Episode Of Bernstein ~新人メイドと白銀の魔導師~
――こんな筈じゃなかった。
極貧な家に生まれた私が、手に職をつけることといえば何もなく、誇れるのは奉公先で習った礼儀作法だけ。
それを武器にして、なんとか雇ってもらえたっていうのに。
一番、一番大好きな王子様がここにいる。
新緑を臨む、憧れのお城。そこにおわす素敵な王子様。清流のように美しい髪に、晴れた海のごとく爽やかな笑顔。
泥まみれでみんなと掃除をしている姿を見て、最初は王子様だなんて思わなかった。
素敵! 尊い御方なのに、市井に身を落として、あんなに楽しそうにはしゃいで。
ああ、この方の、力になりたい。
そう、だから私リビー・ノイマンはメイドを目指した。ある程度の学歴は問われても、それ以降は実力勝負の面接と試験を根性で突破した。
……まあ、王子様からは程遠い、お城の端っこを掃除する掃除夫と変わらない下級メイドに配置されたんだけど。
知識も学歴も家柄も持ち合わせてる方々は、殿下や高官方のお部屋周りを担当出来る。対して私は、一般市民。お金もなければ、良い学校にも通えていない。
当然の割り当てだって、納得はしている。
でも構わない。それでも、ちょっとでもこの国と王子の力になれたら。
それだけで、幸せ!
――だから、そう言ってるじゃないですか。
ずっとずっと言ってるじゃないですか。
私がしたかったのは、こんなことじゃないんですってば。
「おやまだこんなところにいらっしゃる。掃除好きなんだねえ」
「貴方がやれって言ったんでしょうが!!」
こんな性悪な魔法使いの玩具にされるなんて聞いてない!!
掃除をしてもしても、どこからか落ちてくるブーゲンビリア。淡いブライダルピンクの輝きの下で、王子殿下に見つめられてみたいなあ。いやまあ有り得ないんだけどね。
私の働くこのお城は、ベルンシュタイン城。海を臨む、王様のお城。
綺麗な海にはいつも観光客がいて、今日も楽しそうな恋人たちの笑い声が響いてるし……はあああほんとにもう。
この城には一人の王子様がいる。空に水を落としたような髪と綺麗な瞳の、優しい王子様だ。年は私なんかより全然上なんだけど、分け隔てのない優しい態度が誰をも魅了する。
そんな王子殿下の姿を拝謁することなんて、ほっとんど無いけれど。それでも、このお城のどこかで、彼の殿下がいらっしゃる気配はある。
あ、ほら。衛兵の数が増えた。たぶん後々、あの回廊をお通りになられるはず。奥にいらっしゃる侍従長様が、普段は使わない階段を昇る。
けどいつもより装飾が豪華な気が。もしかして、もしかしなくても、……殿下のご婚約者様が来られるのかも。
……うん、きっとそうだな。
殿下のご婚約者様がどんな方か、見たことくらいある。すっごい遠くからだけど。
綺麗な銀の髪で、背の高いすらっとした美人。睫毛も露に濡れたような銀色で、瞳は輝く翡翠の宝石。本当に人なのかなって疑うくらい。
対して私は、もう十五歳になるのに背は小さくて丸顔。化粧をすればただの顔面キャンバスお絵描き大会。いつになったら私の胸はふくらんで、おしりも綺麗にまあるくなるのかな。
「あーなんだかなあ~」
ひとつ溜息を吐きながら、海へと続く長い長い階段を箒で綺麗にしていく。
潮の香りと風が気持ちいいけど、花びらが止まらないから困っちゃうんだよね。
「綺麗なブーゲンビリア。今日は一段と綺麗」
白いさざめきの中に、至高の赤が咲く。まるでこれは、ご婚約者様を想う王子殿下の心そのものだ。
「……いいなあ」
いつか、私も王子様が。
「ハイハーイ! 休憩終わり~! 掃除開始~!!」
私の夢の思考を遮断する、憎たらしい声。
思わず箒を持つ手に力が入る。
使い古した箒の柄を握りつぶし、私は背後に振り返った。
「止まってません!」
そこには、一人だけ真冬の雪山にでも突っ込んできたのかというくらい真っ白な髪。私が今このお城で一番苦手な人、ベルンハルト様だ。
