Episode Of Bernstein ~新人メイドと白銀の魔導師~
役に立ちたいと思った。
でも、学歴の無い私には無理だと思っていた。
でもね、時代はどんどん変わるもの。必要であれば、そのように制度が整えられるもの。
あの方が正統な王位継承者になられた時と同じ時期に、色々変わるものがあった。
学歴がなくても、受けられる試験があるみたい。
分不相応だって笑われるかもしれない。でも、私の展望した未来に関わる事だった。
少しでも可能性があるなら、諦めないわ。
だって私は、『この国』が大好きだから。
「ありえない~」
「いいから寝ておきなさいよ」
「後の事は気にしなくて大丈夫よリビーさん。昨日だってちゃんと動いてくれたでしょう」
モナとシェリーナ様が交互に声をかけてくれる。
ベッドから起き上がる事が出来ずにいる私の頭を、二人がぽんぽんと撫でていく。
「しっかし熱高いわね~。水でも浴びてきたんですかね?」
モナが軽口を叩く。
「……リビーは動きすぎるところがあるから。疲れが出たのかもしれないわね」
普段は厳しい顔が多いシェリーナ様が、お母様のように笑っている。
熱を見るために額に手を置かれる。ひんやりとして、だいぶ気持ちが良かった。
「ちょっと換気もした方がいいだろうから窓を開けるよ。今日は満月だし、気分転換もしないと」
モナが硝子の格子を、外へ押し出す。淀んでいた空気が、すっきり軽くなったような気がした。
「リビー、このあと一人で大丈夫?」
シェリーナ様がしきりに心配をしてくれる。私は精一杯笑ってみせた。
「だいじょうぶです。久しぶりの風邪なんで、ちょっとびっくりしてるだけですから」
「良い子ね。何かあったら、ベルを鳴らして」
布団をきちんとかけ直してくれたシェリーナ様は、モナを連れて静かに出ていった。
一人になると、夜の色が一段と濃くなった。部屋が、深藍に染まる。海とは違う、不思議な青だ。
ちょうど窓からは、丸いお月さまが見えた。満月の夜は、潮が満ちて魔法の時間が始まる。月への道が水面に現れて、北の大地へ続くんだって。
でもここからは見えない。もっと海に近ければ、あの道は見えたかもしれない。
もっと近い場所にいたなら、……月にたどり着けたかもしれない。
ベッドの脇に置いてある本に、月光が降り注ぐ。幾つも付箋を挟んだそれは、もう一年は持ち歩いている。擦り切れた冊子、使い込んだペン。買い替えることはせず、ずっと使っていた。
この部屋に来てからも、ずっと。
「……けほっ」
最新の参考書、書きやすそうなペン。横目に見て、羨ましかった。
試験会場に吸い込まれていく列を見ながら、ぎゅっと唇を噛んでいた頃のことを思い出す。
『残念だけど、学院を出ていない者は受けさせられない』
『卒業してからおいで』
やんわりと、気遣うような断りの言葉が辛かった。
枕に顔を埋めて、涙を吸い込ませる。
やっと、少しでも近づけたと思ったのに。なんて大失敗。
こんなことで落ち込んでいる私も、本当に情けなくてしかたない。
驚いた顔のアデル殿下。やっと、間近で見る事が出来たのに。
どうせ見るなら、あの輝くような、笑顔が良かった。
「リビーさん」
涙と後悔でぐちゃぐちゃになっていた頭に、ノックの音が響く。
返事をせずにそのままにしていると、また声をかけられた。
「リビーさん、起きてます?」
この声は、ベルンハルト様。
いやまさか。こんな夜更けに魔導研究室室長様が、城内の端にある宿舎まで来るわけない。
相当な距離があるから、あの体力なさそうな方なら途中で酸欠になる筈。
怖い。無視をしよう。
それでなくとも、今はベルンハルト様には会いたくない――。
「無視しないでくださいリビーさんこんばんはお加減どうですか」
「どうやって開けたんですか!!!」
鍵をかけていた筈の扉を難なく開け放ち、ベルンハルト様が部屋に入ってきた。
腰には、管理用の鍵の束。誰だこの人にそんな危険なもの渡したやつは!!
