歌と春風
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ど平日の19時。陽が延びてきたと言えど、もうすっかり暗い時間だ。13区で働いていると言う彼女を迎えに、人の行き交うスクランブル交差点を目の前に空を仰いだ。太陽に代わって、月が高々と登る。満月の夜は明るい。流石に仕事場までは教えて貰わなかったので、こうして駅前で待っているのだ。どんなに人が居ても、あの匂いは絶対に気付く自信があった。あんなに美味しそうな匂いをさせていたら、他の喰種に目を付けられてしまいそうで、いっそ鳥かごの中に閉じ込めてしまえればいいのにと思う。そんな事を考えていると、ポケットの中がブルブルと震えた。画面には勿論、彼女の名前が表示されている。
「こんばんは、ウタさん。仕事ちょっと早く終わったんですけど、今どこに居ますか?」
「お疲れ様。スクランブル交差点の近くにいるよ」
えっ、と驚きで息を呑む彼女。直接顔が見られたらどんなに面白かっただろう。そればかりは残念だけれど、思惑通り彼女の驚く様子を聞けたので良しとする。
「す、すぐ行きますね!」
「急がなくていいからね」
電話を切って意識を集中してみるけれど、まだ彼女の匂いはしない。オフィス街の方へ足を向けて数メートルのところで彼女を感じた。方向は間違っていない。鼻は勿論、耳も目も研ぎ澄ました。電話を切ってから数分。やっと彼女を見付けた。
「若葉ちゃん」
手を振れば、驚いた顔をして小走りでこちらへやって来た。そう、この顔が見たかったんだ。
「スクランブル交差点にいたんじゃ…?」
「うん、若葉ちゃんを見付けたから来たんだよ」
恥ずかしそうにはにかみ笑う姿に、ドキリと胸が跳ねた。目が良いんですね、と言う彼女に、そうかな、と曖昧に答えた。彼女は僕が喰種だと知らない。わざわざ言う気も、必要もないと思っている。行こうか、と手を差し出せば、えっ、とまた戸惑う。彼女の"えっ"には色々な意味があって面白い。首を傾げてみせれば、おずおずと戸惑いながらも僕の手に彼女のそれが重なった。温かくて、柔らかくて、小さくて、少し力を入れるだけで簡単に壊れてしまいそうだ。
電車に乗って、少し歩いたところに、今日の目的地はある。そんなに畏まった所ではないと事前にも告げてあったのに、今日の彼女はいつもみたいなカジュアルな服装ではなく、綺麗目なみてくれだ。服装も髪型もピアスも、いつもと印象が違う。ふんわりと可愛らしい彼女が、なんだか艶やかで色っぽく見える。あまり美味しそうにしないで欲しいなぁ。途端に落ち着かなくなる内蔵に手を当てると、彼女は前と同じように、お腹空きましたね、と笑いかけてくれた。そうか、いつも必ず背負っているギターがないから、こんなにも違く見えるんだ。きっと、そうだ。
レストランに着くと、顔なじみのウェイターが席まで案内してくれて、僕と彼女それぞれにメニューを渡してくれた。とりあえず適当に飲み物を頼んで、ゆっくり決める事にしよう。椅子に座ってサングラスを外すと、彼女の動きがほんの一瞬だけ止まった気がした。そう言えば、彼女の前でサングラスを外したのは初めてだったかもしれない。
「何にする?」
気にしないように、触れられないように、努めて優しく笑う。僕の瞳をじっと見つめる彼女はハッとしてメニューに視線を落とした。少し様子を見てみたけれど、決まりそうに無かったので、どれがおすすめだとか、美味しいだとか、少しアドバイスをしてあげれば、じゃあコレにします、といつものふわふわの笑顔が此方を向いた。同じ物を2つ頼むと、丁度良く飲み物が来た。乾杯をして一口グラスを煽っている間、絶え間なく彼女の視線が注がれている。
「目、気になる?」
グラスを置いて彼女を見つめ返すと、照れたような、恥ずかしそうな表情で笑った。
「気になるとかじゃなくて、その…」
もじもじとしているかと思ったら、開き直ったようにいつもの笑みを浮かべて僕を真っ直ぐに貫く。
「キレイだな、と思って。吸い込まれてしまいそうで、目が離せなくて」
驚いた。普通人間は、喰種のようで怖い、と怯えるのではないだろうか。ようで、ではなく、本物の喰種なのだけれど。ほんのりと頬を紅潮させた彼女は、また笑う。
「怖くないの?」