この日差しの下でどうやって耐えれているのか秘訣を聞きたくなるほどのブルべ肌。なのに背は妙にでかくて胸板が厚い。
蜂蜜の色をそのままはめ込んだような、少し眠そうで切れ長の瞳がまあるい眼鏡の奥で細まる。
「あのですね! ベルンハルト・バイス魔導術研究室室長様!!」
「噛まずに言えたねえ、すごくえらーい」
「ここ! 貴方様が掃除しろと仰った階段! 分かりますか!?」
「もちろん。ここから見る海はとても眺めが良いんだけどねえ、海風のせいですぐ汚れてしまう。けど今日は上級メイドたちも庭師もてんやわんやだからどうしようかなって」
「ですよね!! だから下っ端底辺メイドの私がやるんですよね!」
「誰も底辺なんて言ってませんのに。ギリギリで試験に合格した稀なる運の持ち主とは思ってマスけど」
「め、面接はそれなりだったって聞きましたもん!!」
この性悪魔導師じゃなくて室長様は、もうずっとこうして階段に横たわっている。
ずっと! 私が掃除している間ずっと!
ねえ分かる? 魔導研究室室長ってどんなお仕事か。
積まれた魔導書から利益が出るような魔法を考えたりとか、軍隊強化のために新しい魔導術研究したりとかそういうの想像するよね。普通は。
でも、この人は─―。
「君みたいな子を合格させた人事のテンション理解しかねますねえ」
こうやって暇さえあれば、私に嫌味を被せてくる暇な室長様だ。
「……そんなことより、お仕事に戻らなくていいんですか!?」
「え? ちゃんとお仕事してますよ。例えばほら、ここから見える海とか」
「海……?」
「どうやればこの海を凍らせて部分的に冬にできますかねえ」
「観光名所凍らせてどうするんですか!」
こんなことばっかり言ってるただのマッドサイエンティストを置いておくこの国もどうかと思うけど、王子殿下がいるから悪くは一切思えない。
私はメイド、掃除をするのみ。
「どうでもいいですから階段からよけてください!」
箒を足の傍でパタパタさせても、このでっかい白いのは動こうともしない。
直接肌をちくちくしてやろうかな。
「俺はこの階段でくつろぐのが日課なんですよ」
「貴方昨日まで来たことなかったですよね!?」
「日課にしました」
「だから! 掃除が終わったら好きなだけくつろいでください!!」
「理解が遅いですねえ。俺がここでくつろぎたいから掃除してって言ったんデス」
「ふぎいいいいいい!!」
普通なら、上級メイドのお姉さま方しかお目見え出来ないだろうこの人。
私はこの人に、どういうわけか三日前から絡まれるようになってしまった。
何も失敗はしていない。失礼もしていない。
ただ、挨拶をして、頭を下げただけ。なのに――。
* * *
話は三日前に遡る。
城のメイドとして雇われてから、一か月が過ぎようとしていた頃だった。
下っ端といえど、覚える事はたくさんあった。
どこどこは通ってはいけない。此処はこの道具を使って掃除をしなければいけない。
誰それと誰それは仲が悪いから、話す内容にも気を付けて。
大変だったけど、内容は人として気をつけましょうとか、仕事として覚えましょうとかそんなことばかりだったから、特に苦は無かった。
最初はそりゃあ不安だったけれど、付いててくれた先輩メイドさんが優しい人だったから、すんなり馴染むことが出来た。
というか、意地悪を言ってくる人はほとんどいない。
私が会話を交わす方は、大体が前向きで朗らかだった。
叱りはするけど怒りはしない。よく人間が出来ているなあと感心した。
これもきっと、あの殿下の人柄の成せる業なんだろうと思うと、心はどんどん輝いていった。
そんな折、突然の王子殿下の帰城。
お友達をたくさん連れて、楽しそうに笑う姿を、ほんの一瞬だけ拝謁賜った。
傍に控えているのは、緑の髪の知的な男性。輝く太陽の笑顔の騎士。あれはきっと、殿下の大切な方々。