そしてご丁寧に鍵をかけ直したので、私の警戒心は一気に跳ね上がった。
ベッドから降りて、窓際まで後ずさる。
「ほら、無理しないように」
「来ないでください!!」
「心外だねえ。俺が何かするとでも思ってマス?」
「したじゃないですか! 執務室で!! ……あ、あんな! 殿下も……いたのに!」
殿下、と口にすると、また涙が溢れて来た。
悔しいので、思い切り拭う。瞼が引きつったけど、気にしない。
「私はメイドです! 貴方たち、偉い人の邪魔はしません! ……だからもうやめてください! からかわないでください!!」
呂律が回らなくなりそうだったけど、必死に言い回す。
こんなことで仕事を諦めたくない。意地悪されたって、ここで働いていたい。
だって此処は、私の憧れの場所。やっと受かった、初めての試験。
やっと。やっと、少しだけ近づけた、憧れの王子様のお城なんだから。
「っ……、なんで、意地悪するんですか……」
前が見えなくなった。涙が、とめどなく溢れてくる。
右手に、使い古した参考書の角が当たる。気付くと、余計に泣けてきた。
夜の色、月の光。潮の香り。そのどれもが、今は私に厳しい。
まるでこの国に溶け込んではいけないかのように、冷たく当たる。
私の小さな憧れは、夢見てはいけない事であるかのように。
「……嫌われてるなあ」
吐き捨てるように、ベルンハルト室長が言った。
月光から離れた暗がりにいる彼は、表情がよく見えない。
「昨日の事なら、悪いようにはなっていませんよ」
「え……」
「アデル王子にも、誤解の無いように説明をしました。心配はないです」
「わ、私、別に……殿下のことは」
「ただ一つ忠告をしておくけど、王子には婚約者がいる。どれだけ頑張っても、その距離が縮まることはないですからね」
なんてことを、平気で言うんだろう。
この方は最初から、全て分かっていたんだ。
あの初めて会った時から、あらゆる可能性を考えて私に近づいていたんだ。
途端に、私は顔が熱くなって、そしてまた涙が溢れてきた。
自分でも扱いかねていたこの気持ちを、よりによってこの人から気付かされることになるなんて。
「……ベルンハルト様は、ずっと分かってたんですか」
「人の事はよく把握しているのに自分の事はあんまり分かってないみたいだねえ。俺でなくともバレますでしょそのうち」
「っ、何かする気なんてありません!」
「そだね。されたら困る」
「だから分かってますって――……」
「そうじゃなくて」
月光が満ち足りて、ベッドの向こう側を映し出す。
雪の髪が、潮風に揺れている。
眼鏡を外して、こちらを真っ直ぐに見つめてくるベルンハルト様がそこにいた。
探るように、ゆっくりと近づいてくる。
長い脚が距離を縮めるには、五歩もあれば十分だった。屈まれ、視線が近くなる。
ベルンハルト室長は、私の頭にそっと触れた。
「俺が困る」
「なんでベルンハルト様が困るんですか?」
「……ほんと見ないといけないとこ見てない人ですね」
「は? なんです!?」
「いいええなんでもぉ」
なんか絶対悪口言われた今!
声が低いから聞き取りにくいのよ!