小さく呟くような問いかけはちゃんと届かなかったようで、彼女はまた、えっ?、と首を傾げた。怯えている様子なんてこれっぽっちも感じられなくて、いつもの様に笑みを絶やさない。彼女だったら、僕の全てを知っても受け入れてくれるだろうか。喰種の事も拒まずに接してくれるかも知れない。そんな彼女を、食べてしまいたくないと思った。彼女を僕の食事にはしたくない、と。
「なんでもないよ。あ、料理が来たね」
グッドタイミングでやってきた料理に話をすり替えれば、するりと乗っていってくれる彼女。美味しそう、と綻ばせた顔がやっと少女のような可愛さを映した。同じ見た目の、全く違う素材のそれを会話混じりに2人で口に運ぶのは、何だかとても暖かく感じた。生肉の方が断然美味しいはずなのに、何故かとても美味しい。彼女がスパイスになっているのだろうか。
「このお店、僕達だけの秘密にしようね」
食事を終えて、僕はお酒を、彼女はデザートを平らげて、店を後にした。はい、と笑んで答える彼女の頬は真っ赤に染まっていた。家まで送ると言って知った彼女の家は、思いの外イトリさんのお店が近くて、久しぶりに帰りに覗いてみようかと思った。不思議な人間の事を、赫眼をキレイだと言う女の子の事を、なんて話そうか。誰にも教えず、僕だけの秘密にしておきたい気もする。おやすみなさい、とマンションの前で名残惜しそうにする彼女に、僕はいつもみたいに、またね、と返して後ろ手に手を振る。どうやら、そう感じているのは僕も同じなようで、彼女から遠ざかろうとする足が重い。後ろ髪を引かれる思い、とはこう言うのを言うんだろうな。
「ウタさん!!」
急に大きな声で呼ばれ、ビックリして振り向くと、真っ赤な顔をして、胸の前で手を強くにぎりしめている彼女がいた。ぱちぱちと数回瞬きをすれば、彼女がごくりと喉を鳴らした。
「あの……す、好きです!」
僕だって好きじゃなかったらこんなに連絡を取ったり、食事に行ったりなんてしない。好きじゃなければ、美味しそうだとも思わなかっただろうし、興味すら持たない。
「僕も好きだよ」
嘘なんて米粒程もなかった。彼女の事は嫌いじゃない。むしろ好意的だ。にこりと笑みを浮かべて返したのに、彼女は何故か浮かない笑顔をしていた。なにか、まずかったのだろうか。もやもやと湧き出してくる感情がよく分からなくて、とりあえず蓋をした。
「早く入った方がいいよ」
暖かくなったと言っても、まだ夜は少し冷える。人間は脆いから、風邪をこじらせたりするだけできっとすぐに壊れてしまうんだ。彼女が壊れるなんて...嫌だなぁ。そんなことを一瞬でグルリと思案しているうちに、彼女は泣きそうな笑顔を顔面に貼り付け、ぺこりとお辞儀をして中へ入っていった。蓋をしたこの感情と、彼女が本当に伝えたかった事。イトリさんに聞いてみようかな。
「こんばんは、ウタさん。仕事ちょっと早く終わったんですけど、今どこに居ますか?」
「お疲れ様。スクランブル交差点の近くにいるよ」
えっ、と驚きで息を呑む彼女。直接顔が見られたらどんなに面白かっただろう。そればかりは残念だけれど、思惑通り彼女の驚く様子を聞けたので良しとする。
「す、すぐ行きますね!」
「急がなくていいからね」
電話を切って意識を集中してみるけれど、まだ彼女の匂いはしない。オフィス街の方へ足を向けて数メートルのところで彼女を感じた。方向は間違っていない。鼻は勿論、耳も目も研ぎ澄ました。電話を切ってから数分。やっと彼女を見付けた。
「若葉ちゃん」
手を振れば、驚いた顔をして小走りでこちらへやって来た。そう、この顔が見たかったんだ。
「スクランブル交差点にいたんじゃ…?」
「うん、若葉ちゃんを見付けたから来たんだよ」
恥ずかしそうにはにかみ笑う姿に、ドキリと胸が跳ねた。目が良いんですね、と言う彼女に、そうかな、と曖昧に答えた。彼女は僕が喰種だと知らない。わざわざ言う気も、必要もないと思っている。行こうか、と手を差し出せば、えっ、とまた戸惑う。彼女の"えっ"には色々な意味があって面白い。首を傾げてみせれば、おずおずと戸惑いながらも僕の手に彼女のそれが重なった。温かくて、柔らかくて、小さくて、少し力を入れるだけで簡単に壊れてしまいそうだ。
電車に乗って、少し歩いたところに、今日の目的地はある。そんなに畏まった所ではないと事前にも告げてあったのに、今日の彼女はいつもみたいなカジュアルな服装ではなく、綺麗目なみてくれだ。服装も髪型もピアスも、いつもと印象が違う。ふんわりと可愛らしい彼女が、なんだか艶やかで色っぽく見える。あまり美味しそうにしないで欲しいなぁ。途端に落ち着かなくなる内蔵に手を当てると、彼女は前と同じように、お腹空きましたね、と笑いかけてくれた。そうか、いつも必ず背負っているギターがないから、こんなにも違く見えるんだ。きっと、そうだ。
