歌と春風
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彼女は三上若葉と言う名前らしい。改めまして、と後日メッセージが来た。律儀だなぁ。他愛もない短いメッセージのやり取りが続いたある日の夕方、電子音と共に写真が送られてきた。それは見慣れた駅前の風景で、彼女がいつも持っているギターケースが写り込んでいた。良かったら来てくださいね、と一言だけ可愛らしい絵文字と共に添えられていた。
『仕事が一段落したら行こうかな』
『ウタさんって何のお仕事してるんですか?』
『物作りだよ』
ビックリ顔の柴犬が送られてきて、思わず笑ってしまった。それがあまりにも彼女に似ていて、そう言えば犬みたいな子だな、と再認識した。
運良く、そこまで仕事は溜まっていなかったし、期日の近い物もなかったので、思いの外早く手が空いた。いつもよりも少し早く店を閉めて、彼女のいる駅前へと向かう準備をする。足取りは軽く、ワクワクしているような感覚だ。そう言えば、連絡先を渡されたあの日から1度も直接会っていないのだ。思い出す甘い香りに内臓がゾクリと震えた。間違えて食べてしまわないように、おやつを数個口の中に放り込んで店を出た。
駅前の彼女がいつも歌っている場所はほぼ決まっている。近付くに連れて徐々に届き始める甘い香りと柔らかな歌声。まだ片手で数えられるくらいしか聞いていないのに、不思議と落ち着くような気がする。ずっとこの匂いに、声に浸っていたい気もするし、今すぐにでもひとつ残らず食べてしまいたい気もする。この正反対な感情の正体を僕は知らないし、知らなくていいと思う。これはそんな不快なものでは無いから。僕を見つけた彼女の顔がパッと明るくなる。本当にわかりやすいなぁ。そんな彼女を可愛いと思うのは何故なんだろう。今日は数人の観客がいたため、車道との境にある格子に寄りかかって彼女を観察した。僕だけが聞いていた今までは、一緒におしゃべりを交えながら歌っていた。けれど、今日は複数人の観客がいるからか、会話をするではなく、用意してきた話をしているようだ。数曲歌って、短い話を挟んでまた数曲歌う。どうやら今日はこの曲で最後らしい。歌い終わって礼を言いながら頭を下げると、まばらな拍手と共にお開きになった。
「お疲れ様」
「ウタさん!」
ギターやら厚紙やらを片付けている背中に声を掛けると、パッと明るい笑顔が振り返った。何やらバタバタと片付けている。そんなに慌てなくていいのに。門限とかあるのかな?
「あ、あの…少し、お話しませんか…?」
耳まで真っ赤にして、でも真っ直ぐに僕をみる。そっか。僕を待たせないように急いでたのか。甲斐甲斐しい。
「待ってるから、ゆっくり片付けて」
大事なギターが傷ついてしまうかもしれない。転んで怪我でもしてしまうかもしれない。怪我なんてしたら、食べてしまいたくなるかもしれない。だから。
「ゆっくり片付けながら、おしゃべりしよ」
笑って見せれば、また笑顔が返ってくる。そして、ゆっくりとお互いの事を話した。彼女はずっと区外に住んでいたけれど、就職を機に14区に引っ越してきたとか。13区で働いていて、4区は帰り道なんだとか。もうお酒は飲める年だとか。なんて事ない彼女の基本情報。僕の推測は、あながち的外れという訳ではなかったようだ。僕も、4区に住んでいるとか。普段はお店をやっているとか。そんな話しをしているうちに、あっという間に片付けは終わった。時々手が止まっていたのに、時間は一瞬だったような気がする。
「片付け、終わっちゃいましたね」
あまりに寂しそうな、名残惜しそうな、そんな笑みを浮かべるものだから、自然と手が伸びた。彼女の頭に軽くのせて、ぽんぽんと数回弾ませると、気持ちよさそうに顔が綻んだ。つられて口角が上がっていくのが分かる。
「あの、今度ごはん食べに行きませんか?」