握りしめた雑巾から落ちる滴がエプロンを汚してしまったけど、もうそんなことどうでも良かった。
豆粒ほどの遠い景色だったけど、私は本当に幸せだった。
次の、瞬間、目の前に現れた人物に、口を塞がれるまでは。
「っぐ……!」
青い海も、青い空も、何もかもかき消して。
銀世界の天幕が視界を塞ぐ。
浮いていた心は落とされて、確固とした恐怖が胸を鳴らした。
壁に押し付けられ、持っていた雑巾を叩き落とされて。
侵入者だ。誰かに伝えなくては。
そう考えるまでの数秒の間、私はこの城を脅かすこの人物に対して、どう対処すべきかとばかり考えていて。
泣くことも、抵抗することも、忘れていた。
「……あれ」
暴漢の口から、驚いたような声が漏れる。どういうわけか、私を見て目を丸くしている。
侵入者らしからぬ、上品な縁取りの眼鏡が少し曇っている。
「その制服はメイド……リボンの形からして、新人?」
何が何だか分からず、私は黙りつづけた。けど、それが悪かったらしい。
暴漢は見る見るうちに冷酷な表情になり、私の腕をひねり上げた。
それほど力は入れられていないのに、痛みが酷い。細い爪が、手首に食い込んでいるからだ。
「ここで何をしていたのか答えてもらえますか」
口元が解放され、呼吸を許される。
怖い。怖いけど、負けるわけにはいかない。
暴漢の手から殿下を守るには、初動対応が超重要!! そう習った!!
だから私は、思い切り叫んだ。力の限り、喉の限界の限り。
相手を、よく確認もせず。
「キャアアアアアアアアアアアア!!!! 変態!!!!!!」
声の大きさと張りには自信がある。大声はきっと、二階上のメイド長の部屋にまで届くでしょう。今の時間なら、お部屋にいらっしゃる。きっと気付いてくださる。
聡い御方は、この異常事態への対応はきっと早い。
私の判断、とっても正しい!!
「何事ですか!?」
駆け付けた衛兵、メイド長が、口をあんぐりしてこちらを見つめている。
私はというと、暴漢に壁際に追い詰められた状態で、胸を守るようにして小さくなっている。
暴漢は乱れた髪で、眼鏡を曇らせて、無表情に固まっていた。
ざまあみろ! かよわい動作で、メイド長の元へ駆け寄る。衛兵の持つ剣の後ろで、にやりと笑った次の瞬間だった。
「リビー。これはどういうことですか?」
「はい?」
メイド長様が、私に訝しげな視線を送ってくる。衛兵たちも次々に剣を降ろし、何故かどこか気まずそうに顔を見合わせている。
「この方がどなたか分かっていますか?」
「え……で、ですが、急に私を」
「まあ、俺あんまり研究室から出てないからねえ」
そう言って、暴漢が身なりを整え始めた。丸い眼鏡を、胸元から出したハンカチで綺麗に拭き取る。
髪と同じく真っ白で銀刺繍が施されたそのローブは、どこかで見たことがある。
確か、あの殿下が。泥だらけで水路を掃除されていた殿下の、右端奥の方。
なんか陰気な顔してだるそうな顔をしている魔導師がいるなあ~って、思って……。
「え、嘘」
「新人メイドのリビーさん。物覚えがすごい良いって聞いてます。その覚えの良い頭で、これからもよろしくお願いします」
* * *
すみません。してました。
思い切り失礼な事をやっていました。
あまりに酷かったから、記憶から消し去って、前向きに頑張ろうと決めていました。
「あ、……あの時の事は、謝罪して……終わったと……」
「終わりましたよ。公には」
「メイド長も、御咎めなしって!」
「そうだねえ、公には」
淡々と言い返してくるこの秘書官様は、やっぱり退ける気なんかさらさらないらしい。
階段を占拠しているくせに、掃除をしろとふんぞり返る。
それにしても、しつこすぎる。この嫌がらせは、今に始まった事ではない。
この間は、午後の休憩時間に、水路に落ちた花弁を集めさせられた。
集めたら幸運が訪れますよって、今まさに不運じゃい! 一週間のうち何度も水抜きをしてる水路だから、自然に綺麗になるっての!