レストランに着くと、顔なじみのウェイターが席まで案内してくれて、僕と彼女それぞれにメニューを渡してくれた。とりあえず適当に飲み物を頼んで、ゆっくり決める事にしよう。椅子に座ってサングラスを外すと、彼女の動きがほんの一瞬だけ止まった気がした。そう言えば、彼女の前でサングラスを外したのは初めてだったかもしれない。
「何にする?」
気にしないように、触れられないように、努めて優しく笑う。僕の瞳をじっと見つめる彼女はハッとしてメニューに視線を落とした。少し様子を見てみたけれど、決まりそうに無かったので、どれがおすすめだとか、美味しいだとか、少しアドバイスをしてあげれば、じゃあコレにします、といつものふわふわの笑顔が此方を向いた。同じ物を2つ頼むと、丁度良く飲み物が来た。乾杯をして一口グラスを煽っている間、絶え間なく彼女の視線が注がれている。
「目、気になる?」
グラスを置いて彼女を見つめ返すと、照れたような、恥ずかしそうな表情で笑った。
「気になるとかじゃなくて、その…」
もじもじとしているかと思ったら、開き直ったようにいつもの笑みを浮かべて僕を真っ直ぐに貫く。
「キレイだな、と思って。吸い込まれてしまいそうで、目が離せなくて」
驚いた。普通人間は、喰種のようで怖い、と怯えるのではないだろうか。ようで、ではなく、本物の喰種なのだけれど。ほんのりと頬を紅潮させた彼女は、また笑う。
「怖くないの?」
小さく呟くような問いかけはちゃんと届かなかったようで、彼女はまた、えっ?、と首を傾げた。怯えている様子なんてこれっぽっちも感じられなくて、いつもの様に笑みを絶やさない。彼女だったら、僕の全てを知っても受け入れてくれるだろうか。喰種の事も拒まずに接してくれるかも知れない。そんな彼女を、食べてしまいたくないと思った。彼女を僕の食事にはしたくない、と。
「なんでもないよ。あ、料理が来たね」
グッドタイミングでやってきた料理に話をすり替えれば、するりと乗っていってくれる彼女。美味しそう、と綻ばせた顔がやっと少女のような可愛さを映した。同じ見た目の、全く違う素材のそれを会話混じりに2人で口に運ぶのは、何だかとても暖かく感じた。生肉の方が断然美味しいはずなのに、何故かとても美味しい。彼女がスパイスになっているのだろうか。
「このお店、僕達だけの秘密にしようね」
食事を終えて、僕はお酒を、彼女はデザートを平らげて、店を後にした。はい、と笑んで答える彼女の頬は真っ赤に染まっていた。家まで送ると言って知った彼女の家は、思いの外イトリさんのお店が近くて、久しぶりに帰りに覗いてみようかと思った。不思議な人間の事を、赫眼をキレイだと言う女の子の事を、なんて話そうか。誰にも教えず、僕だけの秘密にしておきたい気もする。おやすみなさい、とマンションの前で名残惜しそうにする彼女に、僕はいつもみたいに、またね、と返して後ろ手に手を振る。どうやら、そう感じているのは僕も同じなようで、彼女から遠ざかろうとする足が重い。後ろ髪を引かれる思い、とはこう言うのを言うんだろうな。
「ウタさん!!」
急に大きな声で呼ばれ、ビックリして振り向くと、真っ赤な顔をして、胸の前で手を強くにぎりしめている彼女がいた。ぱちぱちと数回瞬きをすれば、彼女がごくりと喉を鳴らした。
「あの……す、好きです!」
僕だって好きじゃなかったらこんなに連絡を取ったり、食事に行ったりなんてしない。好きじゃなければ、美味しそうだとも思わなかっただろうし、興味すら持たない。
「僕も好きだよ」
嘘なんて米粒程もなかった。彼女の事は嫌いじゃない。むしろ好意的だ。にこりと笑みを浮かべて返したのに、彼女は何故か浮かない笑顔をしていた。なにか、まずかったのだろうか。もやもやと湧き出してくる感情がよく分からなくて、とりあえず蓋をした。
「早く入った方がいいよ」
暖かくなったと言っても、まだ夜は少し冷える。人間は脆いから、風邪をこじらせたりするだけできっとすぐに壊れてしまうんだ。彼女が壊れるなんて...嫌だなぁ。そんなことを一瞬でグルリと思案しているうちに、彼女は泣きそうな笑顔を顔面に貼り付け、ぺこりとお辞儀をして中へ入っていった。蓋をしたこの感情と、彼女が本当に伝えたかった事。イトリさんに聞いてみようかな。