歌と春風
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ここ最近、彼女とはまともに連絡を取れずにいた。どうやら仕事が忙しいらしく、メッセージのやり取りも朝と夜中くらいで、電話も彼女に会うこともできていなかった。たまに駅前へ足を運んでみるものの、彼女がいる事はなく、何をするでもなくまた店に戻ってくる。そんな日々が続いたある日、開けた窓から微かに彼女の匂いが漂ってきた。気になって外の見晴らしのいい場所へと登る。漂ってくるそれを頼りに目を凝らせば、暗闇の中1人で歩く彼女がいた。流石に目を疑ったけれど、これは紛れもない事実で、彼女のすぐ側でキラリと光る物が見えた。嫌な胸騒ぎがした。急いで彼女の元へーー。足元を強く蹴ったとき、彼女のヒュッと息を呑む声と、ガランとギターが落ちる音が聞こえた。ギターを引かれ倒れ込む彼女の視線の先には、人間の男がいた。僕はこんなにも耳が、目が、鼻が、優れていて良かった。一瞬で辿り着くこの足があって良かった。たかだか人間だけど、僕の若葉ちゃんに手を出すヤツは放っておけない。尻餅を着いた彼女は小刻みに震えていて、今にも溢れてしまいそうなくらいに涙を溜めている。そっと抱きしめて頭を撫でてやると、瞬きをした目からボロリとそれが伝い落ちた。背中ではさっきの男が何やら喚いている。うるさいなぁ。美味しくはないだろうけど、腹の足しくらいには食べられるだろうし、いっその事食べてしまうか。そう思って振り返ると、袖がツンと引きつった。そうだ、彼女には少しばかり刺激が強いのではないだろうか。はて、どうしたものか。考えあぐねていると、僕の目を見た男は手に持ったナイフを叫びながら振り回してきた。狂乱の沙汰と言うやつだろうか。刺されたとて僕は直ぐに治るからいいとして、彼女が怪我なんてしたら大変だ。
「若葉ちゃん、僕が良いって言うまで目を開けちゃダメだよ」
そっと手で目を瞑らせて、目を閉じた事を確認してから、彼女から離れた。不安そうにしている彼女に羽織っていたパーカーを被せて、ギターを拾ってやれば、それらをぎゅっと握りしめた。それからは大きな音を立てないよう、声を出されないよう、それはそれは気を付けた。振り回していたナイフをわざと腕で受ければ、ズブリとめり込む感覚が伝わったのか、男は怯む。醜い叫び声を上げられないよう口を塞いで、首元にかぶり付けば、それまで威勢よく振り回されていた四肢は一瞬にしてだらりと脱力した。勢いよく吹き出る血とかぶり付いた肉を咀嚼して飲み込む。やっぱり美味しくない。動かなくなったそれを彼女から見えないように物陰にかくして、はたと気付いた。返り血塗れの自分に。どうしようかな、こんな姿若葉ちゃんに見せられないな、なんて考えながら物陰から出ると、今1番見られたくない彼女とバッチリ目が合ってしまった。あーあ。
「ウタさんは、喰種…なんですか…?」
隠しようのない口元の血を拭って、彼女へと進めていた歩を止めた。
「そうだよ」
目を見開いて、ゆるゆると俯いていく。被せたパーカーのフードで表情は全く見えなくなった。彼女まで数メートルの距離。これが、僕達のどうしようもない壁のような気がして、ズキっと胸が抉られたように傷んだ。怪我なんてしていないのに、ナイフで刺された傷なんかよりずっとずっと痛い。
「騙すつもりもなかったし、若葉ちゃんを食べるつもりもなかったよ」
こんな言葉、人間である彼女に信じてもらえる訳が無いのに。だって僕等喰種の主食は人間なのだから。僕は食事の為に平気で人間を殺せるのだから。それなのに、次から次へと頭に浮かぶ言葉が止められない。
「最初こそ気まぐれだったかもしれないけど、今は大事にしたいと思ってるよ。キミだけは食べたくないって思うんだ。」
手を伸ばしてみたけれど、かすりもしない彼女。空を切った手をグッと握って身体の横に戻す。時折聞こえる鼻を啜る音。あぁ、泣かせてしまった。彼女を失わない為なら、いくらでも人間のフリをするのに。彼女の笑顔が見られるなら、いくらでも道化を演じるのに。マスクをしてくれば良かったかな…。握った手からぽたりと血が滴った。思いの外深く刺さっていたようだ。地面に落ちるそれを見て、彼女がハッと顔を上げた。