言い返したかったけど、ぐっと我慢した。
その前は、終業前に呼び出されて、真っ暗な回廊のランプに油を足す仕事をさせられた。
『この回廊、出るって噂が広まっていましてね。明るくしておいてください』って。
それ私の仕事!? ここ通る人なんて、日入り前に飲んだくれてる庭師だけじゃない!!
まあ、そんな感じで、ここのところずっと嫌がらせを受けている。
私の胃は、そろそろ限界かもしれない。
「さあリビー。早くしないとお昼ご飯食べ損ねマスよ~」
「室長様こそ、とっとと昼食を取りに行かれては?」
「だいじょぶだいじょぶ、俺ここで食べるし」
そう言って見せてきたのは、美味しそうなサンドイッチ。
ああ……それ……緑の屋根のパン屋さんで売ってるやつ……。ベーコンとチーズが絶妙な塩加減で挟まれている素敵なやつ。
いいなあ。殿下なら、きっと笑顔で「一口食べる?」って言ってくれそうな……。
あ、もしかしたら室長、私の分も持ってきてくれて――。
「いただきます」
「部屋で食べてください!!!!」
極貧な家に生まれた私が、手に職をつけることといえば何もなく、誇れるのは奉公先で習った礼儀作法だけ。
それを武器にして、なんとか雇ってもらえたっていうのに。
一番、一番大好きな王子様がここにいる。
新緑を臨む、憧れのお城。そこにおわす素敵な王子様。清流のように美しい髪に、晴れた海のごとく爽やかな笑顔。
泥まみれでみんなと掃除をしている姿を見て、最初は王子様だなんて思わなかった。
素敵! 尊い御方なのに、市井に身を落として、あんなに楽しそうにはしゃいで。
ああ、この方の、力になりたい。
そう、だから私リビー・ノイマンはメイドを目指した。ある程度の学歴は問われても、それ以降は実力勝負の面接と試験を根性で突破した。
……まあ、王子様からは程遠い、お城の端っこを掃除する掃除夫と変わらない下級メイドに配置されたんだけど。
知識も学歴も家柄も持ち合わせてる方々は、殿下や高官方のお部屋周りを担当出来る。対して私は、一般市民。お金もなければ、良い学校にも通えていない。
当然の割り当てだって、納得はしている。
でも構わない。それでも、ちょっとでもこの国と王子の力になれたら。
それだけで、幸せ!
――だから、そう言ってるじゃないですか。
ずっとずっと言ってるじゃないですか。
私がしたかったのは、こんなことじゃないんですってば。
「おやまだこんなところにいらっしゃる。掃除好きなんだねえ」
「貴方がやれって言ったんでしょうが!!」
こんな性悪な魔法使いの玩具にされるなんて聞いてない!!