「とにかくですね、リビーさん。色々誤解してるようなのでちゃんと言っておきます」
眼鏡をかけなおしたベルンハルト様は、いつもの顔になった。
「俺は君のことをよく働くいい子だなって思ってマスし」
「思ってませんよね」
「……小さいネズミみたいで無駄に動いてて可愛いなと思ってマスし」
「もっと褒めてから落としてくださいよ!」
大声で叫んだら、頭がくらくらしてきた。
そんな私の様子に気付いたのか、ベルンハルト様が手のひらを横にひらひらと動かした。不意に、体の周りに光る雪の結晶が舞い、私はベッドに柔らかに寝かしつけられた。
「魔法……」
「眠そうな人を眠らせるための魔導術を五百倍薄めたものです」
「待って……薄めなかったらこれ攻撃魔導術じゃないんですか……」
「だから薄めたんです」
ほんとマジで何考えてんだこの室長。でもなんだか頭がひんやりして気持ちいいな。魔導術ってこんな簡単に使えるものなのかな。
「何かほしいものはありますか?」
珍しい……優しい……。
でもここで欲しいもの言ってもその通りのものは出てこない気がする。
プリンって言ったらバケツサイズのプリンとか出してきそうこの人。
ふと、見るつもりもなく、私はベッドサイドに目を向けた。本当に、無意識に。
欲しいものと聞かれたら、今の私が思うものはひとつしかなかったから。
「ん……?」
私の視線に誘われたベルンハルト様が見たのは、ベッド脇にある参考書。
ベルンシュタイン城、後期文官選定試験の、過去問題集。
いつかあの王子様の、この国の役に立ちたいから。
私がずっとずっと、大事にしているものだ。
「ああ……」
ベルンハルト様がその本を手に取る。表紙が取れかかっていて、中には折り目がたくさんついているから恥ずかしい。
ばっとシーツを被って隠れると、ベルンハルト様はぽつりと呟いた。
「王城勤めのメイドを募った試験。学院出身や貴族の子女にこだわらず多くを募ったあの試験で、君は合格したんですよね」
「……チャンスだったので」
「君の選択は正しかった」
シーツ越しに、優しい手が私に触れる。
「能力あるものが認められるべきだ。地位や学院は指標にすぎない。そう言ったのはアデル王子殿下です」
王子はさすがだ。敵を作らないかなって心配にもなるけど、あの王子に限ってはみんな従っちゃう不思議な人。
「だから王子に言っておきました。リビー・ノイマンは優秀すぎる。試験を最年少で突破した人材を今のような下級メイドにせず魔導研究室の専属メイドになるべきですと!」
「いや何言ってるんですか!?」
シーツを足で蹴り起き上がる。
「嫌ですよ! なんで研究室の専属なんか!」
「……賞与……」
「いや賞与って言えば従うと思ってます!? 絶対嫌です!!」
すると、ベルンハルト様は今まで見たことないような、子供みたいな、なんとも言えないような顔で笑った。
なんて綺麗な、琥珀の瞳。月も海も光さえも、その宝石の深さには届かない。
「文官サンの試験、受けれるようになるといいですね」
この方は、私が殿下を見ていたように、ずっと見てくれていたのだろうか。
そして最年少の私を、恐らくは色々不安に思ってくれていたのだろう。
背も足りなくて、ただ頭でっかちな私についててくれたんだ。
この不完全な恋の事も、――傷つかないように。
ああ、私はなんて誤解をしていたんだろう。この方は優しい方なんだ。
熱は辛いけど、なんだかぐっすり眠れそう――。
「…………ん?」
ふと気づくと、ベルンハルト様の顔が近くにあった。
なんだかよく分からないけど、こちらをじっと見ている。
顔色が悪いからかな。熱以外はそんなにしんどくないんだけど……。
「ところでリビーさん」
「は、はい」
「全メイド中最年少とはいえ随分幼く見えますが、実年齢は十五歳で間違いありませんか」
「……童顔で背が小さいのはお父様の遺伝です」
「そうですか、十五歳……ふむ」
「え、なんですか。どういう意味ですか」
「ふうん……いえなんでもないデス。気にせず寝てください」
「……はあ」