「ウタさん…怪我…」
顔を歪めて、必死に涙を堪えているように見えた。ただ顔が見えただけなのに、声が聞こえただけなのに、紛れもなく僕自身に向けられたそれらが凄く嬉しかった。1歩足を踏み出してみても、彼女からは怖がる様子は見られない。少しずつ、ゆっくりと距離を詰めていく。手を伸ばせば触れられる距離でしゃがむと、ゆるゆると彼女の手が伸びてきて、自分の血に染まっている方の手を包んだ
「ごめんなさい…わたしっ…せいで…っ」
堪えていた涙は言葉と一緒に溢れてきたようだ。何度も、ごめんなさい、と呟いている彼女の頭にもう片方の手を服で少し拭いてから乗せた。フードを外して、ふわふわの髪をこれでもかと言うくらい優しく撫でる。この子は僕が怖くないのだろうか。こないだ聞きそびれた答えが無性に気になった。
「大丈夫だよ、これくらい直ぐに治るから。」
だからもう、泣かないで。キミが拒むなら、指一本触れたりしないから。僕は、彼女のふわりとした笑顔が、声が、とても好きなんだ。いつからだろう、もしかしたら最初からだったのかもしれない。こんなにも、彼女を愛おしいと思うのは。僕のこの気持ちこそが、恋という名前だったんだ。涙を指の腹で拭ってやると、漸くそれは止まった。赤くなった目と、腫れぼったい瞼、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔が僕を見た。
「とりあえず、僕の家に行こ?」
えっ、と小さく小さく戸惑ったような声が上がる。それもそうだよね。たった今こんな事があったんだから。
「指一本触れないから大丈夫だよ」
顔を洗って落ち着くまで、と言うと、おずおずと1つだけ頷いた。いつもなら手を差し出す所だけれど、さっき宣言した言葉上それは出来ない。彼女が立ち上がったのを確認して、ゆっくりと家に向かって歩き出した。時々チラリと後ろを確認しながら。
どうぞ、と言って家の中に促すと、戸惑いながらも中に入っていく。洗面所に案内して、適当に座っててね、と残して僕はお風呂場へと向かった。血塗れの服を捨てて、シャワーで血を洗い流し、適当に新しい服を着て彼女が待つ部屋へと向かった。
「お待たせ。今、コーヒー入れるね」
ソファーとローテーブルの間に膝を抱えて小さくなっている彼女。お礼の言葉がとても弱々しかった。震えてはいなかったけど、1人にしたのはよくなかったな。どうぞ、とカップを2つテーブルに置いて隣に座る。しっかりと距離を置いて。
「腕、大丈夫ですか…?」
先に口を開いたのは彼女だった。そう言って心配そうに顔を歪める彼女に、傷口を見せてみれば、もうすっかり治っていた。ほんの少し跡はあるけれど、タトゥーと混ざって全然わからない。さっきまで血が溢れていた所を彼女がそっと撫でた。あまりに優しく触るから擽ったい。
「ほんとに…喰種なんだ…」
ポツリと呟く彼女は複雑な顔をして、けれども無理矢理に笑みを浮かべていた。
「人間に襲われて、喰種に助けられるなんて…喰種のウタさんより、さっきの人の方が怖いと思うなんて…」
おかしいのかなぁ…、と膝に顔を埋めて独りごちる。彼女の一挙手一投足に心が揺さぶられる。こんなの、僕らしくないのにな。
「若葉ちゃんは、僕が怖くないの?」
こないだ聞きそびれた答え。今、聞いておかないといけない気がした。ずっと腕に落としていた視線を彼女はゆらりと上げた。
「…喰種は怖いけど、わたしの知ってるウタさんは怖くない、です…。」
嬉しかった。好きな子に拒まれず受け入れてもらえると言うのは、こんなにも嬉しい事だったんだ。思わず笑みが零れてしまった。頬に触れようと手を上げた所で、先程の自分の言葉を思い出した。あと数センチの所で止まった僕の手。彼女はきょとりと目を瞬かせた。
「触っても、いい?」
きょとんとしていた顔をハッとさせて、顔を赤らめながらも恥ずかしそうに微笑み頷く。一瞬でころころと変わる表情。僕にはない様々なそれが、とても愛おしくて、もう絶対に泣かせたりしないと心で誓った。触れた頬は温かくて、とても柔らかかった。気持ちよさそうに目を細める彼女に内蔵がザワつく。春風のような甘い匂い。柔らかい頬。艶やかな唇。吸い寄せられるように彼女の唇に自分のそれを重ねた。ほんの一瞬。触れるだけのキス。