掃除をしてもしても、どこからか落ちてくるブーゲンビリア。淡いブライダルピンクの輝きの下で、王子殿下に見つめられてみたいなあ。いやまあ有り得ないんだけどね。
私の働くこのお城は、ベルンシュタイン城。海を臨む、王様のお城。
綺麗な海にはいつも観光客がいて、今日も楽しそうな恋人たちの笑い声が響いてるし……はあああほんとにもう。
この城には一人の王子様がいる。空に水を落としたような髪と綺麗な瞳の、優しい王子様だ。年は私なんかより全然上なんだけど、分け隔てのない優しい態度が誰をも魅了する。
そんな王子殿下の姿を拝謁することなんて、ほっとんど無いけれど。それでも、このお城のどこかで、彼の殿下がいらっしゃる気配はある。
あ、ほら。衛兵の数が増えた。たぶん後々、あの回廊をお通りになられるはず。奥にいらっしゃる侍従長様が、普段は使わない階段を昇る。
けどいつもより装飾が豪華な気が。もしかして、もしかしなくても、……殿下のご婚約者様が来られるのかも。
……うん、きっとそうだな。
殿下のご婚約者様がどんな方か、見たことくらいある。すっごい遠くからだけど。
綺麗な銀の髪で、背の高いすらっとした美人。睫毛も露に濡れたような銀色で、瞳は輝く翡翠の宝石。本当に人なのかなって疑うくらい。
対して私は、もう十五歳になるのに背は小さくて丸顔。化粧をすればただの顔面キャンバスお絵描き大会。いつになったら私の胸はふくらんで、おしりも綺麗にまあるくなるのかな。
「あーなんだかなあ~」
ひとつ溜息を吐きながら、海へと続く長い長い階段を箒で綺麗にしていく。
潮の香りと風が気持ちいいけど、花びらが止まらないから困っちゃうんだよね。
「綺麗なブーゲンビリア。今日は一段と綺麗」
白いさざめきの中に、至高の赤が咲く。まるでこれは、ご婚約者様を想う王子殿下の心そのものだ。
「……いいなあ」
いつか、私も王子様が。
「ハイハーイ! 休憩終わり~! 掃除開始~!!」
私の夢の思考を遮断する、憎たらしい声。
思わず箒を持つ手に力が入る。
使い古した箒の柄を握りつぶし、私は背後に振り返った。
「止まってません!」
そこには、一人だけ真冬の雪山にでも突っ込んできたのかというくらい真っ白な髪。私が今このお城で一番苦手な人、ベルンハルト様だ。
この日差しの下でどうやって耐えれているのか秘訣を聞きたくなるほどのブルべ肌。なのに背は妙にでかくて胸板が厚い。
蜂蜜の色をそのままはめ込んだような、少し眠そうで切れ長の瞳がまあるい眼鏡の奥で細まる。
「あのですね! ベルンハルト・バイス魔導術研究室室長様!!」
「噛まずに言えたねえ、すごくえらーい」
「ここ! 貴方様が掃除しろと仰った階段! 分かりますか!?」
「もちろん。ここから見る海はとても眺めが良いんだけどねえ、海風のせいですぐ汚れてしまう。けど今日は上級メイドたちも庭師もてんやわんやだからどうしようかなって」
「ですよね!! だから下っ端底辺メイドの私がやるんですよね!」
「誰も底辺なんて言ってませんのに。ギリギリで試験に合格した稀なる運の持ち主とは思ってマスけど」
「め、面接はそれなりだったって聞きましたもん!!」
この性悪魔導師じゃなくて室長様は、もうずっとこうして階段に横たわっている。
ずっと! 私が掃除している間ずっと!
