Episode Of Bernstein ~新人メイドと白銀の魔導師~

 体調管理も仕事の内。
 そう言い聞かされてきた。

 だからご飯はちゃんと食べるし、たまに軽い運動もするし。
 それはそれは、すくすくと元気に健やかに生活してきたのよ?

 少々体がだるくっても、それはいつものこと。
 休憩に気を遣えば、すぐに治るわ。

 私はこの国の隅っこにいる下っ端だけど、それでもパーツのひとつ。

 自覚を持って、仕事をするのよ。

 あの方の、笑顔の為に。





 ――下っ端メイドの朝は早い。
 なんて偉そうに語るほどのことではない。
 厨房には専門のシェフ。重要な場所の掃除は上級メイドのお姉さま方。
 だから私の朝からの仕事は、お洗濯や雑用、目の届きにくい場所の掃除。
 少ないように見える?
 でもね、王城は広くって、私の脚だと小走りにならないと間に合わないこともある。
 でも城内を走るなんて事はできないから、急いでゆっくり正確に焦って移動しなきゃいけない。
 どこまでも伸びている回廊に、潮の香りが流れ込んでくる。天気が良くて風も吹く日は、おまけに海鳥の可愛い声も聞こえてくる。
 それを聞いていると気分が良いので、つい足を止めて見てしまう。
 この国が誇る、青い海。あの向こうにある国は、この国よりも美しいのかしら?

「リビーさん。ちょっとよろしいかしら」

「メイド長様」

 ぼうっとしていると、声をかけられた。
 珍しいなあ。朝から城内を歩き回ってるなんて。
 怒られるのかと思ったら、メイド長は少し困ったような顔をした。苦労の見える皴深い目元に、疲れが滲んでいる。

「貴方、このお城にはもう慣れたわね」

「はい。おかげさまで」

「そう、何よりだわ。周囲の人間の予定もよく把握してるって、シェリーナから聞いているわ」

 シェリーナというのは、私の直接の上司。上級メイドのお一人で、機敏に動くかっこいい女性だ。ちょっと怖いけど、普段は優しい人。

「予定を見るのが好きなんです。奉公先の家で、奥様の予定を濁さず動くのが楽しくって」

「よろしいわ。……ところで、そんな貴方を見込んでひとつお願いがあるのだけど」

「なんでしょうか」

「貴方、半日だけでもいいから、シェリーナの補佐についてもらえないかしら」

「……はっ?」

 胸の中に、すうっと冷たいものが走るのが分かった。
 シェリーナさんのお仕事は上級メイド。その仕事の範囲は――。
 室長含む魔導師、王宮文官方のお部屋を中心とする清掃。そして給仕。
 忙しいお仕事の方々の予定を崩すことなく進めなければならない、ある意味王子殿下付きメイド並に重要な立ち位置だ。

「実はね。シェリーナの補佐に付いていた子が……まあ、なんといいますか。『おめでたいこと』になって。それがずっと隠していたらしくって。今日、体調を崩して、急に休むことになったのよ」

「えっ! 大丈夫ですか!? それは大変……赤ちゃんは大丈夫かしら」

「……ああ、まあ、大丈夫よ」

 ん? メイド長が、ぽかんとした顔をしている。

「あの、メイド長様」

「あ、……ああ、いいのよ。そんなわけで、お願い出来るかしら」

 正直、ちょっと荷が重いけど。
 やらないとは言わない。何よりお給料が大事だし、事情が事情だし当然!

「私でよろしければやらせて頂きます」

「貴方ならそう言ってくれると思ったわ。半日だけだから。後半は交代するから大丈夫よ」

 大丈夫。そう言って笑うメイド長の顔が本当に嬉しそうだったから、私も俄然やる気が出てきた。
 体調が悪いのなら仕方ない。ましてや、おめでたいことなら。
 担当する場所があのインテリ眼鏡黒子のところってのが心配だけど、文官だけでどれだけの人数がいると思う?
 会ったとしても、ちらっとすれ違うくらいで済む筈。
 大丈夫大丈夫。私のテンション、大丈夫!


 * * *


「執務室で何やってんですか!!!!」

 ハタキと箒を手に持って入った部屋は、磨き上げられた室長様の執務室。
 随所に飾られた紫陽花の中で、このめんどくせー魔導師様は、自分の机に綺麗なお姉さんを乗せていた。
 いや、乗せているだけならいいんだけれど。その綺麗なお姉さんったら、ものすごく長くて肉感的な脚を室長の膝に乗せている。
 流すようにこちらを見る目がとっても艶めいていて、私は思わず自分の顔を覆っていた。

「あれ、いつもの子じゃないんだ」

 綺麗なお姉さんは、朗らかに笑うと、長い脚をついっと室長から離した。
 けど机からは降りず、豪華な金の髪を手で払いのけ、脚を組みかえた。
 なんって、蠱惑的で、かっこいい方。
 でもちょっとは驚くとか離れるとかしてほしい!!
 ほんと何してたのこの人たち!!