「僕、若葉ちゃんのこと好きになっちゃったみたい」
目玉が零れ落ちそうなくらい大きく見開いた彼女に、いい?、と首を傾げると、今度は首が取れそうなくらい何度も首を縦に振った。
「僕…喰種だよ?」
その言葉に、彼女の動きがピタリと止まる。ゆっくりと登ってきた視線は真っ直ぐに僕を貫く。
「でも、助けてくれたから。いつも優しくしてくれたから。信じます」
もうすぐ夏になると言うのに、春風が通り抜けた。壊してしまわないように、そっと抱きしめて、胸いっぱいに彼女の匂いを吸い込む。そして、額に、頬に、唇に、何度もキスを落とした。キミを守るためだったら何だってしよう。キミのこの笑顔を一生絶やさないように。
「若葉ちゃん、僕が良いって言うまで目を開けちゃダメだよ」
そっと手で目を瞑らせて、目を閉じた事を確認してから、彼女から離れた。不安そうにしている彼女に羽織っていたパーカーを被せて、ギターを拾ってやれば、それらをぎゅっと握りしめた。それからは大きな音を立てないよう、声を出されないよう、それはそれは気を付けた。振り回していたナイフをわざと腕で受ければ、ズブリとめり込む感覚が伝わったのか、男は怯む。醜い叫び声を上げられないよう口を塞いで、首元にかぶり付けば、それまで威勢よく振り回されていた四肢は一瞬にしてだらりと脱力した。勢いよく吹き出る血とかぶり付いた肉を咀嚼して飲み込む。やっぱり美味しくない。動かなくなったそれを彼女から見えないように物陰にかくして、はたと気付いた。返り血塗れの自分に。どうしようかな、こんな姿若葉ちゃんに見せられないな、なんて考えながら物陰から出ると、今1番見られたくない彼女とバッチリ目が合ってしまった。あーあ。
「ウタさんは、喰種…なんですか…?」
隠しようのない口元の血を拭って、彼女へと進めていた歩を止めた。
「そうだよ」
目を見開いて、ゆるゆると俯いていく。被せたパーカーのフードで表情は全く見えなくなった。彼女まで数メートルの距離。これが、僕達のどうしようもない壁のような気がして、ズキっと胸が抉られたように傷んだ。怪我なんてしていないのに、ナイフで刺された傷なんかよりずっとずっと痛い。
「騙すつもりもなかったし、若葉ちゃんを食べるつもりもなかったよ」
こんな言葉、人間である彼女に信じてもらえる訳が無いのに。だって僕等喰種の主食は人間なのだから。僕は食事の為に平気で人間を殺せるのだから。それなのに、次から次へと頭に浮かぶ言葉が止められない。
「最初こそ気まぐれだったかもしれないけど、今は大事にしたいと思ってるよ。キミだけは食べたくないって思うんだ。」
手を伸ばしてみたけれど、かすりもしない彼女。空を切った手をグッと握って身体の横に戻す。時折聞こえる鼻を啜る音。あぁ、泣かせてしまった。彼女を失わない為なら、いくらでも人間のフリをするのに。彼女の笑顔が見られるなら、いくらでも道化を演じるのに。マスクをしてくれば良かったかな…。握った手からぽたりと血が滴った。思いの外深く刺さっていたようだ。地面に落ちるそれを見て、彼女がハッと顔を上げた。
「ウタさん…怪我…」
顔を歪めて、必死に涙を堪えているように見えた。ただ顔が見えただけなのに、声が聞こえただけなのに、紛れもなく僕自身に向けられたそれらが凄く嬉しかった。1歩足を踏み出してみても、彼女からは怖がる様子は見られない。少しずつ、ゆっくりと距離を詰めていく。手を伸ばせば触れられる距離でしゃがむと、ゆるゆると彼女の手が伸びてきて、自分の血に染まっている方の手を包んだ
「ごめんなさい…わたしっ…せいで…っ」
堪えていた涙は言葉と一緒に溢れてきたようだ。何度も、ごめんなさい、と呟いている彼女の頭にもう片方の手を服で少し拭いてから乗せた。フードを外して、ふわふわの髪をこれでもかと言うくらい優しく撫でる。この子は僕が怖くないのだろうか。こないだ聞きそびれた答えが無性に気になった。
