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やほよろづ

 もう、正確な年数なんて分からないほど昔のこと。とても美しい村娘に恋心を抱いていたことは覚えている。とても美しい、八人姉妹。どうしても、どうしても欲しくて。遠くから眺めているだけでは、満足ができなくなってしまった。少しずつ、少しずつ、様子を伺いながら距離を縮めた。

 けれど、決して近付いてはならなかったのだ。

 ただの人の身には、この毒気が強すぎて。一人目も二人目も、三人目、四人目、五人目も、六人目、七人目もダメだった。それでも諦めきれず、最後の一人に望みをかけた。末娘ならばきっと、大丈夫。根拠のない希望に縋って、そして。

 ここで、一度記憶は離散する。
 焼け付く痛み、流れていく力、見ず知らずの男に縋る愛しい娘の姿、バラバラにされていく体、力、記憶。

 そして、再び目を覚ました時にはもう手遅れだった。愛しい娘は、自分を殺した男に嫁いだ。いつの間にか自分には「悪」の役目が振り分けられていて――それでも、まだ世界が安定していないから、というだけで、人から見た「悪」ではない部分を集めて作り直された。本当は、世界なんてどうでもよかった。ただ、この世界が壊れてしまえば、あの、最後の娘も消えてしまうから。
 粗末な社に押しこめて、それだけで縛ることができるなんて本当に思っていたのだろうか。目を醒ました直後ならばともかく、傷が癒え、力も安定してしまえば逃げ出すことも容易かった。それをしなかったのは、もう疲れてしまったから。自分はただ、愛し、愛されたかっただけだった。それなのに「悪」だと罵られ、そして閉じ込められてしまった。逃げ出したとしても、きっとまた。外へ出て人と接してしまうよりは、山奥の寂れた社に閉じ籠っている方がずっと良かった。
「……ワシは、人間が嫌いや」
 自分の都合で振り回しておきながら、忘れてしまうから。目の前で困ったように笑う男も、いつかはきっと。
 社を移そう、などという世迷い事を告げに来た男。新たな神社の、その一柱になれと。檻を作り変えて、場所を変えて、初めは良いだろう。だが、男が死んだ後は。次代へ受け継ぐべき記憶も記録も薄れ、また同じことの繰り返し。
「嫌いや、言いながらも人に手を貸しとったんは誰やねんな」
「あれは男が気に入らんかったから……気紛れや」
 ああ、そういえばあの娘はどうなったのだろう。男が憎いと、そんな男に騙された己が憎いと、野山を駆けずり回って忘れ去られた神に縋った娘。
「ああ、清姫さんは入水しはったで」
「残念やな」
 人から蛇になったあの娘ならば、きっと大丈夫だと思ったのだが。薄まったとはいえ、この身の毒は人に害しか与えない。身を狂わせたのか、気を狂わせたのか。どちらにせよ、隣に立てぬのであれば同じこと。
 だから、そう。きっとこれもまた、気紛れ。
「……ええよ。話、受けたるわ」
「ほんまか?」
「ワシ、嘘は嫌いやねん。知っとるやろ?」
 共に封じられる存在もまた、他者との触れ合いを恐れているという。神代の毒に触れてもなお、祝福によって生かされるであろう呪われた小烏。
(似た者同士、傷の舐め合いも悪ないわ)
 どうせ、時間は無限にある。ぴいぴい鳴いているらしい小鳥の面倒を見てやって、暇を潰すことも悪くないと思えた。
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