを探し始めた。
さて、その頃神威がくぽは。
結論から言うと、何も思いついていなかった。
こういった事は苦手だ、と彼は思う。祝われる事自体ではなく、自分自身の望みと向き合う事が。そもそも彼はVOCALOIDであり、THINKALOIDではない。否、そんなことはどうでもいい。早くそれらしき願いを、それもなるべくマスターの意に沿うようなものを、口にしなければ。
発想の糸口となるようなものは無いか。彷徨わせた視線が、なにやらパソコンと格闘しているマスターの背に吸い寄せられる。そのままスクリーンに注意の矛先が向かって。
そこに表示されていたのは、中学生用の演習テキストだった。ありふれた、それこそ書店で探せば山と積まれているようなポピュラーなもの。日本の中学生の多くは、今頃夏休みの宿題として同じような冊子に苦しめられていることだろう。
計算問題。物語読解。英単語暗記。日本に暮らしてきたならば大抵の人間が経てきたであろうその経験を、神威がくぽは持ち合わせない。
だから。
「……それ、が、良い」
半ば無意識に零した言葉に、マスターがひょいと振り返って。その顔越しに画面を指さし、彼は改めて芯の通った言葉で告げる。
「マスター。その『勉強』とやらを、我にもさせてくれ」
からん、と。正気か、と言わんばかりの表情を浮かべたマスターの足元に、空になった紙筒が落下した。
あれから、本当にそれでいいのか、悔いはないのかと何度も何度も確認を受けて。その度にこれでいい、大丈夫だと何度も何度も繰り返し答え。
「じゃん、白ラン衣装のデータを用意してみました」
「ふむ……何やら有り得たかもしれぬ未来を垣間見たような心地であるな」
一度納得させたマスターは、もはや神威がくぽに負けず劣らず乗り気になっていた。己が過去の体験を共有できる喜びか、はたまたこの苦行をお前も味わってみればいいとの仄暗い感情か。真相は知らずして、神威がくぽは純白の詰襟を纏う。なにぶんデータで構築された身、着替えも人間と比べれば随分と楽なものだ。
姿の更新が終わったのを確認して、くるりと回って決めポーズ。
「神威学徒である」
「それだと中の人じゃ……いや、真面目に勉学に励めそうなことで」
「神威楽刀である」
「腰のそれに乗っ取られてます? それともどこぞのVなんとかさんみたいにそちらが本体なのか」
神威がくぽも神威がくぽでそれなりに気分上々であるらしく。調子に乗った茶番を交じえつつも諸々の準備が終わったところで、いざ、始業の鐘が鳴り響く。
ちなみにこの度選ばれたのは基本中の基本、国数英の三科目。文系選択故に数学はちょっと……と不安に苛まれつつ意気込むマスター、特に事情を知ったことではないと素知らぬ顔をする神威がくぽ。さて、記念すべき第一教科はというと——。
薄暗い部屋に谺する、小さな破裂音。
ひらひら舞い散る紙吹雪はそのまま床に落ちるもの、途中で何かに引っ掛かるものと様々で。そのうちの数枚、眼前に掲げたホログラムの手をすり抜けていく小さな紙片を見つめながら、神威がくぽは苦笑する。視線の先に立っているのは、空になったクラッカーを携えこれまた笑顔を浮かべた人間。
「神威がくぽ、十五周年おめでとうございます!」
丁寧にケーキの上へ並べられたろうそくの灯りがゆらり、揺らめいて。蝋の雫が垂れる前にと、マスターは紙筒を放り出して部屋の電気を点灯し、急ぎ消火に取り掛かった。
「つい先日、我は製造日を祝われたはずではなかったか?」
「それとこれとはまた別ですから」
「そして数ヶ月後には起動日も祝うのであろう」
「お祝いなんて多いに越したことはないんですよ」
ケーキを頬張りながら和やかな談笑にふける。本日の主役から呆れた目を向けられようとも、主催者は特に気にしない。人生も合成音生も結局はその時その時を楽しんだもの勝ち、そう考えているから。だからケーキの苺も一番最初に食べるし、本業や副業といった大事な業務を放って調声作業にのめり込みもする。
前者はともかく、パソコンを開くたびにタスクファイルを引っ張り出されてはお小言を浴びせられ続けてきたマスターにとって、この程度の視線の冷たさは苦にもならないのだろう。神威がくぽもどうやら悟ってしまっているようで、生活に悪影響が出ない範囲ではこの奔放さを見逃すことにしているらしい。その状況下で果たして彼が本当に合成音生を楽しめているのかどうかはまた別の話。
「十五周年ってことは、つまり神威さんは今年で十五歳ってことですよね」
「さて、どうであろうか」