ねえ分かる? 魔導研究室室長ってどんなお仕事か。
積まれた魔導書から利益が出るような魔法を考えたりとか、軍隊強化のために新しい魔導術研究したりとかそういうの想像するよね。普通は。
でも、この人は─―。
「君みたいな子を合格させた人事のテンション理解しかねますねえ」
こうやって暇さえあれば、私に嫌味を被せてくる暇な室長様だ。
「……そんなことより、お仕事に戻らなくていいんですか!?」
「え? ちゃんとお仕事してますよ。例えばほら、ここから見える海とか」
「海……?」
「どうやればこの海を凍らせて部分的に冬にできますかねえ」
「観光名所凍らせてどうするんですか!」
こんなことばっかり言ってるただのマッドサイエンティストを置いておくこの国もどうかと思うけど、王子殿下がいるから悪くは一切思えない。
私はメイド、掃除をするのみ。
「どうでもいいですから階段からよけてください!」
箒を足の傍でパタパタさせても、このでっかい白いのは動こうともしない。
直接肌をちくちくしてやろうかな。
「俺はこの階段でくつろぐのが日課なんですよ」
「貴方昨日まで来たことなかったですよね!?」
「日課にしました」
「だから! 掃除が終わったら好きなだけくつろいでください!!」
「理解が遅いですねえ。俺がここでくつろぎたいから掃除してって言ったんデス」
「ふぎいいいいいい!!」
普通なら、上級メイドのお姉さま方しかお目見え出来ないだろうこの人。
私はこの人に、どういうわけか三日前から絡まれるようになってしまった。
何も失敗はしていない。失礼もしていない。
ただ、挨拶をして、頭を下げただけ。なのに――。
* * *
話は三日前に遡る。
城のメイドとして雇われてから、一か月が過ぎようとしていた頃だった。
下っ端といえど、覚える事はたくさんあった。
どこどこは通ってはいけない。此処はこの道具を使って掃除をしなければいけない。
誰それと誰それは仲が悪いから、話す内容にも気を付けて。
大変だったけど、内容は人として気をつけましょうとか、仕事として覚えましょうとかそんなことばかりだったから、特に苦は無かった。
最初はそりゃあ不安だったけれど、付いててくれた先輩メイドさんが優しい人だったから、すんなり馴染むことが出来た。
というか、意地悪を言ってくる人はほとんどいない。
私が会話を交わす方は、大体が前向きで朗らかだった。
叱りはするけど怒りはしない。よく人間が出来ているなあと感心した。
これもきっと、あの殿下の人柄の成せる業なんだろうと思うと、心はどんどん輝いていった。
そんな折、突然の王子殿下の帰城。
お友達をたくさん連れて、楽しそうに笑う姿を、ほんの一瞬だけ拝謁賜った。
傍に控えているのは、緑の髪の知的な男性。輝く太陽の笑顔の騎士。あれはきっと、殿下の大切な方々。
握りしめた雑巾から落ちる滴がエプロンを汚してしまったけど、もうそんなことどうでも良かった。
豆粒ほどの遠い景色だったけど、私は本当に幸せだった。
次の、瞬間、目の前に現れた人物に、口を塞がれるまでは。
「っぐ……!」
青い海も、青い空も、何もかもかき消して。
銀世界の天幕が視界を塞ぐ。
浮いていた心は落とされて、確固とした恐怖が胸を鳴らした。
壁に押し付けられ、持っていた雑巾を叩き落とされて。
侵入者だ。誰かに伝えなくては。
そう考えるまでの数秒の間、私はこの城を脅かすこの人物に対して、どう対処すべきかとばかり考えていて。
泣くことも、抵抗することも、忘れていた。
「……あれ」
暴漢の口から、驚いたような声が漏れる。どういうわけか、私を見て目を丸くしている。
侵入者らしからぬ、上品な縁取りの眼鏡が少し曇っている。
「その制服はメイド……リボンの形からして、新人?」
何が何だか分からず、私は黙りつづけた。けど、それが悪かったらしい。
暴漢は見る見るうちに冷酷な表情になり、私の腕をひねり上げた。
それほど力は入れられていないのに、痛みが酷い。細い爪が、手首に食い込んでいるからだ。
「ここで何をしていたのか答えてもらえますか」
口元が解放され、呼吸を許される。
怖い。怖いけど、負けるわけにはいかない。
暴漢の手から殿下を守るには、初動対応が超重要!! そう習った!!