「大丈夫だよ、これくらい直ぐに治るから。」
だからもう、泣かないで。キミが拒むなら、指一本触れたりしないから。僕は、彼女のふわりとした笑顔が、声が、とても好きなんだ。いつからだろう、もしかしたら最初からだったのかもしれない。こんなにも、彼女を愛おしいと思うのは。僕のこの気持ちこそが、恋という名前だったんだ。涙を指の腹で拭ってやると、漸くそれは止まった。赤くなった目と、腫れぼったい瞼、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔が僕を見た。
「とりあえず、僕の家に行こ?」
えっ、と小さく小さく戸惑ったような声が上がる。それもそうだよね。たった今こんな事があったんだから。
「指一本触れないから大丈夫だよ」
顔を洗って落ち着くまで、と言うと、おずおずと1つだけ頷いた。いつもなら手を差し出す所だけれど、さっき宣言した言葉上それは出来ない。彼女が立ち上がったのを確認して、ゆっくりと家に向かって歩き出した。時々チラリと後ろを確認しながら。
どうぞ、と言って家の中に促すと、戸惑いながらも中に入っていく。洗面所に案内して、適当に座っててね、と残して僕はお風呂場へと向かった。血塗れの服を捨てて、シャワーで血を洗い流し、適当に新しい服を着て彼女が待つ部屋へと向かった。
「お待たせ。今、コーヒー入れるね」
ソファーとローテーブルの間に膝を抱えて小さくなっている彼女。お礼の言葉がとても弱々しかった。震えてはいなかったけど、1人にしたのはよくなかったな。どうぞ、とカップを2つテーブルに置いて隣に座る。しっかりと距離を置いて。
「腕、大丈夫ですか…?」
先に口を開いたのは彼女だった。そう言って心配そうに顔を歪める彼女に、傷口を見せてみれば、もうすっかり治っていた。ほんの少し跡はあるけれど、タトゥーと混ざって全然わからない。さっきまで血が溢れていた所を彼女がそっと撫でた。あまりに優しく触るから擽ったい。
「ほんとに…喰種なんだ…」
ポツリと呟く彼女は複雑な顔をして、けれども無理矢理に笑みを浮かべていた。
「人間に襲われて、喰種に助けられるなんて…喰種のウタさんより、さっきの人の方が怖いと思うなんて…」
おかしいのかなぁ…、と膝に顔を埋めて独りごちる。彼女の一挙手一投足に心が揺さぶられる。こんなの、僕らしくないのにな。
「若葉ちゃんは、僕が怖くないの?」
こないだ聞きそびれた答え。今、聞いておかないといけない気がした。ずっと腕に落としていた視線を彼女はゆらりと上げた。
「…喰種は怖いけど、わたしの知ってるウタさんは怖くない、です…。」
嬉しかった。好きな子に拒まれず受け入れてもらえると言うのは、こんなにも嬉しい事だったんだ。思わず笑みが零れてしまった。頬に触れようと手を上げた所で、先程の自分の言葉を思い出した。あと数センチの所で止まった僕の手。彼女はきょとりと目を瞬かせた。
「触っても、いい?」
きょとんとしていた顔をハッとさせて、顔を赤らめながらも恥ずかしそうに微笑み頷く。一瞬でころころと変わる表情。僕にはない様々なそれが、とても愛おしくて、もう絶対に泣かせたりしないと心で誓った。触れた頬は温かくて、とても柔らかかった。気持ちよさそうに目を細める彼女に内蔵がザワつく。春風のような甘い匂い。柔らかい頬。艶やかな唇。吸い寄せられるように彼女の唇に自分のそれを重ねた。ほんの一瞬。触れるだけのキス。
「僕、若葉ちゃんのこと好きになっちゃったみたい」
目玉が零れ落ちそうなくらい大きく見開いた彼女に、いい?、と首を傾げると、今度は首が取れそうなくらい何度も首を縦に振った。
「僕…喰種だよ?」
その言葉に、彼女の動きがピタリと止まる。ゆっくりと登ってきた視線は真っ直ぐに僕を貫く。
「でも、助けてくれたから。いつも優しくしてくれたから。信じます」
もうすぐ夏になると言うのに、春風が通り抜けた。壊してしまわないように、そっと抱きしめて、胸いっぱいに彼女の匂いを吸い込む。そして、額に、頬に、唇に、何度もキスを落とした。キミを守るためだったら何だってしよう。キミのこの笑顔を一生絶やさないように。