このあと少しして、来期から文官の試験資格が王宮魔導師の提言により学歴に加えて十八歳以上に引き上げられたという知らせを聞いた私は、また三日ほど寝込むことになった。
「あの陰湿室長おおおお!!!!」
第五話・終
でも、学歴の無い私には無理だと思っていた。
でもね、時代はどんどん変わるもの。必要であれば、そのように制度が整えられるもの。
あの方が正統な王位継承者になられた時と同じ時期に、色々変わるものがあった。
学歴がなくても、受けられる試験があるみたい。
分不相応だって笑われるかもしれない。でも、私の展望した未来に関わる事だった。
少しでも可能性があるなら、諦めないわ。
だって私は、『この国』が大好きだから。
「ありえない~」
「いいから寝ておきなさいよ」
「後の事は気にしなくて大丈夫よリビーさん。昨日だってちゃんと動いてくれたでしょう」
モナとシェリーナ様が交互に声をかけてくれる。
ベッドから起き上がる事が出来ずにいる私の頭を、二人がぽんぽんと撫でていく。
「しっかし熱高いわね~。水でも浴びてきたんですかね?」
モナが軽口を叩く。
「……リビーは動きすぎるところがあるから。疲れが出たのかもしれないわね」
普段は厳しい顔が多いシェリーナ様が、お母様のように笑っている。
熱を見るために額に手を置かれる。ひんやりとして、だいぶ気持ちが良かった。
「ちょっと換気もした方がいいだろうから窓を開けるよ。今日は満月だし、気分転換もしないと」
モナが硝子の格子を、外へ押し出す。淀んでいた空気が、すっきり軽くなったような気がした。
「リビー、このあと一人で大丈夫?」
シェリーナ様がしきりに心配をしてくれる。私は精一杯笑ってみせた。
「だいじょうぶです。久しぶりの風邪なんで、ちょっとびっくりしてるだけですから」
「良い子ね。何かあったら、ベルを鳴らして」
布団をきちんとかけ直してくれたシェリーナ様は、モナを連れて静かに出ていった。
一人になると、夜の色が一段と濃くなった。部屋が、深藍に染まる。海とは違う、不思議な青だ。
ちょうど窓からは、丸いお月さまが見えた。満月の夜は、潮が満ちて魔法の時間が始まる。月への道が水面に現れて、北の大地へ続くんだって。
でもここからは見えない。もっと海に近ければ、あの道は見えたかもしれない。
もっと近い場所にいたなら、……月にたどり着けたかもしれない。
ベッドの脇に置いてある本に、月光が降り注ぐ。幾つも付箋を挟んだそれは、もう一年は持ち歩いている。擦り切れた冊子、使い込んだペン。買い替えることはせず、ずっと使っていた。
この部屋に来てからも、ずっと。
「……けほっ」
最新の参考書、書きやすそうなペン。横目に見て、羨ましかった。
試験会場に吸い込まれていく列を見ながら、ぎゅっと唇を噛んでいた頃のことを思い出す。
『残念だけど、学院を出ていない者は受けさせられない』
『卒業してからおいで』
やんわりと、気遣うような断りの言葉が辛かった。
枕に顔を埋めて、涙を吸い込ませる。
やっと、少しでも近づけたと思ったのに。なんて大失敗。
こんなことで落ち込んでいる私も、本当に情けなくてしかたない。
驚いた顔のアデル殿下。やっと、間近で見る事が出来たのに。
どうせ見るなら、あの輝くような、笑顔が良かった。
「リビーさん」
涙と後悔でぐちゃぐちゃになっていた頭に、ノックの音が響く。
返事をせずにそのままにしていると、また声をかけられた。
「リビーさん、起きてます?」
この声は、ベルンハルト様。
いやまさか。こんな夜更けに魔導研究室室長様が、城内の端にある宿舎まで来るわけない。
相当な距離があるから、あの体力なさそうな方なら途中で酸欠になる筈。
怖い。無視をしよう。
それでなくとも、今はベルンハルト様には会いたくない――。
「無視しないでくださいリビーさんこんばんはお加減どうですか」
「どうやって開けたんですか!!!」
鍵をかけていた筈の扉を難なく開け放ち、ベルンハルト様が部屋に入ってきた。
腰には、管理用の鍵の束。誰だこの人にそんな危険なもの渡したやつは!!