だから私は、思い切り叫んだ。力の限り、喉の限界の限り。
相手を、よく確認もせず。
「キャアアアアアアアアアアアア!!!! 変態!!!!!!」
声の大きさと張りには自信がある。大声はきっと、二階上のメイド長の部屋にまで届くでしょう。今の時間なら、お部屋にいらっしゃる。きっと気付いてくださる。
聡い御方は、この異常事態への対応はきっと早い。
私の判断、とっても正しい!!
「何事ですか!?」
駆け付けた衛兵、メイド長が、口をあんぐりしてこちらを見つめている。
私はというと、暴漢に壁際に追い詰められた状態で、胸を守るようにして小さくなっている。
暴漢は乱れた髪で、眼鏡を曇らせて、無表情に固まっていた。
ざまあみろ! かよわい動作で、メイド長の元へ駆け寄る。衛兵の持つ剣の後ろで、にやりと笑った次の瞬間だった。
「リビー。これはどういうことですか?」
「はい?」
メイド長様が、私に訝しげな視線を送ってくる。衛兵たちも次々に剣を降ろし、何故かどこか気まずそうに顔を見合わせている。
「この方がどなたか分かっていますか?」
「え……で、ですが、急に私を」
「まあ、俺あんまり研究室から出てないからねえ」
そう言って、暴漢が身なりを整え始めた。丸い眼鏡を、胸元から出したハンカチで綺麗に拭き取る。
髪と同じく真っ白で銀刺繍が施されたそのローブは、どこかで見たことがある。
確か、あの殿下が。泥だらけで水路を掃除されていた殿下の、右端奥の方。
なんか陰気な顔してだるそうな顔をしている魔導師がいるなあ~って、思って……。
「え、嘘」
「新人メイドのリビーさん。物覚えがすごい良いって聞いてます。その覚えの良い頭で、これからもよろしくお願いします」
* * *
すみません。してました。
思い切り失礼な事をやっていました。
あまりに酷かったから、記憶から消し去って、前向きに頑張ろうと決めていました。
「あ、……あの時の事は、謝罪して……終わったと……」
「終わりましたよ。公には」
「メイド長も、御咎めなしって!」
「そうだねえ、公には」
淡々と言い返してくるこの秘書官様は、やっぱり退ける気なんかさらさらないらしい。
階段を占拠しているくせに、掃除をしろとふんぞり返る。
それにしても、しつこすぎる。この嫌がらせは、今に始まった事ではない。
この間は、午後の休憩時間に、水路に落ちた花弁を集めさせられた。
集めたら幸運が訪れますよって、今まさに不運じゃい! 一週間のうち何度も水抜きをしてる水路だから、自然に綺麗になるっての!
言い返したかったけど、ぐっと我慢した。
その前は、終業前に呼び出されて、真っ暗な回廊のランプに油を足す仕事をさせられた。
『この回廊、出るって噂が広まっていましてね。明るくしておいてください』って。
それ私の仕事!? ここ通る人なんて、日入り前に飲んだくれてる庭師だけじゃない!!
まあ、そんな感じで、ここのところずっと嫌がらせを受けている。
私の胃は、そろそろ限界かもしれない。
「さあリビー。早くしないとお昼ご飯食べ損ねマスよ~」
「室長様こそ、とっとと昼食を取りに行かれては?」
「だいじょぶだいじょぶ、俺ここで食べるし」
そう言って見せてきたのは、美味しそうなサンドイッチ。
ああ……それ……緑の屋根のパン屋さんで売ってるやつ……。ベーコンとチーズが絶妙な塩加減で挟まれている素敵なやつ。
いいなあ。殿下なら、きっと笑顔で「一口食べる?」って言ってくれそうな……。
あ、もしかしたら室長、私の分も持ってきてくれて――。
「いただきます」
「部屋で食べてください!!!!」