前みたいなガチガチな緊張ではなく、程よいハリのある声と表情。僕は喰種だから、食事とは人間のことになるのだけれど、それを彼女が知ったらどうなるだろう。驚いて腰を抜かしてしまうだろうか。怖がってもう会ってはくれないだろうか。それならば食べてしまうのも手だけれど、それを惜しいと思う自分がいる。天秤にかけたら、遥かに後者の方が重いのだから自分でも驚きだ。観念して、いいね、と笑顔で返せば、嬉々とした笑みで飛び跳ねた。ふんわりとした雰囲気の彼女でも、こんなアクティブに動いたりするんだなぁ。
「僕、凄く偏食だから、お店は僕が決めてもいい?」
嘘は言っていない。人間からしたら偏食だろう。えっ、と戸惑う姿はまるで小動物のようで、とても美味しそうだ。食欲を押し殺していると、彼女がおずおずと口を開いた。
「食事より飲みに行く方がいいですか?」
ううん、と首を横に降れば安堵の吐息が漏れる。やけに色っぽく見えてしまうのは、お腹が減ってきたのだろうか。おやつ数個では足りなかったようだ。
「いいお店知ってるからさ」
そう、喰種には喰種の食事を、人間には人間の食事を出してくれるレストランがあるのだ。いろいろな理由で喰種である事を隠している人達や、人間(食事)を油断させるためなど、利用者は多岐に渡る。喰種の中でも一部しか知らないところだ。お口に合うといいんだけど、とおどけて見せれば、お言葉に甘えて、と彼女も同じ顔をした。改札まで送る、と言う申し出には申し訳なさそうだったけれど、笑顔で喜んでくれた。ほんの数分を一緒に歩いて、改札から見えなくなるまで見送る。見えなくなるまで何度も何度も振り向いては手を振ったり会釈をしたりしていて、なかなか進まずに居るのが、なんだか彼女らしくて微笑ましく思った。近い未来にまた会えるのが、なぜだか堪らなくドキドキワクワクさせる。食事、楽しみだなぁ。
『仕事が一段落したら行こうかな』
『ウタさんって何のお仕事してるんですか?』
『物作りだよ』
ビックリ顔の柴犬が送られてきて、思わず笑ってしまった。それがあまりにも彼女に似ていて、そう言えば犬みたいな子だな、と再認識した。
運良く、そこまで仕事は溜まっていなかったし、期日の近い物もなかったので、思いの外早く手が空いた。いつもよりも少し早く店を閉めて、彼女のいる駅前へと向かう準備をする。足取りは軽く、ワクワクしているような感覚だ。そう言えば、連絡先を渡されたあの日から1度も直接会っていないのだ。思い出す甘い香りに内臓がゾクリと震えた。間違えて食べてしまわないように、おやつを数個口の中に放り込んで店を出た。
駅前の彼女がいつも歌っている場所はほぼ決まっている。近付くに連れて徐々に届き始める甘い香りと柔らかな歌声。まだ片手で数えられるくらいしか聞いていないのに、不思議と落ち着くような気がする。ずっとこの匂いに、声に浸っていたい気もするし、今すぐにでもひとつ残らず食べてしまいたい気もする。この正反対な感情の正体を僕は知らないし、知らなくていいと思う。これはそんな不快なものでは無いから。僕を見つけた彼女の顔がパッと明るくなる。本当にわかりやすいなぁ。そんな彼女を可愛いと思うのは何故なんだろう。今日は数人の観客がいたため、車道との境にある格子に寄りかかって彼女を観察した。僕だけが聞いていた今までは、一緒におしゃべりを交えながら歌っていた。けれど、今日は複数人の観客がいるからか、会話をするではなく、用意してきた話をしているようだ。数曲歌って、短い話を挟んでまた数曲歌う。どうやら今日はこの曲で最後らしい。歌い終わって礼を言いながら頭を下げると、まばらな拍手と共にお開きになった。
「お疲れ様」
「ウタさん!」
ギターやら厚紙やらを片付けている背中に声を掛けると、パッと明るい笑顔が振り返った。何やらバタバタと片付けている。そんなに慌てなくていいのに。門限とかあるのかな?