「シェリーナが……いえ、『室長サマ』が話していた子ね。ご苦労様ぁ」

 お姉さんは、室長の方に振り返って笑っている。正反対に、室長の眉間に皺が何本も刻まれていた。
 そして直ぐにつかつかとこちらに歩み寄って来て、杖で脇腹をつつきながらほっぺたをつねり上げてきた。
 なんだあんた! こんな時だけ機敏に動いて!

「おはようございますリビーさ~ん。ところでノックはしましたか~? 挨拶はしましたか~?」

「いひゃいいひゃい! ひまひた! へんじがなはったんでふ!」

「じゃあ返事があるまで入っちゃダメじゃないですか」

「ひゃ、ひゃのじょといひゃふくなら、おひごとがないときにひてくだはい!」

「誰がこんな魔導力バカを彼女に……。彼女はゼアヒルド。私の補佐の魔導師です」

 弾け飛ぶように指を離される。頬がじんじんと痛い。

「たたた……」

「大丈夫?」

 綺麗なお姉さん、ゼアヒルド様が傍に寄ってくる。
 長い指で頬を撫でてくれるのはいいんだけど、この方とってもとってもいい香りがして落ち着かない。甘くて濃い、お花の香り。頭がくらくらする。深い紺碧の瞳は底が見えなくて、吸い込まれてしまいそうだ。
 あと大変申し訳ございませんが、ズボン。下のおズボン。小股まで脱げかかっております。

「申し訳ございません。失礼を……」

「いいのいいの。こいつが悪いのだから」

「どこをどうとったらそういう結論に至るんデス?」

「あら。室長が悪いんじゃない。折角彼の国の情報を持ってきてあげたのに」

「普通に渡せないんですか貴方は」

 何の話か分からない私をよそに、ゼアヒルド様は腰元に挟んでいた紙を取り出した。それを投げるように室長に渡すと、早く読めと言わんばかりに目を細めている。
 この方、室長の補佐……『部下』だよね?

「これは後で確認します。貴方は早急に迅速に急いでさっさと行ってください」

「何よその態度。……ああ、この子が来たから、とりあえず休憩?」

「では! 後はよろしくお願いします」

 室長が被せるような言い方をするのは初めて聞いた。それも、こんな嫌そうに。
 なるほど、もしかしてゼアヒルド様が苦手なんだろうか。
 ゼアヒルド様はというと、余裕のある顔で、颯爽と退室していった。去り際に、意味深な笑顔を私に向けながら。

「……あの」

「はい?」

 書類に目を向けたまま、返事をされる。
 眼が文章を追う毎に、室長の雰囲気が少し重くなるのを感じた。

「シェリーナ様の補佐の方が体調を崩されたので、私が代わりに参りました。この時間は執務室にいらっしゃらないと聞いたので、お掃除をさせて頂こうかと思ったのですが……」

「ああ、メイド長から聞いています。適当にどうぞ」

 はいはいはい。そうでしたね。階段の時もそうだったけど、自分の行動を邪魔されるのはお嫌いなんですよね。
 本当に自己中心的な御方。これが殿下だったら、……慌てて笑いながら出て行かれるんだろうなあ。お可愛らしいなあ。
 ……どうせ上級メイドの真似事をするなら、殿下が良かったなあ。
 そんなことを考えながら、窓を開ける。さっと差し込む陽の光に、埃がちらちらと光る。いつもお掃除を欠かさないお部屋だから、見た目には綺麗なんだけど……。
 私たちの仕事はその綺麗さを維持すること。
 何もない場所でも、丁寧にはたき、拭き取る。指紋がよく付く場所は特に丁寧に。
 机なんかは特にね。手でべたべたと触っちゃう場所だから綺麗にしま――。

「はたく事すら出来ない!」

 室長の机は、重要そうな書類が、事もあろうに一枚ずつバラバラに置かれていた。
 その上にはペン、失敗してくしゃくしゃに丸められた紙くず。なんかのゴミ!
 触っていいのか悪いのか分からず、私は室長を睨んだ。

「…………あの!」

「はい?」

「この書類だけでも取り除いて頂けませんか。重要書類であれば、私なんかの目に触れさせることは如何かと」

 机の前で、書類から目を逸らしていると、室長は面倒くさそうに私の方へ歩いてきた。
 これこれ、とハタキで示すと、少しの間黙り込んだ。

「ああ、別に見ても構いませんよ。今度の魔導師団の軍配備に関する実施計画の資料ですから。過去の物です。一般市民でも知っている」

 ちらっと見ると、確かにその通りだった。
 確かに、魔導師の軍隊を強化するんだっけ。この国は平和なのにそんなことをするなんて戦争でも始まるのかって、皆が怖がっていたっけ。
 そうか。この方はそんなことも考えなければならないんだ。