フォークの先で苺のへたをつつきながら話を振るマスター。物理的には干渉できない神威がくぽも、マスターが事前に用意しておいたコピー映像を口に運ぶ素振りを見せつつ応じる。
「でもあなた、公式年齢無いですし」
「幾つか説はあろう、酒くらいは飲めるやもしれん」
「酔えないでしょうに……四百歳超えとも言われてましたっけ?」
「
まあそんなことより、とマスターは手を打ち鳴らして場を改める。ここからが本題、大事な話。と言っても、重苦しいような種類のものではなく。
「折角の誕生日……みたいなもの、ですし。欲しいもの、やりたい事など、なにかありませんか?」
今宵ばかりは特別サービス、じゃじゃんと願いを叶えてあげましょう。両腕を広げ、そんな風に格好つけてみせたマスターに、神威がくぽは暫し考える仕草をとる。
「なんでもいいですよ。もちろん世界征服とかは無理ですが」
金銭事情などを汲んでのものならと、ある程度の保険はかけた上で。しかし現状さしたる不満も無しと悩みこむ彼を、マスターは急かすつもりもない。
新たなソフトウェアか、はたまた楽曲か。記念日なのだ、何を言われたとしてもなるべくは叶えてあげたい。そう心の中で思いつつ、考えをまとめさせるために少しの間放っておくことにして。
今すぐじゃなくても構いませんし、と言い残してそっとその場を離れ、調声作業でもとパソコンを開く。当のVOCALOIDが取り込み中であったことに気付いて、閉じる。その寸前、副業先の学習塾から割り当てられたテキスト課題の存在を思い出し、すんでのところで開き直す。数秒起動を待ってからパスワードを打ち込み、慌てて該当ファイルを探し始めた。
さて、その頃神威がくぽは。
結論から言うと、何も思いついていなかった。
こういった事は苦手だ、と彼は思う。祝われる事自体ではなく、自分自身の望みと向き合う事が。そもそも彼はVOCALOIDであり、THINKALOIDではない。否、そんなことはどうでもいい。早くそれらしき願いを、それもなるべくマスターの意に沿うようなものを、口にしなければ。
発想の糸口となるようなものは無いか。彷徨わせた視線が、なにやらパソコンと格闘しているマスターの背に吸い寄せられる。そのままスクリーンに注意の矛先が向かって。
そこに表示されていたのは、中学生用の演習テキストだった。ありふれた、それこそ書店で探せば山と積まれているようなポピュラーなもの。日本の中学生の多くは、今頃夏休みの宿題として同じような冊子に苦しめられていることだろう。
計算問題。物語読解。英単語暗記。日本に暮らしてきたならば大抵の人間が経てきたであろうその経験を、神威がくぽは持ち合わせない。
だから。
「……それ、が、良い」
半ば無意識に零した言葉に、マスターがひょいと振り返って。その顔越しに画面を指さし、彼は改めて芯の通った言葉で告げる。
「マスター。その『勉強』とやらを、我にもさせてくれ」
からん、と。正気か、と言わんばかりの表情を浮かべたマスターの足元に、空になった紙筒が落下した。
あれから、本当にそれでいいのか、悔いはないのかと何度も何度も確認を受けて。その度にこれでいい、大丈夫だと何度も何度も繰り返し答え。
「じゃん、白ラン衣装のデータを用意してみました」
「ふむ……何やら有り得たかもしれぬ未来を垣間見たような心地であるな」
一度納得させたマスターは、もはや神威がくぽに負けず劣らず乗り気になっていた。己が過去の体験を共有できる喜びか、はたまたこの苦行をお前も味わってみればいいとの仄暗い感情か。真相は知らずして、神威がくぽは純白の詰襟を纏う。なにぶんデータで構築された身、着替えも人間と比べれば随分と楽なものだ。
姿の更新が終わったのを確認して、くるりと回って決めポーズ。
「神威学徒である」
「それだと中の人じゃ……いや、真面目に勉学に励めそうなことで」
「神威楽刀である」
「腰のそれに乗っ取られてます? それともどこぞのVなんとかさんみたいにそちらが本体なのか」
神威がくぽも神威がくぽでそれなりに気分上々であるらしく。調子に乗った茶番を交じえつつも諸々の準備が終わったところで、いざ、始業の鐘が鳴り響く。
ちなみにこの度選ばれたのは基本中の基本、国数英の三科目。文系選択故に数学はちょっと……と不安に苛まれつつ意気込むマスター、特に事情を知ったことではないと素知らぬ顔をする神威がくぽ。さて、記念すべき第一教科はというと——。
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