そしてご丁寧に鍵をかけ直したので、私の警戒心は一気に跳ね上がった。
ベッドから降りて、窓際まで後ずさる。
「ほら、無理しないように」
「来ないでください!!」
「心外だねえ。俺が何かするとでも思ってマス?」
「したじゃないですか! 執務室で!! ……あ、あんな! 殿下も……いたのに!」
殿下、と口にすると、また涙が溢れて来た。
悔しいので、思い切り拭う。瞼が引きつったけど、気にしない。
「私はメイドです! 貴方たち、偉い人の邪魔はしません! ……だからもうやめてください! からかわないでください!!」
呂律が回らなくなりそうだったけど、必死に言い回す。
こんなことで仕事を諦めたくない。意地悪されたって、ここで働いていたい。
だって此処は、私の憧れの場所。やっと受かった、初めての試験。
やっと。やっと、少しだけ近づけた、憧れの王子様のお城なんだから。
「っ……、なんで、意地悪するんですか……」
前が見えなくなった。涙が、とめどなく溢れてくる。
右手に、使い古した参考書の角が当たる。気付くと、余計に泣けてきた。
夜の色、月の光。潮の香り。そのどれもが、今は私に厳しい。
まるでこの国に溶け込んではいけないかのように、冷たく当たる。
私の小さな憧れは、夢見てはいけない事であるかのように。
「……嫌われてるなあ」
吐き捨てるように、ベルンハルト室長が言った。
月光から離れた暗がりにいる彼は、表情がよく見えない。
「昨日の事なら、悪いようにはなっていませんよ」
「え……」
「アデル王子にも、誤解の無いように説明をしました。心配はないです」
「わ、私、別に……殿下のことは」
「ただ一つ忠告をしておくけど、王子には婚約者がいる。どれだけ頑張っても、その距離が縮まることはないですからね」
なんてことを、平気で言うんだろう。
この方は最初から、全て分かっていたんだ。
あの初めて会った時から、あらゆる可能性を考えて私に近づいていたんだ。
途端に、私は顔が熱くなって、そしてまた涙が溢れてきた。
自分でも扱いかねていたこの気持ちを、よりによってこの人から気付かされることになるなんて。
「……ベルンハルト様は、ずっと分かってたんですか」
「人の事はよく把握しているのに自分の事はあんまり分かってないみたいだねえ。俺でなくともバレますでしょそのうち」
「っ、何かする気なんてありません!」
「そだね。されたら困る」
「だから分かってますって――……」
「そうじゃなくて」
月光が満ち足りて、ベッドの向こう側を映し出す。
雪の髪が、潮風に揺れている。
眼鏡を外して、こちらを真っ直ぐに見つめてくるベルンハルト様がそこにいた。
探るように、ゆっくりと近づいてくる。
長い脚が距離を縮めるには、五歩もあれば十分だった。屈まれ、視線が近くなる。
ベルンハルト室長は、私の頭にそっと触れた。
「俺が困る」
「なんでベルンハルト様が困るんですか?」
「……ほんと見ないといけないとこ見てない人ですね」
「は? なんです!?」
「いいええなんでもぉ」
なんか絶対悪口言われた今!
声が低いから聞き取りにくいのよ!