「大変ですね……。費用の財源を考えるだけでも頭が痛くなりそう」

「実行するかどうかは別として、隣に大国がいるこの国はいつも警戒をしておく必要があります。恐がだけで何もせずに蹲るなど馬鹿のすることだねえ」

「……室長様は、怖くないのですか?」

 まあ、確かにこの方が何かを怖がるなんて事しないだろう。そう思って、なんとなく聞いただけだったんだけど。
 室長は、どういうわけか薄く微笑んだ。

「――じゃあ聞くけど、リビーさん。貴方の怖いモノは、何ですか?」

 言うと同時に、体の両側に手が置かれた。机に向かっていた私は、背後から閉じ込められる形になる。
 左右にある、白い魔導師の制服を纏った腕。一瞬何が起こったのか分からずに、私は書類を見つめたままだった。

「君は俺が怖くないのですか?」

「え、いや。怖いっていうか、上司として怖いとかはありますが」

 金縛りにでもあったように、体が動かない。ゼアヒルド様と同じ甘い香りが、ふんわりと立ち込める。

「君は本当に色々とよく見えてるよねえ」

 机にあった手が、いつの間にか私の腰元にある。片手は机に置かれたまま、右手だけが徐々に上へと滑っていく。
 手に持っていたハタキを、流れるように奪われて床に捨てられた。
 上品な鳥の羽根が、音も無く落ちるのを目で追う。

「す、すみません室長。私……何か、しましたか」

「ううん、なにも」

 右手が、腹部を撫でる。指先が、今にも胸の膨らみに届きそうな距離で往復している。

「ただ、少し疑問ではあるけどね。メイドのくせに、この書類を一目見てどんな内容で何の為に用意されたものかを瞬時に理解した」

「そ、それは。その」

「私に言えない事ですか?」

 耳元に唇を寄せられ、体が強張る。ひっと小さく呻けば、室長は益々楽しそうに囁いた。
 左手はついに机から離れ、長いスカートを徐々にたくし上げていく。太ももをまさぐり、何かを探すように蠢く。ふいに、ふんと鼻を鳴らされた。

「もしかして君は――」

 室長の白い髪が私の前髪と重なりかけたその瞬間だった。扉が無遠慮に思い切り開け放たれた。

「ベルンハルトー! 聞いたか!? 赤ん坊無事に産まれたって! よかったねー…………って、何してるんだよベルンハルト!!」

 なんとタイミングの良い事か。
 この明るい御声。そして無遠慮な振る舞い。室長様を呼び捨て。
 こんな事が出来るのは、このお城ではゼアヒルド様以外ではお一人だけ。

「……赤ちゃんがどうしたんデスか。もう生まれたんデスかお世継ぎが」

「な、いや! まだ何もしてないのにできるわけないだろ!! ちゃんと結婚するまで待つに決まってるだろ何言ってるんだよ!! いやそうじゃなくて! ベルンハルトが何やってんだ!! ちょっとそこの君大丈夫!? あれ小さい! 小さい女の子! ベルンハルト……その子ベルンハルトの……!?」

「落ち着いてくださいアデル王子」

「君、新しいメイドの子だよね?」

「は、……は、い」

 ――振り向けなかった。
『君』と呼ばれるなんて、光栄の極み。この国の時期国王陛下が、普通ならお目見えすることも叶わないのに。
 この雪の向こう側に、憧れの王子様がいらっしゃる。
 私が、この国を守りたいと思った、きっかけの御方がいらっしゃるのに。
 脚が竦んで、なぜか辛くて、動けない。

 なんで?

 早く振り向かないと。不敬にも程がある。背を向けたまま返事をするなんて、メイドのやることじゃない。
 恥ずかしいとかじゃない。居た堪れないとかじゃない。
 どうしても、今、王子に「私」を見られるのが嫌だった。

「……リビー?」

 俯く私に、声がかかる。それは王子様の声ではなく、室長のものだった。
 気付いた時には、私は走り出していた。室長の横をすり抜け、真正面に見えた憧れの殿下を見て。
 抑え切れない涙を必死に押し込めて、なんとか頭を深く深く下げた。

 その後の事はあまり覚えていない。
 何故かとても哀しくて、でも室長が憎いとかじゃなくて。
 ただただ、胸がぎゅっと締め付けられていた。





「リビー、掃除完璧だったって、メイド長様が褒めてたわ。初めての場所なのによくやったって」

「……有難うございます」

 シェリーナ様からのお言葉。とっても嬉しい筈なのに、耳をすり抜けていく。



 落としてしまったハタキは、まだあの部屋にあるのだろうか。

 第四話・終
4/5ページ
スキ