「あ、あの…少し、お話しませんか…?」
耳まで真っ赤にして、でも真っ直ぐに僕をみる。そっか。僕を待たせないように急いでたのか。甲斐甲斐しい。
「待ってるから、ゆっくり片付けて」
大事なギターが傷ついてしまうかもしれない。転んで怪我でもしてしまうかもしれない。怪我なんてしたら、食べてしまいたくなるかもしれない。だから。
「ゆっくり片付けながら、おしゃべりしよ」
笑って見せれば、また笑顔が返ってくる。そして、ゆっくりとお互いの事を話した。彼女はずっと区外に住んでいたけれど、就職を機に14区に引っ越してきたとか。13区で働いていて、4区は帰り道なんだとか。もうお酒は飲める年だとか。なんて事ない彼女の基本情報。僕の推測は、あながち的外れという訳ではなかったようだ。僕も、4区に住んでいるとか。普段はお店をやっているとか。そんな話しをしているうちに、あっという間に片付けは終わった。時々手が止まっていたのに、時間は一瞬だったような気がする。
「片付け、終わっちゃいましたね」
あまりに寂しそうな、名残惜しそうな、そんな笑みを浮かべるものだから、自然と手が伸びた。彼女の頭に軽くのせて、ぽんぽんと数回弾ませると、気持ちよさそうに顔が綻んだ。つられて口角が上がっていくのが分かる。
「あの、今度ごはん食べに行きませんか?」
前みたいなガチガチな緊張ではなく、程よいハリのある声と表情。僕は喰種だから、食事とは人間のことになるのだけれど、それを彼女が知ったらどうなるだろう。驚いて腰を抜かしてしまうだろうか。怖がってもう会ってはくれないだろうか。それならば食べてしまうのも手だけれど、それを惜しいと思う自分がいる。天秤にかけたら、遥かに後者の方が重いのだから自分でも驚きだ。観念して、いいね、と笑顔で返せば、嬉々とした笑みで飛び跳ねた。ふんわりとした雰囲気の彼女でも、こんなアクティブに動いたりするんだなぁ。
「僕、凄く偏食だから、お店は僕が決めてもいい?」
嘘は言っていない。人間からしたら偏食だろう。えっ、と戸惑う姿はまるで小動物のようで、とても美味しそうだ。食欲を押し殺していると、彼女がおずおずと口を開いた。
「食事より飲みに行く方がいいですか?」
ううん、と首を横に降れば安堵の吐息が漏れる。やけに色っぽく見えてしまうのは、お腹が減ってきたのだろうか。おやつ数個では足りなかったようだ。
「いいお店知ってるからさ」
そう、喰種には喰種の食事を、人間には人間の食事を出してくれるレストランがあるのだ。いろいろな理由で喰種である事を隠している人達や、人間(食事)を油断させるためなど、利用者は多岐に渡る。喰種の中でも一部しか知らないところだ。お口に合うといいんだけど、とおどけて見せれば、お言葉に甘えて、と彼女も同じ顔をした。改札まで送る、と言う申し出には申し訳なさそうだったけれど、笑顔で喜んでくれた。ほんの数分を一緒に歩いて、改札から見えなくなるまで見送る。見えなくなるまで何度も何度も振り向いては手を振ったり会釈をしたりしていて、なかなか進まずに居るのが、なんだか彼女らしくて微笑ましく思った。近い未来にまた会えるのが、なぜだか堪らなくドキドキワクワクさせる。食事、楽しみだなぁ。