「とにかくですね、リビーさん。色々誤解してるようなのでちゃんと言っておきます」
眼鏡をかけなおしたベルンハルト様は、いつもの顔になった。
「俺は君のことをよく働くいい子だなって思ってマスし」
「思ってませんよね」
「……小さいネズミみたいで無駄に動いてて可愛いなと思ってマスし」
「もっと褒めてから落としてくださいよ!」
大声で叫んだら、頭がくらくらしてきた。
そんな私の様子に気付いたのか、ベルンハルト様が手のひらを横にひらひらと動かした。不意に、体の周りに光る雪の結晶が舞い、私はベッドに柔らかに寝かしつけられた。
「魔法……」
「眠そうな人を眠らせるための魔導術を五百倍薄めたものです」
「待って……薄めなかったらこれ攻撃魔導術じゃないんですか……」
「だから薄めたんです」
ほんとマジで何考えてんだこの室長。でもなんだか頭がひんやりして気持ちいいな。魔導術ってこんな簡単に使えるものなのかな。
「何かほしいものはありますか?」
珍しい……優しい……。
でもここで欲しいもの言ってもその通りのものは出てこない気がする。
プリンって言ったらバケツサイズのプリンとか出してきそうこの人。
ふと、見るつもりもなく、私はベッドサイドに目を向けた。本当に、無意識に。
欲しいものと聞かれたら、今の私が思うものはひとつしかなかったから。
「ん……?」
私の視線に誘われたベルンハルト様が見たのは、ベッド脇にある参考書。
ベルンシュタイン城、後期文官選定試験の、過去問題集。
いつかあの王子様の、この国の役に立ちたいから。
私がずっとずっと、大事にしているものだ。
「ああ……」
ベルンハルト様がその本を手に取る。表紙が取れかかっていて、中には折り目がたくさんついているから恥ずかしい。
ばっとシーツを被って隠れると、ベルンハルト様はぽつりと呟いた。
「王城勤めのメイドを募った試験。学院出身や貴族の子女にこだわらず多くを募ったあの試験で、君は合格したんですよね」
「……チャンスだったので」
「君の選択は正しかった」
シーツ越しに、優しい手が私に触れる。
「能力あるものが認められるべきだ。地位や学院は指標にすぎない。そう言ったのはアデル王子殿下です」
王子はさすがだ。敵を作らないかなって心配にもなるけど、あの王子に限ってはみんな従っちゃう不思議な人。
「だから王子に言っておきました。リビー・ノイマンは優秀すぎる。試験を最年少で突破した人材を今のような下級メイドにせず魔導研究室の専属メイドになるべきですと!」
「いや何言ってるんですか!?」
シーツを足で蹴り起き上がる。
「嫌ですよ! なんで研究室の専属なんか!」
「……賞与……」
「いや賞与って言えば従うと思ってます!? 絶対嫌です!!」
すると、ベルンハルト様は今まで見たことないような、子供みたいな、なんとも言えないような顔で笑った。
なんて綺麗な、琥珀の瞳。月も海も光さえも、その宝石の深さには届かない。
「文官サンの試験、受けれるようになるといいですね」
この方は、私が殿下を見ていたように、ずっと見てくれていたのだろうか。
そして最年少の私を、恐らくは色々不安に思ってくれていたのだろう。
背も足りなくて、ただ頭でっかちな私についててくれたんだ。
この不完全な恋の事も、――傷つかないように。
ああ、私はなんて誤解をしていたんだろう。この方は優しい方なんだ。
熱は辛いけど、なんだかぐっすり眠れそう――。
「…………ん?」
ふと気づくと、ベルンハルト様の顔が近くにあった。
なんだかよく分からないけど、こちらをじっと見ている。
顔色が悪いからかな。熱以外はそんなにしんどくないんだけど……。
「ところでリビーさん」
「は、はい」
「全メイド中最年少とはいえ随分幼く見えますが、実年齢は十五歳で間違いありませんか」
「……童顔で背が小さいのはお父様の遺伝です」
「そうですか、十五歳……ふむ」
「え、なんですか。どういう意味ですか」
「ふうん……いえなんでもないデス。気にせず寝てください」
「……はあ」
このあと少しして、来期から文官の試験資格が王宮魔導師の提言により学歴に加えて十八歳以上に引き上げられたという知らせを聞いた私は、また三日ほど寝込むことになった。
「あの陰湿室長おおおお!!!!」
第五話・終
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